連載エッセイ177:田所清克「ブラジル雑感」その13 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ177:田所清克「ブラジル雑感」その13


連載エッセイ 174

ブラジル雑感 その13

執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)

この号では、「ブラジルの食文化再考について」のその5を紹介する。

―奥地探検隊員とトロペイロスの伝統:旅行携帯食料(その10)―

 エントラーダやバンデイラのブラジル内陸部への目的を伴う浸透については、すでに既述した通りである。その奥地探検隊とその後登場するトロペイロは、サンパウロの食文化と深い関わりがある。コロニア開拓も兼ねて内陸部に入ったセルタニスタ (sertanista) と称する彼らを介して、ポルトガル人と先住民の影響がない交ぜになった特異な料理であるファルネル・ドス・バンデイランテス (Farnel dos Bandeirantes:奥地探検隊員の旅行用携帯食料) が生まれた。

 周知のように、奥地探検隊の出発点となったのはサンパウロである。隊員たちは立ち止まる場所であればどこでも食べられるように、小麦粉、煮豆、ゆで卵などからなる食べ物を布製のナプキンに包んで持ち運んだ。これがバンデイランテスやトロペイロスにとっては「旅行用携帯食料」なる名称の、サンパウロの伝統的な料理の一つとして知られるようになった次第。専門家によれば、その後ファルネル・ドス・バンデイランテスは、先住民の影響を受けたこの国の食材のメインをなすトウモロコシが加えられ、サンパウロのクスクス (cuscuz-paulista) のレシピのベースになったそう。


バンデイランテス像


ファルネル・ドス・バンデイランテス(webより転載)

―代表的で典型的なトロペイロ料理(その11)―

 16世紀当初以来、奥地にドローガス・ド・セルタン (Drogas do Sertão) の採集とインディオ狩りの目的で奥地セルタン (Sertão) に入り込んだことから、セルタニスタとも呼ばれるバンデイランテス。そのバンデイランテスに次いで、トロペイロ (tropeiro) が登場する。18世紀、ミナス・ジェライス州は《金・ダイヤモンドサイクル》によって活況を呈し、そこで産出された貴金属は宗主国であるポルトガルに渡り、教会などの装飾品に使われた他に、支配層や貴族の贅沢品として費やされていた。

 まさしくその時期に、内陸部のミナスから金を運ぶために活躍したのがトロペイロたちであった。彼らは荷物を背に積んだラバを引きながら、海岸部と内陸部を往来していた。トロペイロは単に金だけでなく、食料の運搬にも従事しつつ、他方において情報の伝達役も担っていたという。しかも、彼らの活動範囲は遠くアルゼンチンにまで及んでいたらしい。気性が荒く男気の強い彼らが、金の輸送ルートであったサンパウロとリオ間に位置するパライーバ峡谷 (Vale do Paraíba) 一帯を開拓して、南東部に独自の文化であるトロペイリズモ (Tropeirismo) を育んだことはよく知られている。

 交通手段の発達した今ではトロペイロは存在しない。が、パライーバ渓谷に点在する町はトロペイロのゆかりの地である。金の輸送ルートの延長線にある中西部のゴイアース州の料理にも共通のフェイジョン、マンディオカ、肉などを中心とした質素なものが彼らの日常の料理であったようだ。


トロペイロス(webより転載)

―代表的で典型的なトロペイロ料理:ファロッファ・デ・イサー(その12)―

 将来の飢餓対策の一環として、まことしやかに昆虫食が脚光を浴び論じられるようになった。高校時代まで故里阿蘇の大自然の中で過ごした私は、けしてゲテモノ食いの人種ではないが、スズメバチの幼虫やイナゴの佃煮、有肺類の殻の長くないカタツムリ (蝸牛) を食べたものである。今回取り上げるファロッファ・デ・イサー (farofa de içá) は、まさしくパライーバ渓谷の住民の間で食習慣になっている昆虫食である。その料理は、サウーヴァ (saúva) *と呼ばれる、ブラジル人であれば誰でも知っている蟻の一種を炒って塩で味を付け、マンディオカの粉を混ぜたもの。主材料となるサウーヴァは、雌の下腹部が用いられる。ちなみに、サウーヴァは30%の脂肪分と15%の蛋白質を有し、14年以上の生命のある“蟻の女王”とみなされている。タウバテー (Taubaté) 出身のこの国を代表する『ジェカ・タトゥ』(Jeca Tatu) の作者であり児童文学者のモンテイロ・ロバート (Monteiro Lobato) は、“田舎のキャビア”と称して好んだそうだ。

注記. サウーヴァ:典型的なハキリアリで熱帯世界に棲息しており、200種ほどいると言われている。


ファロッファ・デ・イサー(webより転載)

-トロペイロたちの他の典型的な料理:フランゴ・コン・ウルクン(その13)-

ブラジルの農村部というか自然地域に出向くと、あちこちに灰白色もしくは赤褐色の、大きいものでは底辺が直径1m、高さが1~2m程度の蟻塚であるクピンゼイロ (cupinzeiro) が目に入る。南東部では、ツクルーヴァ (tucuruva) とも呼ばれる。ツクルーヴァは先住民の言葉で文字通り、“クピンのいる場所”を意味する。特に熱帯サバンナであるセラードにはそこかしこに蟻塚がある。試しに私はそれを足で蹴って壊そうとしたが、頑丈そのものでちょっとやそっとで壊れる代物ではなかった。パンタナルの住民に教えられたのであるが、雨季になると原野の多くは冠水するが、蟻は本能的に察知して、水害を被らない高さの蟻塚を作るそうだ。
 
背中にコブのあるゼブ種の牛の、コブの肉は蟻塚に似ていることから、クピン (cupim) といわれる。シュハスカリア (churrascaria) で口にされた方もおられることだろう。トロペイロはそのツクルーヴァを3個集めて間に鍋を置いて、火を炊いて料理をこさえたようだ。

 前置きが長くなったが、今回は1つだけトロペイロ風の料理を紹介しよう。それは、フランゴ・コン・ウルクン (Frango com Urucum) である。先住民インディオがボディペイントとして用いる赤い植物染料のウルクンを使った鶏肉料理である。かくして鶏肉は赤味に染まったものとなる。


クピンゼイロ(蟻塚)(webより転載)


フランゴ・コン・ウルクン(webより転載)

―他のトロペイロの典型的料理:フェイジョン・トロペイロとアフォガード(その14)―

〔フェイジョン・トロペイロ〕
 ミナス・ジェライスの料理と同名で、ルーツや食材に違いはない。がしかし、サンパウロ風のものは炒める時に卵を混ぜない。この豆料理はヴィラード (virado) とも呼ばれる。ゴイアース州やミナス・ジェライス州でもよく食べられる。

〔アフォガード〕
 サンパウロ州のサン・ルイース・ド・パライチンガ市 (São Luiz do Paraitinga) とモジ・ダス・クルーゼス市 (Mogi das Cruzes) の名物料理。8時間以上煮込んだシンプルなビーフシチュー。ご飯とファロッファ (Farofa) が添えられる。宗教行事や祭典時に作られることが多い。


フェイジョン・トロペイロ(webより転載)


アフォガード(webより転載)

―ミナス・ジェライスの典型的な料理(その15)―

〔はじめに:バロック芸術が華開くオウロ・プレットの黄金時代と文化・政治風土〕

ブラジル滞在中、私は3度ミナス・ジェライス州各地をくまなく訪ねている。わけても、かつて総督府がバイーア、リオデジャネイロに次いで置かれていた、“豊かな町”へと変貌したヴィラ・リカ (Vila Rica)、つまり現在のオウロ・プレット (Ouro Preto:黒い金の謂い) には長期滞在して、金の発見で華開いた芸術の清華の一端をじっくり観賞することができた。ミナスと言えば、私などはすぐさま、この国の国民的詩人でノーベル文学賞の候補にもノミネートされた詩聖カルロス・ドゥルモンド・デ・アンドゥラーデ (Carlos Drummond de Andrade) が頭に浮かぶ。が、この州、特にオウロ・プレットは、神社仏閣の多い京都の如き印象を覚える。ことほど左様に、この街はバイーア同様に教会関係の建築が数多ある。その意味では文字通りの歴史都市であり、1980年にはUNESCOの世界遺産にも登録されている。他方、ミナスはその政治風土の観点からも注目すべきかもしれない。つまりこの場所が、ブラジル最初の独立運動である「ミナスの陰謀」(Inconfidência Mineira) が出来した地であるからだ。ついでに、ミナスの精神・文化風土についても若干触れることにしよう。

サンパウロの場合は、奥地探険隊 (bandeirantes) の進取の精神が反映されて普遍的で国際主義の様相を呈している。対してライバル関係にあるリオデジャネイロは、「カリオカ的アイロニー」という言葉で表現できるような皮肉主義や批判精神が旺盛なところだ。であるから、風俗画的にして虚無主義的な文化が醸成されている。

ミネイロ (mineiro) と呼ばれるミナス・ジェライス州の住民は概して、京都のような閉鎖的な盆地という地理的な影響からか、内向的で懐疑的のようだ。結果として、封建主義や地域主義の思想ないしは風土がそこには発現している、とヴィアーナ・モオグ (Viana Moog) は観ているのである。


オウロ・プレットの中心地チラデンテス広場(久保平亮氏提供)


オウロ・プレットの街並み(久保平亮氏提供)

―ミナス・ジェライスの典型的な料理(その16)―

ミナス料理は16世紀から300年以上にわたり、インディオ、アフリカ、ポルトガル文化の融合を経ながら独自の様相を帯びた。熱帯で温暖というブラジルのイメージとは異なり、ミナスはブラジル高原の山々に囲まれた盆地の町が少なくない。場所によっては日中の強い光が乾いた空気を暖め、日没後は急速に冷え込むことがある。

 気候条件を反映して、ミナスを代表するレシピには温かい煮込み料理が含まれる。ミナスの“mina”が鉱山や鉱脈を意味するように、伝統的な料理には黒い鉄鍋が使われることが多い。また、食事に合わせてカシャサ (aguardente; cachaça; pinga, etc.=火酒) が飲まれることもあって、この地は国内有数の上質なカシャサの名産地としても知られている。かてて加えて、南部の霜害を避けて、現在ではコーヒー栽培も盛んである。

 ミナスの料理はシンプルで、家庭料理と呼ぶにふさわしいものかもしれない。主な食材は、フェイジョン (feijão)、トウモロコシ (milho)、マンディオカ (mandioca)。追加するなら、豚肉、鶏肉、オクラ、葉野菜、ミナスのチーズといったところだろう。はるか昔から中南米ではトウモロコシや芋類が先住民の食料であったため、現在でもなお、茹でたり焼いたりして日常の主たる食材として利用されている。

 さもあらばあれ、ミナス料理は格別である。国民的な料理であるフェイジョアーダ (feijoada) もよいが、食した者にとってはミナス料理 (comida mineira) は忘れ難いほど美味なのである。むろん、左党にとってはピンガもまた!