『犬の力』 上・下 ドン・ウィンズロウ - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

 『犬の力』 上・下   ドン・ウィンズロウ


メキシコの麻薬新組織の勃興と、その撲滅に家族を捨ててまで命を賭けるDEA(米国政府連邦麻薬取締局)捜査官との壮絶な戦いに、米国政府の対ラテンアメリカ麻薬政策や各国政府への左派ゲリラ掃討支援策の実態、DEAとCIA、FBIとの組織権限争い、メキシコでの下は一般の市民や警察官から上は大統領、閣僚に至る麻薬組織の贈賄と脅迫に屈した姿などを絡ませた、アクションシーンが盛り沢山の国際謀略小説。

著者は主人公の捜査官の麻薬カルテルへの執拗な怒りを通して、1975年から2004年に至る30年間のメキシコ麻薬犯罪組織の興廃を辿り、その密売買・密輸仕組み作り、組織の拡大と連衡・対立、陰謀と暴力抗争、政府・警察等の権力の抱き込みと癒着、さらには米国とラテンアメリカ諸国間の経済・外交関係の裏面としての麻薬マフィアの暗躍と政府との相互利用が巧妙に絡みあっていることを随所に指摘している。米国西海岸とメキシコとの往来を中心に、ホンジュラス等中米からカリブ、コロンビアに至る各地での抗争を絡ませ、ニカラグアのサンデニスタ軍に対抗する政府側武力組織への武器供給がからんだイラン・コントラ事件と麻薬資金の関係や、コロンビアのコカ栽培阻止のための武器・資金援助がFARC(コロンビア革命軍)等の対左派ゲリラ軍事活動に流用されたこと、さらにはNAFTA成立のために明るみに出ては困るメキシコ政府の大統領・閣僚までが手を染めた麻薬マフィアからの収賄のもみ消し、解放の神学に理解を示すメキシコ司教と教皇庁大使との対立など、ラテンアメリカの政治、経済、社会の裏面を巧みに取り込んでいて一気に読ませる。

米国内での麻薬汚染者拡大を阻止するために、麻薬流入を締めだそうとメキシコとの長い国境線での警備に数十億ドルを投じ、凄まじい所得格差、貧困、権力者のための政治に対する社会的な不満に乗じて勢力を拡大する左派ゲリラに対峙する腐敗したラテンアメリカの政府への膨大な援助、零細農家の現金収入源であるコカや罌粟(ケシ)栽培地のみならず一般作物まで枯らし、住民の健康を害する枯れ葉剤散布といった鼬(イタチ)ごっこの供給ルートの遮断策、さらに麻薬犯収監のために数十億ドルを使うという対症療法にすらならない政策に多額の税金を使っている一方で、麻薬の毒から逃れたいと願う貧困地区の住民への治療補助も健康保険もない米国の麻薬対策予算は歪みきっているとの指摘(下巻370頁)は、単なる謀略小説の域を越えて説得力がある。

(東江一紀訳 角川書店(文庫) 2009年12月 574,473頁 各952円+税)