連載レポート97:久保平亮「戦前期ブラジル邦字新聞にみる邦訳ブラジル文学の系譜」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート97:久保平亮「戦前期ブラジル邦字新聞にみる邦訳ブラジル文学の系譜」


連載レポート95

戦前期ブラジル邦字新聞にみる邦訳ブラジル文学の系譜

執筆者:久保平 亮(ブラジル民族文化研究センター主任研究員)


『伯剌西爾時報』(1920年11月28日付)[筆者所有]

この2022年はブラジルにとって、独立200周年と「近代芸術週間」開催100周年という大きな節目を迎えた重要な年である。そのためブラジルの学界では、当然ながらこれらに関連するテーマが幅広く募られ、その歴史的意義が再考されている。

 2022年は、日伯関係史においてもまた意義深い年である。というのも、1922年に初めてブラジル文学の長編小説が日本語に翻訳され、ブラジルの邦字新聞に連載されてから100周年を迎えたからだ。だが、この事実はほとんど知られていないように思われる。本稿では、戦前のブラジル邦字新聞を題材として、邦訳ブラジル文学の系譜を概説したい。

 日本とブラジルの二国間交流は、1908年6月18日、神戸港から移民船「笠戸丸」に乗船した第一回契約移民781人のブラジル移住をもって嚆矢とされる。その後、第二次世界大戦による国交断絶のため、1942年1月28日に日本の在外公館が閉鎖されるまでに18万8986人もの日本人がブラジルに渡り、同地で日系社会を築き上げていった(在東京ブラジル大使舘「日伯交流の歴史」)。

 その間、『日伯新聞』(1916年8月創刊)、『伯剌西爾時報』(同1917年8月)、『聖州新報』(同1921年9月)などの邦字新聞が発行され、言語、風俗、習慣の全く異なるブラジル社会に生きる日本移民たちの心の拠り所となっていく。1930年代後半になると発行間隔は週刊から日刊となり、発行部数もそれまで最大で8,000部ほどだったものが、『日伯新聞』19,500部、『伯剌西爾時報』17,000部、『聖州新報』9,000部にまで拡大した(JICA横浜、2018年3月号、2頁)。しかし1941年8月に外国語新聞の発行が禁止されてからは、ブラジル邦字新聞は急速に下火になっていく。

ブラジル邦字新聞における初の邦訳ブラジル文学作品と目されるのは、1921年11月18日から12月2日の三回に分けて『伯剌西爾時報』に連載された、杉山帆影(本名:杉山英雄)の訳によるヴィリアト・コレア (Viriato Corrêa: 1884-1967) の『南聖十字星』(原作不明)である。中田みちよ(当時『ブラジル日系文学』誌編集長)が『ブラジル特報』2014年1月号に寄稿した「翻訳に夢をつぐむ 『ブラジル文学翻訳選集 第一巻』を刊行して」によると、このコレアの『南聖十字星』が邦訳ブラジル文学の緒であるという。

それはさておき、孫引きだろうと思われるが、まずはその内容に見られる明らかな誤りを訂正しておかねばならない。中田は「1921年に聖州時報(中略)がプリアト・コレア作『南十字星』を掲載したのが緒」と述べているが、正しくは「1921年に伯剌西爾時報(中略)がヴィリアト・コレア作『南聖十字星』を掲載したのが緒」である。


「南聖十字星」ヴィリアト・コレア作 杉山帆影訳(『伯剌西爾時報』、1921年11月18日付)

真の意味で初めての邦訳ブラジル文学作品は、翌1922年に同じく杉山帆影によって翻訳が試みられたベルナルド・ギマランエス (Bernardo Guimarães: 1825-1884) の『奴隷の娘』(“A Escrava Isaura”) であろう。たしかにコレアの『南聖十字星』は時系列的には正しいかもしれない。しかし、ブラジル史を題材にしたクロニカ(随筆の一種)やコント(短編小説)が中心のコレアと異なり、“A Escrava Isaura”はブラジル文学史に燦然と輝く長編小説である。この作品は1922年1月20日から1924年7月11日までの約二年半に亘って『伯剌西爾時報』に訳載され、1976年と2004年には連続テレビ小説 (telenovela) の原作にも選ばれている。

戦後の1949年、自由渡航者として1908年に渡伯し、のち『聖州新報』を創刊した香山六郎は『移民四十年史』を編著、出版したが、その書のなかでブラジル日系社会におけるコロニア文学等を分担執筆した半田知雄が、杉山帆影の『奴隷の娘』について次のように言及している。

新聞に講談ものを連載するのは邦字新聞の伝統らしいが、時報が百年祭前後数十回にわたってベルナルド・ギマランエスの「エスクラーバ・イザウラ」を「奴隷の娘」として訳載したのはブラジルではめずらしい試みであったろう。記者は杉山帆影(英雄)だ。原文に忠實な訳し方が、半分位までやって中止になった。通俗なものであったが、ブラジルの文学を日本語に訳して発表したものゝ最初かも知れない。(香山、1949年、509-510頁)

半田はこのように、杉山が「前後数十回」にわたって翻訳し、「半分位までやって中止になった」と述べている。しかし実際には、「半分位までやって中止になった」のは事実だが、その回数に関しては「前後数十回」どころか、筆を擱くまでに全117回(実際には118回)も訳載されている〔この数字の不一致は重複のためで、1923年5月18日の第65回は、正しくは第66回。また、国際日本文化研究センター(日文研)の「海外邦字新聞データベース」で確認できた限りでは、1923年9月7日(第81回)、9月14日(第82回)、9月28日(第84回)、10月5日(第85回)、11月30日(第89回)、12月7日(第90回)の6回分が欠落している〕。

杉山の試みが完遂しなかったのは残念ではあるがしかし、1920年代前半という時代性、週毎の掲載頻度、『伯剌西爾時報』の編集をこなしながら文芸欄の選もし、また相当数のブラジル史に関する小論を執筆していたことなどを考慮すれば途方もないことで、公証翻訳人・杉山英雄の獅子奮迅の働きぶりにはまったく感嘆させられる。

その数こそ多くはないが、その後も珠玉のブラジル文学作品が紙上に発表されたことは特筆に値する。1934年7月、ジョゼー・デ・アレンカール (José de Alencar: 1829-1877) の『グアラニー族』(“O Guarani”)が『聖州新報』で訳載された。これは丘の人(本名:椎野豊)が1934年7月17日から12月11日までの計20回(実際には21回)に亘り試みたものであったが、杉山の『奴隷の娘』と同じく未完に終わった〔1934年12月11日の第20回は、正しくは第21回。また、1934年9月7日の第2回は誤植で、第11回が正しく、第12回は欠落している〕。杉山帆影がサンパウロでブラジル史を中心に数多の記事を執筆したように、椎野豊もまた、『聖州新報』のリオ通信員(1926年~)および『同盟通信社』のブラジル通信員(1936年~)として、主にリオデジャネイロでブラジルの政治情勢について健筆をふるった。

 1938年には『伯剌西爾時報』で二作品が紹介された。一つは7月3日から7月23日までの4回に亘って連載された、たに・きよしによるグラシリアーノ・ラモス (Graciliano Ramos: 1892-1953) の『乾ける人生』(“Vidas Secas”)、そしてもう一つは7月3日の、渓舟(徳尾渓舟か)によるジョゼー・デ・アレンカールの『イラセーマ』(“Iracema”)である。だが、前者は概要を、後者は冒頭の一節を紹介するに留まり、作品の内容にはまったく立ち入っていない。なお、アレンカールの“Iracema”については、のち1998年に田所清克(当時京都外国語大学教授)により『イラセマ:ブラジル・セアラーの伝承』として完訳版が刊行されている。

 邦訳ブラジル文学が単行本のかたちで上梓されたのは、安藤全八(本名:安藤潔)によるジューリオ・リベイロ (Júlio Ribeiro: 1845-1890) の『肉慾』(“A Carne”)が最初である。中田みちよは、この書について、「(…)聖州新報の文芸欄に掲載されたもので、後に単行本として遠藤書店が上梓」したと述べているが、これは時系列的に正反対である。実際には、「今度は安藤全八氏に乞ふて、氏の先年飜譯出版された『肉慾』を本紙上に連載することにした」(『聖州新報』、1939年2月5日付)と紹介されているように、1936年に遠藤書店から単行本として上梓された内容を1939年に『聖州新報』で連載したのである。他に『ブラジル日本移民八十年史』の131頁でも、「1936年、安藤全八『肉欲』」との記述がある。


「肉慾に就て」(『日本新聞』、1936年7月15日付)

この『聖州新報』での広告宣伝は、5日以外にも7、8、12日と断続的に掲載されており、その期待度の高さがうかがえる。筆者が確認できた限りにおいて、この安藤全八の『肉慾』が初めて紹介されたのは、1936年7月15日付の『日本新聞』の「肉慾に就て」で、『聖州新報』紙上には1939年2月14日から5月5日にかけて、計45回訳載された。同作品もデータベース上では第27回と第29回が欠落している。

最後に、“A Carne”は安藤全八以外にも有馬鐡之輔による新訳『カルネ』がサンパウロの二世社から出版されているが、出版年については一切記載されておらず定かでない。また、ブラジルを代表する自然主義作家の一人、アルイージオ・アゼヴェード (Aluízio Azevedo:1857-1913) の『百軒長屋』 (“O Cortiço”) も外波近知によって翻訳され、ブラジル日系社会で出版されているとのことだが、残念ながらその内容はおろか、出版社、出版年ともに詳細は不明である。いつの日か現物にお目にかかりたいものだ。


有馬鐡之輔『カルネ』表紙 [田所清克氏提供]

参考文献
[新聞]
『聖州新報』
『日本新聞』
『伯剌西爾時報』

[書籍]
日本移民80年史編纂委員会(編)『ブラジル日本移民八十年史』、移民80年祭祭典委員会/ ブラジル日本文化協会、1991年。

[ウェブサイト]
香山六郎『移民四十年史』、香山六郎出版社、サンパウロ、1949年。In:「ブラジル移民文庫」 <http://www.brasiliminbunko.com.br/IminBunko.CAPA.htm>(最終アクセス:2022年6月14日)
国際日本文化研究センター「海外邦字新聞データベース」
<https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/top.php?title=Brasil>(最終アクセス:2022年6月14日)
在東京ブラジル大使舘「日伯交流の歴史」(1941年)
<https://www.br.emb-japan.go.jp/itpr_ja/120historia_2_ja.html>(最終アクセス:2022年7月1日)
中田みちよ「翻訳に夢をつぐむ『ブラジル文学翻訳選集 第一巻』を刊行して」 In:『ブラジル特報』(日本ブラジル中央協会、2014年1月号)。
<https://nipo-brasil.org/archives/4170/>(最終アクセス:2022年7月1日)
JICA横浜『海外移住資料館だより』(2018年3月号、No. 49)。
<https://www.jica.go.jp/jomm/outline/ku57pq00000lx6dz-att/dayori49.pdf> (最終アクセス:2022年6月14日)