連載エッセイ132:工藤章「刊行14年、『中南米が日本を追い抜く日』を再読~商社マンから協会役員にラテンアメリカ親交の半世紀をベースに~」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ132:工藤章「刊行14年、『中南米が日本を追い抜く日』を再読~商社マンから協会役員にラテンアメリカ親交の半世紀をベースに~」


連載エッセイ 129

刊行14年、『中南米が日本を追い抜く日』を再読
~商社マンから協会役員にラテンアメリカ親交の半世紀をベースに~

執筆者:工藤 章(ラテンアメリカ協会理事)

これは、2021年11月18日に、ラテンアメリカ協会主催のオンライン講演会「ラテンアメリカなるほどトーク」の講演録である。

オンライン講演会「なるほどトーク」ラテンアメリカ協会の工藤です。ただ今、ご紹介頂きましたが、1975年にチリのアタカマ砂漠の小さな街に赴任して以来、通算22年間の駐在を含めてかれこれ53年の間、ラテンアメリカと付き合っています。

本日は、次のようなお話しをさせて頂きます。
1.ホームページに投稿した舞台裏
2.『中南米が日本を追い抜く日』を読み直してみて
3.ラテンアメリカ協会の再建の道のりと今後

「講演会」といった堅苦しい形式とはせずに、ご参加頂いた皆さんが「ああそうなんだ、なるほどね」と知的な驚き、感動、新たな発見のあるトークを目指すのが「ラテンアメリカなるほどトーク・シリーズ」です。今回は、何の目新しい発見もないつまらない話になりかねない恐れがありますが、予めご了解下さい。

1.ホームページに投稿した舞台裏

まず、こうして皆様の前に登場しているのは、生来のそそっかしく頼まれると断れない性格によるものと思います。2018年後半に、協会ホームページに新たに投稿欄を設けてエッセイやレポートを寄稿して頂き、協会活動を多くの方々に知っていただく戦略を協会が打ち立てた際に、図らずもトップ・バッターとして、2018年12月20日に『中南米が日本を追い抜く日』というタイトルのエッセイを投稿しました。内容は2008年6月に朝日新聞出版の「朝日新書」が『中南米が日本を追い抜く日』を出版した経緯を振り返ったものです。この投稿欄に多くの方が非常に興味のある寄稿をしていただいたので、会員数の増加を狙って寄稿された方々にそれぞれのテーマについて30~40分ほど話して頂くことになりました。

この企画が本年4月から始まった時に、何れ、その番が回ってくると覚悟しました。そこで、「2008年出版、あれから13年」と言ったタイトルで話をしようと決めたのですが、全くもって浅はかでした。本を今一度読んでみると、13年間の動きを改めてお話しても全く面白みがないことに気づきました。そこで、本件の推進者・桜井悌司常務理事や堀坂副会長に丁重に(そのつもりですが)登壇をお断り申し上げました。しかしながら、これまでの経験を語れば済むことで気張らなくても良いとのことでしたので、結局、頼まれると断れない性格が災いして皆様の前にこうして顔を出しています。

2.『中南米が日本を追い抜く日』出版の舞台裏

2018年12月20日付の連載エッセイNo.1『中南米が日本を追い抜く日』を簡単に振り返ってみます。このタイトルの『中南米が日本を追い抜く日』は、朝日新聞出版から2008年6月13日に発行された新書の書名です。読者の目を引くように出来る限り表現を過激にしようとの出版社の意図により、このタイトルが付けられました。

出版から4年後の2012年、ラテンアメリカ地域のGDPが本当に日本を追い抜いたので執筆に加わった筆者をはじめ関係者一同でほっとしたものです。

この本の出版に到る経緯をたどると、そもそも発端は、社内で散見されたラテンアメリカへの無関心と理解不足に依るものです。長年鬱積していたこの不満を社内でボヤキ続けていたところ、役員からのアドバイスもあり、メディアから発信されない現地の生情報をA4サイズ一枚にまとめ、「ノティシア・ラティナ」と名づけて2005年2月7日から毎週社内で発行することにしました。3年ほど経過すると、一冊の本にして世に出すことが出来るのではないかと思うに至りました。

それは、入社してまもなく読んだ『時差は金なり-内側から見た総合商社』(三菱商事広報室著)を思い浮かべていたからです。その本は、1977年にサイマル出版会から出版されて、商社マンの仕事ぶりがリアルに綴られていることもあり、40万部も売れた本です。そこで、さらにラテンアメリカ地域駐在関係者に協力を仰ぎ、各国の魅力を伝える章とビジネスチャンスのレポートの章に整理し、三菱商事からの報告として原稿を日本経済新聞社に持ち込みましたが、「売れる見込み全くなし」として取り上げられませんでした。ここで諦めずに、ダメ元で朝日新聞社に打診したところ、ラッキーなことに発刊を始めたばかりでネタ集めに奔走されていた同社の『朝日新書』で取り上げてもよい、但し、受け取った原稿は社内の報告書のようなものなので、このままでは売れない、とダメ押しされました。

「プロジェクト X」のようなスタイルに書き直すこととの条件が付けられました。「上司を空港に送って行った」といった表現ではだめで、「搭乗口から機内に消えていく上司の後姿に、思わず涙が零れ落ちた」というような活き活きとした文章に書き改めるようにというわけです。ルポ風の表現に書き変えるこの作業は、社内の報告とは全く違うタッチに変えるという未経験なことで皆が大変苦労しました。

いよいよ出版という最終段階で問題が生じました。それは、この企画を止めろとの横槍が社内トップから入りました。コンプライアンスが厳しい中で、何もリスクを負ってまで出版しなくても良いのではないかという意見で、どうしても中止できないなら社名を消して「某社」と記載しろというものでした。これについては、朝日新聞社から「某社」のレポートでは迫力が全く無く、この話はなかったことにするとの回答があり、朝日新聞社と三菱商事の間に入って何度か議論した末に、朝日新聞社サンパウロ支局長の石田博士特派員が三菱商事の社員から聞いた話をまとめたとの体裁をとることで決着がついたしだいです。結局、『中南米が日本を追い抜く日~三菱商事駐在員の目~』(構成:石田博士)の体裁で日の目を得ることが出来ました。

書籍には、表紙に「帯」と「そで」がありますが、見直して見るとほとんどが、今でも通用すると思います。

帯(表):水と緑と希望の大地
高度経済成長、民主化のパワー、エネルギー・食料・資源のエル・ドラード!

帯(裏):あなたに意外と身近な中南米の素顔!
ブラジル 温暖化対策で日本の商社がサトウキビ畑に結集!
コロンビア 輸入カーネーションの8割はこの国から
アルゼンチン アンデスの高級レモンはなぜ日本の食卓に乗らない?
ベネズエラ 実は貿易相手国NO.1(再び、その様な時が来るのを心待ちにしています。)
チリ ワインだけじゃない、コンビニのシャケ弁当の原料地は!?

そで:世界の真水の20%があるという大森林。
安全でおいしい牛肉や鶏肉。
埋蔵量「世界一」の石油とバイオエタノール
動乱期をくぐり抜け、高度成長の波に乗り、「2万%」のハイパーインフレを克服。
「世界の台所」の座をうかがう。
BRICsの「B」、VISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)の「A」。
世界中の投資家が熱視線を注ぐ中南米が、日本経済を追い抜く日も近い・・・・!?
商社マンたちが見た、いま最も熱い大陸の最前線!

これらのキャッチフレーズは、これからもラテンアメリカ紹介に使ってみようと思います。今、振り返ってみると、「親日的」、「日系人」が抜けていますが。

3.『中南米が日本を追い抜く日』を読み直してみて

(1)先ず、読み直してみて、編者の石田さんと執筆に協力して頂いた10人の同僚の協力に今一度感謝したいと思いました。13年を経てデータなど変える必要はありますが、今でも活用できるレポートと思います。2020年の新型コロナウイルス感染症の世界的な流行の影響については後述しますが、時代の流れで大きな変化があった点や関連するエピソードを加えて新たな動きについて説明いたします。

第1章~第7章

第1章 世界の食料庫<ブラジル、チリ、アルゼンチン、パナマ>

この章では、ブラジルの大豆・鶏肉・コーヒー、チリのワイン・養殖サーモン、アルゼンチンの小麦・大豆・牛肉が取り上げられていますが、世界の食糧庫としての存在は今も変わっていません。
農産物の供給基地としてパナマ運河の果たす役割も記述され、運河拡幅の入札についても触れられています。日本勢の受注は叶わずスペイン勢が超安値で受注しました(結局、追加費用の発生で日本勢が提示した金額と変わりなかったのがオチでした)。2014年5月31日に竣工し、2016年6月26日に完成式典を行い運用が開始されました。現在、通行量は2015年から2020年まで40%増加しています。運河の輸送量は世界経済の動向をモロに受けるので、経済の実態を知る参考指標になります。

第2章 資源・エネルギーの宝庫<チリ、ブラジル、アルゼンチン>

中南米の地下資源、ブラジルのバイオエタノール、アルゼンチンの水素製造などについて記述されていますが、現在、最も議論されている二酸化炭素排出や第2次エネルギー革命についても触れられています。改訂版を出すことになれば、COP26にかかわる中南米の動きについて触れたいと思います。

本日この機会に、私が注目し続けている活動を紹介させてください。それは、ブラジル・アマゾン地方のパラ州ベレン首都圏に本部を持つ、2001年1月に立ち上げられたNGO組織Asflora(Institudo Amigos da Floresta Amazonica)(アマゾン森林の友協会)です。

ブラジル永大と三菱商事が1991年に、「熱帯雨林再生プロジェクト」を推進されていた故・宮脇昭教授を招待し、翌年1992年から宮脇方式の植林が始まりました。この活動を引き継ぎ植林活動と共に現地の若者を対象にした環境教育を続けているのが佐藤卓司(たくじ)氏です。2000年初期に幾度か現地を訪問し環境保全の活動を目の当たりにして、その地に根を下ろした活動に感服しました。佐藤氏から時折々メール添付で送られてくる『Asflora便り』を通じ、同氏と交信を続けています。アマゾンの環境保全は、世界の関心事でありますが、このような地道な行動の積み重ねが重要と思います。是非、このNGOの活動をホームページやフェースブックで知っていただき、応援頂ければ有り難いです。(http://asflora.org/)(https://www.facebook.com/InstitutoAsflora/)

第3章 石油とナショナリズム<ベネズエラ、キューバ>

この本では、チャベス政権下で石油・天然ガスの開発に夢を馳せる、ポスト・カストロのビジネス宝庫、と言う内容になっています。ベネズエラについては、その後13年経って国情がすっかり悪くなってしまいました。キューバについては、2015年5月、アメリカの元大統領オバマによってテロ支援国家指定が解除され、7月にはアメリカとの国交が回復されましたが、2017年にトランプ大統領が就任するとキューバには支援を一切行わない方針が出され、両国の関係が再び悪化した点は皆さまご承知のとおりです。2021年4月には8回目のキューバ共産党大会でラウル・カストロ氏が第一書記を退任し、ミゲル・ディアス・カネル国家評議会議長に政権が委ねられ、その一方で米国にジョー・バイデン氏が大統領に就任しました。同氏はオバマ元大統領の外交政治を踏襲する方針なので、トランプ大統領時代よりは両国の関係が良くなると期待されます。キューバについては、13年前に抱いていた夢が一歩前進することへの期待が残っています。ベネズエラについては引き続き静観せざるを得ない状況となっています。興味深いのは、ベネズエラ政府には「外資外しで国有化する」動きが今はなく、むしろ逆で「制裁逃れでどんどん民営化している」状況です。勿論、西側企業は参入に二の足を踏んでいるのですが、トルコ系、イラン系、ロシア系企業の新規参入が見られるようです。日本企業が進出できる環境に早く戻ることを切望します。

ここで、再び横道にそれますが、ベネズエラは先の東京オリンピックで4個のメダル(陸上、ウエイトリフティング、自転車)を獲得し、女子三段跳びで25歳のロハスさんが世界新記録で優勝しました。リオデジャネイロ五輪では銀メダル、今回はベネズエラ女子としては五輪初の金メダルという快挙を成し遂げました。これには少々驚き、ロハスさんについて調べてみたところ、あのメッシが所属していたFCバルセロナの総合スポーツクラブの陸上チーム所属でマドリッドに住んでいると言うことで、腑に落ちたしだいです。

第4章 新自由主義の実験場<チリ>

本書では、南米の優等生と言われるチリでのビジネスについてレポートしましたが、私にとっても予期せぬ展開が起きています。ピノチェト軍政下で制定された1980年憲法の書き換えです。2019 年 10 月に公共交通機関の運賃引き上げ抗議のデモが暴動化したなかで、民意を十分に反映した形で新憲法を新たに起草すべきだとの国民の要求が受け入れられ、新憲法制定の是非を問う国民投票が 2020年10月25日に実施されました。その結果は、現行憲法を全面改訂し新憲法を制定すべしとする賛成派が、当初の世論調査を大幅に上回る票を得て圧勝し、2021年4月に制憲議会議員が選出され、草案の賛否を問う国民投票が2022 年7月に行われる予定となりました。制憲議会議員には公職経験のない左派寄りの無党派層出身者が多く、単独で拒否権を有する勢力がないこともあって、新憲法起草までに紆余曲折があるとみられ、今後の成り行きが注視されます。チリが中南米の優等生であり続けることを切に望む気持ちには変わりがありません。

個人的な話ですが、2度の駐在先のチリには思い入れがあります。細野・桑山先生に加わり執筆した『チリを知るための60章』が2019年7月15日に明石書房から出版され、同書をベースにスペイン語で編集された “Chile desde la mirada japonesa”(日本から見たチリ)が来月12月にチリ製造業振興協会(SOFOFA)から出版されることになっております。第二の故郷であるこの国への恩返しが出来たと嬉しく思っています。

第5章 先住民のうねり<ボリビア>

EV時代を迎え脚光を浴びているリチウムを含む豊富な鉱物資源ついても記述しています。この中で触れられていますが、2007年3月にモラレス元大統領が訪日にした際のエピソードが今でも忘れられません。大統領専用機と言った高価なものを持ち合わせないボリビアは、反米同盟国のベネズエラから11人乗りの小型機を借りて、アメリカを経由しないルート、すなわちブラジル、イタリア、旧ソ連邦諸国で給油を繰り返して、東京にたどり着くという難航でした。先住民、インディオ出身の大統領を天皇陛下が会見・宮中午餐でお迎えとなり、政府が心からの歓迎の場を準備したことで、同大統領はすっかり日本ひいきになりました。その流れを受け継ぐルイス・アルセ大統領が2020年11月に就任しました。政治混乱が続いてきたこの国が政治的に安定することを望みます。

第6章 テロとの戦い<コロンビア、ペルー>

コロンビアについては、平和が訪れる日は間もなく訪れるということで、同国のポテンシャルに期待してビジネスを進める、ペルーについては、ガルシア大統領の積極的な施策による鉱業に加え農水産物のビジネスに期待するという、ともにポジティブな記述がされています。13年後の今、両国ともいささか不安定な政治状況下にあります。

特に、ペルーでは大きな動きがあります。2021年6月6日に大統領決選が行われ、急進左派のペドロ・カスティジョ氏(51)が得票率50.2%、フジモリ元大統領の長女、ケイコ・フジモリ氏(46)が49.8%、得票差は約5万票で、カスティジョ氏が政権を担うことになりました。最近までほとんど知られていなかった急進左翼的な教員組合のリーダーの同氏の舵取り次第では混乱が起きる恐れさえあるのが心配です。

第7章 知られざる先端産業<ブラジル>

エンブラエル、オンライン・バンキング、ITサービス等に加え、独自のITサービス企業立ち上げたブラジルでの苦心談が語られています。この世界の進歩は早く、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック以降にブラジルを含む中南米のIT化は急速に進んでおり、分野によっては日本を追い越す変貌を遂げています。中銀主導の即時決済システム「ピックス」(PIX)の運用が開始されたと言ったニュースが入ってきています。

(2)新型コロナウイルス

『中南米が日本を追い抜く日』を出版してから11年後に、世界が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に見舞われました。世界人口の8%を占めるラテンアメリカが感染者数も死亡者数も3割を占める事態になっています。この思わぬ災害が、貧富の格差、社会格差(医療、デジタル、教育など)、雇用困難等の従来からある問題を一段と顕著にしました。政治・社会混乱と経済成長の悪化により各国とも今後の成り行きが不透明になっています。13年前には思いも及ばぬ不安が募ります。

(3)中国

本書では中国のことが殆ど触られていません。不思議ですが、その当時、現場にいた著者達は肌感覚で中国の存在を感じていなかったのかも知れません。中国とラテンアメリカの関係が深まったのは、2001年12月11日、中国が143番目の加盟国としてWTOに加盟し、それが発効後に同国の高度経済成長が始まった時期と重なります。2004年は、ブラジル・ルラ大統領が大型経済ミッションを同行して訪中し、ブラジルで中国ブームが始まった年であり、私もそのミッションに同行しました。今や、中国の「一帯一路」戦略は中南米をも呑み込んでいます。

ラテンアメリカの中国との貿易量は2008年から2020年に2倍になっています。政治面では、国交のなかったパナマが、それまでの友好相手の台湾と2017年に断交し中国と国交樹立したのには吃驚いたしました。現在、台湾と国交をキープしているのは中南米では5カ国のみになっています。また、中国社会科学院(CASS)、天津の南海大学などの大学がラテンアメリカ地域を研究していますが、2010年以来、一連の中国政府のラテンアメリカに関わる政策はこれらのシンクタンクの研究成果によるものと言われています。中国は現在、ラテンアメリカに焦点を当てたシンクタンクを60(2018年:IAD情報を参照)近く有しています。専任スタッフを抱えているCASSラテンアメリカ研究所(ILAS)は数十人の研究者を擁しています。更に文化・教育面でも孔子学院が22カ国に進出しています。これらの詳しい情報は、協会ホームページの研究所・投稿レポート(桑山氏、桜井悌司氏、他)を是非ご参照下さい。このような環境下で日本がどのようにラテンアメリカとの関係を強化するかは、量より質との戦略になると思いますが、その成り行きを注視したいと思います。

3.ラテンアメリカ協会再建への道のりと今後

(1)2012年までの協会

ラテンアメリカ協会は1958年(昭和33年)6月14日に藤山愛一郎外務大臣、政界・財界代表者96人が参集して協会設立発起人会(写真:外務省提供)が開催されました。この年の7月1日に吉田茂首相を名誉会長に、足立正日本商工会議所第12代会頭を会長として発足しています。設立の趣意には「わが国の対ラテンアメリカ外交、貿易および企業の協力、文化の交流、ならびに移住に関し飛躍的にこれを強化促進する」と謳っており、積極的な活動が始まったようです。

1970年(昭和45年)7月に足立正会長辞任後は、歴代の日本商工会議所会頭が就任し、山口信夫会長(日本商工会議所第17代会頭)が2004年(平成16年)6月退任されるまでこの体制が続きました。『ラテンアメリカ時報』(高崎通商大臣:経済協力、エクアドル独立記念日、ラテンアメリカに対するソ連圏の経済協力、ウジミナス紹介)、『中南米諸国便覧』などのレポート提供、講演会開催などで、日本とラテンアメリカとの関係強化に大いに寄与しましたが、政府施策により2005年(平成17年)年度末に政府補助金が打ち切られ、協会存続の危機を迎えました。しかしながら、2006年(平成18年)4月18日の協会理事会・総会にて、協会は解散せずに新しい体制の下で再出発することとなり、ウエブサイトと新装発行された『ラテンアメリカ時報』の発行による小規模な活動が継続されました。そして、法令に則り2013年4月1日には「公益社団法人ラテンアメリカ協会」から「一般社団法人ラテンアメリカ協会」に移行されました。

(2) 2012年以降の協会

2011年のことです。協会の財政が極端に逼迫し解散の話さえ上るようになった時のことです。学界や経済界の一部、さらには外務省の中からも「このまま解散してしまえば二度と創設できない」といった協会を惜しむ声が上がり、当時、経団連の中南米地域委員会委員長の任におられた佐々木幹夫三菱商事相談役にサポートをお願いしようとの話になりました。その過程で、同社の上級顧問としてラテンアメリカ・ビジネスのフォローを担当しておりました関係から、当時協会の会長であった元筑波大学教授でエルサルバドル大使を務められた、ラテンアメリカに造詣の深い細野昭雄会長から、小生に取次協力の要請がありました。

ここでも、「生来のそそっかしく頼まれると断れない」小生の性格が災いしました。佐々木相談役に相談したところ、協会の存続はわが国にとって必要との判断ではあるが、再建策を見てみないと結論は出せないとの極めて厳しい返事でした。それからが大変でした。細野会長と堀坂常務理事(当時)を中心に協会幹部が再建策を練って提示したものの、こんな案では再建できるはずないと却下されます。どうすればよいのか皆さんで悩んだ挙句の末、佐々木相談役が協会会長に就任し、当初3年ほどそれなりのまとまった資金を援助として会費の形で三菱商事から拠出してもらう案が提出されました。苦肉の策でしたが、その案が社内で決済されたのは、2012年の早春、まさに協会の手持ち残高が数十万円という存続ぎりぎりの段階でした。

その再建案の中の条件の一つとして、佐々木相談役から事務局長を三菱商事から出すことが付帯されました。2012年3月に上級顧問の職が解かれ晴れて自由の身になる小生でしたが、その役が回ってくるのは当然の成り行きだったのかもしれません。これが大きな間違いだったのは、早くも2012年6月の総会が終わって気付かされました。しっかりした体制で経営されている大企業の仕事から、全て手作りの零細小規模団体の運営に携わるのですから経験不足もあり大変苦労しました。長い期間、ボランティアで協会を支えられてきた役員の方々と、アルバイト事務員の強力なバックアップを得て、とにもかくにも自立の目途が立ったのは2年後でした。

サバイバルのために2012年から13年にかけて実行した改革の中でも今でも記憶に残っている事項、これは未だに協会活動のネックになっていますが、それらを説明したいと思います。先ず当時は資金難から間借りをしていた日本ブラジル中央協会を離れて自前の事務所を持つことから始めました。ブラジル中央協会には家賃収入減という迷惑をかけましたが、苦心の末に、三菱地所の協力を得て2012年5月、外務省にも近い日比谷国際ビル内に居を構えることができました。10年経って、自前の会議室もない一部屋の手狭な状況では、何をやるにも費用を払って会議室を借りなければならず、適当な新たな物件を探さざるを得ないのが現状です。

次に、役員体制に手が加えられました。32人いた理事を13人に減らし活性化を図りました。多くの方に辞めていただいたのですが、ラテンアメリカに思い入れの多い方ばかりなので、外務省に直訴される方さえ居られました。協会役員の若返りは今後も課題です。昨年度、ビジネス界から2名50代の方に理事として入って頂きましたが、17名の理事のうち7名が75歳以上、2013年一般社団法人化したころから献身的に貢献されて来られた方々です。今後、協会が皆さんにとって魅力的で持続可能な活動を続けるためにも、新たな人材を常に探し続けています。

また、言わずもがなですが、協会の経営はほぼ会員からの会費収入のサポートで成り立っています。ラテンアメリカで活躍されている非会員法人を個々に訪問し、トップから前向きに検討してみるとの色よい返事を頂いても、暫くすると担当事務局(特に財務部門)からビジネス拡大に直接関与しない支出は極力抑える会社の方針を理由に断られるケースが多く、協会の立ち位置の難しさを認識して来ました。2017年に会員数が418になりましたが、2021年度は376となって減少傾向にあります。皆さん、是非ともお付き合いの方々に会員になるよう働きかけをお願いいたします。今回の「なるほどトーク・シリーズ」の企画で初めて協会活動に触れた方々もおられると思います。是非、入会をご検討下さい。

前述のように2012年初めに資金が底をつくところでしたが、皆様のご協力により、ここの処、年度ごとの浮き沈みはありますがまずまずの資金繰りとなっています。いずれにせよ、会員数が減少すれば収支悪化に直結するので、会員の増強は最重要課題です。

以上、会員数・会費の御託を並べましたが、協会がそもそも多くの方々に必要であり魅力のないものでは発展しようがありません。財政難の中でも維持してきたホームページ、年4回発行している『ラテンアメリカ時報』(桜井敏浩編集長のご尽力により質の高い情報誌として高く評価されています)、週に1度のメルマガ配信を充実させることに加え、多くの方に注目していただける講演会などの会合を数多く開催することに努めてきました。2011年度は講演会2回でしたが、翌12年度には後援を含み講演会8回、ラウンドテーブル 1回、懇親会 2回を開催しました。その後、大使、企業、学者など多数の方のサポートを得て多くの講演会(現在はZOOM)を催していますが、記憶に残っている講演会は数多くあります。中でも、2014年4月10日実施の「中米・カリブの駐日女性3大使が語る―発展の現状と女性の役割」とのタイトルの講演会は、その一つです。ホンジュラス、エルサルバドル、ハイチの女性大使をお招きし女性の社会進出について話していただきました。

3人のラテンアメリカ・カリブの女性が集まって講演され意見交換するとなると話題があちこちに飛び、持ち時間が無視されるなど収拾が付かなくなるのではないかと心配しましたが、それは危惧に終わりました。日本のジェンダー格差について、その当時、外務省の中南米局長であられた山田彰前駐ブラジル大使による最後のコメントで締め括られ、大変刺激に満ち溢れた講演会となりました。これからも、講演会のみならず情報交換の場を増やしたく、皆様の提案や要望をお聞かせ下さい。

更に、外務省からの提案により横の情報を共有すべく「ラテンアメリカ関連団体連絡会議」を設置し、外務省・IDB(米州開発銀行)アジア事務所・二国間団体・協会が定期的に情報交換し去る9月に第35回例会(第1回は2013年7月)を行いました。2012年9月からは、ラテンアメリカ各国の駐日大使が組織しているGRULACと外務省が開催している会議に協会役員が招かれ話す機会も得ています。また、駐日大使、日本政府関係者と協会法人会員代表による新春懇談会(名刺交換会)を2013年2月20日から毎年開催てきました。コロナ禍により中断していますが、駐日大使に高く評価されるイベントとなっています。

(3)シンクタンクとしての機能

協会は日本とラテンアメリカとの間の相互理解の増進と様々な分野での協力関係の発展に寄与することを目指していますが、ラテンアメリカに関わる日本のインテリジェンス機能を持つことも合わせて目指しています。2013年6月開催の協会総会での決議にもとづき「ラテンアメリカ・カリブ研究所」が設置され、堀坂所長を中心に運営されています。以下はホームページに記載されています研究所の目指すところです。

「協会の前身である特例民法法人ラテン・アメリカ協会は、第二次世界大戦後、わが国のラテンアメリカ研究および若手研究者養成の重要な一翼を担ってきました。ラテンアメリカ地域との関係緊密化の過程で数々の研究成果を挙げ、その出版物は広く社会で共用されてきたところです。しかし1990年代以降になりますと、経済環境の変化に伴い政府資金の支援が無くなったこともあり、研究機能は縮小せざるを得ませんでした。今世紀に入りラテンアメリカとの関係が活発化される中で、研究機能と若手研究者養成の機能を復活させたいとの希望が会員より寄せられ衆議の一致をみたもので、当面はIT環境を活かしながら、ヴァーチャル研究所の形で活動することになりました。研究所の研究活動としては、アカデミックな分析手法や成果を活用しますが、学術的な研究よりも実態分析に力点をおいて行きたいと考えております。」

以上が研究所設立の意図とするところですが、独自の研究成果を発表するにはなお相当の時間と人員、そして場所等のインフラを要すると思われますが、ホームページをご参照いただければ、かなりの数の研究レポートを発表していることを見ていただけます。皆様からのご支援(研究員としての参加、レポート提供など)をお願いします。

この研究所活動の一環として、官学産横断的な情報交換・意見交換する場として「大来記念ラテンアメリカ・カリブ政策フォーラム」を設けています。わが国を代表するエコノミストで、かつその後外相を務められた大来佐武郎先生を団長とするアルゼンチン開発調査が発端となり、同国にオオキタ財団がつくられ、その日本評議会が2004年来、隔月で実施してきた勉強会「日本メルコスール・フォーラム」を、17年3月、第70回の例会をもって終了したことに伴い、当協会が継承し実施しているものです。シンクタンク機能の一環となっています。

更に、活動を国内に限定せずに国際化を図る努力を進めています。2012年以降、海外のシンクタンクとの関係作りを模索し始めました。2014年後半のことですが、ラテンアメリカに特化した米ワシントンDCのシンクタンク「インターアメリカン・ダイアログ」(IAD)から、近年、中国の活動がワシントンでもめざましいものがあるが、それに比べて日本の存在が極めて薄くなっているとの声を聴取し、外務省小林麻紀中米・カリブ課長(現在、中南米局長)に相談したところ、全く同じ問題認識を持っているとのことでした。そこで、IADと協働のイベントを立ち上げることを検討開始した結果、外務省からの資金協力を受け、2015年9月16~17日の2日間、共催セミナー「Japan-Latin America Relations: Then and Now」(「日本・ラテンアメリカ関係:過去と現在」)が実現しました。

このイベントの成功を受け、その後も毎年、ワシントン、東京、ラテンアメリカの1か国と場所を移して開催されることになり、これまでメキシコおよびブラジルと共催で国際セミナーを実施しています。来月12月16日には、第6回セミナー(ヴァーチャル)が開催される運びになっています。更に、ラテンアメリカ統合連合(ALADI)・ラテンアメリカ-アジア太平洋オブザーバトリー研究所などとのラテンアメリカにあるアジア研究に携わるシンクタンクとの協業も模索しています。

以上の活動には皆様のご支援が更に必要になりますので、是非ともお力添えを頂きたくお願い致します。

終わりに

このオンライン講演会の前半は、出版をトピックにラテンアメリカへの思いと期待をお話しさせていただきました。ここにお集まりの方々は、ラテンアメリカに関わりのある方々が多数と思いますが、是非ともその情熱を深めていただき多くの方々に伝承して下さい。親日的で多くの日系人もおられる重要なパートナーであるにも拘らず、まだまだ日本のラテンアメリカへの関心は少ない、あるいは減っている、と思いますので御一緒に活動致しましょう。

後半にお話しさせていただきました協会については、さらなる発展を図っていましたが、2020年当初からコロナ禍の中で活動が極端に制限されました。協会内(佐々木修・専務理事、峯苫彰悟・事務局長、他)だけでなく、ラテンアメリカとの関係の維持・強化に懸ける全ての関係者のご尽力で、オンラインでの講演会・打ち合わせなどで活動を維持してきていますが、やはり皆さんとの直接の対面の場は更なるヒューマン・ネットワークの構築、拡大の意味からも非常に重要です。ニュー・ノーマルの下、取り入れるべき方策は取り入れつつ、2019年以前の環境を早く取り戻したいと願っています。

繰り返しになりますが、日本とラテンアメリカとの間の相互理解の増進と様々な分野での協力関係の発展に寄与することを目指し、日本におけるラテンアメリカに関わるシンクタンクに成長するべく挑戦を続けていますので、

*会員紹介
*協会活動サポート(意見・要望のご連絡、広告、講演会・セミナー参加、など)
*投稿(例えば、旅行・出張されたときの経験など)

など、協会へのご理解とご支援を引き続きよろしくお願い申し上げます。特に、これからの世界発展に寄与される若い方々の参加をお待ちします。なお、この「なるほどトーク」シリーズは本日をもって第1弾を終わりとし、来年に再開する予定ですので、ご支援をお願いいたします。

皆様、長時間にわたりご清聴頂き有難うございました。

以上