『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』 明川 哲也 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』 明川 哲也


世界で自殺が多い国は旧共産圏のリトアニア40.2%、ロシア34.3%、ハンガリー27.7%、ラトビア24.3%であり、スイス25.7%に次いで日本が24%と旧西側諸国の中では最も高い(2007年にWHOが集計した人口10万人あたりの完遂率。調査年は1997〜2004年と国によって違う。WHO Mental healthのサイトにある)。反対に最も低い国はメキシコの4.0%であり、コロンビア、エクアドルが続く。そして、禿げた人が珍しいのもメキシコ人だといわれているが、食生活が関係しているのだろうか。

人生に行き詰まり、ニューヨークに逃れてきた中年の調理人タカハシは、ブルックリンで自殺寸前にネズミたちに命を救われ、彼らのいう人を死に誘うのは「憂鬱の砂嵐」であり、それを追い払う赤、緑、黒ともう一つの四つの宝があるというメキシコに宝探しの旅に共に出る。最初に訪れた色彩が無くなりモノトーンの世界になったオアハカ州の村では、野生のトマトのバーベキューを村人に供したところ村に色が戻ってきた。第一の宝はトマトだったのである。

次に向かった中部のシエラマードレ山脈の盆地アンガンゲオの海抜3000mを超えるモミの巨木の森は、秋にカナダから5000万匹のモナーク蝶が飛来し春にはまた戻って行く。見れば越冬地は砂防ダムの建設で地下水脈が絶たれ森も蝶も瀕死の状態であったが、ダムの基礎壁を穿つことにより蘇らせるとともに、マヤの人身御供の幻影からメキシコ人でありながらトーガラシを食べられなくなったモナーク蝶研究所の若者に辛みのない淡い緑色のベル・ペパーを調理して食べさせ、その幻想を取り除く。第二の宝はトーガラシだった。そして、死者の日にテオティワカンに到達した一行は、栽培種になる前のインゲン豆(ブラック・ビーンズ)の原に降り立つ。メキシコはじめラテンアメリカで多く食される食料の先祖で、豆蛋白質摂取量(FAO統計)と自殺率は反比例するといい得るのだ。紀元500年の当時20万人が住んでいたという都市の中心部の月のピラミッド頂上の神殿では、あたかも捕虜の心臓を抉り神に捧げる儀式がくり広げられていた。第三の宝であったインゲン豆の煮物を作りながら、次第にタカハシは意識を失っていく。

実はタカハシの厨房での同僚であった密入国のメキシコ人調理人カルロスに、タカハシが乗り移っての幻想の旅であったので、タカハシは自殺を“達成”したことが明かされるが、第四の宝こそはどんな状況になっても生きていこうとする自分自身を信ずることだとカルロスは断言する。

幻想の世界と現実の世界の自殺や貧困ゆえの社会の下層での生活、自然環境の破壊などの問題を織り交ぜ、メキシコ料理の調理法と味覚を絡ませたファンタジー小説。ドリアン助川という芸名でバンドを組んでいたが、それで食べられるようになってから内部噴火が無くなったとしてニューヨークに渡った経験をもつ著者の第一作。

(文藝春秋(文庫)2008年5月630頁952円+税)