連載エッセイ231:田所清克「ブラジル雑感」その20 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ231:田所清克「ブラジル雑感」その20


連載エッセイ228

ブラジル雑感 その20
(カーニバルとサンバの国 ブラジル)

執筆者:田所 清克(京都外国語大学名誉教授)

2023年2月27日ー3月2日

今回は、カーニバルとサンバとブラジルの国花とも言われるイッペーについて紹介します。

País do Carnaval e do Samba: Brasil
カーニバルとサンバの国: ブラジル その1

 目下ブラジルはカーニバルで沸き立ち、国民がその宗教的な祭典に熱狂する姿がありありと目に浮かびます。リズムを聴けば、つい踊りたくもなる心境に駆られます。
 
カーニバルと言えば、私などは親交のあった文豪Jorge Amadoの、最初の作品で1931年に刊行されたPaís do Carnaval を思い起こしますが、祭典そのものについては、朝日百科をはじめとして様々な雑誌や本のなかで、興味もあって駄文を認めています。

 ところで、世界広しといえどもブラジルほどに多様な音楽を有している国はないのではないでしようか。周知のように、それほど実に数えきれない音楽が存在しています。

 全土で通有のserestaやchoroのごときもの以外に、北部地域ではtoada、バイーア州のcateretê、ペルナンブーコ州のmaracatu、ミーナス州のcaxambuなどは、そのことを如実に物語っています。がしかし、ブラジル音楽のなかで最も世界中で知れ渡っているのは、疑いもなくsambaでしよう。その意味でブラジルは「カーニバルとサンバの国」と呼んでも過言ではありません。このジャンルの音楽に、幾多の日本のブラジル音楽家の方々が魅了されたかは、言うに及ばないことです。

カーニバルとサンバの国-さまざまなスタイルのサンバ- その2

 前回、ブラジル音楽の多様性について述べました。この国それは、音楽にかぎらず文化全般に亘って言えることです。ブラジルのそうした多様性なり多岐性は、社会史や人類学の領域で記念碑的業績を残したGilberto Freyreの言葉を借りれば、さまざまな民族集団が存在しているからに他なりません。

 ところで本題のサンバに関してですが、ブラジル音楽のファンの人であれば知らない人がいないように、Aquarela do Brasil という素敵な楽曲があります。この歌詞にも、ブラジルは「terra do samba e pandeiro 」との一節があります。それからしても、ブラジルの国民がいかにサンバに魅せられ、陶酔しているかが、読み取れます。

 音楽の知識など微塵もない、門外漢の概説になります。従って、間違いや誤解もあることと存じますが、どうか、この点ご容赦願う次第です。

 次回から、サンバの多様なスタイルなり施法性(modalidades)について言及するつもりです。最後に、私の大好きなカイミのサンバ「マリーナ」(Marina)を拙訳で紹介します。

サンバの国:ブラジル-多様なスタイルもしくは施法性を有するサンバ-その3

 一口にサンバと言えども、それには音階と旋律法を包含したものの違いなどから、さまざまなスタイルや変形があります。
 そもそもサンバは、アフリカのリズムの影響を受けたJoaquim Maria dos Santos (Donga)と、”o rei do samba”とみなされていたJosé Barbosa da Silva(Sinhô)の二人の先駆的な作曲家によって生まれました。その背景には、リオのアフリカ黒人奴隷の末裔たちが19世紀後半に産み出したmaxixe の存在もありました。

 ちなみに、アフリカリズムが色濃いリオで発現したmaxixeは舞踊の一種で、当時アルゼンチンではタンゴが人気を博し始め、”hermanos “のダンスのいくつかの影響を受けていることもあって、「ブラジルのタンゴ」として知られるようになっていました。

 サンバのいくつかのスタイルをみてみましよう。一つはスローテンポのSamba-Canção。更に1930年代終わりに発現した、メロディーの切れ目に即興の格言を組み込んだSamba de Breque 。前者の音楽では、「打ち消しておくれ」(Negue)の曲で知られるAdelino MoreiraおよびEnzo de Almeida Passos以外に、Silvio CaldasやFrancisco Alvesなどが光芒を放っています。

 Samba de Exaltaçãoは文字通り、国や人物、美しい自然などを賛美•称賛するジャンルと言えるでしよう。Ary Barrosoの「ブラジルの水彩画」(Aquarela do Brasil)はその典型かもしれません。次回はSamba de Partido Altoに触れます。

カーニバルとサンバの国 -サンバのあれこれ- その4

 
前回に続いて、サンバの各種スタイルについて概説します。今回最初に取り上げるのはSamba de Partido Altoです。単にPartidoとも呼ばれます。そもそもそれは、北部地方の一種の歌合戦(desafio)もしくは南大河州の連歌式の掛け合い(peleja)で、歌い手が二手に分かれて中心テーマをめぐつて競い合うものでした。

 リオでは、サンバの近代化の過程で20世紀初頭に生まれ、surdo、violão、pandeiro、clarineteが楽器として用いられます。

 続く20世紀に出現したSamba de Gafieiraは、Gafieira に「ダンスホール」の意味があるように、ダンスホールでなされる音楽とダンスのジャンルのもので、都会風のリズムに特徴があります。もともとリオ郊外のダンスホールが舞台であったようです。それがリオ都心にバイーアから移住した黒人によって広められました。maxixeから源を発しアフリカの出自が色濃く、踊りそのものが妖艶かつ官能的であったことから当初は、公序良俗に反するとして社会から煙たくみられていた代物でした。

カーニバルとサンバの国: ブラジル -さまざまなスタイルのサンバ- その5

 歌い手が途中で歌うのをやめてユーモレスクな語りをするのがサンバ•ブレイケであり、サンバ•デ•ガフイエイラがリオ市内のダンスホールでなされるものであり、パルチードが[即興的に]作った歌詞の歌合戦であると極言すれば、Samba d de enredoはどういうものでしようか。

 一口で言えば、サンバ車中(escola de samba)のパレードためにために作られた、ブラジルの国民文化の本質をなす象徴的なものや、歴史上の偉大な人物、アフリカ黒人の塗炭の苦しみを味つた奴隷制、黒人のヒーロー、社会批判をテーマにしたものが主流のテーマ曲ようです。

 テーマ曲は競い合うサンバ車中の間で関心の的であり、審査員たちにとつては採点基準の重要な対象の一つになつています。

カーニバルとサンバの国:ブラジル -さまざまなスタイルのサンバ- その6

サンバの淵源は、ルンドウ(lundu)とマシシエ(maxixe)にあります。それらは19世紀の後葉および20世紀の初葉に人気を博していました。ルンドウはユーモアのある歌詞に特徴があり、踊りは男女が臍をくっ付け合うなどして、かなり官能的な側面を有していました。

 伝統的なroda de sambaは、ボテコ(boteco)と称する郊外の掘立て小屋や、自然発生集落のスラム街であるfavelaあるいはmorroで、黒人のbatuqueを介して行われ、彼らの居住するfavelaの日常を表現している場合が少なくありません。

 ともあれ、そうしたサンバには他にもスタイルがあります。Samba de reggaeもそうです。もっともこれは、ブラジルのサンバと1960年代終わりにジャマイカで生まれたポピュラー音楽であるレゲエ(reggae)が融合したもので、バイーア州出自の音楽ジャンルの一つです。Neguinho de Sambaによって創生され広められました。

 それがバイーア起源のジャンルの一つであることから、間違ってAxé musicと呼ばれたりもします。音楽的には、よりスローテンポでゆったりしたリズムで、ダンスに適しています。

カーニバルとサンバの国:ブラジル -その7

 sambaがumbigada を意味するアフリカ言語のkimbundo語のsemba に由来していることについては、すでにどこかで述べています。
 ともあれ、semba が1950年代のアンゴラの伝統的な音楽とダンスのジャンルであったことは、確かです。そして、それがrodas de dançaとも深く関連しています。
 アフロ系の歌やダンスには、ブラジルの北部および北東部沿岸部に伝わるlundu[アフリカのバントウー族に由来する音楽•舞踊で、18世紀末期から19世紀の初葉の間に流行]、coco[上述の地域の歌と舞踊]、fandango[marujadaの名称もある、狂乱的なダンスを伴うところに特徴がある]などがあります。がその一方で、奴隷の末裔であるアフロ系の住民はリオのfavelaでは、batuque、打楽器、身体の動きが本質をなすサンバを産み出しました。
 そのサンバから、これまで見てきましたようにいくつかのスタイルを生みました。Samba de Rockもそうです。米国のハーレムのダンスホールで発現したRock’ Roll。その50年代から60年代のロックがサンバと融合したのが、Samba de Rockです。Jorge Ben、Bebeto、Erasmo Carlosなどは、そのジャンルで代表するアーチストと言えるでしよう。


※写真はWebから: rodas de dançaの光景

国花(flor nacional)ではなく国名(nome de país)にもなった可能性のあるイペー

 日本人にとって桜さながらに、Manuel Martins さんのみならずブラジル国民にこよなく愛されている花と言えば、イペー(ipê)だろう。私とこの国を訪ねた人なら、えも言えぬこの樹の花の美しさに感動されたに違いない。甥と大沼沢パンタナルをセスナ機で上空から眺めた折りに、セラードや湿原地に点在する色とりどりのイペーの、絵のような光景には息を飲んだものだ。その時に撮った写真がそこらにあるはずのだが、残念ながら見当たらない。

 ところで、トウピー語で「軽くて浮く」(tabebuia)の意味を持つイペー。バラ色以外に、黄色、紫色、白色もある。春の到来を告げる花で、どの花よりも季節を先取りして開花する。不思議なのは、まずは葉が枯れ落ち、その後、鐘状の無数の小さな花が一斉に開花することだろう。そして、写真のように、鮮やかな色彩の塊となって眼に映る。

 初秋にブラジルを発見したポルトガル人は、春に咲くイペーを目にすることができなかった。彼らが目にしたのは染料となった、深紅色のpau brasilであった。周知の通り、それが国名になった。もし彼らが、イペーの咲く春にブラジルを発見していれば、国名は「イペー」になったかもしれない。国名にならずとも[黄色の]イペーはしかしながら、国花とみなされている。ブラジルを代表するサッカー選手のユニホームがイペーの色であることは頷けるだろう。

 ちなみに、私がかじつているブラジル文学の世界では、この国を代表するロマン主義作家で、拙訳『イラセマ』(Iracema)の作品もあるJosé de Alencarの手になるTronco do Ipê [『イペーの幹』]もある。

 神戸の元海外移住センター付近の路傍には、イペーが植樹されている。開花時には、前日伯協会の事務局長をされていた細江様からいつもご報告を頂いている。
注記:イペーは浮くほどの軽い材質であるが、存外脆くない。従って、床や屋根などに使われ珍重されている。効能は存ぜぬが、医薬品にもなっているそうだ。

以   上