連載レポート80:大石隆一「ラ米情報の共有・元商社員のスペイン語講師」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート80:大石隆一「ラ米情報の共有・元商社員のスペイン語講師」


連載レポート81

ラ米情報の共有・元商社員のスペイン語講師

執筆者:大石 隆一(元三菱商事、スペイン語講師)

1.はじめに

ラテンアメリカ協会関係者の方から「スペイン語講師の経験について寄稿してみないか」とのお勧めをいただいた。それに対する筆者の最初の対応は完全にネガティブであった。そもそも、後述のような経歴なので経験と言えるほどの経験はなく講師とはおこがましいとの気持ちがもとより強い。また、相手が世間一般ならまだしもラ米協のような「スペイン語はできて当たり前」の方々となると腰が引けてしまう。それらを理由に一度はご辞退申し上げたのだが、「後進の励みになるので、やってみれば」と重ねて勧められた。

それで、改めて考えてみたのだが、思えば会社員生活の過半をラ米で過ごしスペイン語を使い続け、そこで見聞きしたスペイン語を共有したい気持ちが講師業を探した動機であった。スペイン語の話はラ米協の方々にとって珍しくもないだろうが、それでもラ米関連の活動にスペイン語はつきものである。関係者の間でスペイン語が話題になるのは茶飯事でもある。そして、ラ米関係者がスペイン語講師業に興味を持たれることもあり得るだろう。どれほどお役に立つか解らぬが、筆者の経緯や現状を書いてみようと思うに至った。

2.講師業とは情報共有すること

2018年からスペイン語講師を勤めている。個人が受講生のときもあれば、ボランティア団体の開催する講座を受け持つこともあるが、最も多いのは語学学校「ディラ国際語学アカデミー(東京都千代田区)」からいただく仕事で、ラ米で活動される企業人の赴任前研修が殆どである。早いものでスペイン語講師業を始めて約4年が経過し、その総時間数は1200時間を超えたが、仕事は何ですかと問われると「正規雇用ではなく不定期ですが」と前置きしたうえで「スペイン語講師・・をやっています」と何やら歯切れが悪くなってしまう。まだ板についていないため、講師とは何ともおこがましく思えてならない。筆者が存じ上げているスペイン語講師はネイティブスピーカーあるいはアカデミックな経歴の日本人(言語学や文学など専攻の大学院を修了し、スペインに留学し、帰国後にスペイン語教師を本業とし、学術論文の発表などしているような人々)であり、そのどちらでもない自分が講師を名乗ることに少なからず抵抗を感じる。大学で教職課程を履修したわけでもなく「スペイン語を教えています」も実感が乏しいので言いにくい。筆者にとってスペイン語講師業は会社生活で叩きこまれた「情報共有」との位置付けである。言い換えれば、筆者の知っているスペイン語はラ米での仕事と生活を通じて入手した情報であり、講師業はそれを共有することだとの思いが強い。今後、いつまでスペイン語講師業をやれるか分からないが、ラ米関係者のお役に立つなら「情報共有」を続けていきたい。

3.経緯、筆者略歴

筆者のスペイン語とのつき合いは短くはない。家庭の事情で小学校の4年半を米国で過ごしたが、最後に通ったカリフォルニアの小学校の高学年では週1回わずか20分のスペイン語の授業があり、それを数か月間受けたことがあった。覚えたのはせいぜい挨拶程度だが、今思えばあれがスペイン語との初の遭遇であった。

日本に帰国後はスペイン語との縁は切れたが、大学は上智大学の外国語学部イスパニア語学科に進んだ。進学する大学を選り好みできるような余裕もなかったが、米国の小学校で英語を体得した後に日本の受験英語に戸惑っていたころである。外国語の習得方法や、その理論と実践の隔たりを考え始め、外国語教育への関心を強めたのも事実である。大学では学科でお世話になった教授陣の7割がスペイン人で、当時は教えられた通りに CECEAR 発音をしていた。

卒業後、三菱商事に入社し定年まで勤めたが、担当した仕事は主にラテンアメリカ向けの輸出業務であった。駐在はメキシコ、チリ、ブラジルに計16年余り。ブラジル勤務と言っても、中南米諸国を訪問して現地拠点への支援が仕事であったので大半をスペイン語国に出向いていた(筆者はポルトガル語はまるで出来ないが、これが言い訳である)。東京本店に勤務中にもラ米への長期出張が多く、それを加えると同地域で過ごした期間は合計20年を超える。お陰様で、ラ米の殆どの国を訪問する機会に恵まれ、またスペイン語および英語を使って仕事と生活をした期間は長くなった。在職中に英語のBETA Grade-1とTOEIC 970点、そしてスペイン語DELE検定の Nivel C-2を取得できたのも、そのような生活のお陰である。

退職するころには外国人支援ボランティア団体にて英語・スペイン語の通訳翻訳も始めた。全国各地で在留外国人への支援が強まった時期であった。それと関連するのか、折から日本の外国語学習熱が更に高まり、英語教育手法の議論が活発となった時期でもある。こうして、筆者の外国語への関心が再び頭をもたげ、1年間だが地方の英語教育施設で教務部長も勤めた。そこから帰京した2017年、セルバンテス文化センターのスペイン語講師養成コースをみつけて受講することとなる。

4.セルバンテス文化センター・スペイン語講師養成コース

この機関は西語名Instituto Cervantes(以後:I-C)、言わずと知れた言語文化普及を行うスペイン政府機関で世界数十か国に拠点を有し、日本では市ヶ谷駅と麴町駅の間に位置する7階建てビルを本拠地として活動している。主な活動内容は多種多様なスペイン語講座、スペイン語DELE検定試験および文化イベントの開催だが、その講座の一つが掲題のスペイン語講師養成コースである。この講座があることは以前から聞いていたが、当時はネイティブだけが受講できると了解していた。それが2017年に講座のサイトを見ると、日本人も受け入れるとのこと。講座の期間は6か月超。講義は週1回(3~4時間)ながら、恒常的に宿題あり、レポートあり、途中からは授業の見学(当然レポート提出を要する)、レッスンプラン作りそして授業の実習も始まり、これらを全てこなさなければ修了証はもらえない。強い関心はあったものの、60台の筆者がついて行けるか不安は強かった。受講した挙句に修了できない、あるいは途中で脱落するのではないかと悩みもした。また、受講費も決して安くはなかった。I-Cに電話して相談し不安を伝えても「大丈夫ですよ、受けてください。」と簡単に言われる。結局、担当講師のMiguel Sauras氏に面談を申し込み1時間以上も話し合った。同氏から講義内容の説明を受け、受講するよう勧められたが、なかなか不安は消えない。最終的に、受講を決心したのは「ここまで1時間ほど会話しているが貴方のスペイン語には一つも間違いがない。だから受講しても大丈夫だ。20年以上もスペイン語を教えている私を信じなさい。」という同氏の一言であった。因みに、間違いのないスペイン語を話すコツは自動車で言えば安全運転に尽きる。ノロノロ運転で目的地到着に時間がかかっても、巧みなハンドル操作ができなくても、違反をせず事故を起こさないように運転すれば良い。同じ様にスペイン語を話すときは難しい言葉やしゃれた表現を避けて、確実に知っている使い慣れた言葉だけを使用すれば間違うことはない。と言うことで、これは特に褒められることでもない。

こうして数十年ぶりにスペイン語の授業を受けることとなりI-Cに通った。同じクラスの受講生は地方のオンライン参加者も含めて16名。そのうち14名がスペイン、ペルーなどの日本在住ネイティブで、平均年齢はおそらく30代後半。もう一人の日本人はスペインで大学院を修了後に同国での生活を長く続けた女性で、御主人はスペイン人なので殆どネイティブと呼ばれるべき方であった。そのようなクラスの一員となったのだが、自分よりはるかに若いネイティブたちに混じって受講するのは正直なところ辛かった。また、長年のラ米スペイン語が染みついた身には久しぶりの CECEAR発音やvosotrosが使いにくかった。そのうえ、スペイン語の文法用語を、長らく使う機会がなかったので、思い出せないこともあった。授業の実習では10数名の日本人の生徒さんを相手にスペイン語だけを使ってレッスンを行い、その一挙手一投足を担当の講師が監視し終了後に注意や指導をくださる。日本人を相手にスペイン語で話すのは筆者にとって何ともやりにくかったが、生徒さんにしてみれば「何だ、ネイティブではないな、年も取っているし。」と不満にも思われたであろう。しかし、そんな筆者が有難がられたことが一つある。授業中の使用言語はスペイン語なので、生徒さんは疑問があるときは苦労しながらスペイン語で質問していたが、筆者には日本語で聞くことができた。そして、今だから言うが、生徒さん2名から「やはり日本語で解説して欲しい」との理由で、I-Cと並行して個人レッスンを頼まれて1年ほど行った。このように苦労も多かったスペイン語講師養成コースだが、クラスの明るく楽しい雰囲気にも助けられて2018年3月に修了証をいただいた。

5.セルバンテス文化センター・DELE試験官養成講座

講師養成コースで教えを受けたのは上記のMiguel SaurasとEsther Domínguezのお二人で、ともに日本企業風に言えば「現地採用」ではなくスペインからの「本店派遣」である。そのEsther先生はDELE試験官養成講座も兼任しており、筆者も勧められたのでこれも受講した。ご存じのようにDELE検定試験はA-1からC-2までの6つの段階(nivel)ごとに行われ、筆者が受けた講座はNiveles A-1 & A-2の会話試験の試験官である。これは3~4か月のオンライン講座だったが、同じグループで受講した6名の仲間はいずれもネイティブで、居住地はスペイン、ナイジェリア、台湾、日本。それに筆者を加えた7名のグループがEsther先生が次から次に投げて来る課題をこなすものである。

まずはDELE会話試験の評価規定、採点方法などを習う。方式はE-leaningなので、自分の都合の良い時にやれば良くて楽かと思ったが、とんでもない。教材は簡単な文章で書かれてはいないので、読むには予想外の長い時間がかかり、それが終わらなければ問題に取りかかれない。全てに厳しい期限があり途中からは落ちこぼれないように必死であった。E-learningを終了すると、いよいよ試験官の実践練習となる。実際の受験映像が次から次に送られて来て、それを見て採点し評価結果を提出する。自分の採点の根拠も記述しなければならない。この提出にも当然ながら期限があり守るには苦労した。仲間の6名も必ず期限を守って提出したが、提出された評価に差異があると(そして、多くの場合差異がある)、討論させられる。まるでディベートである。7名全員の評価が一致した場合でも、Esther先生からの指示により評価の根拠について討論をさせられる。これがビデオ会議の口語討論であれば、ネイティブたち(しかも数名は言語学専門や現役のスペイン語教師)の合間を縫って発言もできず、発言できても論破され続けて筆者は落第あるいは挫折したであろう。幸いに、この講座はオンライン講座なので全て作文して送信する筆記討論であった。それでも筆記とは言え、7名の中の唯一の非ネイティブが圧倒的に不利であることに変わりはないのだが、だんだんとコツが掴めてきた。とにかく、人よりも先に自分の評価結果や意見を打ち込むと言う先制攻撃である。それに対する意見や反論が出てくるが、攻撃は最大の防御と言われる通り先に攻めている方が対応も少しは楽になったと思う。また、仲間たちの居住国は御覧の通りで、時差のおかげで日本在住のEsther先生の指示を彼らより早く見ることができたと言う利点にも助けられた。いずれにせよ四苦八苦しながら2019年4月に修了することができた。

スペイン語講師養成とDELE試験官養成、いずれのコースも数か月にわたり深夜までの勉強や作業を強いられるもので骨身にこたえた。今となっては懐かしさもあるが、もう一度やるかと言われれば二の足を踏む。DELE試験官の業務は講座修了翌月の検定試験で初めての機会をいただき、その後も何度か務めている。試験官は試験の2日前の事前ミーティングに招集され、スケジュールや試験会場の説明を受ける。また、試験問題の閲覧と採点方法の再確認をさせられる。このreunión obligatoriaに出席しなければ試験官を務められないとの厳しい規定があり、さすがに世界中で通用する唯一のスペイン語検定であることを認識させられる。なお、お世話になったMiguel, Esther両先生は、2019年に転勤となりポーランドのI-Cに勤めておられる。

6.スペイン語講師業

筆者は前述のディラ国際語学アカデミーに講師登録し、スペイン語研修の仕事をいただいている。初仕事はI-C の講師養成コースを修了した翌月にいただいたラ米に異動する会社員の赴任前研修で、2週間で30時間という大変な短期集中研修であった。当然ながら試行錯誤はあったが、講師業を短期間に凝縮して経験できる良い機会となった。このように企業向けの語学研修には赴任前研修が多く、その時期は異動次第で研修期間の長短も個別に異なり、更には周辺状況により語学研修自体の需要も増減がある。即ち、講師業は不定期なのだが、今のところ1件が終わる前に次の研修が始まると言うペースで途切れることがなく、多くの場合に複数の仕事を同時並行して行っている。企業以外では、一昨年から受け持っている江東区の文化センターのスペイン語講座があり、企業に比べるとはるかに高齢の20名近い受講生のお相手なので勝手が違うが何とか続けている。また、小平市の国際交流協会ではボランティアとして通訳翻訳を行っていたが、昨年にお声がけをいただきスペイン語の年間講座を受け持っている(添付の協会誌ご参照)。 

とは言うものの、初仕事から4年やそこらでは経験はまだまだ浅い。今回の投稿をためらったように、そもそも教職も留学も経験なく、正式にスペイン語を学んだのは大学とI-Cのみ。その他は会社生活を通してラ米で覚えて使ってきただけである。チャンバラで言えばアカデミック経歴の講師が剣道の師範とすれば、筆者はそれには程遠い野武士の剣法と言ったところであろう。講師の仕事を有難いことに現在まで続けられてはいるものの、初仕事から現在まで試行錯誤は続いている。研修期間の長短や生徒さんごとの個人差があり、個別に最善の対応を常に考えながら進める必要がある。同じ教科書の同じ章を説明するにしても、生徒さんごとに違った方法を考えることもあり、要領が悪いと自分でもぼやきながら準備に時間がかかっている。しかし、1対1のレッスンであればtailor madeが欠かせないことは申すまでもなく、人数が多い場合でもグループごとに対応を考えるのは当然と思う。

7.スペイン語と言うラ米情報を共有するには

前述のようにスペイン語講師はアカデミック経歴の邦人あるいはネイティブスピーカーであり、それぞれ確立した教え方をお持ちである。同じスペイン語研修でありながら、経歴の異なる筆者に同じことをやれと言われても難しい。そうなると必然的に筆者独自の方法を考えざるを得ず、それで行きつくところは野武士の剣法(ラ米経験)の日本語解説である。ネイティブ講師に日本語を使いこなせる人もいるが、生徒さんが日本人なので筆者の方が一応は同じ言語の話者である。アカデミック講師の方々は、留学先の多くがスペインでありラ米生活経験者は少ないようで、また、日本企業に勤めた経験者も少ない。そこで、ラ米の野武士ならば何ができるかと考える。そこで、これまで得た情報の共有に努めるしかないとの結論となるが、以下に幾つか紹介させていただく。

【スペイン語と言う言語】
筆者はスペイン語史の専門家ではなく、受講生の研修時間も限られているが、それでもローマ時代のラテン語から派生し、現在の話者数が世界第3位となっているスペイン語の変遷について簡単に話したい。ポルトガル語などラテン語を起源とする他言語との類似性にも触れておきたい。ラ米のスペイン語国で仕事をする上でブラジルと接することは多く、そこでスペイン語が役に立つことはある。筆者もポルトガル語の会話は無理でも、ブラジルの新聞を読めば一定以上は理解できる(スペイン語⇔ポルトガル語の変換法則を幾つか覚える必要はあるが)。ポルトガル語が話せなくても、スペイン語を使えば5割以上は理解してもらえる。要するに、スペイン語を覚えると良いこともありますよと伝えたい。業務命令でいやいやながら研修を受けに来る会社員もいない訳ではなく、その方々にはスペイン語によって得をすることを研修開始時に知って少しでも受講意欲を抱いてほしい。企業研修の受講者の大半が英語を使い慣れている方々である。文化センターなどの受講者は高齢者が多いが、英語堪能な方や英語圏の居住経験者もおられる。その方々に英語とスペイン語に何らかの共通点があること、それでいて似て非なる点もあることを研修の随所で強調するとじっくり聴いてくださる。また、後述の「英語と比較対照」に記したが、筆者にとっても英語を引用するほうが説明が楽になると言う本音もある。 

【語彙力向上】
外国語の習得とは何をすることか?このような漠然とした問には漠然とした答えが返ってくるもので、その答も様々だろうが、結局は語彙力を向上させることではないだろうか。もちろん、文法、作文、聞き取り、発音練習なども重要であるが優先順位をつければ、それらの根本にあるのは語彙力ではないか。文法は大事だが、これは持っている語彙を組み合わせて作文するときの規則であり、この規則に習熟しても言葉の運用ができるとは限らない。次に、文法や使用語句の正しいスペイン語文が作れても発音を誤れば通じないことがある。そして、正しく話していても相手の使う言葉や表現を知らないために理解できないこともある。語学習得は色々な要素があり、それら全てが必須であるが、結局は語彙力がベースだと結論づけている。 
では、語彙とは何か? ボキャブラリーという言葉も日本語に定着しているが、「彙」は集まりを意味する。即ち、語彙力とは、ある言語、ある地域・分野、ある人、ある作品など、それぞれで使われる単語の総体であり、辞書を見ると次のような定義がある。
・スペイン語 (Real Academia Expañola: Diccionario de la Lengua Española)
vocabulario: Conjunto de palabras de un idioma pertenecientes al uso de una
región, a una actividad determinada, a un campo semántico dado.
・英語 (Oxford Advanced Learner’s Dictionary)
vocabulary: All the words that a person knows or uses / all the words in
a particular language.

【英語と比較対照】 
語彙力向上のために覚えるのは単語とは限らない。熟語、慣用句、決まった言い回し、流行り言葉、あるいはいっそのこと文章丸ごとを覚えても良い。これらを出来る限り多く覚え、そして使えるようになることが語学の習得の基本であろう。その具体的な方法は人それぞれだが、一つは丸暗記である。辞書を1ページずつ暗記し、そのページを食べてしまう方法がもてはやされた時代もあったが、これは何とも無味乾燥、苦痛、非効率と言える。外国語を学ぶ際に一定以上の暗記は不可欠なので避けては通れないのは事実である。なぜリンゴはmanzanaで、オレンジはnaranjaなのか、専門的に研究すれば答えが見つかるかも知れぬが、時間的制約もあるので暗記するしかない。その一方で、覚えたい言葉と既に知っている言葉との関連性を見つければ理解と記憶が楽になるのではないか。よく具体例として挙げる単語がVIDAである。このスペイン語を日本語で言うと何か? 生活、居住、暮らし、人生、生涯、寿命、生命、とここまで言うだけで数十秒を要している。

これを英語のLIFEであると言えばどうか。このよく知られている英単語を使えばVIDAの複数の訳語を瞬時に伝えることができる。 「しかし、LIFEとVIDAは似ても似つかないですね。やはり丸暗記するしかないかな。」とのコメントはあり得る。そこで、「生命」から派生する生命力は英語で vitality、その形容詞は vitalであり、夫々スペイン語では vitalidad とvital (同じ綴りだが発音は異なる)と判れば両言語が過去のどこかでつながっていたことにも気づくであろう。また、手 handとmanoも全く似ていないが、その形容詞は両言語ともにmanualであり、つながりがみつかる。これらは一例だが、このように英語と言う既に知っている外国語を使ってスペイン語を説明することは受講生の興味を引き学習意欲を多少なりとも強めると確信する。ある進学予備校は英語を教える際に単語の由来や成り立ちを説明するそうで、テレビCMでは「単語一つといえども暗記させない」と宣伝している。これが理想であるし、同じことをスペイン語研修で出来るとは限らないが、筆者もそれを目指しており、そこで言葉の説明に英語を絡めることが少なくない。

しかし、英語とスペイン語はあくまで別言語であることは繰り返し注意喚起することが肝要である。英語の文章を作れれば、その単語を置き換えるだけで正しいスペイン語文になるとは限らず、全く通じなくなることもある。楽しく過ごしました:I had a good time = Tuve un buen tiempoでは通じない。暑いな: I am hot を Estoy caliente と言ってはあらぬ目で見られかねない。その他、慣習の違いもあり、英語圏の thank you・ pleaseに比べてスペイン語圏でgracias・por favor ははるかに気軽に多用されている事実も紹介しておきたい。そして、スペイン語では何でもかんでも Sí, señor をつけると誤解されがちだが、これがフォーマルなだけでなく堅苦しい表現であり、逆に使い方を誤ると相手を揶揄しているようにとられかねないことも知っておいた方が良い。これは英語の Yes, sir. も似ていると思う。

なお、この項は「英語との比較対照」と題しているが、既知の言葉なら何でも引き合いに出せば良く、英語に限定する必要はない。例えば、compañeroをcon + pan + eroに分解すると一緒にパンを食べる者と分かり、そこで類似の日本語「同じ釜の飯を食う」を思い浮かべてくれれば、仲間を意味するスペイン語を覚えやすくなり、その仲間たちが集まって創る組織がcompañíaだと気づくこともできるだろう。絶対最上級を説明するときに引き合いに出すpianísimo、 fortísimo はイタリア語であるが、音楽用語としてよく知られている。FIFAが最優秀選手に授与するバロンドールBallon d’Orはフランス語を知らない筆者でもBalón de Oroだと解る。研修では、これを単語ごとに和訳して説明するのだが、受講生に女性がおられるときは使えないネタである。

【国ごとの特異性】
スペインとラ米で言葉が異なり、またラ米各国でも異なる単語や表現が使われている。筆者は殆どのラ米諸国に滞在経験はあるものの、各国のスペイン語を覚えるような能力はとても持ち合わせていない。「南北アメリカ・スペイン語」という書籍を読んだことはあるが、専門的に研究するのは大作業であろう。筆者は20年ほど前に日智商工会議所会報に「チリ風・メキシコ風 スペイン語比較対照」を投稿したが、これが精いっぱいである。しかし、そんな筆者でも複数国の特徴的な単語や表現が幾つか記憶に残っており、受講生の赴任先の表現があれば知っている限り紹介するようにしている。具体例を挙げるときりがないが、メキシコのahorita、ベネズエラのchévere、コロンビアのun momentico、アルゼンチンの ¿cómo te llamas vos?、チリのagüitaなど。これらには辞書を調べてもみつからないものもあり、日本人が無理して使う必要もないだろうが、そんな言葉があると聞いておけば現地で耳にして驚くこともないだろう。また、言葉だけでなく生活習慣や食べ物、あるいは地名や人名の固有名詞など、現地特有のものがあれば時間が許す限りお話ししている。そして、使用する教材は文法中心の教科書だが、それ以外に旅行者用の案内書や現地紙などを併用することもある。何と言っても、少しでも解りやすく覚えやすい方法を用いたいのであり、そのためには使えるものは使わないと損だと思う。

【邦人の現地勤務】
仕事や生活で使うスペイン語は独特のものがあり、それらが旅行者用会話集には載っていないことも多い。
‣日本企業の社員が仕事で使う言葉、貿易用語や契約文言などを練習する場は現場しかなさそうだ。これらはレッスン中に機会があれば紹介したい。なお、受講生の習熟度にもよるが、赴任先の新聞や業界誌などの記事を教材として使うこともある。
‣また、例えば、駐在先の現地社員から昇給を頼まれると面倒な話になりかねず、その想定問答を取り上げたこともある。このように、現地で勤務する際には社外だけでなく社内で使う用語や表現も知っておきたい。 
‣現地の取引先を日本レストランで接待するときの会話 ¿Han probado el sake japonés?、 ¿Le gusta el sushi? も必要だが、そもそも日本人はどのような食生活を送っているか(毎日寿司、天婦羅、すき焼きを食べているわけではない)、寿司職人になるために10年かかる、生の魚を切っただけの刺身が凝ったソースをかけた料理より高価な理由など)
も紹介して日本への興味と理解を深めてほしいものだ。また、接待する時の会話は取引先だけではなく、ウエイターやマネージャーなど店側との会話も練習しておくと便利である。解説は不要だろうが、¿Cancela con tarjeta?、 ¿Boleta o factura? も初めて聞くと戸惑うであろう。
‣ ¿si o no? と詰め寄られたときの対応。相手より自分の方が強い立場にあるような力関係であれば、Ni sí, ni no.と突っぱねることもできるが、相手が重要顧客であれば良く考える必要がある。Voy a pensar は考える意志があるとの表明に過ぎず、Déjeme pensarと言うほうが多少なりともお願いするトーンに聞こえる。
‣「お言葉を返すようですが:Con todo respeto」、「不勉強ですみませんが:Disculpe la ignorancia」、「御迷惑でなければ:Si no es mucha molestia」のような前置きは日本特有のものとも思えるが、スペイン語の世界にも存在し、これらを使うことにより雰囲気の硬化を防げる。
‣ 取引先を2人称Túで呼ぶか、3人称Ustedを使うか。一部のスペイン語教材においては「Tú:君、 Usted:あなた」と言い切っているが、そんな単純なものだろうか。I-C の講師養成コースの初回の授業でMiguel先生が日程や受講規則などを説明したが、一通り終わったところでペルー人受講生が質問した、「¿Podemos tutear?」。このように講師と受講生と言う関係であれば、ネイティブ同士でもTúを使うには予め断っておく必要があるようだ。ラ米の組織内では部下が上司にTúで話していることがある。英語圏でも部下が上司をファーストネームで呼ぶことがあり、それと同じ感覚であろうか。その一方で、ラ米の幹部が秘書にUstedで話している。この使い分けは日本人にとって悩ましい。日本語の感覚ではUstedを使っておけば無難と思えるが、そうとも言えないことは筆者自身が痛い体験を通して知った。TúかUstedか。大袈裟かも知れぬが、この選択は日本人の泣き所であり永遠の課題とさえ思っているもので、スペイン語研修において時間が許せば触れることとしている。
‣ 上記のように幾つか例を挙げたが、ラ米各国の現場にいたから聞こえて来た表現など、色々と思い出せるものがある。ラ米で活躍される受講者たちと共有したい情報は少なくない。 

【発音は重要】
多くの教科書に「スペイン語の発音は日本語と似ているので楽だ」と練習は不要と言わんばかりのことが書かれている。日本語とスペイン語の特性のため、日本人の発音の誤りは致命的ではないとの学説があり、I-C の講師も同じ意見で、発音の矯正に時間をかけ過ぎるなと言っていた。しかし、この点につき筆者は疑問を感じる。ラ米の現場で何度か目撃したことだが、適切な語彙を用いて文法的に正しい文を作りながら、発音の間違いにより相手に通じていない場合が少なからずある。日本人にとってスペイン語発音が楽だと言う説は「英語に比べると少しは楽だ」と言うべきではないか。やはり、学説がどうであれ現場での実践発音のことを考えざるを得ない。
よって、最小限の発音練習は不可欠である。スペイン語の発音練習と言うとerreの巻き舌を想像する人が多いが、それよりも強弱アクセント、子音で終わる閉音節、二重母音を重点的に練習し、何よりもカタカナ読みを避ける意識を持つべきと考える。また、「発音できる言葉は聞き取りもできる」という説がある。筆者はこれに全面同意はしないものの、やはり聞いたこともない言葉を最初から正しく発音できるとも思えず、発音練習は聞き取り能力の向上にも役立つと言えよう。極め付きだが、スペインで作成された教材にも発音の訓練を勧める次の記述があった。「非ネイティブから誤った発音のスペイン語で話しかけられるネイティブの中には立腹する者もいる。即ち、“自分の国語が軽んじている”との侮辱を感じるのである。」。こう言われると発音の練習は不要などと言っていられない。特に、話し相手の氏名や、その国や都市の地名などの固有名詞は正しく発音するよう神経を使うべきである。これは相手に対する最低限の礼儀ではないだろうか。邦企業の社員がラ米で勤務するなら、卑屈になることはないが、相手への礼を失することはないよう気をつけたい。誌面で発音を表すのは難しいが、一つだけ日本人なら知っているプロ野球の例を挙げる。選手から監督まで勤めたラミレスさんは明るい人柄とスター性も持ち合わせて、「ラミちゃん」の愛称ができるほどの人気者だった。しかし名前は誤って Rámirezと発音されていた。正しくはRamírezで、カタカナでは「ラミーレス」と表記する方が原音に近い。日本で暮らし日本のプロ野球で財を成した同氏だから間違った発音を容認してくれたのだろうが、ラ米駐在員が重要顧客の Ramírezさんを間違った発音で呼び続けては不評を買うどころか、商談に支障を来す恐れもある。発音の間違いを軽く見てはいけない。
また、チョリソーとブリトーは日本でも人気の食べ物として知られているが、わざわざ間違った発音をする理由は何かと疑問提起することもある。そこで、Chorizo, Burrito の正しい発音を知り、スペイン語発話の中で使って通じるようになってほしい。 

【受講者をラ米にapetecerしたい】 
前述の【国ごとの特異性】の終わりに書いたように、言葉以外でも現地特有のものを紹介するように努めている。日本人は「ラ米人」、「ラテン系」と聞いて何を連想するか。多くは、楽しく明るく、気楽で時間厳守しないなどの特徴であろう。そのような一面も確かにあるが、それが全てでもなく、国ごとの差異もある。情報化や電子化の時代であっても、ラ米は遠く離れた日本でまだまだ知られておらず、誤解されていることもある。筆者のラ米経験は限られているが、現地で見聞きしたことを紹介するのも情報共有であり、それで受講生のラ米への関心が強まりスペイン語習得に役立てば良い。

‣ 例えば、姓名の構成は意外に知られていない。言わばフルネームの中でファミリーツリーの一部を見られる制度であり、上手くできていると筆者は思っている。この説明では、実例としてチリ大統領のお名前を拝借することもある。殆どの場合Sebastian Piñeraとしか表記されないのでJuan Miguel Sebastian Piñera Echeniqueを初めて見る受講生が殆どである。ともあれ、これが何世紀も前から実施されているラ米と夫婦別姓法案の論争が続く日本との文化歴史の違いが感じられる。そして、ラ米では名刺にフルネームが記載されないことが多いので、名刺交換した相手を何と呼ぶか気を付けるように勧める。

‣ ラ米気質を紹介するためにDELE試験の事前ミーティングでの出来事を話したことがある。ある女性試験官が1歳ぐらいの幼児を連れて参加した。当然ながら幼児は途中でぐずり、次には泣いて進行が何度も中断された。これが日本人だけの集会だったらどうなったか想像してみる。口に出して言わなくても、視線を浴びせて幼児同席への批判を表しただろう。アングロサクソンなら、言葉を選びながらも「元気なお子さんは外で遊びたいでしょうね」と退室を促しただろう。
しかし、そのミーティング室にいた筆者以外の参加者はスペインとラ米ばかりで、幼児を「よしよし」とあやして泣き止ませる。筆者の隣のメキシコ人は最初は黙って座っていたが、3度目に泣いた時には立ち上がって部屋を出て行った。度重なる中断に苛立ったかと思いきや、数分後に戻ったときには、どこかから縫いぐるみ人形を持ってきて幼児と遊び始めた。ラテンの徹底した「子供は宝」主義には賛否両論あるが、ラ米で何度も目にした光景である。日本にいながら「ラテンだな」と感じた瞬間であり、この話を聞いた受講生は複雑な表情で苦笑いしていたが、彼我の習慣(常識)の違いをご紹介で来たと思う。

‣ スペイン語研修の受講生がラ米赴任予定のない会社員のこともある。社内募集で選ばれた希望者で、ラ米と全く無縁の若手社員が多い。自己啓発、先行投資と言う目的はあろうが、スペイン語圏の仕事をする保証がなければ受講モチベーションの維持が難しくもなるだろう。そこで、ラ米食材店で買い求めた菓子や飲料を振舞うこともある。持参する飲食物は安価なものばかりで、日本人の口に合わないものもあるが、それでもラ米を感じてもらえれば良い。子供だましと言われかねないが、ラ米への好奇心を沸かせ、食指を動かすように受講者をapetecerしたい。菓子や飲料を振舞うときは「ちょっと甘過ぎますかね」などと言いながら筆者もご相伴にあずかり、先ほど引用したcompañeroのように一緒に飲み食いすることにより仲間意識が高まることを期待している。 

8.語学研修、スペイン語研修の推移と現状

海外進出を目指し、あるいは海外展開を続ける企業にとって社員の語学力増強は必須である。情報化、電子化、機械化など人間の語学力にとって代わる技術革新が進んでいるが、それでも企業は社員に必要な語学研修を受けさせ続けている現状がある。因みに、現下のコロナ禍により学語学研修は総量が減少しているものの、一定水準は維持しているとのことで、語学研修の続行のためにもコロナとの共存方法の定着が期待される。語学研修を必要とする企業に応えるのが語学学校である。よって、語学学校が研修を行っている言語の件数および変遷は企業の注力する市場を表していると言える。例えば、BRICsが注目されたころにはその4か国の言語の研修が多かった。ディラ国際語学アカデミーは55か国語という広いレパートリーを誇っている。その記録によると、過去25年間に上位20位以内に入った言語の数は30を超える。首位と2位は英語と中国語がほぼ不動の地位だが、それに次ぐ3位をスペイン語が占めている。これは平均値であるが、ほぼ毎年5位以内に入っているという事実がある。他の上位言語では、インドネシア語やベトナム語が最近の常連で、これらの国への邦企業の視線が感じられる。また、韓国語やフランス語は順位は上がらずとも安定的な需要があり、これらの相手国とのビジネスは急拡大はないにしても底堅いと言える。 

企業以外では、例えば文化センターやI-Cが行う講座があり、それに出席する生徒さんにスペイン語を受講する理由や目的を聞いてみた。特に理由はなく、語学の勉強が純粋に好きだという人がいる。一度だけ訪問したスペインに魅了されて次回は現地の言葉で話したいという旅行愛好家がいる。その愛好家たちも、ラ米は遠過ぎると言いながらも興味津々である。メキシコ、キューバ、ペルーなどラ米を訪れた旅行者は再度行きたいと語る。また、スペイン語を習得することにより仕事の幅を広げたいという会社員は憧れるラ米諸国の名前をいくつか挙げていた。 

9.最後に

商社勤務を終えてから、今ではスペイン語講師を勤める筆者の経緯や現状を書かせて戴いた。試行錯誤を続け、常に苦労もあるがスペイン語およびラ米情報を多少なりとも共有できていることを嬉しく思う。時代や周辺状況の移り変わりがあり、オンライン研修も増えている。筆者もオンラインレッスンは何度か経験しており、利便性は理解しているものの、それでも対面式を好むのは時代遅れなのだろうか。因みに、一昨年のコロナ緊急事態宣言期間中のことだが、「オンラインに切り替えて続行するか、しばらく休講するか」と会社から問われた20代の受講生が休講を選び、結局6か月後に再開した。対面式を好むのは古い人間だけではないようだ。

ラ米の現場で人と人の会話を通して覚えたスペイン語を共有する手段は人から人へのレッスンだと思っている。一方、機械翻訳など技術革新は目覚ましいものがある。今のところは、人間の言葉という生き物を機械は完璧に扱えてはいないようだが、いつの日か語学講師は不要になるかも知れない。そうなるとしても、それは来年のことか、10年後か、もっと先のことか。翻訳機の研究が始められたのは100年も前らしいが、それほどの時間をかけて到達したのが今のレベルであれば、完璧になるのは来世紀のことか。それとも、技術革新も加速度が増すのでもっと早いか。これは誰にも確答できないだろうが、その間にも企業は活動し続け、人事異動は実施され、それに伴い語学研修も絶えず続いている。スペイン語講師という仕事によりスペイン語の「情報共有」が出来るなら、ぜひ続けたいと願っている。
 
添付:
「国際こだいら」(小平市国際交流協会の協会誌)2021年9月1日号に掲載されたスペイン語講座に関する記事。
https://www.kifa-tokyo.jp/wp/wp-content/uploads/2021/12/1323-0805L.pdf