執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)
「はじめに」
ラテンアメリカ協会のホームページの「投稿欄」に2021年4月から12月まで、12回にわたって、「ラテン好きのためのリベラルアーツ」というタイトルで連載しました。内容は下記の通り。
1回目 ラテンアメリカのノーベル賞受賞者
2回目 ラテンアメリカの国花と国鳥
3回目 ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーたち
4回目 ラテンアメリカの著名サッカー選手 上中下
5回目 ラテンアメリカの歴代オリンピック・ゴールドメダリスト
6回目 ラテンアメリカの著名建築家
7回目 ラテンアメリカの著名作家たち 上下
8回目 ラテンアメリカの著名ボクサー
9回目 ラテンアメリカの著名画家たち
10回目 ラテンアメリカの著名作曲家たち
11回目 ラテンアメリカの国際空港と人名
12回目 ラテンアメリカ主要国の紙幣と人名
これら一連のレポートは、ラテンアメリカ全域をカバーしていますが、個々の国に関心のある方から見ると使い勝手が悪いかも知れません。そこで今回、上記レポートを基本にして、主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録を作成することにしました。さらに詳細な情報入手を希望される方は、上記のレポートにアクセス下さい。今回はアルゼンチンを取り上げました。内容は、下記の通りです。
1)アルゼンチンのノーベル賞受賞者
ラテンアメリカ・カリブを合わせると合計17名のノーベル賞受賞者がいる。その中でもアルゼンチンは5名と堂々1位である。内訳は、化学賞のルイス・フェデリコ・ルロワール、生理学・医学賞のベルナルド・ウオッセイとセサル・ミルステイン、平和賞のカルロス・サアベードラとアドルフォ・ペレスの5名である。アルゼンチンは科学の面で突出していることがわかる。
*Luis Federico Leloir (ルイス・フェデリコ・ルロワール)1970年ノーベル化学賞受賞
1906年~1987年 アルゼンチンの生化学者、医師 パリ生まれ、フランス系アルゼンチン人。ヒスパニック系で初めての化学賞受賞者。炭水化物の新陳代謝を司るヌクレオチド、肝臓と高血圧症に関する研究で高い評価を受ける。先天的な病気であるガラクトース血症の病理分析についても高い業績をあげた。受賞理由は、「糖ヌクレオチドの発見と糖生合成におけるその役割についての研究」による。
*Bernardo Alberto Houssay(ベルナルド・アルベルト・フセイ)1904年ノーベル生理学・医学賞 受賞
1887年~1971年 アルゼンチン生理学者。脳下垂体ホルモンが動物の血糖であるグルコースを調整する役割を見出し、受賞理由である糖の物質代謝において、脳下垂体前葉ホルモンの演ずる役割を発見した。ラテンアメリカの科学発展に多大なる貢献を行った。
*César Milstein(セサル・ミルステイン) 1984年ノーベル生理学・医学賞受賞
1927年~2002年 アルゼンチンの生化学者、人生の大半を英国で過ごし、後に帰化した。ミルスタインの研究の大半は、抗体の構造と抗体の多様性が生まれる機構の解明に費やされた。他の研究者とともに、モノクローナル抗体の作成に必要なハイブリドーマの技術を確立した。受賞理由は、「免疫制御機構に関する理論の確立とモノクローナル技術の作成法の開発」である。
*Carlos Saavedra Lamas( カルロス・サーベドラ・ラマス) 1936年ノーベル平和賞受賞
1878年~1959年。アルゼンチンの学者、外交官。1932年から38年まで外務大臣を務め、パラグアイとボリビアの間でおこった「チャコ戦争」の調停など多くの業績を打ち立てた。南米諸国の間で戦争が起こった場合、第三国が特別委員会を組織し、停戦に当たり、停戦まで両国に外交的、経済的な圧力をかけるとした「ラテンアメリカ不戦条約」を提案した。1936年、国際連盟の事務局長に選出される。受賞理由は、「パラグアイとボリビア間の対立の調停」による。ラテンアメリカ人初の受賞。
*Adolfo Pérez Esquivel(アドルフォ・ペレス・エスキベル) 1980年ノーベル平和賞受賞
1931年~ アルゼンチンの人権活動家。1976年のビデラ将軍の軍事クーデターの弾圧に抵抗し、「奉仕、平和と正義のサービス」を組織し、軍事政権の行った残虐行為を国際世論に向けて糾弾した。また1975年には、ブラジルの軍事政権に拘留され、拷問を受けた。受賞理由は、「ラテンアメリカの人権向上への尽力」に対してである。
2)アルゼンチンの著名小説家・詩人
アルゼンチンは、スペイン語文学の普及に当たっては、メキシコと並び重要な役割を果たした。20世紀初頭には世界有数の経済大国であり、イタリアやスペインから大量の移民を受け入れていた。それゆえ、ヨーロッパの文学、芸術に対する関心度も高かった。有名な出版社、「ロサダ社」、「スダメリカーナ社」等が文芸作品の出版に熱心であった。アルゼンチンはラテンアメリカ随一の文学大国と言えよう。ここでは、17名の文学者を紹介する。
*ドミンゴ・ファウステーノ・サルミエント Domingo Faustino Sarmiento
1811年~1888年。アルゼンチンの教育者、作家、第7代大統領。彼の作品は広範囲のテーマを含む。代表作は、 ガウチョ文学「ファクンド」Facundo、Civilización y Barbarie, Vida de Facundo Quiroga で独裁者Juan Manuel de Rosasを批判している。教育に力を入れ、1943年に9月11日を「全米教師の日」Día Panamericano del Maestroを制定した。
*ホセ・マルモル José Marmol
1818年~1871年。アルゼンチンの詩人、ジャーナリスト、政治家、作家。ロサス独裁政権打倒に向けての活動で長く亡命生活を送った。ロマン主義の作家。代表作は、「アマリア」Amaliaでロマンス作品が多い。
*ホセ・エルナンデス José Hernández
1834年~1886年。 詩人、ジャーナリスト、軍人、政治家。ガウチョ文学の最高峰と言われる「マルテイン・フィエロ」 El Gaucho Martín Fierro や「マルテイン・フィエロの生還」 La Vuelta de Martín Fierro の作者。アルゼンチンでは、彼の誕生日である11月10日は祝日に指定され、「伝統の日」Día de Tradiciónと呼ばれる。Aquí me pongo a cantarで始まる詩は有名。
*レオポルド・ルゴーネス Leopoldo Lugones
1874年~1938年。アルゼンチンの詩人、短編、モデルニスモの担い手の1人。代表作は、「黄金の山々」 Las montañas del oro。 その他「ルゴーネス幻想短編集」が日本語に翻訳されている。アルゼンチン国民文学賞を受賞。アルゼンチン作家協会を設立した。
*リカルド・グイラルデス Ricardo Guiraldes
1886年~1927年。 アルゼンチンの詩人、小説家。 代表作は、「ドン・セグンド・ソンブラ」Don Segundo Sombraで農場主の手記を華麗な文体で描き、ガウチョ文学の最高傑作の一つと評価されている。若くして41歳で亡くなった。
*ホルヘ・ルイス・ボルヘス Jorge Francisco Isidro Luis Borges
1899年~1986年。 アルゼンチンの小説家、詩人。1960年代のラテンアメリカ文学ブームの立役者で20世紀後半のポストモダン文学に大きな影響を与えた。代表作は、 「エル・アレフ」El Aleph、「伝奇集」Ficciones、砂の本 El Libro de arena等。多数の作品が日本語に訳されている。 1979年セルバンテス賞、1999年全米批評家協会賞を受賞している。
*ロベルト・アルルト Roberto Arlt
1900年~1942年。アルゼンチンの小説家、短編作家、演劇、ジャーナリスト、発明家。 代表作は、「怒りの玩具」Juguete rabiosoで映画化された。その他、「七人の狂人」Los siete locos。ジャーナリストとしても名声を博したが42歳で早逝した。
*シルビーナ・オカンポ Silvina Ocampo Aguirre
1903年~1993年。アルゼンチンの短編作家、詩人、アーチスト。ホルヘ・ルイス・ボルヘスはスペイン語の詩人の中ではもっとも偉大な詩人の1人と称賛している。ビオイ・カサレスと結婚。代表作は、「ポルフィリア・ベルナルの日記」El diario de Porfiria Bernal、「激情」La furia、「鏡の前のコルネリア」Corneria frente al espejo等。
*マヌエル・ムヒカ・ライネス Manuel Mújica Láinez
1910年~1984年。アルゼンチンの作家、芸術評論家、ジャーナリスト。代表作は、 「ポマルツ゚ァ公の回想」Bomarzo 及び 七悪魔の旅 El Viaje de los Siete Demonios。アルゼンチン国民文学賞の初代受賞者である。
*エルネスト・サパト Ernesto Sábato
1911年~2011年。アルゼンチンの作家。代表作は、「トンネル」 El túnel、「英雄たちと墓」Sobre héroes ytumbas、エッセイ「作家と亡霊たち」El Escritor y sus fantasmas。1984年セルバンテス賞受賞、何度もノーベル文学賞候補になった。
*フリオ・コルタサル Julio Cortásar
1914年~1984年。 アルゼンチンの小説家、ラテンアメリカの代表的な作家でラテンアメリカ文学ブームの立役者の一人。 代表作は、「石蹴り」Rayuela、「対岸」La otra orilla、短編集「遊戯の終わり」Final del Juego、短編集「秘密の武器」Las armas secretas。かなりの作品が映画化されている。メディシス賞外国小説賞を受賞。
*ビオイ・カサレス Adolfo Bioy Cásares
1914年~1995年。 アルゼンチンの作家で、幻想的作風、短編の名手として有名。代表作は、「モレルの発明」La Invención de Morel、映画化された「英雄たちの夢」Los sueños de los héroes等。1990年セルバンテス賞を受賞。
*フアン・ヘルマン Juan Gelmán
1920年~2014年。アルゼンチンの詩人。ウクライナ系のユダヤ人の子として生まれる。軍事政権を糾弾したため長い亡命生活を余儀なくされた。ジャーナリストとしても活躍した。代表作は、「価値ある痛み―フアン・ヘルマン詩集」Valer la pena。 2007年セルバンテス賞を受賞。
*マヌエル・プイグ Manuel Puig
1932年~1990年。 アルゼンチンの作家。世界的に著名な作家である。代表作は、 「蜘蛛女のキス」Elbeso de la mujer arañaで映画化された。その他、「赤い唇」Boquitas Pintadas、 「リタヘイワーズの背信」La traición de Rita Hayworthがある。
*リカルド・ピグリア Ricardo Emilio Piglia Renzi
1940年~2017年。 アルゼンチンの作家、文芸評論家、映画脚本家。代表作は、「人工呼吸」Respiración artificialや「イダの道」El Camino de Ida。2011年ロムロ・ガジェーゴス賞(対象作品:Blanco nocturno。
*セサル・アイラ César Aira
1949年~ 。 アルゼンチンの作家、翻訳家。短編を多数執筆した。代表作は、「文学会議」El congreso de literature、歴史小説「モレイラ」Moreira等。多産な作家として有名で、フランス政府からシュヷァリエ勲章を受章している。
*サマンタ・シュウエブリン Samanta Schweblin
1978年~ 。アルゼンチンの作家、脚本家。人気作家で世界の25カ国で翻訳出版されている。代表作は、「口の中の小鳥」Pájaros en la boca、「救出の距離」Distancia de rescate等。フアン・ルルフォ賞ほか多数の国際的な文学賞を受賞している。
3)アルゼンチンの著名画家
アルゼンチンの著名画家をインターネットで検索すると下記の2つのリストが出てきた。その中から下記の6名の画家を紹介する。
1)10 Comtemporary Argentinian Artists to Know by Danai Morocha
画 家 名 | 画 家 名 |
Leandro Elrich | Marta Minujin |
León Ferrari | Guillermo Kuitca |
Jorge Macchi | Tomas Saraceno |
Nícola Constantino | Luis Felipe Noe |
Guyula Kosice | Marcos López |
2)Most famous painters from Argentina
画家名 | 画家名 |
Ricardo Carpani | Silvina Ocampo |
Delia del Carril | Saulo Benavente |
Ernesto Bianco | Ramón Gomes Comet |
Luis Felipe Noe | Antonio Sugui |
Eugenio Zanetti | Antonio Berni |
Emilio Pettoruti | Juan Carlos Castagnino |
Benito Quinquera Martín | Xui Solar |
Carybe | Ernesto Sábato |
*ベニート・キンケラ・マルテイン Benito Quinquela Martín
1890年~1977年。アルゼンチンの画家で、同国で最も人気のある画家の一人。彼は、port painterと呼ばれ、タンゴ発祥の地であるラ・ボカ地区の港の風景や人々の日常生活について数多く描いた。代表作は、「造船所の嵐」Tormenta en el astillero、(ルクセンブルグ美術館蔵)、「造船所の黄昏」Crepúsculos en el astillero(キンケラ・マルテイン・ラ・ボカ美術館)。神奈川県立美術館には、「溶鉱炉」という作品がある。ブエノスアイレスのクルーズ・ターミナルも彼の名前を取っている
*アントニオ・ベルニ Antonio Berni
1905年~1981年。アルゼンチンの画家、版画家、壁画家。ニューリアリズムのメンバー、表現主義、シュールリアリズムの画家。工業化がもたらす貧困について取り上げたJuanito Lagunaシリーズの絵画は特に知られている。スラムに住むファニートとアルゼンチンの貴族的な富裕層の対比を描いた。
*ルイス・フェリペ・ノエ Luis Felipe Noe
1933年~ 。アルゼンチンのアーチスト、作家、批評家、教師。ネオ・フィギュレ―ションの画家。ニューヨーク、パリ、ブエノスアイレスで活動。2009年ヴェネツイア・ビエンナーレにアルゼンチンを代表して参加。ブエノスアイレス、ニューヨーク、メキシコ、リオ等で個展を開催している
*アントニオ・セギ Antonio Segui
1934年~ 。アルゼンチンの画家、作家、イラストレーター。当初は、上流階級を笑いものにする絵画が中心であったが、徐々にポップアートに変わっていった。スペイン、フランス、メキシコでも活動。日本とも縁が深く、1966年には東京国際版画ビエンナーレに参加し、グランプリを受賞。ポーランド、プエルトリコ、フランス、ノルウエーで個展を行った。上野の西洋美術館には、彼の「罪もなく栄光もなく」というリトグラフの作品がある。
*マルタ・ミヌーヒン Marta Inés Minujin
1943年~。アルゼンチンのコンセプチュアル&パーフォーマンス・アーチスト。ユダヤ系の家に生まれる。1950年代から80年代にかけて、前衛的な作品を次々と発表した。表4にあるように、知っておくべきラテンアメリカのアーチスト10名に中に入っている。
*レアンドロ・エルリッヒ Leandro Elrich
1973年~ 。国際的に活躍するアルゼンチンのコンセプチュアル・アーチスト。視覚的な錯覚や音の効果を用いて、我々の常識に揺さぶりをかける体験型でかつインスタ映えする作品が多い。2001年のベネツイァ・ビエンナーレに参加した他、MOMAでの展示、2017年には、森美術館で彼の44の作品を集めた大規模な個展が開催された、金沢21世紀美術館には恒久的に、「スイミング・プール」Swimming Poolという作品が展示されている。
4)アルゼンチンの著名作曲家
アルゼンチンは、タンゴ発祥の地として有名であるが、ここでは、2名の作曲家を紹介するとともに、誰もが知っているタンゴ等の名曲の作曲家を紹介する。
*アルベルト・ヒナステーラ Alberto Ginastera (1916-1983)
1916年~1983年。アルゼンチンのクラシック音楽の作曲家で、ヴィラ・ロボスやマヌエル・ポンセと並び最も重要な作曲家と評価されている。ブエノスアイレス音楽院卒業後、タングルウッド音楽センターで学ぶ。1970年にヨーロッパに移住。作風も、第1期の「客観的愛国心」の時代、第2期の「主観的愛国心」の時代、第3期の「新表現主義」の時代と変わっていく。ピアソッラは、第1期の時代の弟子であった。作品の幅も、交響曲、オペラ、バレエ、室内楽、ピアノ曲、歌曲等広範囲に及んでいる。代表作は、「ピアノ協奏曲」Piano concerto No.1、オペラ曲「Bomarzo」、「アルゼンチン舞曲集」Danzas argentinas、歌曲「アルゼンチン民謡による5つの歌曲集」
Cinco canciones argentinas等。小澤征爾や堤俊作も彼の曲目を演奏している。
*アストール・ピアソッラ Astor Piazzolla
1921年~1992年。アルゼンチンの作曲家、編曲家、バンドネオン奏者。アルゼンチンの伝統的なタンゴ界に革命を起こしたと言われている。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合し、Tango nuevoを生み出した。2021年は生誕100周年で、全世界で多くのイベントが開催されている。イタリア移民3世の子として、マル・デ・ラ・プラタに生まれ、3歳の時にニューヨークに移住、15歳まで過ごす。帰国後、アニバル・トロイロの楽団に入団、頭角をあらわす、1940年から5年間、上記ヒナステラに師事、音楽理論を学ぶ。1954年、タンゴの限界を感じ、フランスに行き、著名な作曲家で音楽教育者であったナデイア・ブーランジェ―に師事し、タンゴの重要性を認識する。代表作は、「リーベルタンゴ」Libertango、「アデイオス、ノ二ーノ』Adios Noñino、「ブエノスアイレスの四季》Las cuatro estaciones porteñas等々、バンドネオン協奏曲、映画音楽、五重奏団、六重奏団、八重奏団のための作品等も多数。生まれ故郷のマル・デ・ラプラタ空港は、Astor Piazzolla International Airportと名付けられている。
「アルゼンチンの曲目とその作曲家」
曲目 | 作曲家 | その他・コメント |
La Cumparsita | Geraldo Matos Rodríguez(1897-1948) | ウルグアイの作曲家、小さな行列という意味 |
Caminito | Juan de Dios Filiberto(1885-1964) | タンゴの名曲、小道という意味 |
A Media Luz | Edgardo Felipe Valerio Donato(1897-1963) | 日本語では「淡き光に」。タンゴの名曲 |
El Choclo | Casimilo Alcorta(1840-1913) | タンゴの人気曲。米国でKiss of Fireで大ヒット |
Adiós, pampa mia | Mariano Mores(1918-2016)
Francisco Canaro(1888-1964) |
タンゴの名曲、カナロはウルグアイ人 |
Adiós muchachos | Julio Cesar Sanders(1897-1942) | タンゴの名曲 |
Buenas noches, mi amor | Juan Polito | ロマンチックなボレロの名曲 |
Mi Noche Triste | Samuel Castriota(1885-1932) | 「我が悲しみの夜」、カルロス・ガルデールが歌った曲 |
Naranjo en flor | Virgilio Hugo Expósito(1924-1997) | 「花咲くオレンジの木」、オメロとビルヒリオの兄弟作 |
Organito de la tarde | Ovidio Catulo González Castillo(1906-1975) | 日本語では「黄昏のオルガニート」 |
Liber Tango, Adiós Noñino等 | Astor Piazzolla(1921-1992) | タンゴの革命児。今年は生誕100周年 |
アルゼンチンが南米のサッカー大国であることは誰もが知っている。FIFAワールドカップでも1978年アルゼンチン大会と1986年メキシコ大会で2回も優勝しているし、準優勝も3回ある。オリンピックでも 2004年アテネ大会と2008年北京大会で金メダルを獲得している。また1978年にはワールドカップの主催国であった。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシなどは子供たちのヒーローでもある。ここでは、下記の17名を紹介する。
*オマール・シボリ(Enrique Omar Sivori)
1925年~2005年。 MF、FW。 愛称は「カベソン」(でか頭)。リーベル・プレート→ユーヴェントス→ナポリ等に所属。アルゼンチン代表1956年―57年、19戦9得点、イタリア代表1961年~62年、9戦8得点。1981年バロンドール賞を受賞。引退後はアルゼンチンの4チームで監督を務めた他代表チームでも指揮を取った。
*アルフレド・ディ・ステファノ(Alfredo Stefano Di Stefano Lauthe)
1926年~2014年、1965年引退。FW。愛称は「La Saeta Rubia」(ブロンズの矢)。リーベル・プレート→ミジョナリオス(コロンビア)→レアル・マドリ―(11年間)→エスパニョール等に所属。アルゼンチン代表1947年、国際試合6戦6得点)、コロンビア代表1949年~52年、国際試合4戦0得点)、スペイン代表1957年~61年、国際試合31戦23得点)。1950年代後半レアル・マドリ―がUEFAチャンピオンズ・カップ5連覇を達成したが、その時の中心選手。UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王2回、スペイン・リーグ得点王5回、南米年間最優秀選手賞2回、欧州最優秀選手賞2回。引退後は、バレンシア、レアル・マドリ―、ボカジュニアーズ等の監督を務めた。史上最高のサッカー選手の1人で、どのランキングにも顔を出す存在。
*セサル・メノッティ(Cesar Luis Menotti)
1938年生まれ。FW。ロサリオ・セントラル→ボカ・ジュニアーズ→サントス等に所属。選手と言うより指導者として有名。1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会では、ケンペスやパサレラ等の活躍で優勝に導いた。監督としては、スペインのレアル・マドリ―、アトレティコ・デ・マドリ―、アルゼンチンのアルゼンチン、ボカ・ジュニアーズ、リーベル・プレート等、メキシコのパチューカ等の監督を務めた。リーベル時代にチリで国際試合を行った時に見る機会があったが、紳士然としていた。
*ダニエル・パサレラ(Daniel Passarella)
1953年生まれ。デイフェンダー(センターバック)。愛称は「El Gran Capitan》。リーベル・プレートやインテルで活躍。アルゼンチン代表のキャップテンとして1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会で優勝。デイフェンダーとして451戦134のゴールをあげた。その後アルゼンチンやウルグアイの代表監督を務め、現在CAリーベル・プレートの会長。
*マリオ・ケンペス(Mario Alberto Kempes)
1954年生まれ、2000年引退。FW。 愛称は「El Matador」(正闘牛士)。インスティトゥート→ロサリオ・セントラル→バレンシア→リーベル・プレート→サンクト・べルテン(オーストリア)等に所属。アルゼンチン代表1973年~82年、国際試合43戦20得点。ワールドカップ3回出場。1978年のワールドカップは優勝、6点を挙げ得点王、最優秀選手賞。1978年南米年間最優秀選手賞。引退後はボリビア等で監督。 ワールドカップ時はテレビ映像で見ていたが非常に目覚ましい活躍であった。
*ラモン・ディアス(Ramon Diaz)
1959年生まれ、1995年引退。FW。 愛称は「El Pelado」(ハゲ)。リーベル・プレート→ナポリ→フィオレンティーナ→インテル→モナコ→横浜マリノス等に所属。アルゼンチン代表1979年~82年、国際試合22戦10得点。1979年FIFAワールドユース大会で、マラドーナとともに出場、8得点をあげ大会得点王、最優秀選手賞。1991年~92年、アルゼンチン・リーグ得点王。1993年Jリーグ横浜マリノスで28得点を挙げ、初代得点王となった。
*ディエゴ・マラドーナ(Diego Armando Maradona)
1960年~2020年11月25日。FW。 愛称は「神の子」。ボカ・ジュニアーズ→バルセロナ→ナポリ→セビージャ→ニューウエルズ・オールドボーイズ→ボカ・ジュニアーズ所属。アルゼンチンU-20代表1977年~79年、24戦13得点、アルゼンチン代表1979年~94年、91戦34得点。ワールドカップには4回出場、うち1986年メキシコ大会は優勝。ナポリ時代の1986年~87年には、ナポリを史上初のリーグ優勝に導いた他、1989年~90年もリーグ優勝を遂げた。1978年FIFAワールドユース選手権〈日本大会〉で最優秀選手賞、1986年ワールドカップ最優秀選手賞、アルゼンチン・リーグ得点王2回、セリエA得点王2回。1986年ワールドカップの準々決勝のイングランド戦では、有名な「神の手ゴール」と「五人抜き」が大きな話題となった。現役時代から薬物やマフィアとの繋がりも話題となった。引退後は、アルゼンチン、アラブ首長国、メキシコのチームの監督、2008年ワールドカップの代表監督を務めた。2020年11月25日にマラドーナの死亡が報道されると、アルゼンチンのみならず全世界が悲しんだ。筆者は幸運にも、マラドーナの試合を3回見ている。1回目は、1986年のワールドユース大会、後の2回は、セビージャ万博時代のセビージャ在籍時である。
*ガブリエル・バティストゥータ(Gabriel Omar Batistuta)
1969年生まれ、2005年引退。FW。 愛称は「師子王」。ニューウエールズ→ボカジュニアーズ→フィオレンティーナ→ローマ→アル・アラビー(カタール)等に所属。アルゼンチン代表1991年~2002年、国際試合79回54得点。ワールドカップ3回出場、98年フランス大会では5得点をあげシルバー・ブーツ賞。1991年、93年コパ・アメリカ得点王。イタリア・セリエAの外国人最多得点保持者。フィオレンティーナには9年在籍したが、フィレンツエでは英雄的存在であった。「バティゴール」と呼ばれ、強烈なゴールを連発した。ミラノ駐在時代には何度も見る機会があり、金髪のライオンのようにスタジアムを駆け回る姿は印象的であった。
*ハビエル・ザネッティ(Javier Adelmar Zanetti)
1973年生まれ、2015年引退。 DF、MF。愛称「El Tractor」(トラクター)、「Il Capitano」(キャプテン中のキャプテン)。 CAバンフィエルド→インテル(19年在籍)。アルゼンチン代表1992年~2011年、国際試合143戦5得点(アルゼンチン最多出場記録)。ワールドカップ2回、コパ・アメリカ4回出場、アトランタ・オリンピックで準優勝。現在インテルの副会長。チヤリテイ活動にも積極的。ミラノ駐在時代はインテルのシーズンチケットを持っていたので頻繁に見ることができた。
*ロベルト・アヤーラ(Roberto Fabian Ayala)
1973年生まれ、2010年引退。 DF。愛称は「El Raton」(鼠)。リーベル・プレート→ナポリ→ACミラン→バレンシア→サラゴサ→ラシン等に所属。アルゼンチン代表1994年~2007年、115戦(ザネッテイにつぐ2位)7得点、代表キャプテンを62試合務めた。ワールドカップ3回出場。1996年アトランタ・オリンピックで銀メダル、2000年アテネで金メダルを獲得。
*エルナン・クレスポ(Hernan Jorge Crespo)
1975年生まれ、2013年引退。FW。愛称は「ゴールエリアの鷲」。リーベル・プレート→パルマ→ラツイオ→チェルシー→インテル→パルマ等に所属。アルゼンチン代表1995年~2007年、国際試合54戦35得点。ワールドカップ3回出場、アトランタ・オリンピック銀メダル(得点王)。アルゼンチン・リーグとセリエAで得点王各1回。パルマでの94得点はクラブ記録。引退後はイタリア、アルゼンチンで監督、現在はFCサンパウロの監督。
*フアン・セバスティアン・べロン(Juan Sebastian Veron)
1975年生まれ、2014年引退。 MF。 愛称は「La Brujita」(小さな魔法使い。)エストゥディアンテス→サンプドリア→ラツィオ→マンチェスターユナイテッド→チェルシー→エストゥディアンテス等に所属。アルゼンチン代表1996年~2010年、国際試合73戦9得点。ワールドカップ2回出場。アトランタ・オリンピック銀メダル。2008年、09年南米年間最優秀選手賞、2009年コパ・リベルタドーレス杯最優秀選手。現在はエストゥディアンテス会長。スキンヘッドで有名。
*ハビエル・サビオラ(Javier Pedro Saviola Fernandez)
1981年生まれ。 FW。 愛称は「El Conejo」(うさぎ)。リーベル・プレート→バルセロナ→レアル・マドリ―→ベンフィカ(ポルトガル)→リーベル・プレート等に所属。アルゼンチン代表2000年~07年、40戦11得点。1999年南米年間最優秀選手賞・アルゼンチン・リーグ最優秀選手賞。
*カルロス・テベス(Carlos Alberto Martinez Tevez)
1984年生まれ。 FW。 愛称は「El Apache」(アパッチ)。ボカ・ジュニアーズ→コリンチャンス→マンチェスター・ユナイテッド→マンチェスター・シティ→ユーヴェントス→ボカ・ジュニアーズ等に所属。アルゼンチン代表2004年~15年、国際試合76戦13得点、ワールドカップ2回出場、2004年アテネ・オリンピックで優勝(得点王)。2002年コパ・リベルタドーレス最優秀選手賞、2003年~05年3年連続南米年間最優秀選手賞、2005年ブラジル・リーグ最優秀選手賞、2010年~11年プレミア・リーグ得点王。コリンチャンス時代にサンパウロのパカエンブ―・スタジアムで試合を見る機会があった。
*ハビエル・マスケラーノ(Javier Alejandro Mascherano)
1984年生まれ。DF。 リーベル・プレート→コリンチャンス→リバプール→バルセロナ→エストゥディアンテス等に所属。アルゼンチン代表2003年~18年、国際試合147戦3得点、ワールドカップ4回出場。アテネと北京オリンピックで金メダル獲得。2011年・15年、FIFAクラブワールドカップ、UEFAスーパーカップでバルセロナ優勝。
*リオネル・メッシ(Lionel Andres Messi Cuccittini)
1987年生まれ。 FW。愛称は「レオ」。 FCバルセロナ所属。アルゼンチン代表2005年~ 138戦70得点、ワールドカップ出場4回、コパ・アメリカ出場4回。バルセロナを10回、リーガ・エスパニョーラ優勝に導いた立役者。ポルトガルのクリスチアン・ロナルドと並ぶバルセロナ一筋のスーパースター。バロンドール賞6回、FIFAワールドイレブン14回、UEFA欧州最優秀選手賞2回、FIFAワールドカップ・ゴールデンボール賞1回、FIFAクラブワールドカップ・ゴールデンボール賞2回、UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王6回 等々数え切れないほどの賞を受賞している。サッカーのあらゆるランキングで上位を占めている。2021年8月に、パリサンジェルマンFCに移籍。
*ゴンサロ・イグアイン(Gonzalo Gerardo Higuain)
1987年生まれ。FW MF。愛称は「El Pepita」。リーベル・プレート→レアル・マドリ―ナポリ→ユーヴェントス→ACミラン→チェルシー→インテル・マイアミ等に所属。アルゼンチン代表2009年~18年、国際試合75戦31得点。ワールドカップ4回出場、コパ・アメリカ3回出場。セリエA得点王1回、ベストイレブン2回、UEFAヨーロッパ・リーグ、ベストイレブン2回。
6)アルゼンチンの著名ボクサー」
アルゼンチンの著名ボクサー3名を紹介する。
*パスカル・ペレス(Pascual Pérez)
1926年~1977年。1946年ロンドンオリンピックで金メダル。その後プロに入り、1954年、白井義雄と対戦し、世界フライ級王座を獲得、9度防衛。白井義雄とは2回、矢尾板貞雄とは1勝1敗、米倉健志とは2勝している。日本とは馴染の深いボクサーである。当時ラジオの短波放送でブエノスアイレスのルナパークから中継放送があり、懐かしい思い出である。世界ボクシングの殿堂入り。
*カルロス・モンソン(Carlos Monzon)
1942年~1995年。102戦89勝(うちKO61回)負け3、引き分け9.1070年ミドル級王座を獲得以来14度の防衛。1971年にはウエルター級・ミドル級の2階級制覇の米国のエミール・グリフィスをTKO。女性関係が派手で1973年、妻に足を撃たれ大手術。その後、離婚、再婚を繰り返すが、家庭内暴力等で投獄された。世界ボクシングの殿堂入り。
*オラシオ・アカバ-ジョ(Horacio Acavallo)
1934年~元WBA・WBC世界フライ級王者。83戦75勝〈内34回KO〉,負け2回、引き分け6回。
1966年3月、空位のWBA・WBC世界フライ級王座決定戦で高山勝義と対戦15回判定勝ち。同年7月には、初防衛戦で海老原博幸と対戦、15回判定勝ち。その後もう一度海老原と対戦し、退けている。1968年王座を返上し、引退。
7)国際空港に見るアルゼンチン人
インターネットで調べると、アルゼンチンには、162の空港があり、内国際空港は18、国内空港が144となっている。人名がついている空港数は42を数える。その中で3名を紹介する。
アルゼンチンで人名のついた空港 3空港
空港所在都市 | 空港名、人名 |
Buenos Aires | Aeropuerto internacional de Eseiza Ministro Pistorini |
Buenos Aires | Aeropuerto Jorge Newbery |
Mar de La Plata | Aeropuerto Internacional Astor Piazzola |
*ミニストロ・ピストリーニ Ministro Juan Pistorini
1882年~1956年。ブエノス・アイレスのEzeiza空港の正式名は彼の名前に因んでいる。アルゼンチンの軍人、政治家。フアン・ドミンゴ・ペロン時代の公共事業大臣、1944年から52年にかけて3代の大統領に公共事業大臣として仕え、その後副大統領となった。エセイサ国際空港は1945年彼が礎石式を行い4年をかけて完成した。完成当時世界で3番目に大きな空港であった。
*ホルヘ・ニューベリー Jorge Alejandro Newbery
1875年~1914年。ブエノスアイレス近郊の国内空港は彼の名前に因んでいる。父親は、米国人でアルゼンチン航空界の先駆者。彼は、「アルゼンチン航空クラブ」の設立者の一人、後に会長に就任する。アルゼンチンの空軍の創設にも尽力した。1909年軽気球による最初のアルゼンチン一周を行った。
*アストル・ピアソッラ Astor Piazzola
1921年~1992年。生まれ故郷のマル・デ・ラプラタ国際空港は、彼の名前をとっている。アルゼンチンの作曲家、編曲家、バンドネオン奏者。アルゼンチンの伝統的なタンゴ界に革命を起こしたと言われている。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合し、Tango nuevoを生み出した。2021年は生誕100周年で、全世界で多くのイベントが開催されている。代表作は、「リーベルタンゴ」Libertango、「アデイオス、ノ二ーノ』AdiosNoñino等々、バンドネオン協奏曲、映画音楽、五重奏団、六重奏団、八重奏団のための作品等も多数。
8)紙幣にみるアルゼンチン人
アルゼンチンの新札は、動物と景色であるが、それ以前の紙幣は、独立の英雄がサン・マルティンとベルグラーノ、独裁者のロサス、エビータの愛称で有名なエバ・ペロンである。
金額 | 人名 |
5ペソ | José de San Martín 現在流通せず |
10ペソ | Manuel Belgrano |
20ペソ | Juan Manuel Rosas |
50ペソ | フォークランド島等景色 Domingo Faustino Sarmiento |
100ペソ | Eva Perón、Julio Argentino Roca |
2016年の第4シリーズは下記の通り、表面は動物名で裏面は風景となっている。
金額 | 色彩 | 表面 | 裏面 |
20ペソ | 赤 | グアナコ | パタゴニアの砂漠 |
50ペソ | グレイ | アンデス・コンドル | アコンカグア |
100ペソ | 紫 | Taruca、北アンデスの鹿 | ファマティーナ山脈 |
200ペソ | 青 | Southern right whale
ミナミセミクジラ |
バルデス半島 |
500ペソ | 緑 | ジャガー | ユンガス |
1000ペソ | オレンジ | Hornero、カマドドリの一種 | パンパ |
*ホセ・デ・サン・マルティン José Francisco de San Martín y Matorra
1778年~1850年。アルゼンチンの軍人、政治家。シモン・ボリバルが南米の北部を解放したのに対し、サン・マルティンは、南部を解放したリベルタドール。スペイン軍の職業軍人として師団長まで昇進したが、アルゼンチンで独立運動が起こりつつあることを知り、アルゼンチンに戻る。ラ・プラタ軍を指揮し、サンロレンソの戦いでスペイン軍を破り、アンデス山脈越えの遠征を行い、チリ、ペルーの独立を達成した。最後は失意のうちにフランスで亡くなる。彼の遺体はブエノスアイレスの五月広場に面するカテドラル・メトロポリターナに安置されている。
*マヌエル・ベルグラーノ Manuel Belgrano
1770年~1820年。アルゼンチンの軍人、政治家。アルゼンチン独立運動の指導者の一人。1810年、マリアーノ・モレーノらと共に愛国政権評議会に参加し、副王軍に反乱を起こす。その後、革命軍を指揮し、北部軍司令官となり、アルト・ペルーの攻略を進めるが、敗退し、サン・マルティン将軍が後任となる。アルゼンチン国旗の創始者として知られている。彼の死亡した6月20日は、「国旗の日」として祝日に指定されている。また五月広場には、馬に乗ったベルグラーノの銅像がある。
*フアン・マヌエル・ロサス Juan Manuel Rosas
1793年~1877年。アルゼンチンの政治家、軍人、カウディージョ。少年時代にイギリス軍がブエノスアイレスを攻撃した際には、ポルテ―ニョ軍に参加し戦う。その後、牧畜や畜産業で財を成し、民兵(ミリシア)を抱え、カウディージョとして君臨する。1829年から32年まで第13代ブエノスアイレス知事、1835年から52年まで長期にわたり、独裁政権を継続する。アルゼンチンでは、独裁者として悪評を持つ人物と外国の干渉に抵抗した愛国者としてのイメージで評価が大きく分かれる。彼の遺体のアルゼンチンへの入国は拒否されていたが、マルビーナス戦争後の1982年に時のメネン大統領によって、入国が許可され、レコレタ墓地に埋葬されている。
*ドミンゴ・ファウステーノ・サルミエント Domingo Faustino Sarmiento
1811年~1888年。アルゼンチンの教育者、作家、第7代大統領。彼の作品は広範囲のテーマを含む。代表作は、 ガウチョ文学「ファクンド」Facundo、Civilización y Barbarie, Vida de Facundo Quiroga で独裁者Juan Manuel de Rosasを批判している。教育に力を入れ、1943年に9月11日を「全米教師の日」Día Panamericano
del Maestroを制定した。
*エバ・ペロン María Eva Duarte de Perón
1919年~1952年。アルゼンチンの女優、政治家。私生児として生まれ、15歳で家出し、職業を転々とするが、ラジオドラマの声優や映画女優で成功をおさめた時に、後に大統領となるフアン・ドミンゴ・ペロンと知り合い結婚する。夫の権力を活用し、女性の参政権の推進、慈善団体「エバ・ペロン財団」の設立、所得の再分配によるブルーカラーへの優遇などを行った。通称「エビータ」として国民間に人気を博した。彼女を取り扱ったミュージカル、映画、テレビドラマは有名。ブエノスアイレスのレコレタ墓地に埋葬されている。
*フーリオ・アルヘンティーノ・ロカ Julio Argentino Roca
1843年~1914年。アルゼンチンの軍人、政治家。1880年から86年までアルゼンチン大統領を務めた。80年世代の代表者。
以 上