連載レポート73:桜井悌司「ラテン好きのためのリベラルアーツ・シリーズ」その11「ラテンアメリカの国際空港と人名」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート73:桜井悌司「ラテン好きのためのリベラルアーツ・シリーズ」その11「ラテンアメリカの国際空港と人名」


連載レポート 74

ラテン好きのためのリベラルアーツ・シリーズ その11
ラテンアメリカの国際空港と人名

執筆者:桜井 悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

世界各国に旅行したり、出張したりすると、目的地に到着する直前に、キャビンアテンダントが「まもなく〇X空港に到着します」と案内する。その時は正式の国際空港名を知らせるのだが、人名の入った空港が結構多いことが確認できる。良く知られている所では、ニューヨークの「J.F.ケネディ国際空港」、パリの「シャルル・ドゴール国際空港」、ローマの「レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港」等である。

日本は不思議に人名のついた国際空港の名前を聞いたことがないが、ラテンアメリカでは結構多くの国際空港、国内空港では人名がついている。そこで、今回は、「ラテンアメリカの国際空港と人名」というタイトルでレポートする。

「ラテンアメリカにはいくつの空港があるのか」

まず初めに、一体、ラテンアメリカにはどのくらいの空港があるのかを調べてみた。インターネットで、「〇X国の空港一覧」(日本語でOK)で検索すると、簡単に調べることができる。ただ国際空港、国内空港、非管制空港、その他空港、軍事空港等があるが、ここでは、検索されたデータをすべて含めることにした。国際空港は、初めから明確に分かれている国もあるが、国内・国際がごっちゃになっている国もある。そこでinternacionalという単語が入っているものを国際空港とした。また人名の入った空港については、土地名などと混同されやすく、識別は困難なケースもあるが、筆者の判断で選択した。それゆえ、正確なデータではないが、大まかに把握するには役立つ程度と思っていただきたい。その結果が、下記の表である。

ラテンアメリカ20カ国の空港数(国際空港。国内空港等、人名のついた空港)

国 名 空港総数 国際空港 国内空港 人名付き空港
ブラジル 224 32(14.3%) 192 42(18.8%)
メキシコ 108 60(55.6%) 48 36(33.3%)
コロンビア 151 12(7.9%) 48 49(32.5%)
アルゼンチン 162 18(11.1%) 144 42(31.8%)
ペルー 89 5(5.6%) 84 31(43.5%)
ベネズエラ 69 9(13.0%) 60 30(43.5%)
チリ 346 7(2.0%) 339 29(8.4%)
グアテマラ 26 2(7.7%) 24 0(0%)
エクアドル 35 8(22.9%) 27 12(34.3%)
ボリビア 177 5(2.8%) 172 20(11.3%)
キューバ 37 3(8.1%) 34 18(48.6%)
ハイチ 17 2(11.8%) 15 3(17.6%)
ドミニカ共和国 34 8(23.5%) 26 9(26.5%)
ホンジュラス 44 4(9.1%) 40 2(4.5%)
パラグアイ 15 4(26.7%) 11 8(53.3%)
ニカラグア 31 6(19.4%) 25 3(9.7%)
エルサルバドル 22 2(9.1%) 20 1(4.5%)
コスタリカ 39 4(10.3%) 35 4(10.3%)
パナマ 35 6(17.1%) 29 10(28.6%)
ウルグアイ 21 8(38.1%) 13 4(19.0%)

注:国は、人口順に並べている。国際空港にある( %)は国際空港数/全空港数、人名付き空港欄の( %)は、人名付き空港数/全空港数

この表からはいくつかの興味ある点が指摘できよう。

*大中小を含めて最も多くの空港を持っている国は、チリ、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン、コロンビア、メキシコの順になっている。

*国際空港の最も多い国は、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビアである。メキシコがダントツであり、観光立国であることが理解できる。

*空港全体に占める国際空港の割合の大きい国は、メキシコ、ウルグアイ、パラグアイ、ドミニカ共和国、エクアドルとなっている。

*人名が空港名につく国のランキングは、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、ペルー、ベネズエラの順である。

*空港数に人名が空港名につく比率の多い国は、パラグアイ、キューバ、ベネズエラ、ペルー、エクアドル、メキシコ、コロンビアの順である。

「どのような人物が空港名となっているのか」

国際空港で人名のついた空港をメキシコ7空港、ブラジル5空港、チリ4空港、コロンビア5空港、アルゼンチン3空港、ベネズエラ2空港、ペルー4空港、キューバ2空港、エクアドル3空港、パラグアイ2空港、ドミニカ共和国4空港、パナマ2空港、ボリビア1空港、ウルグアイ1空港、コスタリカ1空港、エルサルバドル1空港、ニカラグア1空港、ホンジュラス2空港、ハイチ1空港の19カ国、49名、51空港(大部分国際空港、ごく一部国内空港)をとりあげる。ラテンアメリカ20カ国全体で、206の国際空港があるが、人名のついていない空港もあるので、選択された51の空港数は妥当な数字だと思われる。

さて、次の課題は、49名、51の空港名に因んだ人物は、どのような経歴かを見て行きたい。しかしながら、分類するのはそれほど容易ではない。なぜなら、職業に重複が多いからである。例えば、南米の解放者であるシモン・ボリバルは、独立の英雄でもあるし、大統領、軍人、政治家でもある。多くの政治家も軍人を兼ねている人物も多い。飛行機や航空関係の人物も多くは軍人である。そこで、筆者の判断で、設定した分類に最もふさわしいところに入れた。大雑把に分類してみよう。

1) 独立の英雄  9名、10空港

例えば、Miguel Hidalgo(メキシコ、グアダラハラ)、Jose Maria Cordova(コロンビア、メデジン)、Simon Bolivar(ベネズエラ、カラカス、コロンビア、サンタ・マルタ)、Santiago Marino(ベネズエラ、マルガリータ島)、Jose Marti(キューバ、ハバナ)、Antonio Maceo(キューバ、サンティアゴ・デ・クーバ)、Mariscal Sucre(エクアドル、キト)、Mariscal Lamar(エクアドル、クエンカ)、Toussaint Louverture(ハイチ、ポートプランス)である。

2) 改革(Reforma)や革命(Revolucion)、戦争の英雄 5名、6空港

軍人や政治家と重複するケースが多い。Benito Juarez(メキシコ・シティ、カンクン)、Mariano Escobedo(メキシコ、モンテレイ)、Abelardo L.Rodriguez(メキシコ、ティフアナ)、Juan Santa Maria(コスタリカ、サンホセ)、Augusto Sandino(ニカラグア、マナグア)をこの分類に入れてみた。

3) 大統領経験者  8名、8空港

例えば、Diaz Ordaz(メキシコ、プエルト・バジャルタ)、Juscelino Kubitscheck(ブラジル、ブラジリア)、Presidente Ibanez(チリ、プンタ・アレーナス)、Rafael Nunez(コロンビア、カルタヘナ)、Joaquin Balaguer(ドミニカ共和国、イサべラ)、Gregorio Luperon(ドミニカ共和国、プエルト・プラタ)、Ramon Villeda Morales(ホンジュラス、サンペドロ・デ・ス-ラ)、Juan Manuel Galvez(ホンジュラス、ロアタン)等である。

4) 政治家・軍人  7名、7空港

例えば、Manuel Crescencio Rejon(メキシコ、メリダ)、Tancredo Neves(ブラジル、ミナス・ジェライス)、Eduardo Gomes(ブラジル、マナウス)、Luis Carlos Galan Sarmiento(コロンビア、ボゴタ)、Ministro Pistorini(アルゼンチン、ブエノスアイレス)、Jose Joaquin de Olmedo(エクアドル、グアヤキル)、Jose Francisco Pena Gomez(ドミニカ共和国、サント・ドミンゴ)である。

5) 空軍、航空、飛行機に関係する人物  15名、15空港

例えば、Santos Dumont(ブラジル、リオ)、Arturo Benitez(チリ、サンティアゴ)、Diego Aracena (チリ、イキケ)、Ernesto Cortissoz(コロンビア、バランキージャ)、Jorge Newbery(アルゼンチン、ブエノスアイレス)、Jorge Chavez(ペルー、リマ)、 Alejandro Velasco Astete(ペルー、クスコ)、Rodriguez Ballon(ペルー、アレキーパ) 、Coronel FAP Francisco Secada(ペルー、イキトス) Silvio Pettirossi(パラグアイ、アスンシオン)、Amin Ayub Gonzalez(パラグアイ、エンカルナシオン)、Marcos A. Gelabert(パナマ、パナマシティ)Enrique Malek(パナマ、チキリ)、Jorge Wilsterman(ボリビア、コチヤバンバ)、General Casareo L. Berisso(ウルグアイ、モンテビデオ)等である。軍人と重複するケースが多い。

6) 文化人(作曲家、映画俳優等)・宗教人 5名、5空港

例えば、Carlos Jobin(ブラジル、リオ)、Andres Sabella Galvez(チリ、アントファガスタ)、Astor Piazzola(アルゼンチン、マル・デ・ラ・プラタ)、Maria Montes(ドミニカ共和国、バラオナ)、San Oscar Anulfo Romero y Gonzalez(エルサルバドル、サンサルバドル)

これらの分類を見ると、ラテンアメリカ諸国はどのような人々を空港名につけているかが理解できよう。次に国別に国際空港に因む人物を紹介しよう。

「国別紹介」

「メキシコ」

下記リストをピックアップした。一人ずつ簡単に紹介する。

メキシコで人名のついた空港 7空港

空港所在都市 空港名、人名
Mexico City Aeropuerto Internacional de la Ciudad de México Benito Juárez
Cancún Aeropuerto Internacional de Cancún Benito Juárez
Guadalajara Aeropuerto Internacional de Guadalajara Don Miguel Hidalgo y Costilla
Monterrey Aeropuerto Internacional de “General Mariano Escobedo”
Tijuana Aeropuerto Internacional de Tijuana”General Abelardo L.Rodríguez”
Puerto Vallarta Aeropuerto Internacional de “Licenciado Gustavo Díaz Ordaz”
Mérida Aeropuerto Internacional de “Manuel Crescencio Rejón de Mérida”

 

*ベニート・フアレス  Benito Juárez

1806年~1872年。メキシコ・シティの国際空港名になっている。

先住民族から選ばれた最初の大統領。保守派と自由主義はとの間で戦ったレフォルマ戦争における自由主義者の指導者。大統領在任中にフランスからの介入を受けるが、徹底抗戦を貫き、共和制を復活させる。メキシコで最も尊敬されている人物の一人。彼の誕生日の3月21日は、祝日となっている。メキシコ・シティの人類学博物館の入り口に彼の有名な言葉「El respeto al derecho ajeno es la paz」(他人の権利を尊重することが平和につながる)が掲げられている。

*ミゲール・イダルゴ・イ・コスティージャ  Miguel Hidalgo y Costilla

1753年~1811年。グアダラハラ国際空港名になっている。メキシコ独立の父。聖ニコラス校で学び、1978年同校で教鞭を取る。ヨーロッパの啓蒙思想に影響を受ける。1808年、ナポレオン軍のスペイン侵攻でスペインが弱体化する時期に、イグナシオ・アジェンデなどと共に独立の蜂起を決行する。1710年9月16日の深夜に有名な「ドロ―レスの叫び」をあげ独立戦争が始まる。イダルゴはスペイン軍に捕まり処刑される。今でも独立記念日には、ソカロ広場の大統領宮殿で大統領自ら「ドロ―レスの叫び」を復唱することになっている。在外の大使館でも同様。

*へネラル・マリアノ・エスコべド  General Mariano Escobedo

1826年~1902年。メキシコの軍人。生まれ故郷のヌエボ・レオン州の州都であるモンテレイの国際空港は彼の名前を取っている。1862年5月5日のプエブラの戦いで頭角を現し、騎兵隊大佐、後に将軍となる。陸軍を創設し、フランスの干渉軍を破る。1867年には、皇帝マキシミリアーノをケレタロで捕らえる。ベニート・フアレス政権下で北部方面の最高司令官、後にヌエボ・レオン州等の州知事を務める。各地の市町や通りの名前に彼の名前が使用されている。

*へネラル・アベラルド・ロドリゲス  General Abelardo L.Rodríguez

1889年~1967年。メキシコ北部の米国と接するティフアーナ国際空港は彼の名前を取っている。メキシコの軍人、政治家、企業家。メキシコ革命で立憲派の軍に所属。1932年から34年までメキシコの大統領代理を務める。Palacio de Bellas Artesは彼によって竣工した。その他カリフォルニア・ノルテ州やソノ―ラ州の知事を歴任した。

*グスターボ・ディアス・オルダス  Licenciado Gustavo Díaz Ordaz

1911年~1970年。観光地ハリスコ州のプエルト・バジャルタ国際空港は彼の名前を取っている。1943年から46年まで下院議員、1946年から52年まで上院議員を務める。前任のロペス・マテオス大統領に次いで大統領に就任。1968年にはメキシコ・オリンピックが開催されたが、当時学生運動が盛んで、有名な「トラテロルコの虐殺」と呼ばれる学生鎮圧の時の大統領で内務大臣は、デイアス・オルダスに次いで大統領になるルイス・エチェベリアであった。一方、ラテンアメリカでの核兵器の製造、保有、使用を禁ずる「トラテロルコ条約」は彼の治世に締結された。

*マヌエル・クレセンシオ・レホン  Manuel Crescencio Rejón

1799年~1846年。ユカタン半島のメリダ国際空港は彼の名前を取っている。メキシコの政治家、大臣。ユカタン半島に生まれ、メリダで教育を受ける。1822年に国会議員となり、イトゥルビデ政権に反対し、自由主義、連邦主義、共和主義を擁護した。そのため何度も投獄された経験がある。1824年憲法の起草者の一人、1840年には、個人の権利の保証や人身保護令状を含む憲法案を起草した。

「ブラジル」

下記5空港をピックアップした。
ブラジルで人名のついた空港 5空港

空港所在都市 空港名、人名
Rio de Janeiro Aeroporto Antonio Carlos Jobin,Rio de Janeiro
Rio de Janeiro Aeroporto Santos Dumont Rio de Janeiro
Brasilia Aeroporto Presidente Juscelino Kubitscheck Brasilia
Belo Horizonte Aeroporto Internacional Tancredo Neves
Manaus Aeroporto Internacional Eduardo Gomes Manaus

 

*アントニオ・カルロス・ジョビン  Antonio Carlos Jobin 

1927年~1994年。リオのガレオン国際空港は彼の名前を取っている(1999年)。ブラジルの作曲家、編曲家、ミュージシャン。20世紀のブラジルの代表的な作曲家でブラジル大衆音楽(MPB)のもっとも偉大な作曲家。ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ジ・モライスとともにボサノヴァの創始者。モライス、スタンゲッツやフランク・シナトラとの共演でも有名。代表作は、「想いあふれて」Chega de saudade、「イパネマの少女」A Garota de Ipanema、「A Felicidade」、「Desafinado」「ジェット機のサンバ」Samba de aviao、「波」Tide等々多数。

*サントス・ドゥモン    Santos Dumon

1873年~1932年。リオの中心部にある国内空港の名前は、彼からとっている。この空港はサンパウロ―リオ間のエアー・シャトルで有名である。ブラジル発明家飛行家。ブラジルでは飛行機の父と呼ばれている。ライト兄弟の飛行に贈れること3年、1906年10月に、エンテ型動力期の公開実験で、高さ3メートル、距離60メートルを達成、11月には、同じく公開実験で高さ6メートル、距離220メートルを達成した。ヨーロッパの航空のパイオニアであり、主に飛行船の造船で有名。未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られる。リオのサントス・ドゥモンの家は見学できるようになっている。

*ジュッセリーノ・クビシェッキ   Juscelino Kubitschck

1902年~1976年。ブラジリア国際空港は彼の名前を取っている。ブラジルの政治家、第22代大統領。ミナス・ジェライス州に生まれ、ミナス・ジェライス連邦大学を卒業。1934年にミナス州州議会選挙に出馬・当選、その後ベロオリゾンテ市長、ミナス・ジェライス州知事を務める。1955年、「50年の進歩を5年で」というスローガンで大統領選に出馬、当選を果たす。大統領に就任するや否や、リオからブラジリア遷都を実行する。賽銭はならずサンパウロ州知事だったジャニオ・クアドロスに敗れる。ブラジリアには、「クビシェッキ大統領記念館」がある。

*タンクレド・ネーヴェス Tancredo Neves

1910年~1985年。ミナス・ジェライス国際空港名は彼の名に因んでいる。ブラジルの政治家。州議会議員、連邦下院議員、連邦上院議員、連邦司法大臣、第31代ミナス州知事等を歴任。1985年ブラジル民主運動党(PMDB)から立候補し、大差で勝利したが、85年3月14日、大統領就任前夜のミサで、倒れ帰らぬ人となった。大変人気のある人物であった。大統領候補であったアエシオ・ネーヴェスは孫にあたる。ミナス・ジェライス州政府の広大な建物群は、Cidade Administrativa Presidente Tancredo Nevesと呼ばれている。

*エドウアルド・ゴメス  Eduardo Gomes

1896年~1981年。マナウス国際空港は彼に因んでいる。ブラジルの軍人、政治家。空軍元帥、空軍大臣。ペトロポリスに生まれ、レアレンゴ軍学校に入学、クリチバで砲術を学んだあと、本格的に空軍に参加。様々な政争に巻き込まれ何度も投獄される。マナウスとの関係が今一不明。

「チリ」

下記4空港を選んだ。

チリで人名のついた空港 4空港

空港所在都市 空港名、人名
Santiago Aeropuerto Internacional Comodoro Arturo Benítez
Iquique Aeropuerto Internacional Diego Aracena
Antofagasta Aeropuerto Internacional Andres Sabella Gálvez
Punta Arenas Aeropuerto Internacional Presidente Ibáñez

 

*コモドーロ・アルトゥーロ・メリーノ・ベニーテス Comodoro Arturo Merino Benítez

1888年~1970年。サンテイアゴ国際空港は彼の名前に因んでいる。チリの軍人で、チリの空軍の創設者で最初の総司令官(Comandante en Jefe)、空軍大将。チリの航空業界に多大なる貢献をした。チリの航空会社であったチリ航空(LAN)の設立者。サルバドール・アジェンデの支持者でもあった。

*ディエゴ・アラセナ   Diego Aracena Aguilar

1891年~1972年。イキケ国際空港は彼の名前に因んでいる。1911年チリ軍学校を卒業、空軍軍学校に配属。1891年から1939年1月までチリ空軍の総司令官を務める。英国、ブラジル、ペルー、イタリア、フランスから勲章を授与されている。イキケ空港は、チリのロス・コンドレス空軍基地と滑走路を共有しており、チリの第一空軍部隊が置かれている。

*アンドレス・サベッラ   Andrés Sabella Gálvez

1912年~1989年。アントファガスタ国際空港は彼の名前に因んでいる。アントファガスタ生まれ、パレスティナ・イタリア系の詩人、著作家、ジャーナリスト、画家。チリ文学の1938年世代に属する。著作は多数。2006年、チリのノルテ・カトリック大学は彼の栄誉を称え、Andrés Sabella国内文学コンクールを主催している。アントファガスタには、Casa de la Cultura Andrés Sabellaという博物館がある。

*プレシデンテ・カルロス・イバニェス   Presidente Carlos Ibáñez del Campo

1877年~1960年。チリの最南端のプンタ・アレーナス国際空港は、彼の名前に因んでいる。チリの軍人、政治家。チリの陸軍には1898年から1924年まで務めた。内務大臣の後、1927年から1931年まで、1952年から1958年までの2期にわたって大統領職を務める。孤立したアイセン州やマガリャネス州をチリに組み入れた功績を称え、空港名に付けられた。

「コロンビア」

下記5空港をピックアップした。

コロンビアで人名のついた空港 5空港

空港所在都市 空港名、人名
Bogotá Aeropuerto Internacional El Dorado Luis Carlos Galán Sarmiento
Medellín Aeropuerto Internacional José María Córdova
Cartagena Aeropuerto Internacional Rafael Nuñez
Baranquilla Aeropuerto Ernesto Cortíssoz
Santa Marta Aeropuerto Internacional Simón Bolívar

 

*ルイス・カルロス・ガラン・サルミエント  Luis Carlos Galán Sarmiento 

1945年~1989年。ボゴタのエル・ドラド空港の正式名称に彼の名前がとられている。コロンビアの政治家。ジャーナリスト時代にパストラーナ大統領巳見いだされ政界進出。1982年コロンビア自由党から大統領選挙に立候補し、保守党のベタンクールに敗れる。1989年再度大統領に立候補するが、メデジン・カルテルによってマシンガンで射殺される。

*ホセ・マリア・コルドバ   José María Córdova

1799年~1829年。コロンビアで2番目に大きいメデジン国際空港は彼の名前に因んでいる。コロンビアの独立軍の将軍。コロンビアの独立戦争でシモン・ボリバルと一緒に戦い、バルガス・スワングの戦い、ボヤカの戦い、有名なアヤクーチョの戦いで勝利する。「アヤクーチョのライオン」と呼ばれた。後にボリバルの独裁政治に反対し、反乱を起こすが鎮圧される。コロンビアの陸軍アカデミーも彼の名前をとっている・

*ラファエル・ヌニェス   Rafael Núñez

1825年~1894年。カルタヘナ国際空港の名前は彼に因んでいる。コロンビアの政治家、作家、弁護士、ジャーナリスト。15歳で反乱軍に投じる。財務大臣等を経て、1880年から84年まで大統領を務める。陸軍士官学校、国立音楽アカデミーの創設、国際電話サービスの開始、コロンビア国歌の作者でもある。

*エルネスト・コルティッソス   Ernesto Cortíssoz

1884年~1924年。バランキージャで生まれ、死ぬ。バランキージャ国際空港は彼の名前に因んでいる。コロンビアの飛行家、冒険家。コロンビア及びラテンアメリカの商業航空発展のパイオニアの一人。

*シモン・ボリバル   Simón Bolívar

後述のベネズエラのところで取り上げるが、解放者の異名で知られる革命家シモン・ボリバルは1830年12月17日にサンタ・マルタ州近郊のサン・ペドロ・アレハンドリーノ農場で亡くなった。

「アルゼンチン」

下記3空港を選択した。

アルゼンチンで人名のついた空港 3空港

空港所在都市 空港名、人名
Buenos Aires Aeropuerto internacional de Eseiza Ministro Pistorini
Buenos Aires Aeropuerto Jorge Newbery
Mar de La Plata Aeropuerto Internacional Astor Piazzola

 

*ミニストロ・ピストリーニ  Ministro Juan Pistorini

1882年~1956年。ブエノス・アイレスのEzeiza空港の正式名は彼の名前に因んでいる。アルゼンチンの軍人、政治家。フアン・ドミンゴ・ペロン時代の公共事業大臣、1944年から52年にかけて3代の大統領に公共事業大臣として仕え、その後副大統領となった。エセイサ国際空港は1945年彼が礎石式を行い4年をかけて完成した。完成当時世界で3番目に大きな空港であった。

*ホルヘ・ニューベリー    Jorge Alejandro Newbery

1975年~1914年。ブエノスアイレス近郊の国内空港は彼の名前に因んでいる。父親は、米国人でアルゼンチン航空界の先駆者。彼は、「アルゼンチン航空クラブ」の設立者の一人、後に会長に就任する。アルゼンチンの空軍の創設にも尽力した。1909年軽気球による最初のアルゼンチン一周を行った。

*アストル・ピアソッラ   Astor Piazzola

1921年~1992年。生まれ故郷のマル・デ・ラプラタ国際空港は、彼の名前をとっている。アルゼンチンの作曲家、編曲家、バンドネオン奏者。アルゼンチンの伝統的なタンゴ界に革命を起こしたと言われている。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合し、Tango nuevoを生み出した。2021年は生誕100周年で、全世界で多くのイベントが開催されている。代表作は、「リーベルタンゴ」Libertango、「アデイオス、ノ二ーノ』Adios  Noñino等々、バンドネオン協奏曲、映画音楽、五重奏団、六重奏団、八重奏団のための作品等も多数。

「ベネズエラ」

下記2空港をピックアップした。

ベネズエラで人名のついた空港 2空港

空港所在都市 空港名、人名
Caracas Aeropuerto Internacional de  Maiquetía Simón Bolívar
Porlamar,

Isla Margarita

Aeropuerto Internacional del Caribe “Santiago Marino”

 

*シモン・ボリバル   Simón Bolívar

1783年~1830年。カラカスのマイケテイア国際空港及びコロンビアのサンタ・マルタ国際空港は、彼の名前に因んでいる。ベネズエラのカラカスの名家に生まれる。スペインからの独立に立ち上がり、南米大陸のアンデス5カ国を統一した大コロンビア共和国を打ち立てようとした。解放者(El Libertador)と呼ばれる革命家、軍人、政治家、思想家。ベネズエラ第二・第三共和国大統領、グラン・コロンビア初代大統領、ボリビア初代大統領、ペルー第八代大統領。カラカスとボゴタの中央広場は、「ボリバル広場」と呼ばれるほか、ボリビアの国名もボリバルから来ている。ベネズエラの国名や通貨にもボリバルが使われている。ガルシア・マルケスの小説「迷宮の将軍」はボリバルのストーリーである。

*カルロス・サンティアゴ・マリーノ   Carlos Santiago Marino

1788年~1854年。マルガリータ島のポルラマル市の国際空港は彼の名前に因んでいる。1811年から1821まで続いたスペインからの独立戦争のベネズエラ軍の将軍として勝利に導いた。マルガリータ島の生まれである。

「ペルー」

下記4空港を選択した。

ペルーで人名のついた空港 4空港

空港所在都市 空港名、人名
Lima Aeropuerto Internacional Jorge Chávez
Cuzco Aeropuerto Internacional Alejandro Velasco Astete
Arequipa Aeropuerto Internacional Rodríguez Ballón
Iquitos Aeropuerto Internacional Coronel FAP Francisco Secada

* ホルヘ・チャベス  Jorge Chávez

1887年~1910年。リマ国際空港名は彼の名前に因んでいる。航空機の初期段階に活動したペルーのパイロットで、ペルー人両親の元パリで生まれた。フランスの航空学校で操縦を学んだ後、1910年に初飛行で欧州の飛行競技会で次々と高度飛行記録を作る。1910年、アルプス越えの飛行に挑戦するが、着陸寸前に墜落死した。彼の墓はフランスにあったが、ラス・パルマスにあるペルー空軍の将校学校に安置されている。

* アレハンドロ・べラスコ・アスターテ  Alejandro Velasco Astete

1897年~1925年。クスコ国際空港名は彼の名前に因んでいる。ペルーのパイロット。第一次世界大戦に連合軍に参加。准尉としてパイロット教官となる。リマからクスコまで直行フライトでアンデス山脈を越えた最初のパイロット。その後1925年にプノ市で行われたエアーショーで観客を避けるために墜落死亡した。28歳の若さであった。ペルーの航空業界にパイオニア的役割を果たした。

* ロドリゲス・バロン  Alfredo Rodríguez Ballón

1906年アレキーパ生まれ~1933年。アレキーパ国際空港名は彼の名前に因んでいる。ペルーの民間航空の推進者。カリフォルニアの米国航空学校で機械のメカニックについて学ぶ。卒業後、航空会社のPANAGRA社に入社。コロンビアとの紛争に参加。機構の急激な変化により墜落死した。27歳の生涯であった。

* フランシスコ・セカーダ大佐  Coronel FAP Francisco Secada

1900年イキトス生まれ~1972年。イキトス国際空港名は彼の名前に因んでいる。ペルーの空軍パイロット。15歳でペルー海軍学校に入学、卒業後海軍に勤務したが、1929年に飛行士になるためにラス・パルマス学校に入学。1931年パイロットの資格を得る。母親にあてた手紙で「イキトスに飛行機で戻ります」と書いた。コロンビアとの紛争が始まると、前線に志願し、勇敢に戦った。そして約束通り、飛行機でイキトスまで直行した。爆撃機で数々の戦果を挙げた。後に、ロレート県選出の上院議員を務めた。

「キューバ」

キューバで人名のついた空港 2空港

空港所在都市 空港名、人名
Havana Aeropuerto Internacional José Martí
Santiago de Cuba Aeropuerto Antonio Maceo

 

*ホセ・マルティ José Julián Martí Pérez

1853年~1895年。ハバナ国際空港は彼の名前に因んでいる。キューバの著作家、詩人、革命家。キューバの独立の英雄のみならずラテンアメリカにおけるモデルニスモの先駆者。ラテンアメリカの革命家に大きな影響を与えた。独立戦争に参加し、勇敢に戦うが、戦争中に被弾し死亡。キューバ革命のフィデル・カストロやチェ・ゲバラなどもその演説で度々言及する。代表作は、詩集「Ismaelillo]、論文「我らがアメリカ」Nuestra America等々。ホセ・マルティ選集全3巻が日本でも翻訳出版されている。

*アントニオ・マセオ  Jose Antonio de la Caridad Maceo y Grajales

1845年~1896年。サンティアゴ・デ・クーバ国際空港は彼の名前に因んでいる。キューバ独立軍のナンバー2(中将)。スペインからの独立戦争のために30年間闘い、24回負傷した。キューバ独立戦争の最大の英雄の一人。彼の肌色から「青銅のタイタン」(El Titan de Bronce)と呼ばれ、スペイン軍からは、「グレーター・ライオン」(El Leon Mayor)と恐れられた。最後はハバナ近郊のプンタ・ブラバで戦死。上記のホセ・マルティなども大いに彼から鼓舞された。

「エクアドル」

下記の3空港を選んだ。

エクアドルで人名のついた空港 3空港

空港所在都市 空港名、人名
Quito Aeropuerto Internacional Mariscal Sucre
Guayaquil Aeropuerto Internacional José Joaquín de Olmedo
Cuenca Aeropuerto Internacional Mariscal Lamar

*マリスカル・スクレ  Mariscal Antonio José de Sucre y Alcalá

1975年ベネズエラのクマナ生まれ~1830年。キトの国際空港名は彼に因んでいる。

軍人、政治家で、シモン・ボリバルとともに南米の独立戦争で重要な役割を演じた。スペイン軍をピチンチャの戦いやアヤクーチョの戦いで破った。第2代目ボリビア大統領、ペルー軍最高司令官を務め、アヤクーチョの偉大なる准将(Grán Mariscal de Ayacucho)と呼ばれた。ボリバルの独裁化を嫌い、袂を分けた。最後は暗殺される。ボリビアの首都はスクレで、以前のエクアドルの通貨の単位はスクレと呼ばれた。

*ホセ・ホアキン・デ・オルメド José Joaquín de Olmedo y Maruri

1870年グアヤキル生まれ~1847年。エクアドルで2番目の空港であるグアヤキル国際空港名は彼に因んでいる。エクアドルの政治家、詩人、弁護士、愛国者。グアヤキルの独立に貢献し、グアヤキル議会のトップを務めた後、1830年から31年までエクアドル政府の副大統領、1845年は臨時政府のトップを務める。詩人としてもボリバルを称えるVictoria de Junín Canto  a Bolívarを作った他、エクアドル国歌の作詞も行った。エクアドルの歴史に重要な役割を果たした人物である。

*マリスカル・ラマール  Mariscal José Domingo de La Mar y Cortázar

1776年クエンカ生まれ~1830年。クエンカ国際空港名は彼に因んだものである。軍人、政治家。ペルー軍の高官で、1822年から23年、ペルー議会議長、1827年から29年、ペルーの大統領。軍人としては、スペインからの独立戦争に参加、アヤクーチョの戦いで勝利。その後ペルーとグラン・コロンビアとの戦争に敗れ、コスタリカに追放され、同国で死亡。

「パラグアイ」

下記の2空港を選択した。

パラグアイで人名のついた空港 2空港

空港所在都市 空港名、人名
Asunción Aeropuerto Internacional Silvio Pettirossi

以前は Presidente Stroéssner

Encarnación Aeropuerto Internacional Teniente Amin Ayub González

 

*シルビオ・ペティロッシ  Silvio Pettirossi Pereira

1887年アスンシオン生まれ~1916年。アスンシオン国際空港名は彼に因んでいる。パラグアイのパイロットであり、航空界のパイオニア。イタリア系のパラグアイ人で7歳の時にイタリアの軍学校に入学、15歳で卒業。その後ブエノスアイレスでホルヘ・ニューベリーに飛行術を学ぶ。アクロバット飛行の名人で、フランスの航空学校で32回の開店を披露した。以前の名前は、独裁者として君臨したストロエスネル大統領であった。

*アミン・アユブ・ゴンサレス中尉  Teniente Amin Ayub González

エンカルナシオン国際空港は、彼の名前に因んでいる。インターネットでは情報取れず。軍人で中尉、名前から判断して、イスラム系と思われるが、この人物がどのような人かを知っておられる方はご一報ください。

「ドミニカ共和国」

下記の4空港を選択した。

ドミニカ共和国で人名のついた空港 4空港

空港所在都市 空港名、人名
Santo Domingo Aeropuerto Internacional de las Américas José Francisco Peña Gómez
Isabela Aeropuerto Internacional de Dr.Joaquín Balaguer
Baraona Aeropuerto Internacional María Montéz
Puerto Plata Aeropuerto Internacional Gregorio Luperon

 

*ホセ・フランシスコ・ペーニャ・ゴメス  José Francisco Peña Gómez

1937年~1998年。サントドミンゴ国際空港の名前は彼に因んでいる。(改名前は独裁者トルヒーリョ将軍国際空港と呼ばれていた)ドミニカ共和国の政治家。ドミニカ革命党の党首。大統領候補として3度立候補した。サントドミンゴ市長も務めた。バラゲールやフアン・ボッシュと並び20世紀のもっとも傑出した政治家で、国民、特に貧しい層に人気があった。サントドミンゴの地下鉄駅の名前にもなっている。

*ホアキン・バラゲール  Joaquín Balaguer

1906年~2002年。サントドミンゴのイサべラ国際空港名は、彼に因んでいる。ドミニカ共和国の政治家、作家、詩人。反共主義を掲げ、米国の支援で、1960年から62年まで第39代大統領、1966年から78年まで第45代大統領、1986年から96年まで第49代大統領に就任。強権政治で「ドミニカの奇蹟」と呼ばれる経済成長を実現したが、国内の貧富の差を広げ汚職を蔓延させた。また厳しい環境政策を採ったことで知られている。

*マリア・モンテス  María Móntez(María Africa García Vidal

1912年バラオナ生まれ~1951年。バラオナ空港は彼女の名前に因んでいる。ドミニカ共和国の女優で、合計26本の映画に出演した。内米国で21本、欧州で6本である。1940年代のテクニカラ―・コスチュームのアドヴェンチャー映画で大人気を博し、「テクニカラーの女王」と呼ばれた。代表作品は、「Invisible Woman」、「Arabian Nights」、「Cobra Woman」等々。死後、彼女の名前の通りがバラオナ市に、地下鉄の駅がサントドミンゴ市につくられた。

*グレゴリオ・ルペロン  Gregorio Luperón

1839年プエルト・プラタで生まれ、死亡~1897年。プエルト・プラタ国際空港名は彼に因んでいる。ドミニカ共和国の商人、軍人、政治家。スペイン帝国とのサントドミンゴ戦争、6年戦争に参加。2回にわたり副大統領、臨時政府の大統領、1879年から1880年までは、第28代大統領に就任した。

「パナマ」

下記の2空港を選んだ。

パナマで人名のついた空港 2空港

空港所在都市 空港名、人名
Panama City Aeropuerto Internacional de Albrook “Marcos A. Gelabert”
Provincia de Chiquiri Aeropuerto Internacional Enrique Malek

*マルコス・A・へラベルㇳ  Marcos Antonio Gelabert Damián

1908年~1952年。パナマの飛行家。学校時代から航空に関心を持ち、カンサスシティやハバナで学ぶ。パナマ航空界に多大なる貢献をした人物で、パナマに民間航空会社をつくり、パイロット養成のための学校を創設した。後にパナマ民間航空局長やトクメン空港の総支配人を務める。

*エンリケ・マレク  Enrique Malek

1899年~1937年。パナマの飛行家。上記へラベルトと並びパナマの民間商業航空の父と呼ばれている。

 

その他ラテンアメリカの国で人名のついた空港 8空港

国名 空港所在都市 空港名、人名
Bolivia Cochabamba Aeropuerto Internacional Jorge Wilsterman
Uruguay Montevideo,

Ciudad de Colón

Aeropuerto Internacional de Carrasco General Casareo L. Berisso
Costa Rica San Jose Aeropuerto Internacional Juan Santa María
El Salvador San Salvador Aeropuerto Internacional de El Salvador San Oscar

Arnulfo Romero y González

Nicaragua Managua Aeropuerto Internacional Augusto Sandino
Honduras San Pedro Sula

Roatan

Aeropuerto Internacional Ramón Villeda Morales

Aeropuerto Internacional Juan Manuel Gálvez

Haiti Port-au Prince Aeroport International Toussaint Louverture
Guatemala   人名のついた空港無し

 

*ホルヘ・ウイルステルマン  Jorge Wilsterman

1910年コチャバンバの近くで生まれる~1936年。ボリビアのコチャバンバ国際空港名は彼の名前に因んでいる。LAD航空が設立したパイロット養成学校を卒業、ボリビアで最初のパイロット。1936年、コチャバンバからオルロに向かうフライトが墜落し死亡した。プロサッカーチームもかれの名前をとっている。

*カサレオ・L・べリッソ将軍  General Casareo L. Berisso

1887年~1971年。ウルグアイ航空界のパイオニア。1907年ウルグアイ軍学校に入学。その後、軍の航空学校の最初の卒業生の一人。1922年から31年まで航空学校のデイレクターを務めた。1920年代には、南米の長距離飛行に挑戦した。1929年にはウルグアイで最初の航空機を設計した。2002年、「セサリオ・ベリッソ財団が設立され、空軍のファミリーを支援している。

*フアン・サンタ・マリア  Juan Santamaría Rodríguez

1831年~1856年。サンホセ国際空港名は彼に因んでいる。コスタリカ軍の鼓手。1856年のフィリバスター戦争の第2回リ―バス戦争で米国の不法侵入者のウイリアム・ウオーカー率いる軍と勇敢に戦い、戦死した。コスタリカのナショナリズムを高揚させた国民的英雄。生まれ故郷のアラフエラには彼の大きな銅像が1891年に建造された。また戦死した4月11日は祝日になっている。

*サン・オスカル・アルヌルフォ・ロメロ・イ・ゴンサレス  San Oscar Arnulfo
Romero y González

1917年~1980年。エルサルバドル国際空港名は彼に因んだものである。Monsenor Romeroと呼ばれていた。カトリック教の神父で、第4代サンサルバドル大司教。暴力や貧困に立ち向かったが、1980年に暗殺された。

*アウグスト・サンディーノ  Augusto César Sandino

1895年~1934年。マナグアの国際空港名は彼に因んでいる。ニカラグアの革命家。1927年から33年までニカラグアに駐屯していた米国海兵隊に対する抵抗運動の指導者。「自由な人々の将軍」と呼ばれた。1934年、国家警備隊司令官であったアナスタシオ・ソモザに殺害される。彼の意思は、その後「サンディニスタ民族解放戦線に引き継がれ、ソモザ独裁政権を打倒した。

*ラモン・ビジェーダ・モラレス  José Ramón Adolfo Villeda Morales

1909年~1971年。ホンジュラス第2の都市サンペドロ・スーラ国際空港名は彼に因んでいる。ホンジュラスの政治家、自由党から立候補し、1957年から63年まで大統領を務める。彼は、労働、公共衛星、公共教育、社会保障システムの改革に努めるとともに、道路、港湾、空港の近代化を促進した。1963年には軍事クーデターで倒れる。

*フアン・マヌエル・ガルベス  Juan Manuel Gálvez Durón

1887年~1972年。ホンジュラスのロアタン空港名は彼に因んでいる。ホンジュラスの政治家、弁護士で、1949年から54年まで第39代大統領を務める。国民党から立候補し、ティブルシオ・カリアス・アンディ―ノの16年にわたる独裁政権を終了させた。米国の多国籍企業であるユナイテッド・フルーツ社等を優遇した反面、道路建設、コーヒー輸出の拡大、教育の充実に貢献した。

*トゥ―サン・ルーヴェルチュール  Toussaint Louverture

1743年~1803年。ハイチの首都ポート・プランスの国際空港は彼の名前に因んでいる。フランス革命をきっかけに勃興したハイチの独立運動(ハイチ革命)の指導者の一人とされており、ハイチ建国の父とみなされている。通称「黒人のスパルタコス」や「ブラック・ジャコバン」と呼ばれている。

以   上