連載エッセイ206:田所清克「ブラジル雑感」その17 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ206:田所清克「ブラジル雑感」その17


連載エッセイ203

田所清克「ブラジル雑感」その17

執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)

今回は、ブラジルの民俗音楽にかかわる話をとりあげる。

「マラカトゥ・ナサンと並ぶペルナンブーコ州の一大民俗芸能 (音楽) 祭典
―マラカトゥ・ルラル―」

 マラカトゥ・ナサンがレシーフェの都市を舞台に演じられるものであるとするならば、マラカトゥ・ルラルは、ペルナンブーコ州のゾーナ・ダ・マタ、わけても「マラカトゥの地」(Terra do Maracatu) とも称されるナザレー・ダ・マタ (Nazaré da Mata) がその表舞台となる。前回述べたように、砂糖農園で興ったと言われるだけに、その組織はサトウキビ伐採などに従事する農村の労働者が主である。

 とはいえ、このマラカトゥ・ルラルの起源については全容の解明はなされてはいない。アフロ・インディオ文化の融合と観る研究者もいれば、ペルナンブーコ州内陸部で観察されるブンバ・メウ・ボイ (Bumba Meu Boi)、カヴァーロ・マリーニョ (Cavalo-Marinho) [ペルナンブーコ州北部のゾーナ・ダ・マタ地帯の、典型的な演劇]、カボクリーニョス (Caboclinhos) [派手な色でインディオたちが仮装してカーニバルで踊る民俗ダンス。腰とくるぶしのところには鳥の羽毛が飾られている。狩りと戦闘を演じたものがメイン]、フォリア・デ・レイス (Folia de Reis)、黒人王の戴冠式などの民衆芸能に起源を求める研究者もいる。ともあれ、組織もパレードの登場人物もリズムも、明らかにマラカトゥ・ナサンとは異なる。マラカトゥ・ナサンで使われるのはパーカッションのみだが、マラカトゥ・ルラルでは打楽器だけでなく吹奏楽器も加わる。

 パレードでの祭服も光彩を放つ。わけてもカボクロ・デ・ランサ (Caboclo de Lança) は、フレーヴォにおけるカーニバルのパレードのダンサーさながらに耳目を集める。カボクロ・デ・ランサとは、いわばペルナンブーコ州のシンボルで、槍騎兵として知られているアフリカの神オグン (ogum) [軍神] の道案内役にして戦士的な存在である。ここにまさしく、宗教文化面でのアフリカ的要素と、カボクロという民族面でのインディオ的要素との合体が認識され得る。

 パレードに登場するカボクロ・デ・ランサの祭服は注目に値する。カボクロに扮した登場人物は、その人物を特徴づけるギアーダ (guiada) とも呼ばれる木製の槍を両手に持っている。その槍は、昔は尖った金属製のものであったらしい。槍は2メートルほどで、多色のリボンで覆われているものだ。そして、昔はボール紙であったが今では麦わらで作られた帽子を着用している。この帽子にも多色のリボン、あるいはオシュン (oxum) [河川の神] を表徴する色 (赤!) のリボンが飾られている。ネッカチーフはカラフルで、目は黒く顔面はウルクン (urucum) で赤く塗られ、口に白いカーネーションをくわえた格好だ。

 房飾りのある弛んだズボンを穿いていて、背中にはスラン (surrão) と呼ばれるガラガラもしくは鈴を背負っている。これだけ見ると、何とも奇妙と言うほかない。が、繰り返して述べるが、カボクロ・デ・ランサ無くしてマラカトゥ・ルラルの存在価値は無いに等しいもののようだ。カボクロ・デ・ランサを演じる者は、祈祷所にてカルンガ以外に、槍と口にくわえる白いカーネーションに祈る儀式を経る必要があり、数日前から性交渉を絶たねばならないようだ。

 ブラジル各地を幾度も訪ねた私でも、残念ながらマラカトゥ・ルラルを直に見聞したことがない。したがって、文献だけを介して書いたこの文章には実証性があまりない。この点をご理解の上読んでいただければ幸いです。


カボクロ・デ・ランサ (webより転載)

「カンドンブレーの神々 ―淡水の神オシュン―」

イエマンジャーとその兄であるシャンゴーの娘であるオシュン (Oxum)。ヨルバ語のỌ̀ṣunに由来し、淡水 (água doce) の神様として知られている。崇拝される場所は川、水源地、湖沼、滝などである。

 シンボルカラーは黄色で、鏡の入った真鍮の丸い扇子 (abebé) を手にしている。アフリカでは美しい女性の代表格で、頭から爪先まで金 (宝石) で身を飾り、川岸に座りながら赤ん坊に授乳している姿が定型的。その点で、子孫繁栄や豊かさ、コミュニティーの存続と分かち難く結びついている。オシュンが神々の中で「偉大な母」(Ialodê; yalodê) とみなされるのもそれゆえである。

 美、優しさ、愛情の表徴である一方で、オシュンは豊かさを司る神である以外に、官能性を秘めた存在でもあるようだ。存在する神のなかで最も美しく、その妖艶な官能性から何人も逃れることはできないと言われている。

この神は、北部および中西部のNossa Senhora do Carmo, Nossa Senhora dos Prazeres、北東部のNossa Senhora das Candeias、南東部のNossa Senhora Aparecida、南部のNossa Senhora da Conceiçãoに相当する。

 10月12日はNossa Senhora Aparecidaの日であると同時に、オシュンの日でもあり、これに伴う儀礼がなされる。


オシュン (webより転載)

「カンドンブレーに欠かせない音楽」

概して、宗教において音楽は聖なるものとの接触の過程で重要な役割を果たす。しかしながら他の宗教ではある一定の時においてのみ機能する音楽が、儀礼の全行程で本質的な役割を演じているのが、カンドンブレーの音楽かもしれない。

 オリシャーたち、すなわちカンドンブレーの神々たちは好きなリズムに合わせて信者と踊り、儀礼の最後にはオシャラーのために歌う。彼らの食べ物も歌に合わせて祈祷所のあるバラック小屋に運ばれる。

 音楽の終わりはカンドンブレーの儀礼の終わりを意味するが、その中心的な存在のアタバケ (atabaque) の演奏が終わるや、白布で覆われる。ちなみに、アタバケが演奏されていないときも、音楽の伝達媒体として機能しているようだ。

 カンドンブレーの儀礼上の音楽は、それが公的なものにせよ私的なものにせよ、本質的な信仰のために美学的な価値からは超越している。がしかし、信仰儀礼の全ては音楽に支えられていると言っても過言ではない。

 尊崇するための一連の手拍子であるパオー (paó) からシレー (xirê) [ヨルバ語で“輪”もしくは“踊り”を意味する。オリシャーたちを呼び起こすためになされる] まで、音楽は儀礼の一部をなす。“カンドンブレーを奏でる” (Tocar candomblé) という表現は、ポーヴォ・デ・サント (povo-de-santo) の間では、宗教と音楽の融合を示すと解されている。かくして音楽は、聖なる要素であると同時に秘蹟的なものとみなされる次第。

 生命体と考えられる3つのアタバケはオーケストラを構成する。そのうち最大のものはルン (rum)、中のものはルンピ (rumpi) もしくは単にピ (pi)、そして最小のものをレー (lé) と呼ぶ。なお、ケトゥ (Ketu) の流儀のカンドンブレーではアタバケはアギダヴィス (aguidavis) と称する小棒で、またアンゴラのそれでは手で叩かれる。

 ガン (gã) と言われる鉄製の鐘かたちの楽器やアゴゴー (agogô) も全体の音楽の一部をなす。また家によってはシェケレー (xequerê) [AbêともAgbêとも言われる瓢箪で作った打楽器] もある。ウンバンダ (umbanda) では、クリンボー (curimbó) あるいはクリンバ(curimba) と呼ぶアタバケが用いられる。

 音楽は男女の違いによって制限される。楽器の多くは男性が受け持ち、女性の場合はアドジャー (adjá) [金属製の小さな鐘] かアゴゴーに限定される。が、ウンバンダではクリンボーの演奏に男女の区別はない。

 歌も男女の区別なく参列者の全員が担う。カンドンブレーの音楽は“カンチーガ” (cantiga) と称される。翻って、ウンバンダではポント (ponto) と呼ぶ。リズムについては複雑で、正直なところ、理解できないでいる。が、どうやら、神によって身振りと音楽言語があるようだ。オグン [軍神] の特徴的なリズムはたとえばアダルン (adarrum) と呼ばれ、テンポが速く継続的である。

 ともあれ、カンドンブレーのリズムはブラジルの大衆音楽に多大の影響を及ぼしてきた。その好例は、アンゴラ出自のリズムが色濃く反映されているサンバであろう。そして、宗教に起源を発するリズムが刻印されている“アシェー・ミュージック” (axé music) [バイーア発祥のアフリカ系音楽] もそうだ。そして今や、このオリシャーのリズムは国境を超えて世界に広まっている。さらに、ルンピレス・オーケストラ (Orkestra Rumpilezz) もカンドンブレーのリズムに想を得ていることは寸毫の疑いもない。