連載エッセイ199:エンリケ設楽「中南米のサッカーの思い出」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ199:エンリケ設楽「中南米のサッカーの思い出」


連載エッセイ 196

中南米のサッカーの思い出

執筆者:エンリケ設楽(元千代田化工建設、元ユニコインターナショナル)

私は、猛烈サッカー・ファンではないが、中南米に駐在していると否が応でも、サッカーの試合を見てしまう。今回のW杯の機会に、その思い出を述べてみたい。

「1968年ワールドカップメキシコ大会の思い出」

その最初は、1968年のメキシコ・オリンピックでの日本の銅メダルから始まるが、つぎは最初に駐在した1970年のメキシコW杯でのブラジルの優勝でした。この時はサッカーの王様、ペレーがいたブラジルの優勝で、当時メキシコのジェトロに勤務していましたが、メキシコ人従業員全員が室内のテレビにかじりついて、全く仕事にならず、ブラジルが優勝した瞬間、同じ域内のアミーゴが優勝したということで、終わったとたん、その夜は雨だったにも拘らず、メキシコ市の大通り、レフォルマとインスルヘンテスは大変な騒ぎで、路線バスの屋根に上って騒ぐ学生,鍋をたたいてレフォルマの独立記念塔(アンヘル)に集まって興奮する群衆、その中には数人の私の友人もいました。独立記念日(9月16日)のパレードの見物人もすごいが其の比ではありませんでした。そして、あの有名なトロフィーを受けとるブラジルチームはもっぱら、メキシコ・サッカー協会の会長に顔を向けて、その隣に、当時のメキシコ大統領、ディアス・オルダスがいたが、無視された格好でした。

「ペレと同じ飛行機に」

メキシコ駐在の後、ブラジルのサンパウロへ移って2年間駐在しましたが、その時は一人のサッカー・ファンになっていました。このブラジル駐在中に、素晴らしいことが起こったのです。それは、サンパウロからリオデジャネイロ経由ニューヨークへ出張した時、ニューヨーク行きのバリグ・ブラジル航空機の中で、偶然、ぺレのいた同じサントス・チームと乗り合わせたのです。この時、サントス・チームは、当時、国交のなかった南アフリカで試合をするために、ニューヨーク、ロンドン経由ヨハネスブルグへ行くところだったのです。

そして、ニューヨーク・JFK空港に着いたのち、トランクをターンテーブルで受け取るときに、偶然ペレーと話すことができました。彼がトランクを受け取ってロンドンへ行く乗継便の、ほんの数分でした。この話をブラジルへ帰ってジェトロのブラジル人スタッフに話したところ,みんなからえらく叱られ、怒られたのです。

それはブラジル人にとっては、雲の上の人で、サッカーの神様なので「私は、ブラジルで生まれて、このかたペレーを身近に見たこともなければ話したこともない。それなのにシダラは二年弱でペレと握手をして話をするとはけしからん」と言うものでした。それだけサッカーはすごいのです。

「パナマでの思い出」

その後、パナマに1976年から13年間駐在しましたが、パナマはスポーツでは、一番がボクシング、二番がベースボールで、サッカーは入っていません。その時、1978年のW杯はアルゼンチンのブエノスアイレスでの開催で、アルゼンチンが優勝し、冬のスタジアムでメノッティー監督がトレンチコートを着て選手を抱擁する姿が印象的でした。

私はパナマに住んでいましたが、パナマには亡命アルゼンチン人がいました(ペロンが亡命したため)ので、その日はテレビで「アルゼンチンの人はバルボア通りのアルゼンチン焼き肉店”エスタンシア“に集まってください」と,さかんに放送し、街中ではクラクションをならして走り回る車で大変な夜だったことを覚えています。

「サッカーグッズの収集」

その直後に、ブエノスアイアレスへ出張しましたが、土産物店では、記念ボールやエンブレムのタテが盛んに売られていて、会場であったラプラタ河近くの“リーベル・プレート。スタジアム”は観光地となっていました。私も、エンブレムのタテを買ってきました。

その後も、中南米のあちこち出張したときに、W杯一回目の開催国で優勝したウルグアイのモンテビデオを訪ねた時は、毎週土曜日に、旧市街の小さな公園で開かれる骨董市へ行って、色々な記念メダルを売っているおじさんと話していたら、日本の1970年万博記念のメダルがあり、それと共に、1930年のW杯第一回ウルグアイ優勝記念メダルも売っており,直ぐに買ってしまいました。

「巨大スタジアムでのサッカー観戦」

その後、サッカーはメキシコのアステカ・スタジアムで国内リーグを見て、15万人以上を収容するスタジアムの大きさに驚くとともに、各フロアーにゲートが分かれていたり、設備と運営に感心しました。ブラジルのリオデジャネイロのマラカナン・サッカー場の20万人以上の収容にも驚いたものです。

「パラグアイでの思い出」

さらに、大きな楽しい経験は、パラグアイの首都、アスンシオンを訪ねた折、パラグアイ対ブラジルの試合を見に行くチャンスがあり、パラグアイの友人数人と観戦に行きました。
サッカー場周辺駐車場はどこも満車で、少し離れたところに路上駐車してスタジアムに歩いて行きましたが、友人がサッカー場ではアルコールは禁止なので注意するように、と言われました。そして、入り口近くの歩道を歩いていると、道端でケース入りのあらゆる種類のビールを売っているではありませんか。友人にアルコールは禁止ではないのか、尋ねると、『セニョール・シダラ、あの売り声を聴いてみろ』と言われて,それを聴いてみると『レーチェ(Leche),レーチェ!』と叫んでいました。

すなわち、それは”牛乳“と言っているのではないか、『友人は、ほらみろ、ビールではなくて、牛乳だろ』といわれて、何となく,ナットク。そして、入り口でチケットを出すと、二回にわたって切ることになっていて、そこを入ると、串焼き(アンティクッチョ)を焼く煙と、いいにおいが立ち込めており、われわれはポテトチップスを買って、次のゲートで二回目の切符を切ってもらって、指定席に座りました。

試合は、一点差でパラグアイが勝利。スタンドの前後の見知らぬ人々とハイタッチをして、勝利を祝い、友人がまだ終了しないのに、早く出ないとスタジアムから出られなくなるとせかされて、競技場を後にしました。

その後日本は、サッカーが強くなり、中南米の国々から注目されるようになった。11月23日、(日本時間、22:00)強豪ドイツに勝利して、今回のW杯でも様々なドラマが生まれそうな気がします。『22回目のW杯で、初めてホスト国が初戦に敗退、サウジアラビアが強豪、優勝候補のアルゼンチンに勝利』など、新しいドラマが始まっています。日本も、『ドーハの悲劇を、ドーハの歓喜に』代えました。今後も新たな歴史に期待したいものです。
                            
にわか・サッカー・ファン:エンリケ設楽、2022.11.25. 以   上