安井 伸(慶應義塾大学 准教授)
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特集 新しい左派政権は変化をもたらすか? チリ -ボリッチ政権と新憲法制定の行方 安井 伸(慶應義塾大学准教授)
はじめに
2019 年10 月、首都サンティアゴの地下鉄料金の値上げに反対する抗議運動に端を発した未曽有の社会擾乱(estallido social)は、1990 年の民政移管に始まったチリ政治の一時代に文字通り終止符を打つ出来事となった1。社会擾乱をきっかけに、新憲法制定に向けた政党間合意が署名され、1 年後に実施された国民投票では、新憲法の制定に対し、8 割近い圧倒的支持が示された。他方、2021 年11 月の大統領選では、既存の二大政党連合出身候補が低迷し、12 月の決選投票では、年金改革等一連の社会改革の実現を掲げる、若き左派候補ガブリエル・ボリッチが勝利し、新時代の到来を予感させた。しかし2022 年9 月、制憲議会が作成した憲法草案の是非を問う国民投票で、草案が否認されると、制憲プロセスは一旦暗礁に乗り上げた。草案の承認を政権浮揚の好機と目論んでいたボリッチ政権にとっても大きな誤算となり、残り3 年間の任期を残す中で厳しい政権運営を迫られている。
その一方で国民の新憲法制定自体に対する支持は下がっておらず、3 か月にわたる困難な交渉を経て新たな制憲評議会の設置に関する政党間合意が署名されたことは、対立から協調へと、新しい政治のあり方を予感させている。本稿では、社会擾乱の勃発を機にチリで起こりつつある政治刷新への胎動という観点から、ボリッチ政権と新憲法制定の今後を占っていきたい。
社会擾乱の勃発と憲法制定プロセスの開始
2019 年10 月18 日にチリの首都サンティアゴの地下鉄料金値上げに反対する中高生の抵抗運動に端を発したチリの社会擾乱は、早期の鎮静化を図った政府の意図に反し、拡大の一途を辿り、10 月25 日には100 万人を超す規模のデモが平和裏に開催されるなど、とどまる様子を見せなかった。「30 ペソではなく、30 年」というキャッチフレーズに象徴される
ように、1990 年の民政移管後の、市民社会を置き去りにしたテクノクラート政治への積もり積もった鬱憤が一度に表出されたかのようであった。社会擾乱には当初から、年金、医療、教育、人権、賃金上昇、雇用、平等・格差改善、等々極めて多様な個別の要求項目が含まれていたが、その最大公約数的な意味合いから多くの運動に共通する要求として次第にクローズアップされてきたのが「新憲法の制定」であった。抗議運動は11 月に入ってもとどま
る様子を見せず、ピニェラ大統領の呼びかけで、14~15 日にサンティアゴの旧国会議事堂に与野党10数政党の代表が集まり、15 時間にわたる協議を経て「社会平和と新憲法に関わる合意」が署名された。その骨子は、2020 年4 月に新憲法制定の是非と制定メカニズムに関する国民投票(plebiscito de entrada)を実施し、制憲議員の選出は同年10 月の地方選と同時に行う。作成された憲法草案は義務投票による国民投票(plebiscito de salida)の実施により信任を受けねばならないとされた。この合意は政党間の合意ではあったものの、ボリッチは自身の所属する政党の説得に失敗しつつも、個人として署名を行った。この事実は彼の評価を高め、若くして大統領になる一つのきっかけになったかもしれない。
2020 年10 月新型コロナウイルス感染症
(COVID-19)の拡大により延期された国民投票が実施され、投票総数の78.3%が新憲法制定を支持し、79%が国民の選出による制憲議会の設置に賛成を示した。これに基づき2021 年5 月15、16 日に実施された制憲議会選挙(州知事・市区長・市区議会議員選挙と同時開催でメガ選挙と呼ばれた。ちなみに、地方選挙でも左派と中道左派が躍進した)では、総
数155 議席中、独立系が48 議席、急進左派28 議席、中道左派25 議席、与党中道右派37 議席、先住民17議席(固定枠)という結果となった。その結果、中道右派勢力は望まない条項を否決するのに最低限必要な3 分の1 の議席にすらほど遠く、独立系、先住民系を含めた左派勢力が完全な主導権を握る中で新憲法の草案作成作業が進められた。2022 年7 月制憲議会からボリッチ大統領に提出された新憲法草案は、おそらく多くのチリ国民が当初
想像していたものより「先進的」な内容であり、ある種の戸惑いをもって受け取られた。ジェンダー平_