連載エッセイ227:深沢正雪「なぜブラジルには地震がないか=移民と震災の切っても切れない関係」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ227:深沢正雪「なぜブラジルには地震がないか=移民と震災の切っても切れない関係」


連載エッセイ224

なぜブラジルには地震がないか=
移民と震災の 切っても切れない関係

執筆者:深沢正雪(ブラジル日報編集長)

この記事は、ブラジル日報のWEB版の2023年2月14日付けのコラムに掲載されたものを、同紙の許可を得て転載させていただいたものです。

関東大震災に押し出された日本移民たち

6日に発生したトルコ・シリア地震の死者数は、13日時点で3万3千人を超え、2倍になる可能性があると報道されている。2011年3月11日に起きた東日本大震災では、東北地方を中心に2万2312人の死者・行方不明者が発生した。すでにそれを上回っており、目をそむけたくなる刺激的なビル崩壊映像が流れている。

思えば、東日本大震災から今年3月で12年目、1923年9月1日に発生した関東大震災からは100周年を迎える。日本は地震と切っても切れない歴史を持っており、日本移民もそれに強い影響を受けている。

そもそも笠戸丸を運行させた〝移民の祖〟水野龍本人が、関東大震災を理由にブラジル永住を決めたと、息子の龍三郎から聞いた。1923年9月に東京で関東大震災に遭った妻万亀は、「こんな怖い思いは二度としたくない。地震のないところへ連れて行ってください」と水野に懇願したからだとのことだった。

それを機に1924年、すでに65歳だった水野は勤めていた移民の送り出し機関・海外興業株式会社(以下、海興)を辞任し、家族を連れて渡伯した。その後パラナ州ポンタ・グロッサ市に州知事から土地を取得し、水野はコロニア・アルボラーダ「土佐村」を建設した。〝移民の祖〟が震災を理由に移住していた。


前列中央が平井格次夫妻、後列中央がサンパウロ洗染業組合長ギリェルメ・マニアーメ氏(『在伯日本人先駆者伝』)

戦後、サンパウロ洗染業界の〝次郎長親分〟と言われた平井格次もそうだ。1968年にはサンパウロ市とその周辺だけ5千軒もの日系洗染業者がいたが、その代表格が彼だった。洗染業界の後押しがあったからこそ、日系初の連邦下議となる田村幸重が政界への第一歩をサンパウロ市市議(1948年)として記すことができた。日系人の政界進出に先鞭をつけた立役者の一人が平井だった。

そんな平井は静岡県出身で、25歳の時に東京に出て結婚、淀橋町で株式仲買業に従事して第一次大戦による好況で一儲けし、27歳にして京橋中橋泉町に春日旅館を開業するに至った。当時、久原房之助ら政治家の定宿として知られたが、関東大震災で被災して無一文になってしまった。久原房之助は現在の日産自動車、日本鉱業、日立製作所、日立造船創立の元となった鉱業所や財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った人物だ。このように一端は東京を舞台に旅館業で成功した平井だったが震災で全てを失い、再起を目指して移住を決意し、1928年に「もんてびでお丸」で渡伯した。

このように、関東大震災が起きて日本国内では海外移住を求める機運を一気に強めたが、当時のブラジルは移住先としてはあまり希望される場所ではなかった。それまでの主な行き先は米国であったが、震災の翌1924年に上下両院を「排日移民法」が通過して、行く手が阻まれた。

海興は震災の罹災農民救済策として船賃全額補助を内務省に請願し、1924年3月に罹災農民限定で実施され、あっという間に定員を満たした。移民の送り先に困っていた日本政府は、多数の応募があったブラジル送り出しが有望になったと確信した。

この補助金が議会でも認められ、同年9月以降はブラジル行き全移民に対し、渡航費補助の特典が与えられた。ここからブラジル行きは「国策移住」となった。このような経緯で、関東大震災2年後の1925年から1935年までの11年間だけで約13万人がブラジルへやってきた。つまり、移民総数約25万人の半分以上がこの期間に集中している。かくも、震災と移民は深く関係している。

震災と縁が遠いブラジルの地質事情

今回の地震に関して毎日新聞9日付は、《トルコ南部地震、断層を境に4m横ずれ地殻変動、衛星データに》(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6453371)と報じた。トルコ周辺はアナトリアプレート、ユーラシアプレート、アラビアプレート、アフリカプレートという4枚のプレート(岩板)が集中する地震多発地域で、過去何度も震災を繰り返してきた。

一方、思えばブラジルでは大震災が起きたことがない。なぜ当地で地震がないかといえば、【図1】にあるように国全体が南米プレートの中央付近にあるからだ。地震は、隣のプレートの下に潜り込んだ歪みが跳ね返って起こるので、プレートの淵にある地域に集中している。だから、国全体がプレートの中心に位置するブラジルでは地震が起きない。

南米プレートの西側にある太平洋側では、コロンビアからチリにかけてペルー・チリ海溝となっている。ここでは、太平洋南部のナスカプレートが南アメリカプレートに向かって東方向に沈み込んでいる。このプレートの端の部分には地盤のヒズミがたまるから、チリやペルー、エクアドルなどの太平洋側では地震が頻発する。

チリ南部付近ではナスカプレートと海嶺を隔てて接している南極プレートが沈み込んでいる。南米プレートを挟んで反対側の大西洋中央部の北側はアフリカプレートと接して、大西洋中央海嶺をなしている。その西側は北アメリカプレートと接する。このようにブラジルは幸運なことにプレートの端に接する部分がなく、広大な国土がまるごとプレート中央部に収まっている。

実はブラジルには地震が起きる場所もある


ブラジルの国土全体が南米プレートの中心部に位置している様子(Alataristarion, via Wikimedia Commons)

そんなブラジルでも、地震がゼロではない。13日付カナルテッキ・サイト《地質学的断層に位置するブラジルの五つの都市》(https://www.terra.com.br/byte/5-cidades-brasileiras-localizadas-em-falhas-geologicas,df4efd1e0507152c999492d830f7a5c5d9azialu.html)によれば、地質学的断層がある地点では小規模な地震が頻繁に発生している。

「断層」(falhas geológicas)とは、地下の地層もしくは岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて地層に食い違いが生じた状態のことを言う。
この断層は主に「第4紀」の間に、地殻変動による圧縮や伸張によって岩石の塊に生じた地層の割れ目だ。「第4紀」とは、地球の46億年にわたる長い歴史の中で、現在を含む最も新しい時代で、約260万年前から現在までを示す。

ブラジルの地質断層に関するミナス連邦大学(UFMG)が米国地質研究所(USGS)と共同で行った調査では、国内に48の活断層があると指摘している。これらの断層が人の住まない地域であれば地震が起きても被害は起きない。だが同記事によれば【図3】の5カ所では断層の上に都市が位置するので注意が必要だという。


町の直下に活断層がある5都市の地図(USGS)

(1)アクレ州クルゼイロ・ド・スル
この町はバタン―クルゼイロ断層に近接している。ブラジル最西端に位置する町なのでアンデス山脈に近く、同山脈付近で地震が発生すると影響を受ける。だがある程度山脈から距離が離れているため、ペルーやチリの都市と比べると住民が感じる震度は低い。
USP地震学センターのデータによると、過去10年間に記録された116回の地震のうち、最大で震度6・2度に達したものがある。思いのほか本格的な揺れだ。

(2)ミナス・ジェライス州セッチ・ラゴアス
ここは国内でも特に地震が多い州の一つだ。セッチ・ラゴアスは州中央に位置するが、エストレラ断層とカルデアール・モタ断層という二つの活断層に挟まれた地理的条件から、地震が比較的多く発生する地域となっている。過去10年間に200回という最多の発生回数を誇るが、いずれも微小地震。震度3を超えたのは2016年の1回だけだ。

(3)パラナ州クリチバ
パラナ州都で人口約200万人の大都市だ。第四紀地層調査において断層上に直接現れる州都はここだけ。クバトンせん断帯は市を横断し、サンパウロ州沿岸のクバトンまで伸びている。「せん断帯」(Zona de Cisalhamento)とは、地球の地殻の主要な脆弱帯で、はさみなどを使って挟み切るように地層に平行方向に力が作用する「せん断変形」が狭い帯状の領域に集中して発生する現象だ。この地域では、過去10年間に157回の揺れが記録されている。他の地域と同様、通常は震度3を超えることはなく、最も激しかった13年は震度3・7に達した。

(4)南麻州ミランダ市
UFMGとUSGSの調査において、中西部は地質学的断層が最も少ない地域だ。同州に現れる唯一の断層はミランダ市を通過するコクシム断層だ。記録された揺れの量も最も少なく、USPの地震カタログに掲載されているのはわずか20回となっている。

(5)北大河州ジョアン・カマラ市
北東部は国内で最も多くの断層がマッピングされている地域。北大河州にだけ、全伯で最大のものを含む四つの断層が存在する。サマンバイア断層は38kmに渡るもので、ジョアン・カマラ市などを横断している。この地域では過去10年間に157回の揺れが記録されたが、通常は震度3を超えない。最も激しかった13年でも震度3・7だった。

ちなみに、ブラジルの48の活断層はUSGSが提供する地図(https://pubs.usgs.gov/of/2002/ofr-02-230/OFR-02-230-508map.pdf)で確認できる。南米の地震を追うにはUSP地震学センター(https://moho.iag.usp.br/)のページで。

「ブラジルが地震のない国で本当に良かった」


6日に発生したトルコ・シリア地震の様子(Red Crescent Turkiye)

地球変動学を専門とする鎌田浩毅京都大学名誉教授は「サンデー毎日×エコノミスト」9日付で《トルコでM7・8地震プレート4枚ひしめく多発地域、震源の広がり300km》と題する論考を掲載し、《今回のトルコ地震を日本と比較した場合、地震規模に比べて被害が大きくなる実態が改めて浮き彫りとなった。ただ、同じく4枚のプレートがひしめき合う日本にとっても、今回のトルコ地震は人ごとではない。首都直下地震をはじめ、地震対策を早急に進めなければならない》と警鐘を鳴らしている。

日本は【図2】にあるように北半分が北米プレート、南半分がユーラシアプレートに載っており、太平洋側も太平洋プレートとフィリピン海プレートがあり、なんと四つのプレートが複雑にせめぎ合っている。その分、歪みが起きやすく、数十年、数百年単位で地震が起きている。

かくいうコラム子も静岡県出身であり、小学校の頃から椅子には防災頭巾を常備し、「富士山噴火とか東海大地震(南海トラフ巨大地震)がいつ来るか分からないから、常に備えを」と言われ続け、避難訓練を毎年受けてきた。

プレートが密集した日本周辺の模式図(気象庁, via Wikimedia Commons)

ブラジルに来た30年前、道ばたを歩いていてまず驚いたのは、ビルの建築現場で使われている鉄骨の細さだった。「こんなに細い鉄骨で高い建物をたてて、地震が起きたらどうするんだ」と不安になった。だが地震がないからそうなのだとすぐに思い直した。

今も南海トラフ地震関係のニュースはとても気になる。日本の気象庁地震火山部は7日付情報(https://www.data.jma.go.jp/svd/eew/data/nteq/index.html)で、《南海トラフ沿いの大規模地震(M8からM9クラス)は、「平常時」においても今後30年以内に発生する確率が70から80%であり、昭和東南海地震・昭和南海地震の発生から約80年が経過していることから切迫性の高い状態です》と説明する。

東日本大震災の時、2カ月後に現地に取材に行った。そこで見た海岸沿いの被災光景はまったく他人ごとに想えなかった。というより、絶望的なまでに自分の故郷の地形に重なって見えた。静岡県人の宿命とはいえ、このような《30年以内に巨大地震が起きる確率は70~80%》というような記述を見るたびに、故郷の家族・親族、友人の顔が順繰りに脳裏に浮かび、胸が少し痛くなる。そして「ブラジルが地震のない国で本当に良かった」と思うと同時に、どこか申し訳なさを感じる。

人生では「◎◎が欲しい」という欲におぼれがちで、それが手に入らない今の自分を「なさけない」と否定しがちだ。だが、ふと手に胸を置いて深呼吸をし、足元を見てみれば、「クーデター騒ぎ、治安の悪さ、汚職の多さ、貧富の格差などブラジルはいろいろ問題が多い国だ。だが、少なくとも100年以上も戦争を経験しておらず、地震もなければ、噴火する火山もない。さらに台風すらこない。フェイラで安いモノを選べば食うに困ることもない」と考えることができなくもない。そう思えば、少しだけ幸せになれる気がする。(敬称略、深)