執筆者:桜井 悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)
最終回では、ウルグアイ、メキシコ、コロンビア、チリ、ペルー、パラグアイ、エクアドル、ボリビアの主要選手を紹介する。
「ウルグアイ」
*ホセ・ナサッシ(Jose Nasazzi Yarza)
1901年~1968年。DF。リト→ベジャビスタ→ナショナルに所属。ウルグアイ代表1923年~36年、代表試合41試合0得点。1924年、28年オリンピック優勝、1930年ワールドカップでアルゼンチンを破り優勝時のキャプテン、最優秀選手賞。1923年、35年の南米カップ(コパ・アメリカの前身)で最優秀選手賞。ウルグアイ史上ベストのプレーヤーと評価されている。ラテンアメリカのサッカー界に影響を与えたベスト10のトップに選ばれている。
*オブドウリオ・バレラ(Obbulio Varela)
1917年~96年、1955年引退。 MF。 デポルティーボ・フベントゥ―→モンテビデオ・ワンダラーズ→CFペニャロール。ウルグアイ代表1939年~54年、国際試合45試合9得点。1950年ワールドカップ優勝時のキャプテン。「マラカナンの悲劇」として有名な決勝戦で冷静にキャプテンを務め、ボールをフィールドに持っていき、「さあ勝つときが来た」と叫びチームを鼓舞し、ブラジルに勝利した。サッカー史上最高のキャプテンの1人と言われている。後にペニャロールの監督も務めた。
*フアン・アルベルト・スキャフィーノ(Juan Alberto Schiaffino)
1925年~2002年。MF、FW。愛称は「ペペ」。 ペニャロール→ACミラン→ASローマに所属。ウルグアイ代表1946年~54年。国際試合21試合8得点。1950年ワールドカップの決勝戦(マラカナンの悲劇)の対ブラジル戦で同点ゴール(決勝ゴールはギジャ)をあげる。後にイタリア国籍も取得し、イタリア代表にもなる。
*ウーゴ・デ・レオン(Hugo Eduardo de Leon Rodriguez)
1958年生まれ、1994年引退。 DF。 愛称は「El Caudillo」(盟主)。ナショナル・モンテビデオ→グレミオ→サントス→ログローニョス→東芝サッカー部〈現コンサドーレ〉等に所属。ウルグアイ代表1979年~90年、国際試合48戦0得点。1983年グレミオで、1988年ナショナルでトヨタカップ優勝。引退後はグレミオ等の監督。
*エンツオ・フランチェスコリ(Enzo francescoli Ugarte)
1961年生まれ、1998年引退。FW、 MF。愛称は「El Principe」(王子)。 モンテビデオ・ワンダラーズ→リーベル・プレート→PCパリ→オリンピック・マルセイユ→カリアリ→トリーノ→リーベル・プレート等に所属。ウルグアイ代表1982年~97年、国際試合73戦15得点。83年、87年、95年のコパ・アメリカで優勝。南米年間最優秀選手賞1984年、95年。アルゼンチン・リーグ最優秀選手賞2回(85年、95年)、得点王3回。94年から97年にかけてリーベル・プレートを4回優勝に導く。フランスのジダンが尊敬するプレーヤーで、彼は自分の息子にEnzoと言う名前を付けた。昔、映像で見方からのパスを受け、そのままオーバーヘッドキックでゴールしたシーンは忘れられない。
*アルバロ・レコバ(Alvaro Alexander Recoba Rivero)
1976年生まれ、2016年引退。FW。 愛称は「El Chino」。ダヌービオ→ナシオナル→インテル→ヴェネツイア等に所属。ウルグアイ代表1995年~2007年、国際試合69戦11得点。2002年ワールドカップに出場。セリエAでは、2005年~06年、2006年~07年のシーズンでインテルを優勝に導いた。筆者はインテル時代のレコバを何度も見ている。
*ディエゴ・フォルラン(Diego Forlan Corazo)
1979年生まれ、2019年引退。 FW。 インデペンディエンテ→マンチェスター・ユナイテッド→ビジャレアル→アトレティコ・デ・マドリ―→セレッソ大阪→ペニャロール等に所属。 ウルグアイ代表2002年~2014年、国際試合112戦36得点、2010年ワールドカップで5得点をあげ、FIFAゴールデンボール賞を受賞。2011年コパ・アメリカ優勝。引退後はペニャロール等の監督。セレッソ大阪に在籍したことで知られている。
*ルイス・スアレス(Luis Alberto Suarez Diaz)
1987年生まれ。 FW。 ナショナル・モンテビデオ→アヤックス(オランダ)→りヷ―プール→バルセロナ→アトレティコ・デ・マドリ―等に所属。ウルグアイ代表2007年~ 、国際試合106戦57得点、ワールドカップに3回出場、2010年4位、2014年ではイタリア戦で相手チームの選手に噛みつき退場、2018年ベスト8。オランダリーグ(2009年~10年)、プレミア・リーグ(2013年~14年、同年最優秀選手賞)、リガ・エスパニョーラ(2015年~16年)の3リーグで得点王。2015年FIFAクラブワールドカップで得点王、ゴールデンボール賞受賞。世界屈指のストライカーの1人。
*エディソン・カバーニ(Edinson Roberto Cavani Gomez)
1987年生まれ。FW。 ダヌービオ→パレルモ→ナポリ→パリ・サンジェルマン→マンチェスター・ユナイテッド等に所属。ウルグアイ代表2008年~ 、国際試合112戦48得点、ワールドカップ3回出場。2012年~13年セリエA得点王、2016年~17年、2017年~18年フランスリーグ得点王。ルイス・スアレスと強力なユニット。
「メキシコ」
*アントニオ・カルバハル(Antonio Felix Carbajal Rodriguez)
1929年生まれ。GK。愛称は「La Tota」。レアル・クラブ・エスパーニャ(メキシコ)→クラブ・レオン(メキシコ)に所属。メキシコ代表1950年~66年、国際試合48戦0得点。FIFAワールドカップの50年ブラジル大会から66年イングランド大会まで連続5回出場の記録を作った。5回出場者は、前述のメキシコのラファエル・マルケスとドイツのローター・マテウス、イタリアのGKのブッフォンのみ。
*ウーゴ・サンチェス(Hugo Sanchez Marquez)
1958年生まれ、1998年引退。FW。愛称は「マニート」。 UNAM→プーマス(メキシコ)→アトレティコ・デ・マドリ―→レアル・マドリ―クラブ・アメリカ(メキシコ)→ラジョ・バジェカーノ(スペイン)等に所属。メキシコ代表1977年~1991年、国際試合58戦29得点。ワールドカップには3回出場、1980年代後半からのレアル・マドリ―はブトラゲーニョやミチェルなどのスター選手を抱えたチームであったが、その中にあって中心選手であった。スペイン・リーグでの得点数は234ゴール、5度の得点王。リーグ最優秀外国人選手賞2回(87年、90年)、メキシコ史上最高のストライカー。ゴール後の前方宙返りで有名。サンテイアゴ・ベルナベゥ・スタジアムで見る機会があった。
*ホルヘ・カンポス(Jorge Campos Navarrete)
1966年生まれ。GK。UNAM→アトランテ(メキシコ)→ロサンゼルス・ギャラクシーアトランテ→プエブラ(メキシコ)等に所属。メキシコ代表1991年~2004年、国際試合130戦0得点。3回のワールドカップに出場。165センチとか168センチと言う話もあり、小さな巨人という愛称を持つ。
*ルイス・エルナンデス(Luis Arturo Hernandez Carreon)
1968年生まれ、2006年引退。FW。愛称は「El Matador」。 クルス・アスル→モンテレイ→ボカ・ジュニアーズ→ロサンゼルス・ギャラクシークラブ・アメリカ等に所属。メキシコ代表1995年~2002年、国際試合85戦35得点。ワールドカップには2回出場、98年フランス大会では4得点。1997年コパ・アメリカ得点王。
*ラファエル・マルケス(Rafael Marquez Alvarez)
1979年生まれ。DF。MF。愛称「アステカの皇帝」。アトラス(メキシコ)→モナコ→FCバルセロナニューヨーク・レッドブルズ→クラブ・レオンとうに所属。メキシコ代表1997年~2018年、国際試合147戦19得点。FIFAワールドカップには5回出場、2002年と2010年はキャップテン。
「コロンビア」
*フランシスコ・マットゥラナ(Francisco Maturana)
1949年生まれ。DF。 アトレティコ・ナショナル等所属。選手と言うよりむしろ名監督として有名。コロンビアの代表監督を長年にわたり務めた他、エクアドル、コスタリカ、ペルー、トリニダード・トバゴの代表監督も務めた。
*レネ・イギータ(Jose Rene Higuita Zapata)
1961年生まれ、2010年引退。GK。愛称は「El Loco」(狂人)。アトレティコ・ナショナル(コロンビア)→レアル・バジャドリー→ベラクルス(メキシコ)等。コロンビア代表1987年~99年、国際試合68戦8得点。コロンビアのシンボル的な存在で、ぺナルテイ・エリアから飛び出し、スイーパー的な役割やドリブルで活躍した新しいタイプのゴールキーパー。1989年のコパ・リベルタドーレス決勝では4本のPKを止め、自らはPKを成功させ優勝に大きな役割を果たした。麻薬問題で逮捕歴あり。
*カルロス・バルデラマ(Carlos Alberto Valderrama Palacio)
1961年生まれ、2003年引退。MF。愛称は「El Bipe」(少年)。デポルティーボ・カリ(コロンビア)→モンペリエ→アトレティコ・ジュニオール→タンパベイ・ミョーデイニー等。コロンビア代表1985年~98年、国際試合111戦11得点。ワールドカップ3回出場。コパ・アメリカ5回出場。コロンビア代表の主将、背番号10。1987年、1993年、南米年間最優秀選手。米国でのチームでも活躍した。ライオンのような髪型でスタジアムを駆け回る姿は大変印象的であった。
*フレディ・リンコン(Freddy Eusebio Rincon Valencia)
1966年生まれ、2004年引退。MF。 アメリカ・デ・カリ→パルメイラス→ナポリ→レアル・マドリード→コリンチャンス等所属。コロンビア代表1990年~2001年、国際試合84戦17得点。FIFAワールドカップ、1990年、94年、98年出場。ナポリでも大活躍したが、金銭的に引き留められなかった。
*ファウステイーノ・アスプリージャ(Faustino Hernan Asprilla Hinestroza)
1969年生まれ、2005年引退。FW。 愛称は「Tino」アトレティコ・ナショナル→パルマ(イタリア)→ニューキャッスル→パルメイラス等。コロンビア代表1993年~2001年、国際試合57戦20得点。FIFAワールドカップ1994年、1998年出場。素行と言動に問題ありで、チームを転々とした。パルマ時代にミラノで見る機会があった。
*ラダメル・ファルカオ(Radamel Falcao Garcia Zarate)
1986年生まれ。FW。リーベル・プレート(アルゼンチン)→ポルト→アトレティコ・デ・マドリー→モナコ→マンチェスター・ユナイテッド→ガラタサライ(トルコ)等。コロンビア代表2007年~ 92戦36得点。FIFAワールドカップ出場1回(2014年)。2010年~11年、2011年~12年の2年にわたり、UEFAヨーロッパ・リーグで得点王。代表Aマッチ戦で35ゴールはコロンビア・ナンバー1。
*ハメス・ロドリゲス(James David Rodriguez Rubio)
1991年生まれ。MF。FW。ポルト→ASモナコ→レアル・マドリード→バイエルン・ミュンヘン→レアル・マドリード→現在、プレミアリーグ・エヴァ―トン所属。コロンビア代表2011年~ 国際試合76戦22得点。ワールドカップに2回出場(2014年、18年)。2014年のブラジル大会のでは、ゴールデンブーツ賞(得点王)兼大会ベストイレブンに選出。その他多くの賞を受賞している。カルロス・バルデラマの後継者と目されている。コロンビアで最も注目されるプレーヤー。
「チリ」
*レオネル・サンチェス(Leonel Guillermo Sanchez Lineros)
1936年生まれ、1974年引退。 FW。 ウニベルシダー・デ・チレ→コロコロ→CDパレスティーノ→CDフェロビアリオ等所属。チリ代表1955年~69年、国際試合54戦23得点。ウニベルシダー・デ・チレで監督も務めた。ほとんど全てのサッカー人生をチリで過ごした。1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会で、ガリンシャ等6名と得点4点で並び、ゴールデンブーツ賞を受賞。1959年から69年にかけて、ウニベルシダーの6回リーグ優勝に貢献した。
*エリオス・フィゲロア(Elias Ricardo Figueroa Brandar)
1946年生まれ。DF。 愛称「Mariscal」(陸軍元帥)。サンテイアゴ・ワンダラーズ→ペニャロール(ウルグアイ)→インテルナシォナル〈ブラジル〉→CDパレスティーノ(チリ)→コロコロ等所属。史上屈指のセンターバックと言われている。チリ代表1966年~82年、国際試合47戦2得点。南米最優秀ディフェンダー6回(72年~77年)、FIFA最優秀選手賞、1976年。南米年間最優秀選手賞、3回。その他ウルグアイの最優秀選手賞2回、ブラジルのボーラ・ジ・オゥロ賞2回受賞。ラテンアメリカのサッカー界に影響を与えた人物の第5位にランクされている。
*カルロス・カセリー(Carlos Humberto Caszely Garrido)
1950年生まれ、1987年引退。FW。愛称は「Rey de metro cuadrado」(平方メートルの王様)。 コロコロ→RCDエスパニョール→コロコロ→FCバルセロナ等所属。チリ代表1969年~85年、国際試合48戦29得点。ワールドカップに2度出場(72年ドイツ、82年スペイン)。1973年、リベルタドーレス杯の得点王、1979年のコパ・アメリカの最優秀選手。80年代のチリ駐在中にカセリーの引退試合を家族とともに見学した。
*イバン・サモラーノ(Ivan Luis Zamorano Zamora)
1967年生まれ、2004年引退。FW。 愛称は「ヘリコプター」、「雷帝」。コブレサル(チリ)→FCサンクトカレン(スイス)→セビージャ→レアル・マドリード→インテル→コロコロ等所属。チリ代表1987年~2001年、国際試合69戦34得点。2000年オリンピックでチリは第3位、得点王を獲得。1994年、スペイン最優秀外国人選手賞。ヘディングに強い。 ミラノ駐在中には、インテル所属で何度も見ることができた。
*サルセロ・サラス(Juan Marcelo Salas Melinao)
1974年生まれ、2009年引退。FW。 愛称「El Matador」(正闘牛士)。ウニベルシダー・デ・チレ→リーベル・プレート→ラツィオ→ユーヴェントゥス→ウニベルシダー・デ・チレ等所属。チリ代表1994年~2008年、国際試合70戦37得点、チリ第2位。1997年南米最優秀選手賞、アルゼンチン年間最優秀選手賞。 1998年FIFAワールドカップでブロンズブーツ。アラウカノ族にルーツを持つ。90年代後半のミラノ駐在中にラツィオの選手として何回か見た。
*アルトウーロ・ビダル(Arturo Erasmo Vidal Pardo)
1987年生まれ。MF、DF。 コロコロ→バイエルン・レバークーゼン→ユーヴェントゥス→バルセロナ→インテル等。チリ代表2007年~ 、国際試合115試合28得点。2010年、2014年のFIFAワールドカップに出場。2015年、16年のコパ・アメリカの連続優勝に貢献、2015年、18年、19年のベスト11に選出される。
*アレクシス・サンチェス(Alexis Alejandro Sanchez Sanchez)
1988年生まれ。FW。 ウディネーゼ(イタリア)→バルセロナ→アーセナル→マンチェスター・ユナイテッド→インテル等所属。チリ代表2006年~ 、国際試合132戦43得点。代表でのゴール数、2019年時点で43点(マルセロ・サラスを抜き、チリでナンバー1)。2016年コパ・アメリカ、最優秀選手。2017年FIFAコンフェデレーション・カップ、シルバー・メダル受賞。
「ペルー」
*テオフィロ・クビージャス( Teofilo Juan Cubillas Arisaga) TOP9
1949年生まれ、1989年引退。 MF。 愛称は「El Nene」(赤ちゃん)。アリアンサ・リマ→FCポルト→フォートローダデール・ストライカーズ(米国)等。ペルー代表1968年~82年、国際試合81戦26得点。ペルーのサッカ―史上最高の選手と言われている。FIFAワールドカップに3度出場。1970年(最優秀若手選手賞、ベスト11)と1978年のWCではそれぞれ5点ずつ得点した。1972年のコパ・リベルタドーレスで得点王、南米年間最優秀選手賞を獲得。1975年には、コパ・アメリカで優勝。多くのランキングでも登場するペルーの数少ない選手。
*ウーゴ・エル・チョーロ・ソティル(Hugo Alejandro Sotil Yeren)
1949年生まれ、1987年引退。FW。 デポルテイーボ・ムニシパル→FC.バルセロナ→アリアンサ・リマ等。ペルー代表1970年~78年、国際試合62戦18得点。1970年代の最も評価されるプレーヤー。パスワークとドリブルで有名。1970年のFIFAワールドカップでベスト8に貢献,1975年のコパ・アメリカの優勝決定戦でコロンビアからゴールを奪う。1978年のワールドカップにも出場。 ラテンアメリカのサッカーに影響を与えたベスト10で第6位に選ばれている。
*フアン・カルロス・オブリタス(Juan Carlos Oblitas Saba)
1951年生まれ、1986年引退。 FW。 愛称「El Ciego」(盲人)。ウニベルシタリオ→ベラクルス(メキシコ)→スポーテイング・クリスタル等に所属。ペルー代表1973年~85年、国際試合63戦11得点。1975年のコパ・アメリカでペルー優勝。数多くのチームの監督を務めたが、ペルー代表監督として1996年~99年、2015年以降も監督を務めている。
*フーリオ・セサル・ウリベ(Julio Cesar Uribe)
1958年生まれ、1994年引退。 MF。 スポーテイング・クリスタル→カリアリ(イタリア)→アメリカ(メキシコ)等に所属。ペルー代表1979年~89年、国際試合39戦9得点。1982年ワールドカップ出場、87年、89年、コパ・アメリカに出場。監督としても実績があり、2001年と2007年のコパ・アメリカの監督、2000年~02年、2007年ペルー代表監督。
「パラグアイ」
*アルセニオ・エリコ(Arsenio Pastor Erico Martinez)
1915年~1977年。FW. クラブ・ナショナル(パラグアイ)→インデペンディエンテ(アルゼンチン)→クラブ・ナショナル等所属。アルゼンチン・リーグでは、1937年から39年まで、47得点、42得点、40得点を記録、アルゼンチン・リーグでは通算293得点を挙げ、この記録は破られていない。
*フーリオ・セサル・ロメロ(Julio Cesar Romero)
1960年生まれ、1999年引退。MF. 愛称は「ロメリート」。スポルティーボ・ルケーニョ→ニューヨーク・コスモス→フルミネンセ→FCバルセロナ→プエブラ等に所属。パラグアイ代表1979年~1990年、国際試合32戦13得点。1986年ワールドカップ(メキシコ)へのパラグアイの28年ぶりの出場の立役者。フルミネンセ時代には、リーグ制覇に貢献し、1985年南米年間最優秀選手賞を獲得。
*ホセ・ルイス・チラベルト(Jose Luis Felix Chilavert Gonzalez)
1965年生まれ、2005年引退。 GK。愛称「チラ」。スポルティーボ・ルケーニョ(パラグアイ)→サンロレンソ(アルゼンチン)→レアル・サラゴサ→ベレス・サレスフィールド(アルゼンチン)→ストラスブルグ(フランス)等所属。パラグアイ代表1989年~2003年、国際試合71戦8得点。1994年から99年まで連続6回南米ベスト・イレブン、1996年アルゼンチン年間最優秀選手賞を獲得。PKやFKを決めるゴールキーパーとして有名で、ほとんど外さないことで知られていた。
日韓ワールドカップでは、パラグアイチームは長野県に合宿したが、それを記念して、「チラベルト・カップ」が創設された。
「エクアドル」
*イバン・カビエデス(Jaime Ivan Kaviedes Llorenty)
1977年生まれ、2013年引退。FW。 ペルージャ→セルタ(スペイン)→バジャドリー→バルセロナ→エル・ナショナル(エクアドル)等。エクアドル代表。1990年~2012年、国際Aマッチ出場57戦17ゴール。2002年と2006年のFIFAワールドカップに出場。エクアドルは南米のサッカー強国ではないので、候補者が思い浮かばなかったが、ミラノ駐在時代に中田英寿がイタリアのペルージャに入団した時に、一緒に活躍した選手がカビエデスであった、
「ボリビア」
*マルコ・エチェベリ―(Marco Antonio Etcheverry Vargas)
1970年生まれ、2005年引退。MF。愛称は「悪魔」(el Diablo)。 デストロイヤーズ〈ボリビア〉→ボリバル〈ボリビア〉→コロコロ→DCユナイテッド(米国)等に所属。ボリビア代表1989年~2003年、国際試合71戦13得点。1994年FIFAワールドカップ予選の対ブラジル戦で終了間際にゴールし、ボリビアの40年ぶり3回目の出場に貢献した。ボリビアで最も優秀な選手の1人と考えられている。米国のメジャーリーグ・サッカー(MLS)でのAll Time Best 11に選ばれている。
「付録」ラテンアメリカ各国で最大収容力を持つスタジアム
You Tubeで、ラテンアメリカ各国で最大の収容力を持つスタジアムを紹介していたので下記に紹介する。以前は、例えば、リオのマラカナン・スタジアムは20万人の収容力を誇っていたが、現在は客席数ということで、以前より収容数が減少している。
表:ラテンアメリカ各国の最大収容スタジアム
順位 | スタジアム名 | 国名・都市 | 収容能力 |
1位 | Estadio Azteca | メキシコ、メキシコシティ | 87,000 |
2位 | Estadio Monumental | ペルー、リマ | 80,043 |
3位 | Estadio Maracana | ブラジル、リオ | 78,838 |
4位 | Estadio Antonio Vespucio Liberti | アルゼンチン、ブエノスアイレス | 70,074 |
5位 | Estadio Centenario | ウルグアイ、モンテビデオ | 65,235 |
6位 | Estadio Monumental Isidro Romero Carbo | エクアドル、グアヤキル | 57,267 |
7位 | Estadio Latinoamericano | キューバ、ハバナ | 55,000 |
8位 | Estadio Cuscatlan | エルサルバドル、サンサルバドル | 53,400 |
9位 | Estadio Monumental de Marurin | ベネズエラ、マトゥリン | 51,796 |
10位 | Estadio Nacional Julio Martinez Paradanos | チリ、サンティアゴ | 48,665 |
11位 | Estadio Metropolitano Roberto Melendez | コロンビア、バランキージャ | 46,692 |
12位 | Estadio General Pablo Rojas | パラグアイ、アスンシオン | 45,000 |
13位 | Estadio Hernandez Siles | ボリビア、ラパス | 41,090 |
14位 | Estadio Olimpico Metropolitano | ホンジュラス、サンペドロ・デ・スーラ | 37,325 |
15位 | Estadio Nacional de Costa Rica | コスタリカ、サンホセ | 35,100 |
16位 | Estadio Rommel Fernandez | パナマ、パナマシティ | 32,000 |
17位 | Estadio Olimpico Felix Sanchez | ドミニカ共和国、サントドミンゴ | 27,000 |
18位 | Estadio Nacional de Doroteo Guamuch | グアテマラ、グアテマラシティ | 26,000 |
19位 | Estadio Nacional de Futbol de Nicaragua | ニカラグア、マナグア | 20,000 |
20位 | Estadio Hilam Bithorn | プエルトリコ、サンフアン | 18,264 |
21位 | Estadio Silvio Cator | ハイチ、ポートプランス | 15,000 |
以 上