執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)
ラテンアメリカ協会のホームページの「投稿欄」に2021年4月から12月まで、12回にわたって、「ラテン好きのためのリベラルアーツ」というタイトルで連載しました。内容は下記の通りです。
1回目 ラテンアメリカのノーベル賞受賞者
2回目 ラテンアメリカの国花と国鳥
3回目 ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーたち
4回目 ラテンアメリカの著名サッカー選手 上中下
5回目 ラテンアメリカの歴代オリンピック・ゴールドメダリスト
6回目 ラテンアメリカの著名建築家
7回目 ラテンアメリカの著名作家たち 上下
8回目 ラテンアメリカの著名ボクサー
9回目 ラテンアメリカの著名画家たち
10回目 ラテンアメリカの著名作曲家たち
11回目 ラテンアメリカの国際空港と人名
12回目 ラテンアメリカ主要国の紙幣と人名
これら一連のレポートは、ラテンアメリカ全域をカバーしていますが、個々の国に関心のある方から見ると使い勝手が悪いかも知れません。そこで今回、上記レポートを基本にして、主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録を作成することにしました。さらに詳細な情報入手を希望される方は、上記のレポートにアクセス下さい。今回はブラジルを取り上げました。内容は、下記の通りです。サッカーに偏った感がありますが、ラテンアメリカ・レベルでは、圧倒的にブラジルが強いからです。
1)ブラジルの著名作家・詩人
2)ブラジルの著名画家
3)ブラジルの著名作曲家
4)ブラジルの著名建築家
5)ブラジルの著名サッカー選手
6)ブラジルの著名ボクサー
7)国際空港に見るブラジル人
8)紙幣にみるアブラジル人
1)ブラジルの著名作家・詩人
ブラジル文学というと日本ではあまり知られていない。ここでは、原則日本語の翻訳のある作家11名を紹介する。
*ジョゼー・デ・アレンカール José de Alencar
1829年~1877年。 ブラジルの弁護士、ジャーナリスト、政治家、小説家等。ブラジルのロマン主義文学を代表する作家。主要な作品は、 「イラセマ」Iracema,Lenda de Ceara で先住民の娘イラセマと白人戦士のマルチンとの恋の葛藤を通じて,ブラジル人誕生を象徴的に描く神話的世界。他に「オ・グアラニー」O Guaraniがある。
*ジョアキン・マシャード・デ・アシス Joaquim Maria Machado de Assis
1839年~1908年。 ブラジルの小説家、詩人。 ブラジルの写実主義の代表者でブラジル文学史上最大の文豪と評価されている。1896年、ブラジル文学アカデミーを設立。代表作は、「ドン・カズムーロ」Dom Casmurroで妻と親友の間の不倫に嫉妬で苦悩する主人公を描く。他に 「ブラス・クーバスの死後の回想」
1881- Memórias Póstumas de Brás Cubasがある。
*エウクリーデス・ダ・クーニャ Euclides da Cunha
1866年~1909年。 ブラジルの作家、社会学者、ジャーナリスト。代表作は「奥地の反乱」Os Sertõesで、19世紀末バイーア奥地で繰り広げられた「カヌードス戦争」をエスタド・デ・サンパウロ紙の特派記者として現地取材した著者が、従軍記事を再構成し、そこに土地や住民についての地理学・人類学的考察を加えた作品である。(岸和田仁氏の原稿から引用)
*グラシリアーノ・ラーモス Graciliano Ramos
1892年~1953年。ブラジルのモデルニスモ作家、政治家、ジャーナリスト。セルトンの住民の貧困層の生活を描く。 代表作は 「干からびた生活」 Vidas Secas や「監獄の追憶」 Memorias de Carceresは映画化されている。
*マリオ・デ・アンドラ―デ Mario de Andrade
1893年~1945年。 ブラジルの詩人、小説家。ブラジルのモデルニスモの創始者の一人、ブラジルの近代詩を確立した。代表作は「マクナイーマ」Macunaimaで、インデイオに関わるおとぎ話を連ねたジャングルに生まれた英雄マクナイーマのストーリー。
*ジョゼー・リンス・デ・レーゴJosé Lins do Rego Cavalcanti
1901年~1957年。ブラジルの小説家。代表作は「砂糖園の子」Menino do Engenhoで北東部の広大な砂糖園の中で繰り広げられる自伝的小説で、失われた時を求めてをほうふつとさせる。他に「消えた火」Fogo Mortoがある。
*ジョアン・ギマランエス・ローザ Jolão Guimarães Rosa
1908年~1967年。 20世紀で最も重要な作家の一人と評価されるブラジルの作家、外交官。主要な作品は、「大いなる奥地 小径」 Grande Sertao : Veredasでモデルニスモの実験的ロマンス小説と言われている。
*ジョルジェ・アマ―ド Jorge Amado
1912年~2001年。 20世紀ブラジル文学を代表する作家で作品の多くが英語、フランス語等48の言語に翻訳されている。代表作は「カカオ」Cacau、「フロル夫人と二人の夫」Dona Flor e seus dois maridos。1994年、ポルトガルの「カモンイス賞」を受賞。1977年には、ノーベル文学賞候補になった。
*クラリッセ・リスペクトル Clarice Lispector
1920年~1977年。 ウクライナ生まれのブラジルの女流作家。革新的な小説と短編で国際的に評価されている。代表作は、「G.H.の受難」 A paixao segundo G.H.と「家族の絆」 Lacos de familiaは日本語訳がある。「星の時」A hora da Estrelaは映画化された。
*パウロ・コエリョ Paulo Coelho
1947年~ ブラジルの作詞家、小説家。現在世界で最も読まれている作家で、彼の作品は38か国語に訳されている。代表作は、「星の巡礼」 Diario de um Magoでデビュー作で、この作品により、ブラジル人のサンテイアゴ・デ・コンポステラ巡礼が急激に増加した。その他「アルケミスト」O Alquimista 、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」 Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei等々。2007年アンデルセン賞を受賞。日本でも多数の文庫本が出版されている。
*ネリダ・ピニョン Nelida Pinon
1987年~ 。ブラジルの作家、脚本家、エッセイスト。ブラジルで現在、喪音も先端的な作家と考えられている。代表作は、「夢の共和国」 A republica de sonhos、「カエタナのスイート・ソング」A doce cancao de Caetana。2005年、アストウリアス皇太子賞を受賞。
2)ブラジルの著名画家
インターネットで検索すると、次のような画家が出て来る。下記のTrading Million Dollar Painting for Brazilian Paintersを参照のこと。
画 家 名 | 画 家 名 |
1)Tarsila do Amaral | 2)The Bracher Family |
3)Romero Britto | 4)Roberto Burle Mary |
5)Siron Franco | 6)Francisco Galeno |
7)Arcangelo Ianelli | 8)Candido Portinari |
9)Alberto da Veiga Guignard | 10)Alfredo Volpi |
下記9名の画家と2名の日系人画家を紹介する。今はまだ残っているかわからないが、サンパウロのインターコンティネンタル・ホテルの宴会ルームは、下記に紹介するブラジルの著名な画家の何人かの名前が使われていた。
*ジョゼ・フェラス・デ・アウメイダ Jose Ferraz de Almeida Junior
1850年~1899年。ブラジルのアーチスト、デザイナー。グスターブ・クールベやジャン・フランソア・ミレーに流れに影響を受けた写実主義の画家。代表作は、「サウダージ」Saudade、「読書」Leitura、「モデルの休憩」Descanso domodelo等。
*タルシラ・ド・アマラウ Tarsila Aguiar do Amaral
1886年~1973年。ラテンアメリカのモデルニスムの代表的なアーチストの一人。モダンスタイルでブラジル人の願望を最もうまく表現した画家と考えられている。マルファッティーらと一緒に1920年代の「5人グループ」の一人として活躍。2018年には、ニューヨークの近代美術館(MOMA)でラテンアメリカのアーチストとして、8番目、ブラジルの画家では。ポルチナリに次いで2人目の個展が開催された。代表作は、ブエノスアイレス・ラテンアメリカ美術館にある「Abaporu」や「黒人の女」A Negra等がある。一度見たら忘れられない絵画が多い。
*ラザール・セガール Lasar Segall
1889年~1957年。リトアニア生まれのユダヤ系画家で、1923年にブラジルに移住。印象主義、表現主義、モダニズムの画家。主たるテーマは、人間の苦悩や迫害等についてのものである。代表作は、サンパウロのピナコテカにある「3人の女性」Tres jovens。他サンパウロには、「ラゼール・セガール美術館」があり、多くの作品が展示されている。
*アニータ・マルファッティ- Anita Catarina Malfatti
1889年~1964年。サンパウロ生まれ。欧州とアメリカのモダニズムをブラジルに伝えた女流画家。1917年から18年にかけてサンパウロで開催された彼女の個展は、表現方法と画題の選択で大きな論争を巻き起こした。また1922年にサンパウロで行われた「モダンアート週間」でも、「5人グループ」の一員として、モダンアートの構造と反応に革命的変化をもたらした。人物画が多い。代表作は、「トロピカル」Tropical(Pinacoteca)、「黄色の男」O homem amarelo、「ロシアの学生」Estudante rusa(MASP)、「日本人」O japones等。
*エミリアーノ・デ・カヴァウカンチ Emiliano Augusto de Cavalcanti de Albuguerque Melo
1897年~1976年。いかなるヨーロッパの影響を受けない自由なブラジル絵画の形式を生み出そうとしたブラジルのモデルニスモの画家、デザイナー、イラストレーター。代表作は、「グアランチゲタの5人の少女」Cincomocas de Guaratingueta(MAC)、「サンバ」Samba(2012年に競売に付され、1000万ドルで落札されたが、同年火事で焼失)等。
*カンジド・ポルチナリ Candido Portinari
1903年~1962年。サンパウロ州生まれ。ブラジルの画家。16歳の時にリオの国立芸術学校で学ぶ。生涯を通じ、ブラジルの労働者、貧困層などの姿を描き、30年の間に500点ばかりの作品、デッサン、壁画を残した。ニューヨークの近代美術館(MOMA)でブラジル人の画家として初めて個展が開催された。代表作は、ミナスジェライス州の「聖サンフランシスコ協会の壁画」、サンパウロ市のラテンアメリカ記念公園にある「チラデンテスTiradentes、サンパウロのPinacotecaにある「メスチーソ」Mestico、サンパウロ美術館(MASP)の「ヘチ
ランテス」Retirantes等。
*リジア・クラーク Lygia Clark(Ligia Pimentel Lins)
1920年~1988年。絵画と造形のアーチスト。リジア・パピと並んでネオ・コンクリート運動の代表的メンバー。当初は幾何学的な抽象的な絵画や彫刻を制作していたが、徐々にインタラクテイブで型にはまらない作品を制作するようになった。世界各地で個展や回顧展等をおこなった。2004年には、国立近代美術館で開催された「ブラジル ボディノスタルジア展」に出展した他2014年にhMOMAで回顧展が開催された。代表作は、Bicho(動物)シリーズでGoogleの各国のロゴに使用されている。
*リジア・パピ Lygia Pape
1927年~2004年。ブラジルのビジュアル・アーチスト、彫刻家,映画制作者。コンクリート・アート運動の代表的アーチスト。1950年~60年代のブラジルにおけるニュー・コンクリート運動の共同創始者。ヴェネツイア・ビエンナーレに出展の他、ロサンゼルス、リスボン、ミュンヘン、ロンドン、マドリード等で展示会を開催している。
*アントニオ・デイアス Antonio Manuel Lima Dias
1944年~2018年。ブラジルのプラスチック・アーチスト、マルチメデイア・アーチスト、デザイナー、大学教授。政治やジェンダーを主題とする作品を多く制作、ミニマリズムやポップアートの影響もうけている。ヴェネツイアやサンパウロのビエンナーレに参加。テート美術館やフィラデルフィア美術館で個展も開催している。
*日系の著名画家
サンパウロのピナコテカを訪問すると多数の日系人画家が活躍したことがわかる。代表的な画家として、2名を紹介する。マナブ間部(Manabu Mabe、1924年~1997年)海外のビエンナーレ等で数々の賞を受賞、ブラジルのピカソと呼ばれた。作品の多数は熊本県不知火美術館にある。もう一人、ビジュアル・アートで有名な大竹富江(Tomietake、1913年~2015年)で絵画家、版画家、彫刻家で、サンパウロのいたるところで彼女の壮大な彫刻が見られる。また彼女の名前のついた研究所(Instituto Tomie Otake)もある。彼女の息子のルイ・オ―タケはブラジルを代表する建築家である。
3)ブラジルの著名作曲家
ここでは、下記7名を紹介するが、インターネットで調べると、「Os 33 maiores compositores de todos os tempos, Rebeca Fuks, 2021年」8月)というページがある。以下紹介する。
作曲家名 | 作曲家名 |
Chiguinha Gonzaga(1847-1935) | Gilberto Gil(1942- ) |
Heitor Villa-Lobos(1887-1959) | Milton Nascimento(1942- ) |
Pixinguinha(1897-1973) | Caetano Veloso(1942- ) |
Ary Barroso(1903-1964) | Paulinho da Viola(1942- ) |
Cartola(1908-1980) | Tim Maria(1942-1998) |
Noel Rosa(1910-1937) | Chico Buarque(1944- ) |
Adoniran Barbosa(1910-1982) | Maria Bethania(1946- ) |
Luiz Gonzaga(1912-1989) | Belchior(1946- ) |
Vinicius de Moraes(1913-1980) | Aldir Blanc(1946-2020) |
Lupicinio Rodrigues(1914-1974) | Alceu Valenca(1946- ) |
Dorival Caymmi(1914-2008) | Toquinho(1946- ) |
Dona Ivone Lara(1921-2018) | Djavan(1949- ) |
Tom Jobim(1927-1994) | Rita Lee(1947- ) |
Tom Ze(1936- ) | Cazura(1958-1990) |
Badem Powell(1937-2000) | Renato Russo(1960-1996) |
Roberto Carlos(1941- ) | Marisa Monte(1967- ) |
Erasmo Carlos(1941- ) |
*エイトール・ヴィラ・ロボス Heitor Villa-Lobos (1887-1959)
1887年~1959年。ブラジルのみならず20世紀を代表する作曲家、指揮者、クラシックギターリスト、チェリスト。クラシックの技法とブラジルの民族音楽と融合させた。1923年に政府の奨学資金を得て、パリに留学、ヨーロッパでルービンシュタイン等に認められた。帰国後、1930年にリオの音楽院院長に就任。交響曲、ショーロ、映画音楽、バレエ音楽、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、ギター曲等広範囲な領域で1,000以上の作品を創作した。代表作は、「ブラジル風バッハ」Bachianas Brasileiras(9つの楽曲を集めた組曲)。12の交響曲、17の弦楽四重奏曲等もある。日本でも良く知られている数少ないラテンアメリカの作曲家で、時折、ヴィラ・ロボスの演奏会も開かれている。
*モーツアルト・カマルゴ・グアル二エリ Mozart Camargo Guarnieri
1907年~1993年。ブラジルの作曲家。サンパウロ音楽院で作曲とピアノを学んだ。1940年代にアメリカでいくつかの重要な賞を受賞し、ニューヨーク、ボストン、シカゴ等で指揮を執る機会を得た。作曲は後半に及び、交響曲、協奏曲、カンタータ、オペラ、ピアノやバイオリン曲、50以上の歌曲がある。代表作は、「Symphony No1-No6」、「Piano concerto No1-No6」等がある。後にサンパウロ交響楽団の指揮者を務めた他、サンパウロ音楽院の教授として、ブラジル音楽界の発展に貢献した。
*カシルダ・ボルジェス・バルボーザ Cacilda Borges Barbosa
1914年~2010年。ブラジルのピアニスト、指揮者、作曲家。ブラジルにおけるエレクトロニクス音楽のパイオニアの一人。ブラジル国立音楽学校を卒業。1950年に最初のアルバム[Estudos Brasileiros para Canto]を発表し、それ以降、指揮者として活躍した。作品は、ブラジルを意識したものが多いが、オーケストラや室内音楽も手掛けた。代表作は、「Rio de Janeiro Suite for strings (1st & 2nd mov)他。1930年頃からヴィラロボスと活動を共にし、後にヴィラロボス・インスティトゥートのデイレクターを務めた他、リオ連邦大学の国立音楽学校の教授として後進の育成を図った。
*エウニーセ・カトゥンダ Eunice de Monte Lima Katunda
1915年~1990年。ブラジルのピアニスト、作曲家、指揮者、教育者。12歳でピアノ演奏デビュー。民族音楽と12音技法と結びつけた。クラシック、ソナタ、リリック等多くの作曲を手掛けた。とりわけヴィシニウス・ジ・モライスとの共作が多い。後に、ブラジリア大学で音楽学、リオ・デ・ジャネイロ音楽院で作曲を教えた。
*アントニオ・カルロス・ジョビン Antônio Carlos Jobim
1927年~1994年。ブラジルの作曲家、編曲家、ミュージシャン。20世紀のブラジルの代表的な作曲家でブラジル大衆音楽(MPB)のもっとも偉大な作曲家。ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ジ・モライスとともにボサノヴァの創始者。モライス、スタンゲッツやフランク・シナトラとの共演でも有名。代表作は、「想いあふれて」Chega de saudade、「イパネマの少女」A Garota de Ipanema、「A Felicidade」、「Desafinado」「ジェット機のサンバ」Samba de aviao、「波」Tide等々多数。リオのガレオン国際空港は彼の名前をとってアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港と1999年に命名された。また2016年リオ・パラリンピックのマスコットは「トム」という名前である。
*バーデン・ポーウエル Baden Powell Aquino
1939年~2000年。ブラジルの音楽家、ギターリスト、作曲家。名前はボーイスカウトの創始者からとった。サンバ、ボサノヴァ、クラシックと広範囲な演奏、作曲を行った。19歳の時に、「悲しみのサンバ」Samba tristeを作曲した。その後、ヴィシニウス・ジ・モライスと共作で、1966年に「Os Afro-samba de Baden e Vicinius」を発表。1967年にベルリンで開催されたギターワークショップで、楽曲に対する独特のアプローチと奏法で一躍ヨーロッパ中に知れ渡った。オリジナル・アルバムも多数発表した。1970年と71年には訪日し、コンサートを行った。71年には、「Live in japan」を発表した。
*セルジオ・アッサード Sérgio Assad
1952年~ 。モロッコ系ブラジル人のクラシック・ギターリスト、作曲家、編曲家。弟のOdairと「アサッド兄弟」で出演することが多い。アンドレス・セゴビアの孫弟子。ピアソッラ、ヴィラロボス、ヒナステラの作品の編曲及び演奏の他、多数の作品を作曲した。代表作は、「ブラジル組曲」Suite Brasileiro Ⅰ~Ⅴ、「カリオカ幻想曲」Fantasia Carioca Guitar Foundation of Americaからの依頼の作品。ラテン・グラミー賞を2回受賞しており、2002年、「Sergio and Odair Assad Play Piassolla」でベスト・タンゴ・アルバム賞と2008年、「Tahhiyya Li Ossoulina」でベスト・コンテンポラリー・コンポジション賞である。
「ブラジルの曲目とその作曲家」
曲目 | 作曲家 | その他、コメント |
A Garota de Ipanema,Agua de beber, Dasafinado, A Felicidade, Chega de Saudade、
So danco samba |
Antonio Carlos Jobim
(1927-1994) |
ボサノヴァの創始者の一人。「イパネマの少女」は特に有名 |
Samba de minha terra | Dorival Caymmi(1914-2008) | 「わが故郷のサンバ」 |
Aquarela do Brasil | Ary Barroso
(1903-1964) |
「ブラジルの水彩画」またはサンバ・ブラジルとして有名 |
Tristeza | Niltinho (Nilton de Souza),Haroldo Lobo | 誰もが知っているサンバ。1966年のカーニバルの曲 |
Carinhoso | Pixinguinha(1897-1973) | MPB(ブラジル大衆音楽)の代表的作曲家 |
Mais que nada、Chove Chuva | Jorge Bem Jor(1945-)) | セルジオ・メンデスの歌で有名になった |
Manha de Carnaval | Luis Bonfa(1822-2001) | 「黒いオルフェ」の主題歌 |
Tico-tico no fuba | Zequinha de Abreu(1880-1935) | ショーロの曲目。Tico-ticoはホオジロ科の鳥の名称 |
4)ブラジルの著名建築家
ブラジルは世界的に有名な建築家を輩出している。ここでは建築のノーベル賞と言われるブリツカー賞受賞者を2名紹介する。
*オスカル・ニーマイヤー Oscar Ribeiro de Almeida Niemeyer Soares Filho
1907年~2012年(104歳で死亡)。リオデジャネイロ市で生まれる。リオデジャネイロ国立芸術大学建築学部卒業。プリツカー賞受賞(1988年)のみならず、王立英国建築家協会(RIBA)のロイヤル・ゴールド・メダル(1998年)、日本の高松宮殿下世界文化賞(2004年)等も受賞している。彼の名声を轟かせたのは、何といっても、ル・コルビジェと共作したニューヨークの国際連合本部ビル(1952年)やルシオ・コスタとともに設計したブラジルの新首都ブラジリアである。当時のクビチェック大統領の主導のもとに1954年から60年にかけて野心的なプロジェクトを展開した。彼は、大統領官邸、大統領府、国会議事堂、三権広場、外務省、国立劇場、大聖堂等を設計した。
その他有名な建築物は下記の通り。
・カノアスの住宅(自宅、1942年、リオデジャネイロ))
・コパン・コンプレックス(1951年、サンパウロ)
・イビラプエラ公園プロジェクト(1951年、サンパウロ、ビネナル展示場、最近では、2005年に劇場を設計している)
・サンボドロモ・ダ・マルケス・ジ・サプカイ(1983年、リオデジャネイロ)
・ラテンアメリカ・メモリアル・コンプレックス(1986年~89年、サンパウロ)
・ニテロイ現代美術館(1996年、リオデジャネイロ) 等である。
彼は、左翼主義的な思想の持主だったので、当時の軍事政権とは相いれず、1967年から20年間、パリに亡命した。私が初めてニーマイヤーの建築を見たのは、1973年にサンパウロに出張した時で、セントロのコパン・ビルであった。大きなうねりを持つ壁面に大きな驚きを覚えた。「自由な曲線美」に魅了されたものだ。それ以降、リオ、パラナ、ベロオリゾンテ、サンパウロ等で可能な限り彼の建築を見るようにした。
*パウロ・メンデス・ダ・ローシャ Paulo Mendes da Rocha
1928年~2021年。、エスピリト・サント州、ヴィト―リア市生まれ。マッケンジ―建築学校卒業。プリツカー賞(2005年)に加え、2017年には王立英国建築家協会(RIBA)のロイヤル・ゴールド・メダル、さらに高松宮殿下記念世界文化賞も受賞している。二―マイ―ヤ―の知名度には劣るが、サンパウロ市のピナコテカ美術館〈1993年)やパウリスタ通りにあるFIESP Cultural Center(サンパウロ産業連盟ビル、1999年)の設計と言えば、駐在員には馴染深い。パウリスタ通りの建築には、日系人のルイ・オ―タケのものもある。また日本との関係では、1970年の大阪万国博覧会のブラジル館を手掛けた。最近では、2016年ヴェネツイア・ビエンナーレで国際金獅子賞も受賞している。
その他の作品は下記の通り。
・パウリスターノ・アスレテイック・クラブ(1957年)
・パオロ・メンデス・ダ・ローシャ自邸(1960年)
・Serra Dourada Stadium(1973年、ゴイアニア)等が挙げられる。
・同氏は、2021年5月23日に死亡した。
「ブラジルの主要建築の設計者」
*Church of Our Virgin of the Conception、1736年~65年(サルバドール)、Manuel Cardoso da Sadanha.
*Church of Our Lady of Pilar、1730年代(オウロプレト)、António Francisco Lisboa (Aleijadinhoの父),
*Nossa Senhora do Carmó (オウロプレト)Manoel Francisco Lisboa(アレイジャジーニョの父) António Francisco Lisboa(Aleijadinho)
*Franciscan church、1774年(サンジョアン・デル・レイ)、Church of St. Francis of Assisi 1774年(オウロプレト)António Francisco Lisboa(Aleijadinho)
*New Academy of Fine Arts、1826年(リオ)、 Municipal Market、1800年代半ば(リオ)、 Plaza of Commerce、1820年(リオ) (1820)、Grand Jean de Montigny
*Santa Isabel Theatre、1850年(レシフェ)、Louis Léger Vauthier
*Theatre of the Peace、1978年、《ベレン》José Tibúrcio de Magalhäes
*Municipal Theatre、1905年~09年(リオ)Francisco de Oliveira Passos
*Amazonas Theatre、1896年(マナウス)、 B.A. de Oliveira Braga
*The Seaplane Station、1938年、Attilio Corrêa Lima
*Brazilian Press Association Building、1938年(リオ)、 Marcelo and Milton Roberto
*Santos Dumont Airport、1939年~44年(リオ) Marcelo and Milton Roberto
* Niemeyer’s House、1953年(カノアス、リオ)、Oscar Niemeyer
* Palace of the Dawn、1956年~58年(ブラジリア)、Oscar Niemeyer
*New Pinacoteca、1993年(サンパウロ)、Paulo Mendes da Rocha
5)ブラジルの著名サッカー選手
ブラジルと言えば、誰もがサッカーの超大国だと認める。FIFAワールドカップは、今まで21回開催されているが,21回全回出場はブラジルだけだし、内5回優勝も堂々1位である。2016年リオのオリンピックでも優勝したし、オリンピックでの成績は2位が3回、3位が2回となっている。世界の名サッカー選手をインターネットで調べても、ブラジルの選手が多数リストアップされている。ここでは、名選手29名と名監督を紹介する。
*アルツール・フリーデンライヒ(Arthur Friedenreich)
1892年~1969年、引退は1934年。FW。愛称は「タイガー」。SCジェルマーニア→CAイピランガ→CAパウリスターノ→フラメンゴ等に所属。ブラジル代表1914年~25年、国際試合16戦7得点。1919年南米選手権最優秀選手賞・得点王。生涯ゴール1329得点はギネス世界記録。伝説的ストライカー。当時はほとんど無償での出場であった。ラテンアメリカに影響を与えたサッカー選手の第8位にランクされている。
*ニウトン・サントス(Nilton Santos)
1925年~2013年。 DF、左サイドバック。愛称は「エンシクロペディア」。ボタフォーゴ所属。ブラジル代表1949年~68年、国際試合75戦3得点。ワールドカップに4回出場(うち1950年ブラジル大会、1954年スイス大会は準優勝、1958年スエーデン大会と1962年チリ大会は優勝)
*ジジ(Didi Valdir Pereira)
1928年~2001年。 MF。フルミネンセ→ボタフォーゴ→レアル・マドリ―→CDベラクルス(メキシコ)→サンパウロ等に所属。ブラジル代表1952年~1962年、国際試合68戦20得点。ワールドカップ3回出場(うち1958年スエーデン大会、1962年年チリ大会で優勝)。引退後はペルーの代表監督を務めた。20世紀最大のプレーヤーの中に必ず含まれる。
*ジャウマ・サントス(Djalma Pereira Dias dos Santos)
1929年~2013年。DF、右サイドバック。ポルトゲーザ→パルメイラス→アトレテイコPRに所属。ブラジル代表1952年~69年、国際試合111戦11得点。ワールドカップに4回出場(うち1958年スエーデン大会と1962年チリ大会は優勝)ニウトン・サントスは左、ジャウマ・サントスは右のサイドバックとして傑出した守備力を誇った。代表キャップも111に達した。
*ガリンシャ(Garrincha Manoel Francisco dos Santos)
1933年~1983年。FW。愛称は「ガリンシャ」(ミソサザイ)、「脚の曲がった天使」。 ボタフォーゴ→コリンチャンス→フラメンゴ等に所属。ブラジル代表1955年~66年、国際試合50戦12得点。ワールドカップには3回出場(うち1958年スエーデン大会、1962年チリ大会の優勝に貢献した。ブラジルのジャーナリストは「ペレはアスリート、ガリンシャはアーチスト」と評している。ペレと並び称される選手。引退後はアルコール依存症で若くして亡くなった。映像で見た彼のバナナシュートは忘れられない。
*ペレ Pele (Edson Arantes do Nascimento)
1940年生まれ、1977年引退。 FW。MF。 愛称「ペレ」、「O Rei」(王様」。サントス(19年在籍)→ニューヨーク・コスモス。ブラジル代表1956年~71年、国際試合92戦77得点。ワールドカップには4回出場(うち1958年スエーデン大会優勝・最優秀若手選手賞、1962年チリ大会優勝、1970年メキシコ大会優勝)、3回の世界制覇を遂げた。その他、1959年コパ・アメリカ得点王、1965年コパ・リベルタドーレス得点王、1971年南米年間最優秀賞、1976年北米サッカーリーグ最優秀選手賞。引退後は、FIFAの親善大使、カルドーゾ政権のスポーツ大臣などを務めた。どのアンケートでも最上位にランクされ、王様にふさわしいサッカー史上最高の選手の1人。22年間のプロ生活で1363試合に出場し1281のゴールを達成した。
*ジェルソン(Gerson de Oliveira Nunez)
1942年生まれ。MF。愛称は「オウム」。 フラメンゴ→ボタフォーゴ→サンパウロ→フルミネンセに所属。ブラジル代表1961年~1970年、国際試合70戦14ゴール。ワールドカップに2回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、ペレ、ジャイルジーニョ、リベリーノ等を揃えた中でMFとして活躍した。
*ジャイルジーニョ(Jair Ventura Filho)
1944年生まれ、1983年引退。愛称は「ハリケーン」。ボタフォーゴ→オリンピック・マルセイユ→ポルトゲーザ→ビルステルマン〈ボリビア〉→ボタフォーゴ等に所属。ブラジル代表1964年~82年、国際試合81戦33得点。ワールドカップは3回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、ジャイルジーニョは6試合すべてでゴールし、7ゴールでシルバー・ブーツ賞を受賞。)
*カルロス・アウベルト(Carlos Alberto Torres)
1944年~2016年。DF.右サイドバック。愛称は「カピトン」。フルミネンセ→サントス→ニューヨーク・コスモス等に所属。ブラジル代表1964年~77年、国際試合53戦8得点。1970年ワールドカップ・メキシコ大会優勝時のキャプテンで、決勝のイタリア戦でスーパーゴールを決め、優勝に導いた。引退後は、フルミネンセ、ボタフォーゴ、フラメンゴ等のチーム監督、メキシコのクラブの監督、オマーンやアゼルバイジャンの代表監督を務めた。攻撃的サイドバックの創始者。
*リヴェリーノ(Roberto Rivelino)
1946年生まれ、82年引退。FW。MF。ニックネームは「リーヴァ」。コリンチャンス(17年在籍)→フルミネンセ→アルヒラル(サウジアラビア)に所属。ブラジル代表1965年~78年、国際試合122戦43得点。ワールドカップに3回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、3回で15戦6得点)。「左足の魔術師」と呼ばれた。引退後は清水エスパルスで短期間監督を務めた。1973年サンパウロ出張中にパカエンブ―・スタジアムでコリンチャンスの試合を見る機会があり、リヴェリーノも出場していた。
*ジーコ(Arthur Antunes Coimbra)
1953年生まれ、1995年引退。 FW。 愛称は「白いペレ」。フラメンゴ→ウディネーゼ→フラメンゴ→鹿島アントラーズに所属。ブラジル代表1976年~86年、国際試合94戦77得点、ワールドカップ3回出場。ブラジル・リーグ最優秀選手賞2回、南米年間最優秀選手賞3回、トヨタカップ最優秀選手賞(1981年)。ジーコは「やせっぽち」という意味。引退後は指導者としての道を歩み、日本やイラクの代表監督の他、トルコ、ロシア、カタールなど世界のチームの監督を務めた。日本の鹿島アントラーズのために選手として監督として貢献した他Jリーグの発展に寄与した。2018年より鹿島アントラーズのコーチ兼テクニカル・デイレクターを務める。
*パウロ・ロベルト・ファルカン(Paulo Roberto Falcao)
1953年生まれ。NF。愛称「第8代ローマ王」。インテルナショナル→ローマ→サンパウロ等に所属。ブラジル代表1976年~86年、国際試合36戦9得点。ワールドカップには2回出場(うち1982年スペイン大会ではシルバーボール賞を受賞)。70年代後半から80年代半ばにかけて、ブラジルの代表的ボランチ。引退後はブラジル代表監督、日本代表監督を務めるほかメキシコやブラジルのクラブの監督を務めた。
*ソクラテス(Socrates Brasileiro Sampaio Vieira de Oliveira)
1954年~2011年。MF。愛称「ドトール」(医者)。 ボタフォーゴ→コリンチャンスフィオレンティーナ→フラメンゴ→サントス等に所属。ブラジル代表1979年~1986年、国際試合60戦22得点。ワールドカップ2回(うち1982年スペイン大会はキャプテン)、コパ・アメリカ2回出場。1983年南米年間最優秀選手賞。映像で見ていても、ソクラテスの名前の如く非常に風格のある選手であった。ブラジル代表でも活躍したライ―は実弟。
*カレカ(Antonio de Oliveira Filho)
1960年生まれ、2000年引退。FW。愛称「カレカ」。グアラニー→サンパウロ→ナポリ(7年在籍)→柏レイソル(5年在籍)→サントス等所属。ブラジル代表1982年~93年、国際試合60戦30得点。ワールドカップには2回出場(うち1986年ワールドカップ・メキシコ大会ではシルバー・ブーツ賞を獲得。ナポリ在籍時にはマラドーナと一緒に黄金時代を築いた。柏レイソルでは、チームにプロ意識を植え付けるとともに、60戦30得点の成績を残した。
*ドウンガ(Dunga Carlos Caetano Bredorn Verri)
1963年生まれ。MF。 ニックネームは「鬼軍曹」。インテルナショナル→ヴァスコ・ダ・ガマ→ピサ→フィオレンティーナ→ストウットガルト→ジュビロ磐田→インテルナショナル等に所属。ブラジル代表1982年~98年、国際試合95戦6ゴール。ワールドカップに3回出場(うち1994年米国大会は優勝、代表キャプテン)、コパ・アメリカは4回出場(うち1989年と97年は優勝)日本のジュビロ磐田には1995年から98年まで在籍、97年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。引退後は、2階に渡りブラジル代表監督を務めた。
*ベベト(Jose Roberto Gama de Oliveira)
1964年生まれ、2003年引退。FW。 ヴィト―リア→フラメンゴ→ヴァスコ・ダ・ガマ→デポルティーボ・ラ・コルーニャ→セビージャ→ボタフォーゴ等に所属。ブラジル代表1985年~96年、75戦35得点。ワールドカップ3回出場(うち1994年アメリカ大会ではロマーリオと組んで優勝、1998年フランス大会は準優勝。1989年コパ・アメリカでは得点王、同年南米年間最優秀選手賞を受賞。ゴール時の「ゆりかごダンス」で有名。
*ロマーリオ(Romario de Souza Faria)
1966年生まれ、2010年引退。FW。愛称は「バイシーニョ」。ヴァスコ・ダ・ガマ→PSVアイントホーヘン(オランダ)→バルセロナ→フラメンゴ→バレンシア→マイアミ・ユナイテッド等に所属。ブラジル代表1987年~2005年、70戦55得点。ワールドカップ2回出場(うち1994年米国大会では優勝、大会最優秀選手賞)、1988年ソウル・オリンピック得点王、UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王2回、1997年FIFAコンフェデレーション・カップ得点王、1994年FIFA最優秀選手賞等々。プロとしてのゴール数は969得点でフル―デンライヒ、ペレに次ぐ第3位。引退後はヴァスコ・ダ・ガマの監督を務めた。2010年連邦下院議員、2014年からは連邦上院議員。
*クラウディオ・タファレル(Claudio Andre Mergen Taffarel)
1966年生まれ、2003年引退。 GK。 インテルナショナル→パルマ→レッジーナ(イタリア)→アトレティコ・ミネィロ→ガラタサライ(トルコ)→パルマ等に所属。ブラジル代表1988年~1998年、国際試合104戦。ワールドカップ3回、コパ・アメリカ5回出場。引退後はガラタサライの監督を務める。タファレルの活躍でGKを目指す子供が増えたと言われている。ガラタサライでは長友と同じマンションに住んでいた。
*レオナルド(Leonardo Nascimento de Araujo)
1969年生まれ、2003年引退。MF。DF。愛称「レオ」。 フラメンゴ→サンパウロ→バレンシア→鹿島アントラーズ→パリ・サンジェルマン→ミラン等に所属。ブラジル代表1990年~2001年、国際試合55戦7得点。ワールドカップには2回出場(うち1998年フランス大会では準優勝、1997年コパ・アメリカ優勝、コンフェデレーション・カップ優勝。引退後はミランやインテルの監督、現在はパリ・サンジェルマンのスポーツ・デイレクター。ミラン時代に何回も見た。
*ロベルト・カルロス(Roberto Carlos Silva Rocha)
1971年生まれ、2015年引退。 LDF、LMF。ニックネーム「風小僧」,[ロべカル]。ウニオン・サンジョアン→パルメイラス→インテル→レアル・マドリ―(11年間在籍)フエネルバフチェ(トルコ)ーコリンチャンス→デリー・ディナモス(インド)等所属。ブラジル代表1992年~2005年、国際試合125戦11得点。1996年オリンピック、ワールドカップ3回、コパ・アメリカ2回出場。FIFAワールドカップ・ベストイレブン2回、UEFA最優秀DF賞2回。引退後はロシア、トルコ、インドのクラブ監督を務める。
*リバウド(rivaldo Vitor Borba Ferreira)
1972年生まれ、2014年引退。 FW MF。サンタクルス→パルメイラス→デポルテイーボ・ラ・コルーニャ→バルセロナ→ミラン→クルゼイロ→オリンピアコス→モジミリン等に所属。ブラジル代表1993年~2003年、国際試合74戦35得点。ワールドカップ2回出場、2002年日韓大会では5得点。1999年FIFA最優秀選手賞・バロンドール・コパ・アメリカ最優秀選手賞・得点王。2008年以降、出身母体のモジミリンの会長。筆者はブラジルが優勝した2002年日韓ワールドカップの準々決勝のブラジル―イングランド戦(於:静岡)を見学する機会があった。
*ロナウド((Ronaldo Luis Nazario de Lima)
1976年生まれ、2011年引退。 FW。 愛称「フェノメノ」(現象、怪人)。クルゼイロ→PSV(オランダ)→バルセロナ→インテル→レアル・マドリ―→ミラン→コリンチャンス等に所属。ブラジル代表1994年~2011年、国際試合98戦62得点。ワールドカップには4回出場(うち1998年フランス大会では準優勝・最優秀選手賞、2002年日韓大会では優勝・得点王8点)、コパ・アメリカ2回出場・2回優勝・1回得点王。FIFA最優秀選手賞3回、バロンドール2回、スペイン・リーグ得点王2回。ミラノ駐在中の1997年にロナウドがバルセロナからインテルに移籍するということで、セリエAのシーズンチケットを購入し、毎回ロナウドの試合を見ることができた。
*ロナウジーニョ・ガウーショ(Ronaldo de Assis Moreira)
1980年生まれ、2018年引退。MF。FW。愛称「ガウーショ」。グレミオ→パリ・サンジェルマン→バルセロナ→ミラン→フラメンゴ→アトレチコ・ミネィロ等所属。ブラジル代表1999年~2013年、国際試合97戦33得点。ワールドカップには2回出場(うち2002年日韓大会優勝。バロンドール2005年、FIFA最優秀選手賞2004年、2005年。UEFA最優秀選手賞2006年、南米年間最優秀選手賞2013年。常にランキングの上位に位置する選手である。日韓大会の準優勝のイングランド戦でロナウド、リバウドとともに観戦することができた。
*カカ(Ricardo Izecson dos Santos Leite)
1982年生まれ. MF.FW. 愛称「貴公子」。サンパウロ→ミラン→レアル・マドリ―→オーランド・シテイ→サンパウロ等に所属。ブラジル代表2002年~2016年、国際試合92戦29得点。ワールドカップには3回出場。2009年FIFAコンフェデレーション・カップ優勝(最優秀選手賞)。2006年~07年UEFA年間最優秀選手賞・UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王・最優秀FW賞、2007年バロンドール賞・FIFA最優秀選手賞。背が高く非常にカッコいい人気選手であった。
*アドリアーノ(Adriano Leite Ribeiro)
1982年生まれ、2016年引退。 FW。 ニックネームは「皇帝」(ハドリアヌス)。フラメンゴ→インテル→パルマ→ローマ→コリンチャンス等に所属。ブラジル代表2000年~2010年、国際試合48戦27得点、ワールドカップ2回出場、FIFAコンフェデレーション・カップ2回出場(2005年には最優秀選手賞、得点王)、コパ・アメリカ2004年出場(最優秀選手賞、得点王)。
*ダニエウ・アウヴェス(Daniel Alves da Silva)
1983年生まれ。 DF。 バイーア→セビージャ→バルセロナ→ユーヴェントス→パリ・サンジェルマン→サンパウロ等に所属。ブラジル代表2005年~ 国際試合114戦8得点、FIFAワールドユース2003年優勝、ワールドカップ2回出場、コパ・アメリカ5回出場(2019年大会最優秀選手賞)、FIFAコンフェデレーション・カップ2回出場2回優勝。FIFA/FIFPro(国際プロサッカー選手会)世界イレブンに6回選出。
*チヤゴ(Thiago Emiliano da Silva)
1984年生まれ。 DF。 ユーヴェントゥージ→ポルト→フルミネンセ→ミラン→パリ・サンジェルマン→チェルシー等に所属。ブラジル代表2008年~ 、国際試合85戦7得点。ワールドカップ3回出場、北京(銅メダル)とロンドン(銀メダル)のオリンピックにも出場。フランス・リーグベスト11,6回、FIFAワールド・ドリーム・チーム2回、コパ・アメリカ・ベスト11(2019年)に選出。
*マルセロ(Marcelo Vieira da Silva)
1985年生まれ。 LDF MF。フルミネンセ→レアル・マドリ―(2005年~ )所属。ブラジル代表2006年~ 国際試合58戦6得点、ワールドカップ2回、北京・ロンドン・オリピック出場、U23代表2回。UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー3回、FIFA/FIFProワールドイレブン6回、FIFAワールド・ドリーム・チーム2回選出。レアル・マドリ―一筋でロベルト・カルロスの後継者と言われている。
*ネイマール(Neymar da Silva Santos Junior)
1992年生まれ. FW.。愛称は「Ney」。サントス→バルセロナ→パリ・サンジェルマン所属。ブラジル代表2010年~ 国際試合103戦64得点。ワールドカップ2回出場、オリンピック2回出場(うちロンドン銀、リオ金メダル)。南米年間最優秀選手賞2回、2013年FIFAコンフェデレーション・カップ・ゴールデンボール、2015年UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王。メッシ、クリスティアーノ・ロナルドと並び人気、収入ともに最高。
*ブラジルの歴代代表監督
ブラジルは前述のようにFIFAワールドカップで5回優勝している。最初は、1958年で、ヴィセンテ・フェオラ監督、1962年にはアイモレ・モレイラ監督、1970年と2002年は、マリオ・ザガロ監督、1994年は、カルロス・アルベルト・パレィラ監督である。現在の監督はチッチ氏である。
6)ブラジルの著名ボクサー」
ブラジルは、グレーシー柔術等の格闘技で有名であるが、世界的なボクサーとなると数少ない。ここでは、日本でも有名なエデル・ジョフレを紹介する。
*エデル・ジョフレ(Eder Jofre)
1936年生まれ。世界バンタム級チャンピオン、WBC世界フェザー級チャンピオンで2階級制覇。黄金のバンタム(ガロ・デ・オウロ)と呼ばれた。78戦72勝(内50回KO)負け2回、引き分け4回。2回の敗戦相手は、日本のファイテイング原田である。当時、メキシコのホセ・メデル、原田、ジョフレとの闘いは手に汗を握る感があった。世界ボクシングの殿堂入り。
7)国際空港に見るブラジル人
インターネットで調べると、ブラジル全国に224の空港があり、内国際空港が32、国内空港が192となっている。人名がついた空港は42空港に達する。ここでは、5空港を紹介する。
ブラジルで人名のついた5空港
空港所在都市 | 空港名、人名 |
Rio de Janeiro | Aeroporto Antonio Carlos Jobin,Rio de Janeiro |
Rio de Janeiro | Aeroporto Santos Dumont Rio de Janeiro |
Brasilia | Aeroporto Presidente Juscelino Kubitscheck Brasilia |
Belo Horizonte | Aeroporto Internacional Tancredo Neves |
Manaus | Aeroporto Internacional Eduardo Gomes Manaus |
*アントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobin
1927年~1994年。リオのガレオン国際空港は彼の名前を取っている(1999年)。ブラジルの作曲家、編曲家、ミュージシャン。20世紀のブラジルの代表的な作曲家でブラジル大衆音楽(MPB)のもっとも偉大な作曲家。ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ジ・モライスとともにボサノヴァの創始者。モライス、スタンゲッツやフランク・シナトラとの共演でも有名。代表作は、「想いあふれて」Chega de saudade、「イパネマの少女」A Garota de Ipanema、「A Felicidade」、「Desafinado」「ジェット機のサンバ」Samba de aviao、「波」Tide等々多数。
*サントス・ドゥモン Santos Dumon
1873年~1932年。リオの中心部にある国内空港の名前は、彼からとっている。この空港はサンパウロ―リオ間のエアー・シャトルで有名である。ブラジルの発明家、飛行家。ブラジルでは飛行機の父と呼ばれている。ライト兄弟の飛行に贈れること3年、1906年10月に、エンテ型動力期の公開実験で、高さ3メートル、距離60メートルを達成、11月には、同じく公開実験で高さ6メートル、距離220メートルを達成した。ヨーロッパの航空のパイオニアであり、主に飛行船の造船で有名。未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られる。リオのサントス・ドゥモンの家は見学できるようになっている。
*ジュッセリーノ・クビシェッキ Juscelino Kubitschck
1902年~1976年。ブラジリア国際空港は彼の名前を取っている。ブラジルの政治家、第22代大統領。ミナス・ジェライス州に生まれ、ミナス・ジェライス連邦大学を卒業。1934年にミナス州州議会選挙に出馬・当選、その後ベロオリゾンテ市長、ミナス・ジェライス州知事を務める。1955年、「50年の進歩を5年で」というスローガンで大統領選に出馬、当選を果たす。大統領に就任するや否や、リオからブラジリア遷都を実行する。賽銭はならずサンパウロ州知事だったジャニオ・クアドロスに敗れる。ブラジリアには、「クビシェッキ大統領記念館」がある。
*タンクレド・ネーヴェス Tancredo Neves
1910年~1985年。ミナス・ジェライス国際空港名は彼の名に因んでいる。ブラジルの政治家。州議会議員、連邦下院議員、連邦上院議員、連邦司法大臣、第31代ミナス州知事等を歴任。1985年ブラジル民主運動党(PMDB)から立候補し、大差で勝利したが、85年3月14日、大統領就任前夜のミサで、倒れ帰らぬ人となった。大変人気のある人物であった。大統領候補であったアエシオ・ネーヴェスは孫にあたる。ミナス・ジェライス州政府の広大な建物群は、Cidade Administrativa Presidente Tancredo Nevesと呼ばれている。
*エドウアルド・ゴメス Eduardo Gomes
1896年~1981年。マナウス国際空港は彼に因んでいる。ブラジルの軍人、政治家。空軍元帥、空軍大臣。ペトロポリスに生まれ、レアレンゴ軍学校に入学、クリチバで砲術を学んだあと、本格的に空軍に参加。様々な政争に巻き込まれ何度も投獄される。マナウスとの関係が今一不明。
8)紙幣にみるアブラジル人
2010年以降、ブラジルで使用されている紙幣は下記の7種類であるが、人名は無く、共和国を象徴する肖像画が使用されている。ポルトガル語ではEfigie da Republica、英語ではEffigy of the Republicが使われている。具体的には、若い女性の肖像画で、ベービー・リーフの冠を付け、ローマ時代の服装で、フリジア王国(アジアの小国)の帽子をかぶっている。寓話的に共和国を象徴する。したがって、表面は色彩によって区別することになる。裏面は、ブラジルの動物が使用されている。
金額 | 表面の動物名(英語名) | 日本語名 |
2レアル | Hawksbill sea turtle | タイマイ(絶滅にひんしているウミガメの一種 |
5レアル | Great egret | ダイサギ |
10レアル | Green winged macaw | ベニコンゴ―・インコ |
20レアル | Golden lion tamarin | ゴールデン・ライオン・タマリン |
50レアル | Jaguar | ジャガー |
100レアル | Dusky Grooper | ハタ(魚)の一種 |
200レアル | Maned wolf | タテガミ・オオカミ |
以 上