連載レポート75:桜井悌司 「ラテンアメリカの主要国の紙幣に見る人物像」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート75:桜井悌司 「ラテンアメリカの主要国の紙幣に見る人物像」


連載レポート76

ラテンアメリカの主要国の紙幣に見る人物像

執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

このシリーズもその12を数えるが、一応今回でもって最終回としたい。今回取り上げるテーマは「ラテンアメリカの主要国の紙幣と人名」である。

ご承知の通り、日本で現在流通している紙幣の顔は、千円札が野口英世、五千円札が樋口一葉、一万円札が福沢諭吉である。2024年には、新札が発行され、それぞれ、北里柴三郎、津田梅子、そして大河ドラマの主人公の渋沢栄一が顔になる。

欧米でも総じて、それぞれの国を代表する重要人物が紙幣の表紙を飾っている。前回の空港名に続き、ラテンアメリカの主要国で現在使用されている紙幣にどのような人物が表紙を飾っているのかを調べることにした。大部分の国は、それぞれの国で誰もが知っている重要人物を紙幣の表面に使用している。一部の国、例えば、ブラジルは共和国を象徴する同じ女性の肖像画をすべての紙幣に使用し、額面と色と裏面の模様で判断できるという国もあるし、アルゼンチンの新札のように表面は動物、裏面は景色、モニュメントにしている国もある。ドミニカ共和国の紙幣の表面の大部分は人物であるが、複数の人物を使ったり、一部、カテドラルや大統領宮殿を使用している国もある。

今回、取り上げた国は、メキシコ6名、チリ6名、アルゼンチン4名、コロンビア7名、ペルー5名、ボリビア5名、ドミニカ共和国11名(紙幣に2~3名の人物の顔がある)、パラグアイ4名、ウルグアイ7名、コスタリカ6名、ブラジルは共和国の肖像画1名、の11カ国62名を選択した。ドルと併用しているパナマやエクアドル、デノミが良く行われるベネズエラは取り上げていない。何人かは空港名で取り上げた人物も入っている。駐在している国の紙幣の人物はおそらくご存知であろうが、近隣国の紙幣の人物まではご存じないものと思われる。近隣国に出張される場合にでも、話題にされると敬意を表されることになろう。

なお人物の調査に当たっては、日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語のウイキペデイアを主として使用させていただいた。

「メキシコ」

メキシコは下記表のように6種類の紙幣を発行しているが、独立の英雄がイダルゴとモレロスの2人、改革(レフォルマ)の英雄フアレス、アステカ帝国の創始者のネサワルコヨトル、植民地時代の詩人のフアナ・イネス・デ・ラ・クルスとメキシコを代表する画家ディエゴ・リベラという文化人が2人となっている。うまくバランスがとれている。下記にそれぞれの簡単な紹介をつける。

金額 人名
20ペソ Benito Juárez
50ペソ José María Morelos
100ペソ Nezahualcoyotl ネサワルコヨトル
200ペソ Sor Juana Inés de la Cruz
500ペソ Diego Rivera
1000ペソ Miguel Hidalgo y Costilla

*ベニート・フアレス  Benito Juárez

1806年~1872年。メキシコ・シティの国際空港名になっている。

先住民族から選ばれた最初の大統領。保守派と自由主義はとの間で戦ったレフォルマ戦争における自由主義者の指導者。大統領在任中にフランスからの介入を受けるが、徹底抗戦を貫き、共和制を復活させる。メキシコで最も尊敬されている人物の一人。3月21日は、祝日となっている。メキシコ・シティの人類学博物館の入り口に彼の有名な言葉「El respeto al derecho ajeno es la paz」(他人の権利を尊重することが平和につながる)が掲げられている。

*ホセ・マリア・モレロス José María Morelos

1765年~1815年。カトリックの神父。メキシコ独立革命戦争の英雄。ミゲール・イダルゴと共に独立戦争に参加。1811年にイダルゴが処刑された後は、主導権を握り、戦争を遂行したが、1815年にスペイン軍に捕まり処刑される。紙幣に名を連ねるほか、モレロス州、生まれ故郷のミチョアカン州バジャドリー市は、モレロスの名前を取り、モレリアと改名された。メキシコ・シティの地下鉄駅名にもなっている。

*ネサワルコヨトル Nezahualcoyotl

1402年~1472年。ナウアトル語で「断食するコヨーテ」という意味。テスココ王の息子として生まれ王位継承者。メキシコ盆地の支配者であったアスカポツアルコを排除し,テノティティトゥラン、トラコパンとともにアステカ帝国を築いた。100ペソ紙幣の他に、1993年、ネサワルコヨトル賞が創設され、先住民の言語で書かれた優れた文学作品に与えられている。

ソル・フアナ・イネス・デ・ ラ・クルス Sor Juana Inés de la Cruz

1648年~1695年。ヌエバ:エスパーニャの詩人、修道女、スペイン黄金世紀の演劇作家。17歳で修道女になり、サンへロニモ修道会サンタパウラ修道院に入る。以後、詩作に没頭し生涯を終える。代表作は、演劇「家のポーン」Los empeños de una casa、詩「最初の夢」Primer sueño、散文「アレゴリカル・ネプチューン」Neptuno alegórico。また「知への賛歌 修道女フアナの手紙」も訳されている。

*ディエゴ・リベラ Diego Rivera

1886年~1957年。メキシコの画家、キュービズムの影響を受けた。メキシコ壁画運動のリーダー的存在でメキシコ絵画の代表的アーチスト。メキシコの民族的伝統と社会主義的色彩の中で、メキシコの社会、歴史、庶民生活を描いた。代表作は、ソカロ広場にある大統領宮殿の「メキシコの歴史」Historia de Mexico。1931年には、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開催された。フリーダ・カロの夫でもあった。メキシコには、「ディエゴ・リベラ壁画博物館」、「ディエゴ・リベラ・アトリエ美術館」、「ディエゴ・リベラ博物館」の3つの博物館がある。

*ミゲール・イダルゴ・イ・コスティージャ  Miguel Hidalgo y Costilla

1753年~1811年。グアダラハラ国際空港名になっている。メキシコ独立の父。聖ニコラス校で学び、1978年同校で教鞭を取る。ヨーロッパの啓蒙思想に影響を受ける。1808年、ナポレオン軍のスペイン侵攻でスペインが弱体化する時期に、イグナシオ・アジェンデなどと一緒に独立の蜂起を決行する。1710年9月16日の深夜に有名な「ドロ―レスの叫び」をあげ独立戦争が始まる。イダルゴはスペイン軍に捕まり処刑される。今でも独立記念日には、ソカロ広場の大統領宮殿で大統領自ら「ドロ―レスの叫び」を復唱することになっている。在外の大使館でも同様なセレモニーが行われる。

「ブラジル」

2010年以降、ブラジルで使用されている紙幣は下記の7種類であるが、人名は無く、共和国を象徴する肖像画が使用されている。ポルトガル語ではEfigie da Republica、英語ではEffigy of the Republicが使われている。具体的には、若い女性の肖像画で、ベービー・リーフの冠を付け、ローマ時代の服装で、フリジア王国(アジアの小国)の帽子をかぶっている。寓話的に共和国を象徴する。したがって、表面は色彩によって区別することになる。裏面は、ブラジルの動物が使用されている。

金額 表面の動物名(英語名) 日本語名
2レアル Hawksbill sea turtle タイマイ(絶滅にひんしているウミガメの一種
5レアル Great egret ダイサギ
10レアル Green winged macaw ベニコンゴ―・インコ
20レアル Golden lion tamarin ゴールデン・ライオン・タマリン
50レアル Jaguar ジャガー
100レアル Dusky Grooper ハタ(魚)の一種
200レアル Maned wolf タテガミ・オオカミ
「チリ」

チリの場合は、下記の5名である。チリ建国者のバルディビア、ペルーとの太平洋戦争の英雄のプラットとカレラ・ピントの2人、独立の英雄のロドリゲスと詩人のミストラルと偉大な知識人のベージョの2人である。チリもバランスがとれている。

金額 人名
500ペソ Pedro de Valdivia
1000ペソ Ignacio Carrera Pinto
新2000ペソ Manuel Rodríguez
5000ペソ Gabriela Mistral
10000ペソ Arturo Prat
20000ペソ Andrés Bello

*ペドロ・デ・バルディビア   Pedro de Valdivia

1500年~1554年。スペイン王国の探検家、コンキスタドール。ピサーロの腹心で、1540年チリに遠征し、1541年2月にサンタルシァの丘の近くにサンテイアゴ市を建設した。その後、さらに南部まで遠征し、ビオビオ川のあたりまで征服した。その後、チリ総督に任ぜられたが、アラウカ族の酋長のラウタロとの戦闘に敗れ処刑された。サンテイアゴの中心のアルマス広場には巨大な彼の銅像がある。

*イグナシオ・カレーラ・ピント Ignacio Carrera Pinto

1848年~1882年。チリの軍人。チリの太平洋戦争のヒーロー、具体的には、「コンセプシオンの戦いのヒーロ―と呼ばれている。400名のペルー軍に、街が攻撃されたが、彼と77名の「チャカブコ第4師団」のチリ兵士が勇敢に戦い最後は戦死する。

*マヌエル・ロドリゲス Manuel Rodríguez Erdoisa

1785年~1818年。チリの弁護士、ゲリラのリーダー。チリの独立運動の主人公の一人。ホセ・ミゲール・カレラとともに独立運動に立ち上がる。サン・マルテイン軍に合流し戦うが、ベルナルド・オヒギンスとは対立し、最後は暗殺される。後にピノチェット独裁時代に都市ゲリラが活動したが、その名称は、FPMR(マヌエル・ロドリゲス愛国戦線)と呼ばれた。チリで人気のある人物で、映画化、オペラ化されたり、ビクトル・ハラの歌にも取り上げられている。チリには、彼の名前のついた通りが28あると言われている。

*ガブリエラ・ミストラル Gabriela Mistral

1889年~1957年。チリの詩人、政治家、外交官。唯一の女性文学賞受賞者。主要な作品は、「死のソネット」(Sonetos da la Muerte)、 「絶望」(Desolación)、「優しさ」(Ternura)等。受賞理由は、「その力強い動機に触発された抒情詩によって彼女の名が全ラテンアメリカの理想主義的な願望の象徴と化したこと」とある。「ラテンアメリカの母」という敬称を受けた。荒井正道氏や田村さと子氏の著作もある。チリには、彼女の名前をとった通りが127ある。

*アルトゥーロ・プラット Arturo Prat

1848年~1879年。チリの法律家、海軍士官。ペルーとの太平洋戦争のイキケの海戦で勇敢に指揮し、戦死した国民的英雄。スペインとの戦い、太平洋戦争で活躍。コルヴェット艦エスメラルダ号、スクーナー船コバドンガ艦の指揮者。彼の名前をとった通りの数は144あり、チリで最も多い。アルトゥーロ・プラット海軍学校、イキケにはアルトゥーロ・プラット大学がある。世界遺産バルパライソの中央広場には巨大なアルトゥーロ・プラットの偉業を称える巨大なモニュメントがある。

*アンドレス・ベジョ Andrés Bello

1781年カラカス生まれ~1865年チリ、サンテイアゴで死亡。ベネズエラ・チリの哲学者、詩人、翻訳家、エッセイスト、言語学者、政治家、外交官、ヒューマニスト。イベロアメリカで最も重要なヒューマニストの一人。短期間、シモン・ボリバルの教師を務め、独立運動に参加。独立軍の外交官として、ロンドンに約20年間滞在。その後チリに渡り、チリ民法の推進者、1842年設立されたチリ大学の初代学長を20年間務めた。法律と人文科学の分野で多大なる功績をあげた。ベネズエラ、チリ、エルサルバドルにアンドレス・ベジョの名前を冠した大学がある。ベネズエラでも一時期、紙幣の顔として使われた。チリでは、彼の誕生日である11月29日は、「書物の日」に指定されている。

「アルゼンチン」

アルゼンチンの新札は、動物と景色であるが、それ以前の紙幣は、独立の英雄がサン・マルティンとベルグラーノ、独裁者のロサス、エビータの愛称で有名なエバ・ペロンである。

金額 人名
5ペソ José de San Martín
10ペソ Manuel Belgrano
20ペソ Juan Manuel Rosas
50ペソ フォークランド島等景色
100ペソ Eva Perón

2016年の第4シリーズは下記の通り、表面は動物名で裏面は風景となっている。

金額 色彩 表面 裏面
20ペソ グアナコ パタゴニアの砂漠
50ペソ グレイ アンデス・コンドル アコンカグア
100ペソ Taruca、南米の鹿の一種 ファマティーナ山脈
200ペソ Southern right whale

ミナミセミクジラ

バルデス半島
500ペソ ジャガー ユニガス
1000ペソ オレンジ Homero、カマリドリの一種 パンパ

*ホセ・デ・サン・マルティン   José Francisco de San Martín y Matorra

1778年~1850年。アルゼンチンの軍人、政治家。シモン・ボリバルが南米の北部を解放したのに対し、サン・マルティンは、南部を解放したリベルタドール。スペイン軍の職業軍人として師団長まで昇進したが、アルゼンチンで独立運動が起こりつつあることを知り、アルゼンチンに戻る。ラ・プラタ軍を指揮し、サンロレンソの戦いでスペイン軍を破り、アンデス山脈越えの遠征を行い、チリ、ペルーの独立を達成した。最後は失意のうちにフランスで亡くなる。彼の遺体はブエノスアイレスの五月広場に面するカテドラル・メトロポリターナに安置されている。

*マヌエル・ベルグラーノ     Manuel Belgrano

1770年~1820年。アルゼンチンの軍人、政治家。アルゼンチン独立運動の指導者の一人。1810年、マリアーノ・モレーノらと共に愛国政権評議会に参加し、副王軍に反乱を起こす。その後、革命軍を指揮し、北部軍司令官となり、アルト・ペルーの攻略を進めるが、敗退し、サン・マルティン将軍が後任となる。アルゼンチン国旗の創始者として知られている。彼の死亡した6月20日は、「国旗の日」として祝日に指定されている。また五月広場には、馬に乗ったベルグラーノの銅像がある。

*フアン・マヌエル・ロサス    Juan Manuel Rosas

1793年~1877年。アルゼンチンの政治家、軍人、カウディージョ。少年時代にイギリス軍がブエノスアイレスを攻撃した際には、ポルテ―ニョ軍に参加し戦う。その後、牧畜や畜産業で財を成し、民兵(ミリシア)を抱え、カウディージョとして君臨する。1829年から32年まで第13代ブエノスアイレス知事、1835年から52年まで長期にわたり、独裁政権を継続する。アルゼンチンでは、独裁者として悪評を持つ人物と外国の干渉に抵抗した愛国者としてのイメージで評価が大きく分かれる。彼の遺体のアルゼンチンへの入国は拒否されていたが、マルビーナス戦争後の1982年に時のメネン大統領によって、入国が許可され、レコレタ墓地に埋葬されている。

*エバ・ペロン     María Eva Duarte de Perón

1919年~1952年。アルゼンチンの女優、政治家。私生児として生まれ、15歳で家出し、職業を転々とするが、ラジオドラマの声優や映画女優で成功をおさめた時に、後に大統領となるフアン・ドミンゴ・ペロンと知り合い結婚する。夫の権力を活用し、女性の参政権の推進、慈善団体「エバ・ペロン財団」の設立、所得の再分配によるブルーカラーへの優遇などを行った。通称「エビータ」として国民間に人気を博した。彼女を取り扱ったミュージカル、映画、テレビドラマは有名。ブエノスアイレスのレコレッタ墓地に埋葬されている。

「コロンビア」

コロンビアの紙幣は7種類であるが、バラエティに富んでいるのが特徴である。文化人・知識人が4名となっている。画家のデボラ・アランゴ、詩人のアスンシオン・シルバ、人類学者のビルヒニア・グティエレス、小説家のガルシア・マルケスである。もう一人は20世紀の政治家のエリエセール。残りの2人は元大統領のロペス・ミチェルセンとジェーラス・レストレポである。

金額 人名
1000ペソ Jorge Eliecer Gaitán
2000ペソ Débora Arango Pérez
5000ペソ José Asunción Silva
10000ペソ Virginia Gutiérrez de Pineda
20000ペソ Alfonso López Michelsen
50000ペソ Gabriel García Márquez
100000ペソ Carlos Lleras Restrepo

*ホルヘ・エリエセール・ガイタン Jorge Eliecer Gaitán

1903年~1948年。コロンビアの政治家。20世紀のコロンビアで最も影響力のあった政治指導者。公務員、議員として活躍し、文部大臣、労働大臣、ボゴタ市長を歴任、自由党のカリスマ指導者。社会の不均衡是正、教育水準や健康水準の向上、平等社会の実現に尽力したが、1948年暗殺された。暗殺後、コロンビア各地で大暴動が発生し、地方でゲリラ戦が勃発し、ビオレンシアの時代に突入した。

*デボラ・アランゴ・ペレス Débora Arango Pérez

1907年~2005年。コロンビアの代表的な画家、陶芸家。メデジン美術大学、メキシコ国立美術学校、スペインのサンフェルナンド王立美術アカデミーで学ぶ。彼女の作品は、表現主義の運動の中で展開され、コロンビアで最も重要かつ論争のある画家の一人と考えられている。コロンビア社会や政治に対する批判的な作品が多い。またコロンビアで最初に女性の裸体を描いた画家としても知られている。後に233作品をメデジン近代美術館に寄贈。代表作は、「青年期」Adolescencia、 「正義」Justicia。

*ホセ・アスンシオン・シルバ José Asunción Silva

1965年~1896年。コロンビアの詩人。ラテンアメリカのモデルニスモの創始者・推進者の一人と考えられている。代表作は、「詩の本」El libro de versos、「デザートについて」 De sobremesa、「苦い滴」 Gotas amargas。30歳でピストル自殺を遂げた。

*ビルヒニア・グティエレス・ピニェーダ Virginia Gutiérrez de Piñeda

1921年~1999年。コロンビアの人類学者、カリフォルニア大学バークレーで、社会医学人類学の修士号取得、コロンビアの国立教育大学で、社会経済科学の分野で博士号を取得。コロンビアにおける家族の研究、医学人類学、社会学のパイオニア。特にコロンビアにおける女性の地位の研究で有名。主要著作として、「コロンビアにおける家族と文化」、「コロンビアにおける家族の構造、機能と変化」がある。後にコロンビア国立大学で教鞭をとり、名誉教授となる。

*アルフォンソ・ロペス・ミチェルセン Alfonso Lopez Michelsen

1913年~2007年。コロンビアの政治家、大統領。父はコロンビアの大統領を2期務めた。欧州や米国で教育を受けた後、コロンビア国立大学教授、弁護士を務める。1960年から66年まで上下院議員を務めた後セサール州知事、外務大臣を歴任。1974年、自由党から大統領選に立候補、当選。任期中、アンデス共同市場の推進やラテンアメリカ経済機構(SELA)の設立に貢献した。

*ガブリエル・ガルシア・マルケス Gabriel García Márquez

1925年~2014年。コロンビアのジャーナリスト、小説家。主要な作品は、「百年の孤独」(Cien años de soledad),「迷宮の将軍」(El general en su laberinto)、「族長の秋」(El otoño del patriarca)、「これらの時代の愛」(El amor en los tiempos del cólera)等。彼のほとんどの作品が翻訳されている。受賞の理由は、「現実的なものと幻想的なものとを融合させて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する豊かな想像力の世界を構築した」こと。「魔術的リアリズム」という手法で、ラテンアメリカ文学の世界的ブームを起こした。ラテンアメリカの小説家で最も人気と知名度がある作家。

*カルロス・ジェーラス・レストレポ Carlos Lleras Restrepo

1908年~1994年。コロンビアの政治家、大統領。財務大臣を3期務めた後、自由党から大統領に立候補、第22代大統領に就任。任期中積極的かつ広範囲な社会経済改革プログラムを展開した。「国家貯金基金」、「コロンビア家族福祉インスティトゥート」、「再生エネルギー・インスティトゥート」、貿易投資振興機関「プロエクスポ」(現プロコロンビア)、「コロンビア文化インスティトゥート」などを創設した。

「ペルー」

ペルーは、軍人のキニョーネス、外交官政治家のポーラス、著作家のバルデロマール、歴史家のバサードレ、ペルー等の守護聖人のサンタ・ローサ・デ・リマト5人とも様々な分野からの代表である。

 

金額

色彩 人名
10ソル 緑色 José Quiñones González
20ソル オレンジ色 Raúl Porras Barrenechea
50ソル 茶色 Abraham Valdelomar Pinto
100ソル 青色 José Basadre Grohmann
200ソル ピンク色 Santa Rosa de Lima (Isabel Flores de Oliva)

ホセ・キニョーネス・ゴンサレス  José Abelardo Quiñones Gonzalez

1914年~1941年。ペルーの軍人飛行士。1941年のペルー・エクアドル戦争においてサルミージャの戦いで戦果を挙げたが、同年7月23日にエクアドル軍の砲撃で墜落死。ペルー政府は1966年法律で彼を国民的英雄とした。7月23日は、「ペルー空軍の日」となっている。生まれ故郷のチクラヨの空港は、「Aeropuerto Internacional Capitán José Abelardo Quinoñes González」と命名されているほか、リマのサン・イシドロには彼のモニュメントがある。

*ラウール・ポ-ラス        Raul Porras Barrenchea

1897年~1960年。ペルーの外交官、歴史家、政治家。サンマルコス大学で法学士、哲学・歴史・文学博士号を取得。後にサンマルコス大学やリマ・カトリック大学で教鞭をとる。1957年、上院議長、1958年~60年外務大臣を務める。ペルー外交の指導的人物で卓越したヒスパニストの歴史家。著作には、インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガやピサーロ等ペルーの歴史関連の書籍が多数。

*アブラハム・バルデロマール   Pablo Abraham Valdelomar Pinto

1888年~1919年。ペルーの語り手、詩人、エッセイスト、ジャーナリスト、劇作家。ペルーにおけるアヴァンギャルドの創始者と言われている。先住民のストーリー、とりわけインカ時代のケチュア社会を多く取り上げた。代表作は、「肺結核者の町」Ciudad de los tisicos、「カルメロ紳士」El caballero Carmelo、「太陽の息子たち」Los hijos del sol。

*ホルへ・バサードレ         Jorge Basadre Grohmann

1903年~1980年。ペルーの偉大な歴史家、文芸評論家、政治家。ペルーの共和国ジダイ、近代史について多数の著作を発表した。教育大臣を2期務めた他、ペルー国立図書館館長、サンマルコス大学、ペルーカトリック大学教授も歴任。主要作品は、「ペルー共和国の歴史」。生まれ故郷のタクナには、「Universidad Nacional Jorge Basadre Grohmann」という大学がある。

*サンタ・ローサ・デ・リマ Santa Rosa de Lima(Isabel Flores de Oliva)

1586年~1617年。ペルー生まれのアメリカ大陸初の聖人。本名はIsabel Flores de Oliva。厳しい苦行を行ったことで知られており、31歳で死亡。死後の1671年、クレメンス10世により、列聖された。刺繍や庭師の守護聖人。またペルー国家警察、パラグアイ国家警察、アルゼンチン陸軍の守護聖人の他、フィリピンの守護聖人でもある。ペルーでは、8月30日はサンタ・ローサの日で祝日に指定されている。

「ボリビア」

ボリビアも様々な分野の人物である。画家はグスマンとぺレスの2人、法律家のダレンセ、歴史家のモレーノ、作家のタマヨである。

金額 人名
10ボリビアーノス Cecilio Guzmán de Rojas
20ボリビアーノス Pantaleón Dalence Jiménez
50ボリビアーノス Melchor Pérez de Holguín
100ボリビアーノス Gabriel René Moreno
200ボリビアーノス Franz Tamayo

*セシリオ・グスマン・デ・ローハス   Cecilio Guzmán de Rojas

1899年~1950年。ボリビア先住民の画家。20世紀前半のインディへ二スタ運動のリーダー。ボリビアの絵画における民族的価値の回復に尽力した。代表作は、「自然の勝利」El triunfo de la naturaleza、「アイドルの接吻」El beso de idolo。50歳で自殺。

*パンタレオン・ダレンセ Pantaleón Dalence Jiménez

1815年~1892年。ボリビアの法律家。ボリビアの司法の父と呼ばれている。ボリビア最高裁判所長官を長年にわたり務めた。生まれ故郷のオルロ州の1つの県が彼の名前をとっている。代表作は、「真実と正義の法典のために」Por los fueros de la verdad y la justicia。

*メルチョール・ペレス・デ・オルギン  Melchor Pérez de Holguín

1660年~1732年。コチャバンバ生まれのボリビアの画家。ボリビアの歴史上ベストの画家の一人、スペイン・バロックの絵画でベストの画家の一人。宗教画がほとんどで、代表作は、「最後の審判」Juicio final、[副王モルシージョのポトシ入場] Entrada del virreyMorcillo en Potosi、「天使」Angel。

*ガブリエル・レネ・モレーノ Gabriel René Moreno del Rivero

1834年~1908年。ボリビアのサンタクルス生まれの歴史家、分権化、文芸批評家、教育者。「ボリビアの著述家のプリンス」と呼ばれ、ボリビアの歴史上、最も偉大な研究者と言われている。ボリビア、チリ、ペルーの文献整理に貢献。彼の作品や文献記録は「ボリビア古文書館」の創設に役立った。生まれ故郷のサンタクルスには、彼の名前をとった「Universidad Autónoma Gabriel René Moreno」という名の大学が存在する。

*フランツ・タマヨ Franz Tamayo Solares

1879年~1956年。ボリビアの作家、詩人、哲学者、政治家、知識人。教育関連の著作が多数ある。アイマラとスペインのメステーソ。政治家としては外務大臣を歴任。彼の名前をとった県(Provincia de Franz Tamayo)がラパス州にあるほか、ラパスには、Universidad Franz Tamayoと呼ばれる大学がある。

「ドミニカ共和国」

ドミニカ共和国の紙幣は、複数の人物(2名~3名)の肖像画を使用した紙幣は、合計4紙幣となる。またモニュメントを使用した紙幣も2つある。独立の英雄3名、独裁者に抵抗した3姉妹、国歌の作曲・作詞家2名、文学者・教育者の親子、元大統領といった顔ぶれである。

金額 人名
10ペソ Matias Ramón Mella
20ペソ General Gregorio Luperón
50ペソ Catedral Primada de América
100ペソ Juan Pablo Duarte     Matias Ramón Mella

Francisco del Rosario Sánchez

200ペソ Las hermanas Mirabel
500ペソ Pedro Henríquez Ureña  Salomé Ureña de Henríquez
1000ペソ Palacio Nacional
2000ペソ Emilio Prud’Homme    José Reyes

*マテイアス・ラモン・メージャ Matias Ramón Mella

1816年~1864年。ドミニカの革命家、政治家、軍人・将軍。1844年のドミニカのハイチからの独立戦争で活躍した。国民的英雄で、Juan Pablo DuarteやFrancisco Rosario Sanchezと並び、「ドミニカ共和国祖国の父」と呼ばれている。この3名の名前をとった勲章もある。

*へネラル・グレゴリオ・レペロン General Gregorio Luperón

1839年プエルト・プラタで生まれ、死亡~1897年。プエルト・プラタ国際空港名は彼に因んでいる。ドミニカ共和国の商人、軍人、政治家。スペイン帝国とのサントドミンゴ戦争、6年戦争に参加。2回にわたり副大統領、臨時政府の大統領、1879年から1880年までは、第28代大統領に就任した。

*アメリカ大聖堂 Catedral Primada de América

1540年完成。新世界最古の大聖堂。

*100ペソ紙幣には祖国の父と呼ばれる3名の国民的英雄が表面の顔となっている。

・フアン・パブロ・ドウアルテ Juan Pablo Duarte

1813年~1876年。ドミニカの軍事指導者、教授、作家、活動家。国家主義の政治家。メージャやロサリオ・サンチェスと共に、ハイチからの独立戦争で戦った英雄で祖国の父と呼ばれている。彼の名前は、カリブで最も高い山にPico Duarteと名付けられている他、米国にもいくつかの銅像が建てられている。また1月25日は、「国父ドウアルテの日」として祝日になっている。

・マテイアス・ラモン・メージャ Matias Ramón Mella

上記説明済み。

・フランシスコ・デル・ロサリオ・サンチェス Francisco del Rosario Sánchez

1817年~1861年。ドミニカの弁護士、政治家、活動家。祖国の父の3人の中で、ドウアルテに次いで、2番目にランクされている。1844年のハイチからの独立戦争で活躍。3人の墓はサントドミンゴに,「祖国の祭壇」Altar de la Patriaに安置されている。

*ミラベル姉妹 Las hermanas Mirabel

Patria、Minerva、 Maria Teresaの3姉妹で、ラファエル・レオニダス・トルヒーリョ大統領の独裁政治に強く抵抗。1960年11月25日に暗殺される。彼女たちの暗殺は国際的に大きな反響があった。国連は、1999年12月に総会で、11月25日を「女性に対する非暴力の日」とすることを決議した。

*500ペソ紙幣にはウレーニャ親子の肖像が使用されている。

・ペドロ・エンリケス・ウレーニャ Pedro Henríquez Ureña

1884年~1946年。ドミニカ共和国の知識人、哲学者、批評家、作家、ヒューマニスト。ドミニカ共和国のみならず、メキシコやアルゼンチンでも活動した20世紀のイスパノアメリカを代表する文化人。 主要作品は、「イスパノアメリカにおける文学の流れ」corrientes Literarias en la América Hispánica、「イスパノアメリカ文化史」Historia de la Cultura en la América Hispánica。サントドミンゴの国立図書館は彼の名前に因んでいるほか、Universidad Nacional Pedro Henríquez Ureñaと呼ばれる大学がサントドミンゴにある。

・サロメ・ウレーニャ・デ・エンリケス Salome Ureña de Henríquez

1850年~1897年。ドミニカの教育家、詩人。19世紀のドミニカで最も傑出した作家、詩人。女性の教育の向上に革新的役割を果たす。また男女間の権利の平等のために戦ったことで知られている。

*ナショナル・パレス(大統領宮殿)Palacio Nacional

1944年完成。トルヒーリョ大統領の時代にイタリアの建築家のグイド・ダレッサンドロ・ロンバルディによって設計された。

*2000ペソ紙幣はドミニカ共和国国歌の作詞者と作曲の2名を表面の顔に使用している。

・エミリオ・プルドンム Emilio Prud’Homme y Maduro

1856年~1932年。ドミニカの弁護士、政治家。ドミニカのナショナル・アイデンテイテイを強く持った人物。下院議員、法務大臣を歴任。米国の軍事介入に強く反対した。ドミニカ共和国の国歌の作成者、作詞者。

・ホセ・レイェス José Rufino Reyes Siancas

1836年~1905年。ドミニカの音楽家。ドミニカ共和国の国歌の作成に当たり、プルドンムの作詞に協力し、作曲を行った。

「パラグアイ」

パラグアイは4名とも戦争に関連した軍人・政治家である。パラグアイ戦争(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイとの戦争)関連が3名、チャコ戦争の英雄が1名である。

金額 人名
50グアラニー Mariscal José Felíx Estigarribia
100グアラニー General José Eduvigis Díaz
500グアラニー General Bernardino Caballeros
1000グアラニー Mariscal Francisco Solano López

*マリスカル・ホセ・フェリックス・エスティガリビア Mariscal José Felix Estigarribia Insaurralde

1888年~1940年。パラグアイの軍人、政治家。傑出した軍人政治家で、ボリビアとのチャコ戦争(1932年~35年)で勝利に導いた戦争の英雄、軍事戦略家。後に第26代大統領に就任するが、翌年航空機事故で死亡。ボケロン州には、Mariscal Estigarribiaという都市がある。

*へネラル・ホセ・エドゥビヒス・ディアス General José Eduvigis Diaz

1833年~1867年。パラグアイの人気のある将軍。パラグアイとブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国連合軍との戦争(パラグアイ戦争、1864年~70年)で、1966年9月22日のクルパイティの戦い(Batalla de  Curupayt)yの英雄。パラグアイのハイウエイ・ルート4は彼の名前が付けられている。

*へネラル・ベルナルディーノ・カバジェロスGeneral Bernardino Caballeros

1839年~1912年。パラグアイの軍人、政治家。パラグアイ戦争等で軍人として活躍。政治家としては、陸海軍大臣、法務大臣、内務大臣、上院議員、暫定大統領を経て、1880年から1870年まで大統領。コロラド党の創始者で死ぬまで総裁を務める。パラグアリ県には、彼の名前のついた都市がある。

*マリスカル・フランシスコ・ソラーノ・ロペス Mariscal Francisco Solano López

1826年~1870年。パラグアイの軍人、政治家。父親は初代大統領のカルロス・アントニオ・ロペス。若い時から後継者として育てられ、欧州駐箚特命全権大使、陸海軍大臣、副大統領を経て、父の死に伴い、第2代大統領に就任(1862年~70年)。任期中にパラグアイ戦争が勃発し、相手がブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国同盟軍なので、すぐに終結すると思われたが、5年間も続いた。最後はセロ・コラー(Cerro Cora)の戦いで戦死した。彼の評価は論争の的であるが、戦後、国民的英雄として名誉が回復された。パラグアイでは、彼の真だ3月1日は、英雄たちの日(Día de Los Heroes)として祝日となっている。

「ウルグアイ」

ウルグアイの場合は、文化的な色彩が強い。詩人が2名、作曲家1名、画家1名、科学者1名、政治家1名、教育者1名となっている。

金額 色彩 人名
20ウルグアイ・ペソ Juan Zorrilla de San Martín
50ウルグアイ・ペソ 青主体 José Pedro Varela
100ウルグアイ・ペソ 紫主体 Eduardo Fabini
200ウルグアイ・ペソ 赤紫ピンク Pedro Figar
500ウルグアイ・ペソ 黄緑オレンジ Alfredo Vásquez Acevedo
1000ウルグアイ・ペソ 緑黄茶 Juana del Ibarbourou
2000ウルグアイ・ペソ 灰黄土紫 Damaso Antonio Larrañaga

*フアン・ソリ―ジャ・デ・サン・マルティンJuan Zorrilla de San Martín

1855年~1931年。ウルグアイの詩人、作家、ジャーナリスト、教育家、外交官。下院議員、スペイン大使、ラ・レプブリカ大学教授を務める。ウルグアイの国民的詩人と言われている、代表作は、「タバレー」、「祖国の伝説」Leyenda Patria等。新聞El Bien Publicoの創設者。モンテビデオには、ソリ―ジャ博物館がある。

*ホセ・ペドロ・バレラ  José Pedro Varela

1845年~1879年。ウルグアイの科学者、ジャーナリスト、政治家、教育者。彼の尽力で1876年に無料の義務教育と世俗教育が採用された。また1877年には、共通教育法 Ley de Educación Comúnが制定されたのは、彼の影響力があったためと言われている。

*エドゥアルド・ファビーニ  Eduardo Fabini

1882年~1950年。ウルグアイの作曲家、バイオリニスト。ベルギーに音楽留学。ウルグアイで最も偉大なクラシック音楽の作曲家。在米ウルグアイ大使館に芸術担当官として駐在。1907年、ウルグアイ音楽院を設立、1913年室内楽協会の共同設立者。代表作は、交響曲「Campo」、交響曲「セイボの島」La Isla de los Ceibos、バイオリンとオーケストラのための曲「Fantasia」等多数。

*ペドロ・フィガーリ   Pedro Figari

1861年~1938年。ウルグアイの画家、法律家、作家、政治家。モデルニスモの画家で印象派。子供時代の見た地方の習慣について絵画化した。ラテンアメリカの芸術の世界にアイデンティティ革命を起こしたと言われている。ニューヨークのMOMAでも20世紀ラテンアメリカのアーチスト展に展示している。モンテビデオには「フィガーリ美術館がある。また彼の功績を称え、1995年、「フィガーリ賞」が設けられた。

*アルフレド・バスケス・アセベド Alfredo Vásquez Acevedo

1844年~1923年。アルゼンチン生まれでウルグアイに帰化。法律家、政治家。国家行政審議会のメンバー、上院議員、下院議員を務める。3期にわたり、ラ・レプブリカ大学の学長を務める。民法、刑法の著作もある。

*フアナ・デル・イバルブルー Juana del Ibarbourou

1895年~1979年。ウルグアイの詩人でラテンアメリカでもっと人気のある詩人の1人。自然と愛をテーマの作品をつくる。1979年、「ラテンアメリカのフアナ」という称号を受ける。ウルグアイ作家協会の会長も務めた。代表作は、「ダイヤの舌」。 Lenguas de diamantes。ウルグアイで紙幣の顔になった最初の女性。モンテビデオ市のプラド地区には、彼女の名前のついたバラ園(Rosaleda)がある。また2019年に、国会議事堂に隣接する芸術廊下に彼女を描いた壁画がオープンした。

*ダマソ・アントニオ・ララナーガ Damaso Antonio Larranaga

1771年~1845年。ウルグアイの宗教家、建築家、外交官、自然主義者、植物学者。ウルグアイ国立図書館、ウルグアイ国立大学の創設者の一人。外交官としてウルグアイの国家としての誕生のために貢献した。ダマソ・アントニオ・ララニャーガ・ウルグアイ・カトリック大学は彼に因んだものである。

「コスタリカ」

元大統領が4名、政治家1名、作家1名と政治色の強い顔ぶれである。

金額 人名
1000コロン Braulio Carrillo Colina
2000コロン Mauro Fernández de Acuña
5000コロン Alfredo González Flores
10000コロン José Figueres Ferrer
20000コロン Carmen Lyra
50000コロン Ricardo Jiménez Oreamuro

*ブラウリオ・カリージョ・コリーナ Braulio Carrillo Colina

1800年~1845年。コスタリカの弁護士、商人、政治家。1935年から37年までと1838年から42年の2期にわたり大統領を務めた。コスタリカ国家の基盤を固めた人物で、コスタリカ中央渓谷とカリブ海を結ぶ道路網の建設を行い、コーヒーやコスタリカ産品の輸出増に貢献した。サンホセ近郊の中央火山脈にある国立公園は彼の名前をとっている。

*マウロ・フェルナンデス・デ・アクーニャ Mauro Fernández de Acuña

1843年~1905年。コスタリカの弁護士、教授、政治家。教育大臣を経て1904年から05年まで国会議長。教育面で多大なる功績があった。1955年祖国功労者Benemérito de la Patriaに宣言される。

*アルフレド・ゴンサレス・フローレス Alfredo González Flores

1877年~1962年。コスタリカの弁護士、政治家。下院議員を経て1914年から19年まで大統領。国立銀行(現中央銀行)を設立、教師養成のための師範学校の設立、税制面での改革を行った。1954年、祖国功労者に宣言される。

*ホセ・フィゲ―レス・フェレール José María Hipólito Figueres Ferrer

1906年~1990年。コスタリカの政治家。大統領を3期にわたり務める。コスタリカ内戦の勝利者で第二共和国の創始者。大統領在任中に、常備軍の廃止、銀行の国有化、女性及びアフリカ系コスタリカ人に対する選挙権の付与等を行った。またコスタリカ国立大学、コーヒー院、観光局、国歌住宅・都市局、国家生産審議会、国立シンフォニー・オーケストラ等の組織を創設した。

*カルメン・リラ  Carmen Lyra(María Isabel Carvajal Quesada

1888年~1949年。コスタリカの作家、教育者、政治家。本名はMaria Isabel Carvajal Quesadaでカルメン・リラはペンネーム。彼女はコスタリカで最初の女性作家で、コスタリカで最初のモンテソーリ学校の設立者、コスタリカ共産党の共同設立者、最初の女性労働組合の結成者。主要作は、「パンチータ叔母さんの物語」Los cuentos de mi tia Panchita。2016年、祖国功労者に宣言される。

*リカルド・ヒメネス・オレアムーロ Ricardo Jiménez Oreamuro

1859年~1945年。コスタリカの政治家。下院議員、下院議長を経て、3期にわたり大統領を務める。国会議長、最高裁判所長官、大統領という3権の長を務めた最初の人物。地震で大きな被害を受けたカルタゴの再興に尽力した他コスタリカの公共建築、道路、橋梁、下水道の整備、ナショナル・スタジアムの建設、健康省の設立などの業績がある。1942年、祖国功労者に宣言される。