『米墨戦争とメキシコの開戦決定過程 -アメリカ膨張主義とメキシコ軍閥間抗争』 牛島 万 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『米墨戦争とメキシコの開戦決定過程 -アメリカ膨張主義とメキシコ軍閥間抗争』  牛島 万 


1821年にメキシコがスペインから独立して以来、米国は当時のメキシコの国土の約半分にあたる現在の米国南西部のカリフォルニアからニューメキシコ、テキサスにわたる地域を奪った。
本書は19世紀後半におけるメキシコの政情不安と権益をめぐる党派の抗争の実態から説き起こし、米国人入植者のメキシコ領テキサスへの侵入、独立要求、それを受けた米国政府のメキシコ政府へ分離独立を承認するよう求める交渉し、アラモの砦での戦いを経てついにはメキシコ大統領サンタ・アナを屈服させてテキサスの独立を承認させ、テキサス共和国は米国政府に編入を実現した経緯を明らかにしている。
留まることを知らない米国の膨張主義によって米墨関係は緊迫化し、メキシコ北部の反政府派とテキサス人義勇兵が手を組もうとするなどの混乱があった。これを収拾すべき時にメキシコ中央では軍部によるクーデター、圧政政治、党派間の権力奪取と烏合離散が続いたが、1845年には米墨間の開戦機運はもはやメキシコのバルデス中央政権も抑止不能になり、開戦に躊躇していたにもかかわらず国内の反政府派および主戦派への対抗策として翌1846年には戦争状態に突入した。短期決戦により勝利し英国の仲裁を引き出すという筋書きは緒戦の敗北で失敗し、侵入した米国軍がメキシコ市を陥落させたことで終戦に至り、1848年の両国間条約で広大な領土を失ったことが、その後の両国の経済的運命を大きく左右させることになった。
メキシコでは戦争責任を米国側に帰し侵略を非難する考えが一般的であるが、本書はどのような条件や環境下で開戦を決断するに至るかを史的検証したものである。開戦の背景には当時メキシコ内部での権力闘争があり挙国一致しなかったことを明らかにしている。しかし、本書の価値は、戦争以前から白人系米国人に有色人であるメキシコ人への偏見、蔑視があり、メキシコ支配を正当化しようとしていた一方で、メキシコ人にも経済的利潤追求に固執する無機質な米国人との思いが米国人嫌いが広まった心理的要因があったこと、これらが現在もなお両国関係に影響を与えていることを指摘していることにある。

〔桜井 敏浩〕

〔注:著者には同じ時期の米墨関係史を取り上げた『米墨戦争前夜のアラモ砦事件とテキサス分離独立 -アメリカ膨張主義の序幕とメキシコ』(明石書店 2017年 https://latin-america.jp/archives/26529 )の著作もあり、合わせて読めば視点を変えた両国間の当時の関係を知ることができる。また、メキシコが米国により領土を失った過程を検証した中野達司(亜細亜大学国際関係学部教授)による『メキシコの悲哀−大国の横暴の翳』(松籟社 2010年 https://latin-america.jp/archives/5811 )も参考になる。〕

(彩流社 2022年3月 365頁 4,200円+税 ISBN 978-4-7791-2818-9 )
〔『ラテンアメリカ時報』 2022年夏号(No.1439)より〕