映画『線路と娼婦とサッカーボール』
スペイン 2006年 90分
東京では、渋谷「シアターN」で12月22日〜1月18日まで上映
東京での上映初日、『線路と娼婦とサッカーボール』を見てきました。
グアテマラ市の鉄道線路(Linea)沿いにある貧しい人たちが住む街の娼婦たちは、 わずか2.5ドルで身を売るが、売春ボスに従属しているのではなく独立しているのが誇りを支えています。
彼女らそれぞれに、この道に入った悲惨な過去や貧困、家庭内の問題があることは、物語(といってもドキュメンタリーであって、フィクションではありません)の中に挿入されたインタビューで語られますが、それぞれの理由の背後にグアテマラ、そしてエルサルバドル(うち二人はこの隣国の出身)ばかりでない、ラテンアメリカに共通する社会、経済の歪みが如実にあることが窺い知れます。
一般市民からは娼婦と蔑まれていますが、自分たちはその前に人間であり、母であること、夫や同棲パートナーのみならず、警官など権力が暴力を振るうことを終わらせたい。それを多くの人に訴えるのには、政庁前でのデモでは役立たないと思い知ったことから、女子サッカーチームを創ることを思いつきます。
売春婦だけのチームゆえに試合を拒まれたり、“善良なる”市民の反対を受けてサッカー協会から除名されるという騒ぎになりますが、メディアの報道とスポンサーの登場で、いくつかの試合をすることが出来ます。手始めの女性警官チームとの対戦、中継インタビュアーに互いに「世間から最も嫌われている者同士」と自己紹介するのには笑わされます。
サッカー活動を通じて、彼女たちの生活と意識が変わってきて、最後はエルサルバドルの娼婦チームとの対戦に出かける話しがもち上がりますが、こんな時には「娼婦が国を代表して行くとは!」との批判が一般市民からも噴出し、あやうく頓挫しかけます。
この隣国の“同業者”との試合を最後に、「線路の星たち」(この映画の原題)チームの活動は尻つぼみになり、メンバーそれぞれのその後の明暗が紹介されて映画は終わります。
結局は何も変わらなかったのか?といえなくはありませんが、貧困と社会下層には横暴な権力の存在が続く限りは、簡単には社会は改善されないとはいうものの、開発途上国の国民的スポーツであるサッカーと、社会の下層の人たちの間ですら蔑視の対象になり、最下層の扱いを受けている娼婦達の抗議の意思表示を結びつけた、この意表を突いた試みは、何時の日かまた蘇り、何らかの成果を上げるのではないかと期待を抱かせました。
なお、この線路地帯で20年間娼婦として働き、片眼を同棲していた男の暴力で失って、今や娼婦達の雑用をして生きているマリアという老女が出ていますが、その語り、歌、その歌詞は胸に訴えかけるものがありました。
〔桜井 敏浩〕
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