執筆者:北村 孝(元海外移住事業団。国際協力事業団勤務)
さる7月14日コロラド州デンバーのクアーズフイルド(標高1600m)で開催されたアメリカ・メジャ・リーグのオール・スター戦は二刀流の大谷翔平が出場することもあり、テレビ放映で観戦した。 その際のアメリカン・リーグの最初のライン・アップ( 出場選手の陣容 )は次のとおりであった。
(打順) (氏 名) (ポジション) (出身国/地域)
1番 大谷翔平 DH ・ピッチャー 日 本
2番 Valdimir Guerrero Jr. ファースト ドミニカ共和国
3番 Xander Bogaerts ショート オランダ領アルバ
4番 Aaron Judge ライト 米 国
5番 Rafael Devers サード ドミニカ共和国
6番 Marcus Semien セカンド 米 国
7番 Salvador Perez キャッチャー ベネズエラ
8番 Teocar Hernandez レフト ドミニカ共和国
9番 Cederic Mullins センター 米 国
上表を見て驚くのは、米国人は3人のみで外国人が6人、その内訳は日本人1人を除きカリブ海域出身者5人(ドミニカ共和国 3,ベネズエラ 1、オランダ領の島アルバ 1)である。MLB(Major League Baseball)はアメリカン・リーグとナショナルス・リーグの2リーグ制で各リーグとも15チーム、各チーム25人で構成されているとすれば、各リーグの選手合計は375人である。オール・スター戦はフアン投票で各ポジション1位(外野手は3人)及び監督(前年リーグ優勝チームの監督)推薦者の合計34名が各リーグの代表として1年に1度の試合を行い、そのうちの最初の10名に選ばれるのは野球界の世界最高の選手達と評価されるのであろう。(上表は大谷翔平がDHとピッチャーを兼ねるため特例の9名となっている。)
アメリカの野球界では外人枠という制約がないのか、多数の外人選手が活動している。 野球が盛んなスポーツとなっているのは世界でも少数であり、アメリカで活動している外人選手の大多数はドミニカ共和国、キューバ、パナマ、ベネズエラ、コロンビア、メキシコ及びカリブ海に浮かぶ小さな諸島のうち幾つかのオランダ領の島である。そしてメジャーリーグに関し、ドミニカ共和国出身の選手数は米国人に次ぐ多さで、外人選手の4割余をドミニカ共和国出身者が占めているとの説明を最近聞いたことがある。
ドミニカ共和国は私が初めて暮らした外国であり、また1956(昭和31)年7月から1962(昭和37)年6月までの6年間(地方に4年、首都に2年)過ごした思い出深い懐かしい国である。ドミニカ共和国の正式名称はRepública Dominicana(Dominican Republic)であるので「ドミニカ共和国」であるが、私が暮らしていた時には、日本では通常他の諸共和国と同様「共和国」を省略し、「ドミニカ」としていたが、1978年、カリブ海に浮かぶ英領の小さな島ドミニカが独立し、正式国名をCommonwealth of Dominicaとしたので、両者を区別するため以後一般的には「ドミニカ共和国」と「ドミニカ」としている。
ドミニカ共和国はカリブ海の2番目に大きな島・イスパニョーラ島の東部(約3分の2)を占め(西部は黒人国ハイチ)、面積98,730km2、人口約1,078万人(2018.9.24)。 ちなみにドミニカは面積750km2、人口約7万人。 公用語は ドミニカ共和国:スペイン語、ドミニカ:英語、ハイチ:フランス語である。(本稿では、全て「ドミニカ共和国」の事柄なので以後共和国を省略し「ドミニカ」と記すことにする。)
(私論であるが)明治時代の賢明な先達により日本の学校は知育・徳育・体育の場とし、学校には教室のほか屋内体育場と広い野外運動場を設置することを基本としたと考えられる。従って、日本では全国各地(僻地の小学校でも)の小学校から大学まで広い野外運動場を設置している。
そのため小学生のころから野球少年は日々通う学校の野外運動場で容易に野球を楽しむことが出来る。そして中学校や高等学校では野球の上手な生徒達が学校内の野球クラブに所属し、整備された野球グラウンド、十分な野球諸道具、良き指導者のもとで日々練習に励み、地域内での他校との試合で実戦経験を積み、地域大会や全国大会で立派な成績を示すことになると将来プロ野球の選手になる道が開けてくる。 即ち、日本では学校が勉強をする傍ら野球の技術を磨きプロ野球の選手育成の場ともなり得るという特殊な仕組みと
なっている。
昭和30年代初期の頃でも、日本では全国津々浦々に野球の声が響き渡っていた。甲子園球場で開催される高校の全国大会では出身校の生徒のみならず郷土の熱心な支援者大多数が甲子園に出向き熱烈な応援を行った。そしてラジオで試合の実況放送が行われ(テレビは普及し始めた時期であり)、新聞でもその結果が逐次掲載された。またプロ野球では読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンス等6チームが日々熱戦を行い、それぞれの熱心なフアンが球場を埋め尽くし、また巷にて応援をしていた。そしてラジオにて実況放送を行い、新聞でもその結果が毎日報道された。日本は世界で野球が最も盛んな国である。
しかし、(当時の)ドミニカでは学校は知育のみの場としての考えが基本にあるのか、広い野外運動場がある学校は見かけなかった。従って学校単位で野球や他のスポーツを競い合うということはないと思われた。即ち、ドミニカでは学校は、小学校・中学校・高等学校・大学のいずれでも、野球やその他スポーツを学び・訓練する場ではないと考えられる。6年間ドミニカで暮らしていた期間ドミニカの友人・知人から野球の話を聞くことは全くなかった。 日本にいれば、野球ファンでなくても日常生活の中で野球のことが目や耳に入ってくるが、ドミニカではそのような気配は全く感じられなかった。
私がドミニカを離れて既に50余年を経過し、その間殆ど絶縁状態であるので、その後の状態、特に最近の状況は全く知らない。米国は野球が国技であり、ドミニカは人口比でアメリカの30分の1に過ぎないが、前述の如く、米国野球大リーグのオール・スター戦でドミニカ人選手が米国人選手と互角に選ばれた不思議さ及び今回のオリンピックの野球予選で日本がドミニカと対戦するというので、ウイキペディアで「ドミニカの最近野球事情」を探してみたところ下記のような情報が見つかった。
渡邉 裕司(元ジェトロ・サンパウロ所長) 2021.06.10カリブの野球王国 ~ ドミニカ
中島 大輔 : スポーツライター 2013/03/20 貧困の国ドミニカで、野球が持つ大きな意味 大リーガーを続々輩出。ドミニカ流の”雑草”教育
広尾晃 : 2018/02/13 日本野球の対極にある「ドミニカ野球」の正体
当時(昭和31年)の日本の大卒公務員初任給の月給は10,000円、1米ドル=360円、従ってドル換算では30ドルに過ぎなかった。そして外貨事情が悪く、私がドミニカ渡航にあたり外貨持出し許容額は30米ドルのみであった。(私の旅券第1号に明記されている。)しかし、日本はまだ貧しい時代であり、ドミニカは物価が高いから破格の扱いと言う説明で月給80ペソを支給された。ドミニカ人の知人から給与は幾らかと尋ねられ、正直に答えると、「それは週給かね?」と言われた。
当時のドミニカでは1米ドル=1ドミニカ・ペソで経済的には全盛期であった。そして、当時の人口は三百万人弱であったが、現在既に1千万人を超え、60年間で当時の3.5倍になっている。また1米ドル=57ドミニカ・ペソ(2021.08.27)となっているのは(私にとって)全く予期せぬ想像し得なかったことである。当時のドミニカ、特に地方では電気・電話・ガス等生活インフラが未整備の所もあり、庶民の生活は決して“豊か”とは言えなかったが、経済発展後の今日の日本的感覚では資源の少ないドミニカは“非常に貧しい国”と判断されるのであろう。
ドミニカでは(野球と同様)学校生活ではバレーボールを訓練する機会はなく、また、経済小国のドミニカでは(最近の事情は知らないが)実業団チームを抱え込める企業は僅少と思われる。オリンピック初出場は2004年とのこと。ドミニカ女子バレーボールが日本と同等或いは上位のレベルにあるのは何故か不思議である。ドミニカ人には野球やバレーボールに特殊の身体能力/運動能力があるのであろうか。
野球については、優勝:日本、準優勝:米国、3位:ドミニカの結果となり、日本が金メダルを獲得したことは喜ばしいことである。しかし、実際には日本が世界最強だということではない。日本はオリンピック期間中プロ野球の試合を中断し、最強チームを構成し試合に臨めた。一方、アメリカとドミニカは二軍ないし三軍ともいうべきチームが出場したことになる。アメリカのメジャーリーグは会期中であり、メジャーリーガーのオリンピック参加は認められていない。アメリカで活動中の選手でオリンピック参加可能者は、メジャーリーグに所属先のないフリーの選手及びマイナーリーグ(3A、2A,1A)においてオリンピック出場の許可を得た者に限定されていた。メジャーリーガーは、日本人は10名足らずであるが、アメリカ人は約400人、ドミニカ人は約130人の優秀選手が参加できない状況であった。
因みに、東京五輪野球ドミニカ代表メンバー24名の内訳は次のとおり。(2021.07.23)
メジャーリーグ傘下 10名
(フィリーズ傘下/ 3A)、(レッドソックス傘下/ 3A)2名 、(レッドソックス傘下/ 2A)(ダイヤモンドバックス傘下/ 3A)2名、(ロイヤルズ傘下/ A+)2名, (ロイヤルズ傘下/ A+)(マリナーズ傘下/ A+)
アメリカ、その他 2名
(スーフォルズ・米独立)、(フリーエージェント)
カリブ・ウインター・リーグ 10名
ドミニカ 7名
(エステ)2名、(リセイ)2名、(オリエンタレス)、(シバオ)、(シバエニャス)
メキシコ 3名 (ユニオン・ラグナ)、(プエブラ)、(メキシコシティ)
日本プロ野球 2名(ジャイアンツ)2名、(注) C.C.メルセーデス と A.サンチェス
オリンピック出場選手は、当該国の「国籍」は明確な要件であるが、そのため国籍を変更した後参加することもある。「プロ」か「アマ」かについては、ボクシングを除き「プロ」も参加自由のようである。「プロ」には世界選手権の試合があるので、オリンピックは「アマ」に限定すべきとの意見もあるが、実際には「プロ」か否かの判断が国により差異があるのかもしれない。
近年、特に今回のオリンピックでは外国人(特に黒人)との間の子たちが非常な活躍をしていることもあり、典型的な日本人(所謂日系度1)ではなく日系度0.5に過ぎないが、立派な日本人として活動している人が多くなってきている。
今回のオリンピック「TOKYO 2020」が「多様性と調和」を標榜としているためか、オリンピック開会式において日本人選手団の旗手にバスケット・ボールの八村塁(父ベナン人)そして聖火リレーの最終ランナーにテニスの大坂なおみ(父ハイチ人)を正に日本人の代表として選んだことは、日本人の一般的な意識として黒人や黒人とのハーフを蔑視することが将来消滅する前兆であろうか。
「編集人からのメッセージ」
執筆者の北村孝氏は、1934年福井県生まれ。東京大学農学部農業経済学科を卒業後、日本海外協会連合会、海外移住事業団、国際協力事業団に勤務。国内勤務は、東京、横浜、大阪で通算21年、海外勤務は、ドミニカ共和国、ブラジル(3回)、米国、トルコ、アルゼンチンに通算25年。2003年ブラジル(サンパウロ)にてリタイヤ生活(途中一時帰国)。2014年以降、東京に戻り、現在終活生活実践中。