連載エッセイ180:富田眞三「メキシコ・ファーストをモットーとした日本人」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ180:富田眞三「メキシコ・ファーストをモットーとした日本人」


連載エッセイ177

メキシコ・ファーストをモットーとした日本人
メキシコ榎本殖民125周年に際して

執筆者:富田 眞三(在テキサスブロガー)


写真:(https://www.discovernikkei.org)

先日、雑然とした本棚を整理していると、茶色い表紙の学習帳が出てきた。表紙にはスペイン語で「メキシコ・ファースト」と書かれていた。すっかり忘れていたが、この学習帳は1987年、高松宮憲仁殿下をお迎えしてメキシコ・シティーで開催された、「日本人メキシコ移住90周年記念」の際、配布されたもので、1897年(明治30年)メキシコに移住した、榎本殖民地の入植者の二世にあたるベニト・目黒氏経営の「La Paz-平和」(文具店)が販売していた、学習帳の復刻版だった。ちょうど今年は1897年から125年目の節目に当たることにも気が付いた。

明治30年は正岡子規の俳句雑誌「ホトトギス」とJapan Timesが創刊された年で、日露戦争が勃発したのは、その7年後だった。

復刻版の由来によると、この学習帳が発売されたのは、1937年だった、と言うから、榎本移民の3世たちが使用していたことになる。

詳しい内容は後段でご紹介するが、この学習帳に記された考えは、将に戦前の古き良き時代の日本人そのものであるが、「メキシコ・ファースト」を唱えていたことは流石である。


写真:(www.history-o.com)

先ずは榎本殖民地について、ザーッとおさらいしよう。榎本植民地を主導した、榎本はオランダに留学した経験がある。彼はオランダの先進技術を種々学んだが、17世紀にメイフラワー号に乗船してニューイングランドに移住した、100余名のイギリスの清教徒たちの逸話を聞いたはずである。榎本殖民と英国国教会の圧迫を受けて、先ずオランダへ亡命した、清教徒たちの殖民には大きな類似点と相違点がある。

類似点は、2世紀前のオランダ人が発明した、株式会社制度を榎本が取り入れたことだった。相違点は、清教徒たちは、彼らがニューイングランドと命名したように、移住地が本国の気候に似ていたことだったが、榎本が日本人を送った、メキシコのチアパスは彼らが経験したことのない、熱帯だったことである。気候が違えば農産物も異なるのだ。後年、日本移民はメキシコ中部の気候温暖な地域に入殖して成功している。

さて、1821年にスペイン帝国から独立を獲得したメキシコ政府は、改革の一環として、殖民政策を活発化させていた。当時のメキシコ国土の大部分は無人の過疎地だったため、外国移民を導入して耕地化する計画が進んでいた。榎本武揚は外務大臣就任以前から海外殖民に関心を抱いていたが、この情報を得た榎本は、在米公使にメキシコ殖民の可能性を調査させた。とともにラテンアメリカでは初の日本領事館をメキシコ・シティーに開設した。榎本は外務大臣辞任後の明治26年(1893年)殖民協会を設立。先ず、根本正(慶応、米国バーモント大卒、外務官僚、衆議院議員)をメキシコへ派遣し、コーヒー生産が期待できる、との報告を得た。


地図:(https://dondeesta.net/)

1894年には米国留学の経験がある、農業技師・橋口文蔵をメキシコ南部のチャパス州に派遣した。橋口は後に榎本殖民が入植する、タパチューラに近い、エスクイントラがコーヒーに最適である、と報告した。そこで、榎本はメキシコ政府とエスクイントラ国有地払下げ契約を締結、65,000ヘクタールの土地が日墨拓殖K.K.に払い下げられた。そして、1897年3月、この地へ向け36名の元武士が出稼ぎ移民ではなく、日墨拓殖の株主、自作農として、横浜を出港して行った。

榎本殖民はコーヒー栽培を目指したが、コーヒー栽培には熱帯の高度2000~3000メートルの高地が適している。チアパス州ではシエラマドレ山脈に位置する高地のソコヌスコ地方がコーヒーの一大産地だが、日本人が入植した、エスクイントラは北緯15度ではあるが海抜77㍍の低地なので、コーヒー栽培は不可能だった。彼らは米、トウモロコシ、小麦も栽培したが、ものにならなかった。高温多湿の入植地はマラリア、黄熱病も蔓延したため、二年目に入ったところで榎本殖民地は解散に追い込まれた。約半数は日本へ帰国し、残りの半数は他州に移って行き、最後に残ったのは6名だけだった。だが、数年後、彼らは再びチアパスに戻ってきたのである。


写真:(https://relatoshistorias.mx)

 新大陸のアングロサクソン系の移住地には必ず新聞社と弁護士事務所が存在したものだ。スペイン人たちは金鉱探しに熱中するとともに教会を建てて原住民をカトリック教徒に改宗して行った。一方、日本人は学校を作った。タパチューラ市にも1930年代、日系2世によって学校が開校され、生徒の3,4世たちは、この学習帖を使用したのである。

 こうして、メキシコ最南端の地、チアパスには今でも、Sato,Suzuki,Tanakaといった日本の苗字を受け継ぐ、日系4,5世の人々が推定500人在住している。元侍たちは全員独身で渡墨したため、彼らのメキシコでの配偶者はすべてメキシコ女性だった。では、以下に学習帖の復刻版に掲載された、メキシコ移住90周年記念事業団の挨拶文(翻訳版)を掲載しよう。

この度、日本メキシコ移住90年を記念し、チアパス州タパチューラ市にありました「ラ・パス文具店」で50年前販売されていました学習帳に邦文訳を添付し、復刻いたしました。復刻版製作の所以はチアパス州が日本人移民の最初の入殖地であったためであります。学習帳の表紙に印刷されていた理想、不安等をみますと、当時の日本人移民が如何にメキシコの平和と将来を案じていたかがうかがわれます。

メキシコ・シティー 1987年5月吉日
(財)日本メキシコ移住90周年記念事業団
コンパニア・パぺレーラ・エスコラール株式会社贈呈

日本移民のイデオロギー

1987年当時の50年前即ち、1937年にメキシコ・タパチューラ市で製作、販売されていた学童用帳面の表紙と表紙裏に、ベニト・目黒氏が綴った、当時の日本人移民の「イデオロギー」ともいうべき文章の翻訳をごらん頂きたい。異国に生まれ育った、古き良き日本のSamuraiたちの2世の心意気の素晴らしさに私は「日本は良い国だなぁ」と思ったのでした。

日本語訳
メキシコ・ファースト上質帳面
課目:_______
名前:_______
校名:_______

生産こそ我々に富をもたらす唯一の方法だ。資本なき農地は銃なき兵士に等しい。資本なき労働は水なき魚にも等しい。農地からは毎年生産物が得られ、いずれは尽きる金山よりも良い。有益な樹木は毎年1ペソに値する如く成長する。産業・生産の発展するところに労働者の利益あり。

自分がなにをしなければならないかを尊ぶ人は世界を天国に変え、自分の権利ばかりを主張する人は、世界を地獄に変える。自由は犠牲なくしては得られない。
         ___________________

祖国は次のような人物を求めている。

1. メキシコ人は、どうあるべきか、が理解できる人。
2. いかに祖国を救うか、を考える人。
3. メキシコ人をよく知り、何が不足しているかがよくわかる人。
4. 価値ある人間となり、平和を愛する人。
5. 神に信頼ある人。
6. 良心に基づき行動し、恥の心のある人。
7. 死を前に、正義を全うできる人。
8. 神に対するがごとく、道理に対しても従順な人。

我々の文化、産業そして人間性の名誉回復のため、中国、ドイツ、米国、そして英国の賢者から学ぼうではないか。
ラ・パス文具店 ベニト・E・目黒   タパチューラ 第8エスコべード通り 55(私書箱33号)

表紙裏に書かれた、目黒氏の「檄文」 (日本語訳)
愛国者たちよ!

人生には「滅亡に至る広い道」と「生に至る狭い道」の二つがある。どちらを選ぶか。我が国の田畑は、未開発や、農法が悪いため、あたかも砂漠同様であるが、やり方によっては、50年以内で農地が金山のように変貌することも可能である。これは先進諸国の例をみても分かる通りである。ここでやらなければならないことは、資本家と労働者が協調することであり、そうすれば経費を軽減することも出来る。経費が高ければ全て外国から買わざるを得ないのだ。ここに悪徳業者が介在すれば我々は餓死するかもしれないのだ。考えようではないか、我々の農地から効率よい生産なくして決して平和はあり得ないのだ、ということを。

植えよう:杉、マホガニー、カスカロテ(豆科の灌木)、カカオ、ココナッツ、コーヒー、ヤシ、バナナ、とうごま、バニラ、綿花、アルファルファ、とうもろこし、米、小麦、たまねぎ、タピオカを。

育てよう:最新の飼育方法で、にわとり、牛、豚を。
代議士諸賢:産業の発展を妨害するようなことがあれば法規で防止し、産業育成を奨励することは、諸賢の根本的義務である。

愛国者となり、利己主義を排そう。

1961年に渡墨した私は、40年以上メキシコ・シティで暮らしたが、何かにつけ、「日本人であることによって」絶大なる信用を得ることができた。これは日系人先輩諸氏が長年にわたって築いてくださった、貴重な遺産だと、有難く思っている。メキシコに限らず、広く海外に新天地を求めた、先輩日本人は、世界中で信用という「遺産」を残してくれた。その一例がこのタパチューラのセニョール・メグロ氏の学習帖なのだ。最後まで付き合ってくださってありがとう!

なお、復刻版の現物に興味があるお方は、横浜JICA海外移住資料館にてご覧になれます。【請求番号は207727】 です。

(終わり)