連載エッセイ108:渡邉裕司 「カリブの野球王国~ドミニカ共和国」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ108:渡邉裕司 「カリブの野球王国~ドミニカ共和国」


連載エッセイ105

カリブの野球王国~ドミニカ共和国

執筆者:渡邉 裕司(元ジェトロ・サンパウロ所長)

ドミニカ共和国とドミニカ

2008 年~2010 年の二年間、ドミニカ共和国に住んだ。降り注ぐ太陽に紺碧の海・・毎年 9 月頃、ハリケーンの襲来に見舞われる以外は亜熱帯ながら季節風が比較的凌ぎ易い気候をもたらし国民性は明るく屈託がない。日本で「ドミニカ」と言えば普通はこのドミニカ共和国を指すのだが実はカリブ海にはドミニカと名の付く独立国が二つある。ひとつはスペイン語圏、コロンブスが 1492 年第一回航海で到達したエスパニョーラ島に位置し西のハイチと国境を接する人口 1000 万のドミニカ共和国。もうひとつがベネズエラ沖に浮かぶ旧英領英語圏、人口 7 万の奄美大島とほぼ同面積の英連邦国家 Dominica だ。前者は República Dominicana、長いので現地ではドミニカーナと略し、後者は正確にはニにアクセントを置いてドミニーカと呼ぶ。日本語でも同様に短くドミ共と呼んで後者と明確に区別する。これを知らないととんでもない間違いを犯すらしい。ある日本人が NY でドミ共行きフライトに搭乗すべきところ間違ってドミニカ行きに乘ったというのだ。しかし搭乗ゲイトでドミ共のサントドミンゴ行きとドミニカの首都ロゾー行きを普通は間違えることはないだろうし、そもそもロゾー行き直行便はない。カリブ島嶼のどこかの経由地で乗り継ぎが要るから多分この話はフェイクだろう。本当の話もある。国名を Dominica と誤記されて出された日本発ドミ共宛てエアメールが数カ月かかって漸くサントドミンゴの自宅住所に転送されてきたという話をある現地日本人から聞いた。

カリブ海は限りなく碧く

ドミニカ共和国と野球

しかしカリブの地勢には疎い日本人もこと野球のことになるとドミ共はぐっと近くなる。米メジャーリーグ MLB だけでなく日本プロ野球 NPB への野球人材供給源としてもキューバを凌ぐ野球王国だ。とは言えここはスペイン語圏、サッカーもやるものと思い込んでいた私は機会あるごとに気を付けてサッカー風景を見つけようと努力したがとうとう見ずじまい。アメリカナイズされたドミ共はサッカーはやらないお国、キューバもそうだろう。球場はなくても広場という広場、空き地さえあればそこではほぼ必ず子供から若者まで草野球に熱中。高価な野球用具などなくていい。思い思いの帽子、粗末なジャージに擦り減ったズック、ボロボロのグローブと革の剥けたボール、疲労したバット・・チームのユニフォームなどちゃんとした社会人野球かプロチームじゃないと普通は持ってない。しかし見かけは粗末でもその技術レベルは素人離れしているのは少し見ればすぐに分る。強肩、俊足、鋭いスイングはもとより両膝をついたまま塁へ牽制送球する捕手・・日本ではプロ野球でもなかなか見れない技だ。そもそもドミ共人の並外れたパワーはどこから来るのか。彼ら庶民の主食は一見、薄い赤味を帯びた赤飯のように見える豆入り御飯に揚げた鶏肉、サラダにソフトドリンクが普通。この質素な食事であの身体能力だからもって生まれた DNA も並みのものじゃない。将来、モノになる人材がこの草野球チームからも出る。¿ Firmaste ya ?(もうどこか決まったのかい?)外国人スカウトらしき人物が目を付けていた若者に言葉をかける。長期滞在し、英語とスペイン語を駆使し金の卵を捜し求める日本人スカウト・エージェントもいた。週末になると近くの広場にこの野球風景を見に行くのが唯一の楽しみとなった。

広島カープアカデミーの生徒たち

スペイン支配からアメリカ統治へ

中南米大陸のスポーツ文化を俯瞰すると面白い。北のアメリカに近づく程、野球が盛んで逆に南に下る程、サッカーが主流となる。南米の大部分を占めるブラジル、コロンビア以南の国々は日系人を除いて野球はやらないから一般にそのルールも知らない。最南端のアルゼンチンはサッカー王国だしチリ、ウルグアイ、パラグアイなどサッカー強豪国がひしめく。もともとスペインの勢力圏だったカリブにアメリカが戦略的価値と経済権益を求めて覇権を確立したのは 20 世紀に入った第一次大戦末期頃。15 世紀末コロンブスの新大陸到達から続くスペインの独占的支配は 17 世紀蘭英仏列強のカリブ侵入で終止符が打たれた。その後 19 世紀末、アメリカはキューバ独立戦争に乗じてその宗主国スペインに宣戦して短期決戦で圧勝、これを駆逐しカリブへの本格進出を開始した。キューバを支配下においたアメリカは 20 世紀初頭、パナマをコロンビアから独立させてパナマ運河を建設、戦略の要衝を押さえる。1915 年にはハイチに、翌 1916 年にドミ共に進攻したアメリカはハイチに 1934 年まで、ドミ共にはバスケス民選政権が成立する 1924 年まで軍政下においた。1930 年からドミ共はトルヒーヨ専制の時代に入るが反共のトルヒーヨで共産化を防げると考えたアメリカは長くその圧政を黙認した。しかし 1959 年、キューバでバチスタ独裁体制が倒れて親ソ政権ができると第二のキューバ出現を恐れた米ケネディ政権は 1961 年、反政府派のトルヒーヨ暗殺計画を支援しその独裁を終わらせた。1965 年、米ジョンソン政権は左右勢力の衝突する内戦に軍事介入し、右派政権の流れを作ったため、その後、カストロに支援された亡命ドミニカ人部隊が上陸してゲリラ戦を試みたが間もなく掃討された。

中南米はアメリカの裏庭 backyard とはよく聞く言葉。だがアメリカの中米カリブ関与の近現代史を振り返るとカリブはアメリカの中庭 courtyard かもしれない。英語だとピンと来ないがスペイン語の patio を想起すれば分り易い。正に敷地内の中庭、つまり私有地のど真ん中にある庭である。CIA が組織したキューバ反攻作戦(1961 年ピッグス湾事件)、キューバへのソ連核配備阻止(1962 年キューバ危機)、レーガン政権のグレナダ進攻(1983 年親ソ政権打倒)、ブッシュ政権のパナマ進攻(1989 年反米ノリエガ政権打倒)、クリントン政権のハイチ介入(1993 年民主政権復帰支援)・・・アメリカは冷戦後もその「中庭」の安定を脅かす如何なる勢力の介入も許さない強い姿勢を示した。

アメリカ文化

アメリカの統治がドミ共に残した足跡は随所に見られる。野球だけでなく度量衡はメートル法とヤードポンド法が混在する。距離はメートルながら重量はアメリカのようにポンド(0.45kg)、ガソリンはガロン(3.78 リッター)を使用する。英語は一般市民レベルでは使えないがビジネスパーソン、官公庁、教育を受けた層やアメリカ生活の体験者ならよく通じる。政治は中道安定政権が続き自由開放市場経済のもとビジネス上の制度的障害は基本的にはない。これもある意味自由なアメリカ経済圏に属する利益を長く享受しているからだろう。アメリカ国籍も持つ二重国籍ドミ共人は多い。アメリカ旅券を自慢気にポケットから出して見せる人もいる。何かあったらいつでもアメリカに行ける、自分にはアメリカンドリームを実現できるチャンスが与えられていると言いたいのだろうか。米国の永住ビザや国籍は中流以上の一種のステータスシンボルとなっている。150 万もの国外移民がアメリカ(NY、マイアミ)をはじめプエルトリコ、スペイン等に居住し、 NY だけでドミ共人は 100 万、非正規移民を含むとこれをはるかに超えるという。アメリカ移住を夢見て米領プエルトリコに小型船で密出国し遭難したり、拿捕される事件も後を絶たない。

スポーツでは事実上の国技野球の他、バスケットボール、バレーボール、ボクシングもかなり普及しそのレベルも高い。ゴルフ、テニスは富裕層に人気だが長期滞在する外国人向けのリゾートには高級クラブも多い。プロ野球は 6 球団あり 10 月から 1 月までリーグ戦が全国 5 ヶ所のスタジアムで行われる。アメリカ大リーグは 1 球団を除く 29 球団がドミ共内に全寮制選手育成学校「アカデミー」を持ち充実した施設で優秀なアスリート育成に凌ぎを削る。

世界でアメリカ大リーグに最も多くの外国人選手を供給するのはドミ共、外国人選手の 30%近くを占める。2020 年メジャー開幕支配下登録選手だけでドミ共 110 名でトップ、次いでベネズエラ 75 名、キューバとプエルトリコが各々22 名、日本 9 名となっている。総数ではドミ共選手はメジャー150 名、ルーキー、マイナー両リーグで 900 名、全世界には 2000 名はいると推定されドミ共は野球人材工場とも比喩される。最近の数字は分からないが 2010 年当時の米 USA Today 紙によるとドミ共メジャー・リーガー88 名の年俸総額は 3.53 億ドル(平均 4 億円/年)、最高額が Alex Rodríguez の 33 億円、Manny Ramírez の 20 億円が次ぐ。この年俸総額は 2009 年のドミニカ共和国総輸出額の 6%強にも相当するから並みの金額ではない。日本の広島東洋カープも 1990 年から首都近郊 San Pedro de Macorís にアカデミーを運営し野球人材の発掘育成を行っている。かつてメジャーでスラッガー賞に四度輝いた A.ソリアノら一流選手を輩出した。敷地面積 24 万㎡にグランド 4 面、練習施設、40 名収容宿舎等を擁する。

ドミニカ共和国野球事情

ドミ共プロ野球の歴史は古い。日本では明治 22 年の 1890 年に“Ozama”と“Nuevo Club” の 2 チームが発足した。1907 年に Licey が、1921 年に Escogido が結成されこの 2 強が現在も伝統的ライバルである。1955 年に現在のドミ共プロ野球リーグ Liga de Béisbol Profesional de la República Dominicana が発足し計 6 チームがある。シーズン公式戦である冬季リーグ Liga Dominicana de Béisbol Invernal(注)は 10 月 15 日開幕 12 月 21 日まで 6 チームによるリーグ戦 25 試合を全国 5 ヶ所の球場で計 6 回、150 試合こなし、その上位 4 チームが 1 月にリーグ戦 9 試合を計 2 回、18 試合行う。この上位 2 チームが 9 回戦の決勝に進み 5 勝先取チームが優勝する。優勝チームは続いて 2 月に行われるドミ共、プエルトリコ、ベネズエラ、メキシコで構成する“カリブ・シリーズ”La Serie del Caribe に出場する。このカリブ地域国際試合には選手の亡命を恐れてか 10 数年前からキューバが参加していない。 首都のスタジアム Estadio Quisqueya の入場料は座席により様々であるが、200~550 ペソ(55 ペソ/ドル)まである。売れないからか外野席がないのが面白い。Licey-Águilas 戦、 Licey-Escogido 戦などの好カードになると観客の応援は声援、笛、太鼓、大音響の音楽で会場は割れんばかりの騒音の場と化すから慣れない日本人には耳栓が要る。南米サッカーでよく見るフーリガンのような暴力的な応援団、サポーターはいないし警備が行届き治安は心配ない。試合開始時刻は曜日により若干、違うが夕刻 6 時前後くらい、試合日程はリーグ URL 内の試合スケジュール Calendario で見ることが出来る。延長戦は決着が付くまで延々と続行され試合終了は翌朝ということもある。ゲームがなかなか終わらないので夜遅くタクシーで帰宅し早朝に目覚めると球場の方角からまだ応援団の騒音が聞こえてくるのには驚いたことがある・・カッ飛ばせ!リセイ!とか何とか。イヤハヤ、飽きもせず大変な野球熱である。毎年、日本のプロ野球 1~2 軍現役選手や自由契約選手が冬季リーグに自主参加している姿もみかける。

「デッドボール」の怪?

野球用語で面白いことを発見した。日本の野球用語と自動車部位名称は大体が和製英語が通り相場、アメリカでは通じない。お馴染み「デッドボール」はその典型。アメリカでは hit by pitch、つまり投手の投球による安打という。ところがドミ共ではこの正しい英語は使わず何故か、日本語と同じデッドボール(死んだ球)と言うのには驚いた。その語源は何か、どこから来た言葉か、職場の元米マイナーリーグ捕手だった友人や野球好きの人に尋ねたが皆知らないという。日本の隠語とドミ共のそれの単なる偶然の一致にしては余りに出来すぎる話だ。遠く離れたお国の間でこの「死んだ球」だけがどうやって根付いたのか。もしかしたら昔、野球の本場みたいなドミ共から日本人が何かの縁で日本に仕入れ定着したものか、あるいはその逆か。真実は何か・・知りたくもあり、また知らないままでいるのもロマンを掻き立てられワクワク感があっていいのかもしれない。

(注)在ドミ共米大リーグ・アカデミー29 校が行う「夏季リーグ」Liga Veraniega があるが、これは各校グラウンドで行われる各校対抗観客なしのゲーム。

<プロ野球 6 チーム>

チーム名        本拠地球場名   (所在地)       観客収容数

①Tigres del Licey       Quisqueya        (首都)         16,000
②Leones del Escogido   Quisqueya        (首都)         16,000
③Águilas Cibaeñas     Cibao            (サンチアゴ)     18,000
④Gigantes del Cibao    Julián Javier   (S.F.de Macorís)    12,000
⑤Toros del Este         Francisco Michelli(La Romana)     10,000
⑥Estrellas Orientales   Tetelo Vargas(S.Pedro de Macorís)   8,000
(注)試合数:キスケヤ球場 50 試合、その他球場は各 25 試合

><ドミ共の野球用語>

「ポジション等:」

投手→lanzador(先発投手 abridor)、外野手→ jardinero(outfielder)、右翼手→jardinero derecha、中堅手→ jardinero central、左翼手→ jardinero izquierdo、内野手→infielder、遊撃手→campo corto、torpedero または short stopper、1 塁手→infielder de primera base 、 2 塁手 segunda base、3 塁手→tercera base、捕手→Receptor、監督→piloteo(manager)、主審→umpire principal、累審→umpire de base、バッター→bateador

「投球、投手成績等:

ボールカウントは英語、日本語と同じくボール数を先に言う(例:dos bolas un strike)、フォアボール→base por bola、デッドボール→deadball、投球→lanzamiento(pitcheo)、失点→carrera sucia、自責点→carrera limpia 三振をとる→ponchar

「打撃成績等:」

得点→carrera anotada、打点→carrera empujada、試合数→jueog jugado、勝ちゲーム→ juego ganado、負けゲーム→juego perdido、勝率→porcentaje de ganancia、ゲーム差→ diferencia de partido、三振→ponchado、打席数→veces al bat、打順→turno、打率→ porcentaje de hit、ホームラン→jonrón、ランニング・ホームラン jonrón de pierna、単打 hit sencillo、2 塁打 hit doble、3 塁打 hit triple 、内野安打→infield hit、ライナー→línea、インフィールド・フライ→infield fly、タッチアップ→pisa y corre、犠牲フライ fly sacrificio、イニング(inning)、表(top)、裏(bottom)は英語に同じ、延長戦→extra inning、バント、セイフティー・バント→toque、 送りバント toque sacrificio、ランナー→corredor、盗塁→robo de base、 本盗→robo de home

以  上