『廃墟の形』 フアン・ガブリエル・バスケス - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『廃墟の形』  フアン・ガブリエル・バスケス


 20世紀のコロンビアで流血の歴史を代表する三大事件といえばラファエル・ウリベ・ウリベ(自由党上院議員の将軍、1914年に暗殺者に殺された)と大統領選挙の有力候補者ホルヘ・エリエーセル・ガイタン暗殺とそれをきっかに起きたボゴタ暴動、対メディリン・カルテル戦争とパブロ・エスコバールの死であろう。ガイタンは1948年4月9日に首都ボゴタ有数の繁華街にあった事務所から出て来たところをナチス・シンパと目された若者が至近距離から銃弾を撃ち込んで殺されたが、犯人はその場で殺害されたことから黒幕がいるという陰謀説が消えなかったものの検証は途中で打ち切られた。同じようにウリベ暗殺の時にも、遺族の依頼を受けたアンソラ弁護士が真相究明に奔走したが、告発は陰謀でもみ消されたので彼は検察調査書を基に『いったい誰だ?』という小冊子を書き遺した。
著者の分身とも見られる「私」が、今は博物館に改装されたガイダン邸から2014年に陰謀論者のカルロス・カルバージョという若者(この小説のために設定された架空の人物)が、ガイダンが暗殺当時に来ていた背広を展示していたショーケースのガラスを割って服に手をかけたところで駆けつけた警備員に取り抑えられたという報道に接した時からこの大部な小説は始まる。その後カルバージョからガイダン暗殺の真相を執筆するようもちかけられ、ウリベ殺害報告書を読むよう薦められた。後半はアンソラの告発とそれを糊塗するための陰謀の応酬が大きな割合を占めていて、長い小説の最後は、カルバージョが「私」の主治医ベナビデス医師が法医学者だった父親から引き継いだガイダンの脊椎の一部を医師宅から盗み出した物を返す代わりに、私が執筆を引き受けるとの交渉の場面で終わる。カルバージョが「私」に語る「実はどちらの暗殺も同じ犯人の仕業だった。もちろん同じ個人、同じ手口という訳ではなく、同じ怪物がこれまですでに何度も殺人を犯し、これからも人殺しを続けるだろうということ。この国では何世紀にもわたって事態は何も変わっていないし、今後変わる見込みもない」という言葉が、著者が言わんとしたコロンビア政治の裏にある核心を突いているように思われる。

〔桜井 敏浩〕

 (寺尾隆吉訳 水声社 2021年7月 496頁 3,500円+税 ISBN978-4-8010-0586-0)〔『ラテンアメリカ時報』 2022年 秋号(No.1440)より〕