執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
ブラジル雑感その4では、ブラジルの諺について紹介する。
留学時代に主として、多くの諺を学びノートに書き留めたものだが、今では忘れたものも少なくない。諺辞典もあるにはあるが、いざ肝心の会話の中で活かそうとなればそうはいかない。土台、頭に浮かび上がってこないのである。暇にまかせて、今後機会あるごとにブラジルの諺を取り上げ、日本のそれとの対比において考えてみたい。今回の諺は次の通り。
Quem cabras não tem e cabritos vende, de algum lugar lhe vem
直訳すると、「雌山羊を持たない人は、何処からか子山羊が現れる」となる。
この意味することがお分かりでしょうか。雌山羊の存在なくして子山羊が生まれることはない。子山羊を売るのには、何処からかかっぱらったり掠めたりするしかない。要は、脱税 (sonegação de imposto) や汚職 (corrupção) などで財を築く人を指す。日本にもこれと似た、「撒かぬ種は生えぬ」という諺がある。
Quem não tem cão (= cachorro) , caça com gato
「犬がいない者は猫で狩りをする」
上記の意味であるが、やはりその真意を理解するのは容易ではない。つまり、ある物で間に合わせる、ということ。この諺は頻出度が高いので、ぜひともaprender de cor (= memorizar:暗記する) されたらいかがでしょうか。
Houaissなどの定評ある辞典に依拠すると、諺も社会的・道徳的規範に言及した、人生の真実や機微を説いた格言もしくは金言、箴言、警句などと同じように扱われている。従って、格言、箴言、警句を諺と同じ理解で、今後は紹介したい。今回の諺は、
Ver para crer 「見ることは信じること」
つまり、「百聞は一見にしかず」という諺である。『菊と刀』の著者で机上の学問で成功を収めたルース・ベネディクトの例はあるものの、やはり外国の地域研究を推進するのには、現地でフィールド調査を実践するのが鉄則である。しかしながら、現地に足を踏み込まず文献のみの知見で成果を発表する研究者も中にはいる。そうした輩の研究を私はあまり信用しない。やはり、現地を実際に自分の目で確証もしくは実証する必要があるのではないだろうか。幸い私の場合は、留学も含めて50回、ブラジルの津々浦々を訪ねている。『砂糖園の子』(“Menino de Engenho”)、『カカオ』(“Cacau”)、『イラセマ』(“Iracema”) を訳する過程で、現地の赤裸々な現実 (realidade nua e crua) や事情を認識していたことで作品の背景も分かり、どれだけ訳出する上で役に立ったことか。まさしくVer para crerの重要性を痛感している。
ついでながら、crerもverも名詞的機能を持った不定詞 [infinitivo] である。ブラジルのフルミネンセ大学の図書館で、ウファニズモ (国家宣揚:ufanismo) の典型的な作品「流離の歌」(‘Canção do Exílio’) を残したゴンサルヴェス・ディアスに触れた。そして、次のようなインディアニスタ (インディオを主題としたもの:indianismo) 詩もあることを知り、以下のその劈頭の一節にいたく感動したものである。
Não chores, meu filho. Viver é lutar.
泣くんじゃない、我が子よ。生きることは闘いである。
私の壮年期以降の人生もやはり、人生が闘いであることを再認識しながら、厳しい中にも人に頼らず自立の精神で生き抜く覚悟の日々を送っています。
Pimenta no olho dos outros é refresca
他人の目の中の (目の中に入った) 胡椒は清涼剤
この諺は何を指すのだろうか。つまり、他人のことは自分にとっては痛くも痒くない、ということ。これは「隣りの貧乏は鴨の味」という日本の諺に相当するかもしれない。なお後日、K様に同義の諺「人の不幸は蜜の味」を付加して頂いた。
人の一生は山あり谷ありで、幸不幸の繰り返しのようにも思える。人生の浮き沈みをポルトガル語ではas vicissitudes (os altos e baixos) da vidaと言うが、これまでの自分の人生を振り返ってみても、まさにそうだった。幸福の絶頂にあるかのような時期があったかと思えば、ある時は、最愛の母や姉を喪い悲嘆のどん底にある自分があったものだ。どちらかと言えば楽観的な性格の私であったから、次から次へと押し寄せる波さながらに生起し襲いかかる不幸に対しても乗り越えることができたのであろう。目下、糾える縄の如き禍福の、波乱万丈にも似た自分史を書いているところである。さて、今回の諺は次の通り。
Após a pena vem o prazer e após o prazer vem a pena
「禍福は糾える縄の如し」
心痛の後には喜びが、喜びの後には心痛が来る、と表現している。日本の諺を文字どおり訳せば、A felicidade e a infelicidade são como se fossem fios entrelaçados da corda.となろう。人生は要するに、幸せだけではないし、不幸せだけではないのである。ツイてないと自分の人生を悲嘆している人。幸せがやって来ることを信じて頂きたい。生きることは闘い (Viver é lutar) であり、幸も不幸もあるという峻厳な事実を踏まえながらも、互いに生き抜いて行きましょう!
Deus dá nozes a quem não tem dentes
この諺を直訳すれば、「齒のない人に神はクルミを与える」、ということになる。
何となく推理できそうな感じがするが、意外やその諺の本当の意味するところは別にある。引用されるケースは例えば、お金持ちが自らの財や富を利用できないときや、機能しない老人が若い妻を娶ったりする時など。日本の諺にある「宝の持ち腐れ」[o tesouro inútil] と「月雪花は一度に眺められぬ」[não dá para contempolar lua, neve e flor ao mesmo tempo] を合わせたような諺である。
Pau que nasce torto, não tem jeito, morre torto.
曲がって生える木は(矯正の) 仕様がない、曲がったままで朽ちる。
意味するのはそんなところである。生まれつきのものは変えようがない、不可能である、といったケースに用いられる。そう言えば、この諺とは対極にある英語の諺を思い出した。確か「木は若い時に曲げよ」(Bend the tree while it is young.) ではなかったか。日本にも、ポルトガルの諺に似たものがある。本州中部以西に自生するムクロジ科の落葉高木で、その種子は黒い。そのムクロジを形容した「ムクロジは3年磨いても黒い」や、「上智と下愚 (かぐ) とは移らず」がそうである。
二番目の諺は論語由来のものらしい。最下の愚者はどんな境遇にあっても向上しないが、最上の知者は境遇が悪くとも堕落しないことを言っている。生まれつき根性が曲がって性格の良くない自分であれ、せめてあの世に行くときまでには矯正してまともな人間になりたい、と多くの人が願っているはずだ。
「船頭多くして船山に登る」は、直訳すれば、Barco de muitos barqueiros (mestres) sobe à montanha.というところだろう。指図する人が多くて、かえって混乱を引き起こして統一がとれずに、物事が思っていたこととは違った、予期せぬ方向に進むことのたとえとして用いられる。同じ意味のポルトガル語の諺では、船頭ではなく料理人で形容される。
Muitos cozinheiros estragam o guisado
「料理人多くしてシチューを台無しにする」
たしかに複数の料理人が自分の思い思いに調理したとしたら、不味いことこの上ないだろう。政治の世界においても、自分こそが領袖との思いで各自があれこれ出しゃばって指図するような状況では、まとめることは容易ではない。「鶴の一声」(a voz da autoridade) が必要な時もある。
[補記]
この諺と同義のポルトガル語の諺を他に思い出したので、補記する。
Panela que muitos mexem, ou sai crua ou sai queimada
「多くの人がかき混ぜる鍋は、生煮えか焦げ付くことになる」
体力的に若く、頭が柔軟なときにこそ身体を鍛えたり、知識や技術を身につけたりすべきで、年老いてからの実践はなかなか無理である。こうした教えを、私たちは「鉄は熱いうちに打て」、「木は若いうちに曲げよ」、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」といった諺を通じて知っている。この種の意味をもった諺はポルトガル語ではどのように表現されているのであろうか。下記のがそうである。
Malhar o ferro enquanto está quente
(= A ferro quente malhar de repente)
「鉄は熱いうちに打て」以外にも、次のような諺がある。
Papagaio velho não aprende a falar
老いたオウムは話すことができない。
年をとってからでは習得が難しいことを暗に諭しているのである。しかしながら世の中には、高齢にもかかわらず、たとえば勤勉を重ねて博士号を取得しているような人もいる。この点において、年は関係ないとも言える。高齢者の私もそうした思いで、若い時にかじったロシア語の習得に再挑戦しているところである。
「待てば海路の日和あり」という諺がある。辛抱強く待っていれば、波穏やかで静かな日和が到来することを意味する。「石の上にも三年」もほぼ同じ意味に解釈できるだろう。前者の諺はポルトガル語で言えば、
Depois da tempestade vem a bonança.
つまり、「嵐の後には凪 (無風状態) がやって来る」こと。対する後者は、
Quem espera sempre alcança.
と表現され、「待つ者はいつも達成し得る」という意味である。忍耐強く待つのも良いが、そのことが逆の結果を生むことだってある。老生の私などは元来、根気強く待つ性格ではない。ましてや、石の上にも三年、悠揚に善しごとを待ち続けるほどの命はない。
この諺の意味がとんと理解できなかった。それで、ブラジルの友人の助力を仰ぐこととなった。友人の説明するところでは、「大きさが証明・実証するものではない」ということらしい。つまり、大きさや外観で評価されるものではなく、内に秘めた能力や才能こそが重要であると説いているのである。ニュアンスは幾分異なるが、「能ある鷹は爪を隠す」という諺がある。この種のポルトガル語の諺があるはずだが、寡聞にして知らない。どなたかにご教示願いたい。
これを文字通りポルトガル語に訳すれば、以下のようになろう。
[直訳] O falcão que tem capacidade esconde as garras または O falcão (que é forte) esconde as garras.
これと類似の意味の諺にAs pessoas de valor são modestas「価値ある人は控え目である」や、Quanto mais sabe menos procura mostrar「知っていればいるほど、ますます表に出すまいと努める」などがある。英語でもStill waters run deep「静かな流れは深い;考えの深い人はむやみに口をきかない」と言う。確かに、静かに滔々と流れるアマゾン河支流は水深があったのを覚えている。
私はこれまで、自身の手で人生を築いてきたように思う節があった。が実は、そうした認識は全くもって間違いであったことに昨今気づかされている。こうして今の自分があるのも、肉親はむろん、数多くの親類、先生、先輩、友人、知人たちの心からの支えがあったからに他ならない。老生の身になってこのことを強く痛感し、これまで人生で受けてきた数々のご恩に、一人一人の顔を思い浮かべながら感謝する日々である。言わずもがな、人は一人では決して生きてゆけない。社会を構成する人たちが互いに助け合ってこそ、自らの幸せも追い求めることができる。《もちつもたれつ》の世の中は、こういうことを言うのであろう。
ところで、上記のポルトガル語の諺は、直訳では「(一方の)手が他方の手を洗う」という意味であるが、これは究極において、相互扶助の重要性を説いている。そういえば、この文脈に近い日本の諺に「船は帆でもつ、帆は船でもつ」がある。
「天は二物を与えず」という日本の諺がある。これは要するに、天(神)は一人の人間のみに、それほどの多くの利点や長所を与えることもなく、他の人間にも少なからず分け与えている、といった意味のものだろう。直訳すると、O deus não dá os tantos valores (pontos fortes) somente para uma pessoaとなるかもしれない。 が、ある和葡辞典では、Aproveita a oportunidade, que os deuses não te dão outra (神々は汝に別の機会を与えぬ、故にその機会を活かせ) なる文章で説明されている。この説明文が本来の日本の諺に近い意味になっているとは、到底私には思えない。
長所に言及したついでに、Os efeitos das suas virtudesという表現がある。美徳は欠点、であることを意味する、いわば日本の諺の「長所は短所」に当るものと言えよう。これを厳密に訳すれば、O forte (長所) de alguém pode ser também o seu fraco (短所)〔=人の長所はまた短所でもあり得る〕とでもなろうか。
Pela boca morre o peixeなる諺がある。この意味するところをご存知だろうか?単純に訳せば「魚は口で死ぬ」ということである。つまり、日本の諺でいう「口は禍の門(かど・もん)」に当たる。Da boca vem o mal(口から災いは来たる)という諺も同義である。
日本の政治を行う国会議員や地方自治体の為政者たちの、何とあるまじき暴言や失言の多いことか。話をするときはもっと慎重を期して言葉を選ぶべきであろう。もしかすると「頭から腐っている」場合もあろうが、為政者のなかには「口の禍」から政治生命を絶たれている輩も少なくない。そのために一方で、「沈黙は金、雄弁は銀」(A palavra é de prata e o silêncio é de ouro)であることも諺は教えているのである。
「青は藍より出でて藍より青し」
青もしくは青色といえば、私などは18世紀の半ばに英国で活躍した、“bluestocking” を履いた女性文芸愛好家のサロンである《青踏派》を思い起こす。その影響からか日本では、男女差別に象徴される封建的な道徳に異を唱え、女性の解放を主張した、平塚らいてふを中心とする女流文学者の一派の《青踏派》も合わせて頭に浮ぶ次第。
ブラジルの日常会話で青色を使った表現として、調子を問われた際に「順風満帆」「絶好調」であれば、Tudo azul((全て青色)と言う。ところで、青は筆者の好みの色である。手持ちのスーツの多くが青系統であることを、ご存知の元学生さんも少なくなかろう。青を使った日本語では、「青二才」(novato, fedelho, inexperiente)、「青くさい」(o cheiro desagradável das folhas verdes esmagadas) といった例のように、悪い意味で使われる。その一方で、今回紹介する諺の如く、良い意味でも使われる例もある。
『荀子』の勧学篇に由来する「青は藍より出でて藍より青し」の諺は、ポルトガル語に直訳するとO azul vem do anil (= índigo) e é mais azul do que o indigo (anil) となる。 が、その真の意味するところは、「師匠の指導を受けた弟子は師匠よりも秀でた存在になる」ということ。この点を踏まえて、ポルトガル語ではO discípulo ser melhor que o mestreと訳される。
長年、大学で研究・指導に当たって来た私には、10人余りの大学教員および研究者になった教え子がいる。しかし、優れた大学人もしくは研究者の彼らは、師匠たる私の力量や資質によるものでは決してない。彼らはおそらく私を反面教師として、自らの才能を活かし努力したのが報いられた結果であろう。そこから生まれたものが、“その元のものよりも優れている” という諺が、師匠であった私には当てはまらない好例かもしれない。素養の乏しい私など大学の研究者になるべきではなかったし、別の職業を選択すべきであったと思う時もある。しかし、教え子の皆さんとの一期一会 (encontro com os estudantes uma vez na minha vida) が私の生きる喜びになっているのは、疑いようもない事実である。
以 上