レーニンとともにロシア革命を成し遂げたレオン・トロツキーが、レーニンの死後の権力闘争でスターリンに敗れて追放され、亡命先のメキシコでスターリンの意を受けたNKVD(内務人民委員部)の刺客に暗殺されたのは1940年のことである。本書は、米軍通信情報部が傍受・解読したNKVDの本部と出先の工作員間の外交暗号通信文書の翻訳を託された著者が、この文書を下敷きに執拗に追うスターリンと、追われてロシアの流刑地からトルコ、欧州各地、そして最終的にはメキシコに至り、そこでついに殺害されたトロツキーの後半生を辿った歴史ノンフィクションである。
ソ連との関係を慮り入国滞在を拒まれ制限されて、1937年に友人であり当時は離党していたが共産党員であった壁画画家のディエゴ・リベラとその妻で画家のフリーダ・カーロの誘いでメキシコに入ったトロツキーは、当初は郊外のコヨアカンにある「青い家」と呼ばれるリベラ夫妻の家を借りていたが、やがてフリーダとの不倫やリベラとの政治的決別から同じ区にある家に移った。スターリンの手の者の襲撃があることを予想し、「要塞の家」と呼ばれるような防備を施したが、はたせるかな1940年5月にやはり著名な壁画画家であり、メキシコ革命やスペイン内乱で共和国政府支援の「国際旅団」大佐として活躍したこともあるスターリン信奉者ダビッド・シケイロスが率いる約30名の襲撃隊に襲われたが、奇跡的に無傷で済んだ。しかしNKVD幹部の指示を受け、周到にトロツキーとその周囲を警護する者たちに近づき信頼関係を深めていった「ベルギー人ジャック・モルナール」ことスペイン共産党員ラモン・メルカデルが、ついに8月20日に邸内書斎でトロツキーの後頭部に隠し持っていたピッケルを振り下ろし、翌日トロツキーは60歳の生涯を閉じた。
護衛や秘書に取り押さえられた襲撃者は最後まで身元を明かさず、死刑制度のないメキシコでは最高刑の懲役20年の判決を受け服役した。その後1944年などにNKVDによる奪回作戦が試みられたが失敗、未遂に終わった。1960年(本書では50年と誤記)に自由の身になったラモンはモスクワで厚遇は得たものの、獄中時代に食事を運んでいたメキシコ先住民系の妻ともロシア社会に馴染めず、キューバに移り住み、1978年に骨癌のため亡くなった。
著者は海外での駐在も豊かな商社出身の印刷会社役員で、日露歴史研究センターの幹事を務めるソ連研究家である。膨大な欠字の多い暗号解読文書を基に、関係者の多くがスペイン内戦に関わっていたことから説き起こし、メキシコに安住し自らの革命思想を主張しスターリンを批判し続けたトロツキーの「野望を散らせた」暗殺に至るまでを、当時の国際情勢とともに描いている。
(社会評論社2009年11月217頁2200円+税)