連載エッセイ232:富田信三「泥の上を這ってもアメリカへ行きたい」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ232:富田信三「泥の上を這ってもアメリカへ行きたい」


連載エッセイ229

「泥の上を這ってもアメリカへ行きたい」

執筆者:富田眞三(在テキサスブロガー)


写真:ソン・ジンカイ氏撮影

【蛇足的まえがき】

先々週のアメリカ便り「2022年、米墨国境の不法越境者」を書くにあたって読んだ、米国、メキシコの資料によって、筆者の知らなかった、不法越境者問題に関する、驚くべき多くの事実を学ぶことができた。そこで今回は、筆者を感動させた、勇気あるな中国人一家のケースをご紹介することにしたい。
結論から書くと、彼らは不法越境ではあるが、無事米国へ入国できた。一家の主人の感想は、南米、中米の恐るべき熱帯雨林の道なき道を這って通った苦難より、母国を出国することの方がはるかに難しかった、という。筆者が驚かされたのは、彼らの採った米国へのルートの意外さと不法越境した国境の数だった。詳しくは本文でご覧いただきたい。(テキサス無宿記)

泥の上を這ってもアメリカへ行きたい


写真:(https://www.bbc.com)

3年間も続いた、中国のゼロ・コロナ政策による、感染者が出た都市の全面的ロックダウンと政府の独断、高圧的対応によって、職を失った多くの中国人たちは、他国に移住して家族のために人間らしい環境と子供たちのためにより良い将来を確保しようと考えるようになった。彼らは見知らぬ他国への渡航による、生活の不安、生命の危険をも覚悟のうえだった。

ソン・ジンカイ(Sun Jincai-35才)もそんな一人だった。彼は決死の覚悟で妻と6,9,11才の3人の子供たちを連れて米国へ渡ることを決意したのだった。中国では海外渡航はもちろん、旅券の交付もきびしく制限され、「急を有し、絶対的に必要な場合」のみ許可がおりる。そのうえ、コロナ対策により、2021年の国際線就航は2019年より97%減便されていた。

昨年4月のコロナ禍による、新たな上海のシャットダウンにより、祖国に見切りをつけた、多くの中国人の海外移住熱は一気に盛り上がった。だが、移住を模索する人々は「渡航、移住」という代わりに、遠回しに「ゾーシアン(Zouxian)英語風発音」という隠語を使って当局の監視を逃れている。そして、多くの中国国民は、コロナ対策に関する、政府の過酷な政策が今後も続くことを見込んで「国外脱出」への踏ん切りをつけたのだった。

「ゾーシアン」即ち移住を目指す人々のSNS上の議論は、学歴、特殊技能と投資によって外国における居住権を獲得することに集中していた。だが、ソン・ジンカイのように特殊技能も資金等の合法的移住に役立つ手段を持たない者たちは、無謀な旅を企てざるを得ないのだった。

ソンはインターネット、TwitterとLine等を通じて、すでに米国への移住を完結でき、人々による、最小限の「身の回り品」のリストから始まる、各種の旅行に関する指導、援助を受け、「移住(Zouxian)に必要な旅券、出国許可、飛行チケットをGetでき、ドルの換金法、本国、米国の移民法に抵触しない方法等を学んだのである。だが、WeChat(微信)の検閲を避けるために、彼ら自身のチャット・グループを結成して、SNSを使わずに電報を利用している人々もいる、という。

BBC News Mundo(BBCスペイン語版)の記者はソンに直接会ったことはないが、ソンが発信するSNS上の情報で中国を出発したことを知った。ソンは「我々の幸運を祈って欲しい」と記していた。ソン一家の最初の寄航地はマカオだった。続いて彼らは台北に飛び、更にタイを経てトルコのアンカラに到着した。コロナ禍に悩む中国人は、ヴィザの交付が受けられずに入国できる国が限られているため、このようなジグザク・ルートになるのだ。


写真:(https://www.naturalworldsafaris.com)

アンカラから一行は南米エクアドールのキトーに到着した。米国を目指す彼らがエクアドールに飛ぶとは奇異な印象を持ったが、米国、メキシコはもちろん、大部分の中南米諸国は、コロナ禍に見舞われている中国人にはヴィザを発行しないのである。やむなく、孫たちは中南米で唯一中国人を受け入れてくれる、エクアドールをアメリカ大陸への上陸地に選んだのである。

マカオを出発して数週間後、ソンは近況をSNSに投稿している。彼の子供たちは、喜々としてマカオ空港の大理石の階段を飛び跳ねるように降りて行った、と記している。マカオからは台北、タイを経て中国人の入国が認められている、トルコに到着した。ソンはトルコの桃色に染まった海辺の夕陽の写真をSNSに投稿している。次の寄航地は南米エクアドールの首府キトーだった。ここで彼らは、「決死的旅路」の最難関地への出発前に束の間の観光を楽しんだのだった。


写真:(www.gettyimages.com)

数日後、ソン一家は旅路の最難関である、エクアドールの隣国コロンビアと中米パナマ間にまたがる、ダリエン地峡(El Tapon del Darien)へ向かう大型ボートに、世界中からの移民たちとともに乗りこんだ。下船すると、今度はロバがひく馬車に乗って、道なき熱帯雨林への入り口に向け北上した。


地図:(www.cplumbia.maps.com)

ダリエン地峡は、コロンビアに隣接するパナマ国内に広がる熱帯雨林地域である。この地帯は人間の侵入を許さない鬱蒼たる密林のため、カナダとアルゼンチンを結ぶ、パンアメリカン・ハイウエイもこの区間は未建設である。ここは地球上まれに見る、生物多様性が観察できる地域であるとともに、7つもの原住民族が居住する地域でもあることを配慮して、パンアメリカン・ハイウエイは工事を中断し、ハイウエイを通過する車両は、100㌔先の地点までフェリーで運ばれる仕組みになっている。当然、この密林地帯には一本の道路もないため、難所には違いないが不法越境者及び麻薬運び人たちには好都合な「ルート」になっている。


写真:(https://www.bbc.com)

SNS上のソンのダリエン地峡に関する書き込みは続く。ソン一家が密林のなかを歩いていたとき、他国の移民仲間が孫の6才の子の手を引いてくれたことが記されていた。

ソン親子の写真もアップされたが、最も危険な瞬間は写真を撮る余裕はなかった。ある日、ソンの妻が腰まである川を横断していたとき、強い濁流に足を取られて溺れそうになった。そのとき、三人の南米人男性が、川に飛び込んで彼女を救出してくれなかったら、彼女の命はなかった。言葉の壁によって、ソンは十分にお礼も言えなかったが、密林を這って通った人々には連帯感が生まれていた。ソンたちがおよそ100㌔のダリエン地峡を通過するには8日かかった。


写真:(https://www.hellolanding.com)

ソン一家はついにカリフォルニアに無事到着できた。米墨国境のサンディエゴだ。

ソンは妻と子供たちに、「メキシコの国境警備隊に逮捕されなくて良かったね」と幸運を喜びあった。彼らが今回、不法越境した国々は8ヵ国にもなる。即ち、南から順番に列記すると、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、メキシコそしてアメリカである。

彼らはグアテマラ国境から最も遠い、カリフォルニアを目的地にしたのは、カリフォルニア州の米墨国境地帯に19世紀中旬以来、住み着いている強力な中国人社会を頼って行ったものと、思われる。彼らの手引きで「不法入国者」のソンが就職もできたのは幸運だった。母国を出てから早くも3か月が経っていた。その間の全費用は8,000ドルだった、というから「ミッション・インポッシブル」の長旅は案外安くついたといえる。そして家族そろってアメリカに無事安着出来ことは、ソン一家に対する何よりのご褒美だった。  (終わり)

参考資料:el creciente numero de mograntes chinos que atraviesan la selva del Darien para llegar a EE.UU. (BBC Mundo)
     Chinese immigrants in the USA (MPI)