執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
A tristeza entrevista na psique e na música brasileiras
ー seguindo a fonte do sentimento saudoso
( saudade) que o povo português conservaー
サンバに興じるカーニバルなどを観ると、ブラジル人は陽気で楽天的な国民である印象を覚える。が、ブラジル社会と文化の基層となったこの国民ーこの場合はポルトガル人、先住民インディージェナおよびアフリカ系民族を指すーが他方において、心理( psique)の根底に哀愁や悲哀の感情を伝統的に抱いていたのも事実である。
ブラジル人の思考について思いを巡らす際は、この点にも留意すべきであろう。『3つの悲しき民族』(The Three Sad Races)の著者David T. Haberlyは、詩人であるオラーヴォ・ビラックの、音楽観、すなわちブラジルの音楽は3つの民族の愛の花(Flor amorosa de três raças) であり、と同時に、悲しみを湛えているという言説を引用している。オラーヴォ・ビラックは言う。ポルトガル人は祖国への抑え難いノスタルジーために呻吟し、拉致、強制離散されてブラジルにもたらされた黒人は、失われた自由を嘆き悲しみ、そして先住民の場合は、白人から奪い取られた世界を嘆いてきた、と。[cit. 前掲書、p.1]彼の説に従えば、結果として、三者三様が悲しみに満ちた歌を唄うことで、おのずとこの国の音楽もそうした様相を帯びていることになる。
ブラジルを代表する社会史家で人類学者のジルベルト・フレイレも同趣旨に近いことを『熱帯の新世界ーブラジル文化論の発見』(New World in the Tropics)[新世界社]の中で述べている。
、、、この哀愁は又或る程度、ブラジル人の大多数が過去において受けた社会的な痛手、つまり奴隷制によっても説明しうる。奴隷は、よい待遇を受けている時でも漠然とした郷愁を感じ、そのため彼らの踊りは時に楽しいものであっても、歌は哀愁に満ちていた。ブラジル人はポルトガル人から、かの有名な、遠く故国を離れていることが多い船員の、周知の郷愁、つまりサウダー(saudade)というポルトガル語に表されている感情を受け継いだ。[p.9.]
私見ながら、ブラジル音楽に悲しみの感情を吐露したものが少なくないのもそれは、悲しみ、哀愁、苦悩などが歓び、幸福感等とごちゃまぜになった、ポルトガル人やガリシア人に特有のsaudade[もともとはsoidade。多義性から翻訳が困難な言葉の典型]の影響が大きいように思う。次回、そのサウダーデについて詳述したい。
陸終わり海始まるところに住むポルトガル人の心理: サウダーデ(saudade)
Psique do povo português que mora na terra que acaba e começa o mar: Saudade
ー哀愁漂うブラジル音楽の一面を理解するためにー
ーpara compreendermos do aspeto da música brasileira que tem um ar pesadoro
(tristeza)ー
ブラジル音楽が一面において、ポルトガル人、先住民および奴隷として強制離散の憂き目に遭い熱帯ブラジルに搬送された黒人のそれぞれが、宿命的に背負った不運や悲しみが同国の音楽に反映されていることを前回記した。中でも、ポルトガル民族の国民心理とも言うべきサウダーデの心情が、ブラジルの音楽に与えた影響は黙過し得ないように私は思う。今ではブラジル人の専売特許のように思われがちであるが、歴としたポルトガルの民族、文化風土に由来する。
私は過去に、文芸風土学的視座から、ブラジルおよびポルトガルの地域性を研究したことがある。その過程で、ポルトガル人の国民性を知る目的で、ずいぶんとヨーロッパの最西端の国の地理的位置と民族性について考察を加え、その重要性を理解したつもりである。因みに、その研究の一端は、FHG(野外歴史地理学)〔その主体である研究所は当時、京大教養部に付設されていた〕会誌に公表している。ともあれ、サウダーデの心情がポルトガル人に生み出された背景に、民族性とこの国の置かれた地理的位置が大きな意味を持つようである。
Teófilo Bragaの言説はポルトガルのみならず、ポルトガル人、ひいてはポルトガル人の心理や心情を理解するのに大いに役立つ。彼はポルトガル文学史を編むために、ポルトガル人の性格を定義し、合わせて説明しょうと試みた。
テオーフィロの説に基づけば、ポルトガルがヨーロッパの最西端の大西洋に位置していることと、スペインのセム系の民族と違ってケルトおよびリグーリオ( ligúrio)[海辺のケルト]系の民族に特徴づけられること。この2つの基本的な要因がポルトガル人の、多情な気質、探検、冒険趣味などに反映されている、と言う。
してみるとおそらく、郷愁、懐古の情、懐かしさ、メランコリー、孤愁など多義的に日本語に訳されるサウダーデなる心情表現も、多情な愛の表出に長けたポルトガル人ならではのものであろう。サウダーデを吐露したブラジル音楽は、枚挙の遑がない。次回は、その最たる郷愁的な抒情主義への言及を試みよう。
●新田次郎、藤原正彦による親子共作の『孤愁』も、ウェンセスラウ・デ・モラエスの、
母国ポルトガルや徳島でオヨネやコハルと送った生活へのサウダーデの情であろう。
サウダーデという言葉は日本語に訳しにくい、多義的な言葉であることは以前に述べた。広辞苑の如き存在の、日頃活用している最良のAntônio Hauaissの辞典と、まだ前者が刊行されていなかった時分に愛用していたAurélio辞典で、saudadeの定義を見てみたい。オーアイスは次のように記している。
saudade=sentimento mais ou menos melancólico de incompletude, ligado pela memória a situações de privação de presença de alguém ou de algo de afastamento de um lugar ou de uma coisa, ou à ausência de certas experiências e de terminados prazeres já vividos e considerados pela pessoa em causa como um desejável.
かなり長文の氏の解釈であるが、かいつまんで言えば、サウダーデとは、ある場所から遠ざかった人もしくは物事の不在や満たされない想いなど、ありし日の経験、想い出などに結びついたメランコリックな感情、となろう。
一方のアウレーリオの語の解釈はよりシンプルだ。彼はこのように定義付けている。
saudade=Lembrança nostálgica e, ao mesmo tempo, suave, de pessoasou coisas distantes ou extintas, acompanhada do desejo de tornar a vê- las ou possuí- las: nostalgia
遠ざかった(別離)もしくは消え失せた人あるいは物を再び見、所有したいという希望を伴う、甘美な[悲しみを帯びた]ノスタルジックな想い出。ノスタルジー。
ずいぶん昔、手元にないので明記できないが、ファドの女王アマリア・ロドリゲスが唄う「暗いはしけ」を「ポルトガル通信」[淡交社]で紹介、歌詞を翻訳したことがある。これなどはまさしく、サウダーデの感情を吐露した典型的な曲かもしれない。
文字通り怒涛の荒れ狂う海に出漁した夫の不在を嘆き、安否を気にしながら夫の帰りを、今か今かと待ちわびる妻の心境。ここにはサウダーデの感情が遺憾なく表れ出ている。ついでながら、上記の文脈で使われるsaudadeに関する表現も、辞書を見れば分かることであるが、記しておこう。
Estar com saudade de〜がいなくて寂しい
Matar as saudades dos amigos旧交を温める
Matar saudade 郷愁を癒やす、懐かしさを解消する寂しさを紛らわす
Morrer de saudade 死ぬほど懐かしい、懐かしさで死にそうである
Morrer de saudade por〜に会いたくてたまらない
Sentir saudade de〜が懐かしい、〜を懐かしく思う
Ter saudades de〜を切望する、人のいないのを寂しく思う
Que saudade !
ブラジル音楽に多大の影響を与えたポルトガルの抒情(主義): サウダーデ
ーポルトガル人の心理に宿る本質ー
Lirismo português que exerceu sobre amúsica brasileira: saudade
ーa essencialidade que conserva na alma ou a psique portuguesasー
ポルトガル文学史を通観すると、詩のジャンルであれ、短編を含む小説、随筆、クロニカ、戯曲のジャンルであれ、ポルトガル、つまりポルトガル人特有の感情とも言える、郷愁や傷ついた愛の心境などを叙述、表現したものが多いのに驚く。とりわけ、前回記述したサウダーデの心情がそこらに横溢している事実は、特筆大書すべきであろう。
因みに、いわば国民感情とも言えなくはないこれは、言語も類似したガリシアにも通有のものらしい。カモンイス(Luís de Camões)の手になるポルトガル叙事詩の最高峰に位置する Lusíadas、ベルナルディンやアルメイダ・ガレットの小説、イレーネ・リズボアのクロニカ、ジル・ヴィセンテの戯曲などの作品は、そのサウダーデが吐露表出された典型かもしれない。
15世紀にすでにドン・ドゥラルテは、ポルトガル人のsui generisな心情であるサウダーデの存在を認めた上で、それが喜びと悲しみが複合したものであるという見解をとっている。道理で、よくよくブラジル音楽に目を向けると、愛の喜びと悲しみをベースにサウダーデの心境を歌い上げた曲の多いことに気づかされる。
20世紀前半にポルトガルでは、テイシェイラ・デ・パスコアイスが提唱したサウドジズモ(saudosismo)なる文学運動が強く打ち出される。これは言うまでもなく、ポルトガル民族の魂を宣揚するもので、ブラジル文学に言うウファニズモ(ufanismo)〔ブラジル高揚・誇示主義〕に類似した運動のようにも思える。むろん、このサウドジズモの要諦で核心部分はサウダーデであることは、言を待たない。ポルトガル人の心情で文学にも深く刻まれたサウダーデが、熱帯ブラジルを築いた彼らによってもたらされ楽想に深い影響を及ぼしたことは、容易に想像がつく。
『ポルトガル文学の独自性』の著者Jacinto do Prado Coelhoに依れば、サウダーデの発露は必ずしも過去に向けられたものだけではなく、想い出、願望、メランコリーなどがインセンティブな意味で、未来にも向けられているらしい。いずれにせよ、ポルトガル民族の心理や想いを体現したサウダーデが、これまでのブラジル音楽にも反映され、楽想となって表れ出ているということ。
●ウファニズモについては拙著『ブラジル学への誘いーその民族と文化の原点を求めて』
(世界思想社)において詳述しているので、ここでは割愛した。