連載エッセイ209:富田眞三「ボランテイア活動を通してみた榎本植民団の末裔」中 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ209:富田眞三「ボランテイア活動を通してみた榎本植民団の末裔」中


連載エッセイ205

ボランテイア活動を通してみた榎本植民団の末裔(中)(2005年春)
タパチュラ(メキシコ)の日系社会

執筆者:富田 眞三(在テキサスブロガー)

執筆者:白戸 東子(しらとはるこ)(元JICA日系社会シニアボランテイア)

ボランティア活動を通してみた榎本殖民団の末裔(中)

少々虫がいいが素晴らしい日系人

【富田氏による蛇足的まえがき】 
 明治30年の榎本殖民以降、メキシコには小規模ながら7度にわたって日本人移住者が入国している。メキシコの日系2,3世はブラジル、米国の日系人同様に大学進学率が非常に高いのだが、もう一つ顕著な特徴がある。それは日系人には歯医者さんが多いことである。当然、大学歯学部の教授陣にも日系人が多く、メキシコ歯学界は良い意味で日系人が牛耳っていると言っていいだろう。その間の事情は、アメリカ便り「100年前メキシコへ渡った日本の歯医者さんたち」にくわしく書いたので関心のあるお方は下記のブログをのぞいて頂ければ幸いです。https://iron3919.livedoor.blog/archives/12379102.html(テキサス無宿記)

ところで、2004年現在、この町の日系人社会は

① 「チアパス・エノモト協会」グループ
1998年に行われた移住100年周年記念行事後に、協会運営を引き継ぎ現在まで協会を運営している榎本植民団の契約移民の一人の孫・3世が中心となって運営しているグループ

② 「タパチュラ日系文化クラブ」グループ
2003年、戦後移住者の長男(二世)が創設。最近活動し始めた。一つの団体組織としては、日系のみならず多様な人材を含み現在最も参加人数が多い。

③ 自称“歴史的由緒ある”グループ
  1986年、日本語を教える有志が「チアパス・エノモト協会」を組織。その後10数年協会を運営した十数人からなるグループ。植民団メンバーの自由移民系数人を引き入れ契約移民に名を連ねていた某団員を祖とする一族の孫(3世)が中心のグループ。

④ 日本・日系に無関心及びその他の日系人
以上のおおむね4つのグループに大別されるようです。

 タパチュラでの私のJICAから指示されている活動拠点はこのうちの「チアパス・エノモト協会」と「タパチュラ日系文化クラブ」2か所の日系関係団体でしたので、この2団体についてレポートいたします。

① チアパス・エノモト協会

このチアパス・エノモト協会は 今から約20年前の1986年、まだ元気だった2人の一世中心に、日本語を持ち回りで勉強していた日系人有志で結成されました。この協会設立以前には、ことある毎に有志が集まっていたようで確固とした日系団体と言える組織は無かったようです。

1968年秋のメキシコ・チアパス州榎本植民70周年記念公園(在アカコヤグア)建設にあたっても「現在当州に在住する十数名の一世が地上から消え去らない前に、この際我々の先覚者の足跡を偲びつつ、この植民の揺籃の郷アカコヤグア村に、将来に残し得る何かの記念物をとの声が盛りあがったので、とりあえず、この具体案を練るため、且つ先亡同胞の慰霊祭も兼ねて、近在の1・2世が松居猪三郎宅に集まった」(記述通り)と1969年発行の記念公園建設報告書にあります。

当初このエノモト協会は、経済的・社会的にわずかに認められるようになっていた日系3世中心グループによって運営されていました。しかし日本政府との関係が密になるにつれて援助をめぐりイザコザや内輪もめが続くようになり、この騒動を嫌った結成有志は徐々に脱会。その後のタパチュラ日系人間の内紛は、特に1998年、移住100年式記念事業として日本政府から、セントロから離れた「日本人の野菜畑」言われていた地域にエノモト協会・文化会館が設立寄付され、同時に運営管理が①グループ・「チャパス・エノモト協会」の一族に移行後も協会そのものは続いているから立派だと言える。会員間のきしみはあるものの、当協会の会長選挙なども他都市の日系人社会からは民主的方法で行われていると評価されていますが、私のいる一年の任期中では1回も行われていません。

会員数ばかりか、いつ会長がかわり、任期はいつからいつまでなのかさえわかりません。JICA事務所から担当者が来ると聞けば一族総出で会館周囲の草取りや掃除をし、クラスにもワァ~と出席、教室は満員になります。しかし担当者が帰った2-3週間後にはクラス出席者は一人か二人に激減です。現在も契約移住者の一員だった某青年の末裔一族だけで協会を(見掛け倒し?)運営している状態です。

協会における私の活動

 協会での私の活動は月・木・土の週3日計16時間の文化会館での日本語 教育分野だけ。すでに日本文化担当の青年ボランテイアが派遣され活躍中でした。生徒といえば日本文化や日本語にあまり興味を感じていない、むしろ「日本文化はここには必要ない」と豪語する3世会長率いる協会一族の4・50代の役員がおおかた。彼らの多くは公立小学校の教職についており、当然朝から昼過ぎまで仕事。その後2時から4時過ぎまで昼食という生活習慣から文化会館に常勤している人はいません。この辺りのメキシコ社会人と同様、時間はルーズ、公私混同もはなはだしく、日本的常識は通用しません。

もちろん日本の常識即メキシコの常識ではありません。でも会館を掃除するため、会館裏の6畳ほどの小屋に住んでいたメキシコ人女性にまで組織・団体を運営する力がないと文句をいわれるほど責任感が欠けています。

語学を始めるには少々歳を取りすぎたこの一族の78歳になるゴッドマザーまでも気の向くまま時間のあるときにあちらこちらのクラスに出没し、同席する生徒である娘たちの顰蹙を買っています。

もちろん当地ではほとんど必要のない日本語だけを教えても何にもなりません。個人主義・一族主義にはしりがちな人たち、プライドの高い人たちです。面と向かって直接意見を言うのはひかえ、「けじめ」「時間厳守」を第一に、「集団行動」や「思いやり」、「日本人のものの考え方」などを理解してもらう事を念頭において活動しました。もちろん。授業は決めた時間に始め決めた時間に終わる。たった1時間の授業です。授業中は携帯電話の使用だけでなく食べ物を口にすることも禁止。小学1年と3年生の子供連れで来る母親や子どもたちも授業中は勝手気ままな教室の出入りを禁止、必要な場合は挨拶をしてから入退室してもらいます。

 また、「協会のものイコール自分達のもの」という意識も強力です。教科書教材類の貸し出しには氏名明記してもらいました。

決定事項に関しても意志の疎通ができていないのでしょう。役員によって、また非日系生徒の顔(裕福さ?)をみて、生徒ごとに要求する授業料が違っているのは当たり前です。各種の折り紙や生徒の書道作品を道路から見えるように会館入り口に貼り付け、童謡や小学唱歌・演歌などの日本の歌をボリュームいっぱいにかけ、「ここに日本文化会館あり、活動中」とアピールして集めた生徒達にもすぐにやめられてしまいます。この対策として役員が決めた登録料や授業料、時間割を明示した案内書を作成、目につくように会館内の壁にぺたぺたと貼り付けました。

書道、折り紙、日本の歌が関心の的

 ここでちょっと虫のいい話をご披露しましょう。

タパチュラ日系文化クラブの日本語クラスの生徒数を聞いた役員幹部は、授業料を会館とクラブ間のバス代分だけ割引するから生徒全部を会館のクラスに移せ、というのです。私個人の生徒ではありません。クラブ会長に依頼書を出したらどうですかと言えば、依頼やお願いは[ノー]だそうです。また、クラブで書道クラスをやっているというのを聞いてこの会館でもやってほしいということになりました。「書道道具がないからダメ」という青年ボランテイア。どうしてもやりたいという幹部はJICAから担当者がやってくるのを待って私が担当することに許可をもらいました。改めて、筆は?半紙は? の問いに、みんな他人任せ。墨がナンなのか、下敷きがどうなのか全然わかっていません。書道もやりたいと希望するのは単なるライバル意識からでしょうか。クラブのために一時帰国中に知人や親戚中を回って集めた道具類を土曜日毎に借りる事にしました。デモ、デモ、です。会館にあるJICAや国際交流基金から寄付された教科書類は、「貸してあげて」というと、「それらは協会・私達もの。絶対貸さない」なんて主張します。たいして、逆の場合は平気な顔、当然という顔をしているので、私の細い目はクルクル、なんとも子供じみていておかしな考え方をします。彼らの考え方は「あきれる」と通り越してむしろ「かわいい」くらいです。

また授業料だけでは運営資金が集まらないというので、会議室や教室を貸して使用料をとったらどうかという提案には、日系人だけにしか貸さない、あのグループにはダメ、とか。新しく日本人がやってこない限り、日系人といえる人の数は年とともに減るでしょう。それに何世までを日系人というのでしょうか。しかも協会会員の息子が大学のメキシコ人同級生を集め宿題をしたり、会議室を誕生パーテイーに使ったり、これ等は当然のことと認めているのです。

活動拠点をタパチュラに変更する時挨拶に行った、在メキシコシテイ、メキシコ日本商工会議所事務長の、「エノモト協会の電化製品は商工会議所で寄付したもの。2002年5月、会館に泥棒が入りこれ等は盗まれたと聞いた。ぜひ寄贈品のチェックを」という依頼で調べたのですがそれらしきものは残っていませんでした。でも、巷の風評では協会会員が家にもちかえっているということになっているのです。後日、クラス運営上必要になったビデオデッキを持っている人がいたら貸してほしいと役員に頼みました。盗まれたという新聞記事のコピーまで見せて、ないと言い張っていたものの、最後には協会のものがあると言って持ってきてくれたのですが、それはまさしく寄贈品リストに載っているシロモノでした。

これが、オスカー・ルイスが「貧困の文化」と称した文化なのでしょうか。経済的社会的環境的に恵まれない人々の心理、考え方、感じ方なのでしょうか。いつも無人の会館にこれ等の機器
をおいておくのでは盗まれる恐れがある。また利用しないで飾っておくだけではもったいないという考えから自宅管理ついでに利用して、となったのでしょうか。ものは考えようだと割り切って深く考えないことにしました。これがこの会館を管理する日系人のごく普通の姿なのです。また公然とささやかれている秘密なのです。

一方、会館という立派な建物はあっても、コピー機は故障、電話は代金未納で止められています。インターネットを活用してナンテ、初めの計画は大失敗大きくて立派な台所も鍵はかけっぱなし。水道も未納ゆえトイレも手を洗う水どころかトイレットペーパーもなく、会館での活動日にはお茶からコピー用紙、コンピューターまで、大きな荷物を抱えて行ったりきたり。なぜなら、外部に先生を頼んだ空手クラスなどがあり、生徒や送り迎えの親の出入りもあります。置いてくれば次に行ったときにはこれ等はなくなっている場合が多いからです。

でもやっぱりものは考えよう。電話が通じれば使い放題、コピー機は個人の仕事用になるでしょう。

当然、英語に重点を置く20代の若者にとって日本語はマイナーです。でも数週間後には日本に留学を希望するメキシコ人学生や、FTAを視野に入れた果樹園の子弟など数人がクラスに参加するようになりました。

 日本の文化を知りたいという11・2歳の子供達14人も集まりました。子供はしんどいから「いや」という青年ボランテイアにかわって、発話より理解を優先する方法。教師が口頭で指示を出し、学習者がこの指示を動作として示すといった教授法で日本語を教えるという理由をつけて折り紙のおりかた、「あっち向いてホイ」「陣取りゲーム」などの遊び、「むすんで開いて」「ナイタナイタ何がナイタ?」などの歌。「ドラえもん音頭」の踊りや歌、録画して持っていった漫画のビデオをみせ、ビデオカメラやカメラの撮り方など教えながら動き回りけっこうなダイエットにもなりました。

彼らにとっては 番組の間に入るコマーシアルのほうが楽しかったようです。なんとも形容し難い協会・会館を牛耳っている一族ですが、反協会派婦人科医のホームステイ先からホテル住まいを始めた私に、不便だろうからとクラスのたびにかわるがわる昼ごはんや果物、特産の野菜や珍品、入れたてのコーヒーなどをジャムの空き瓶に入れて届けてくれるなど飾り気のない純真無垢なところもあり、彼らの好意や活動に対する感謝の気持は充分に伝わってきました。母親や親族年長者を大切にしている人たちですし、怖い顔をして怒鳴るように喋りまくる彼らも根は人情味あふれる心優しい人たちなのです。協会運営に対する意識さえちょっと変われば、他グループの人たちにもうちょっと心を開けば、とても素晴らしい憎めない日系人一族です。(続く)(注)すべての写真は筆者・白戸さんの撮影したものです。