米国の南西部にはスペイン語の地名が多くあるが、それらはかつてスペイン領であり、独立したメキシコの領土であったものを米国が奪ったためである。メキシコの国土は独立時の半分以下になっているが、米国に蹂躙され、一時フランスの干渉と支配という大国の横暴を受けた歴史の一面を、メキシコの立場から辿ったものである。
1821年に独立したメキシコは、国内政治の混乱もあって米国の西進に抗しえず、入植した米国人が独立を宣言した1836 年のアラモ砦の闘いを経て、46〜48年の米墨戦争の敗戦の結果、テキサスからカリフォルニアに至るまでの領土を喪失した。力による国境の移動でもとから住んでいたメキシコ人は翻弄され、各地で土地を奪われ迫害された。また、米国政府の動きとは別に、米国の民間人がメキシコ領に入り込み、その地を政治的に支配しようというフィリバスターも北西部を侵食した。
現行の国境が画定した後、米国側の低廉労働力不足という事情もあって、雇用機会・賃金水準の低いメキシコからかつての自国領土へ出稼ぎに行く者が引きも切らず、その数が容認し難いとして、1942年に両国政府間で契約労働者の米国での就労を制度化するブラセロ・プログラムが締結されたが、その後も不法入国者は増大し、1976年アリゾナ州で越境者私刑事件が起き、これが2010年の取り締まり警官の権限拡大を決めたアリゾナ州法の背景のひとつになっている(本誌2010年秋号「米国の移民政策と中南米」参照)。メキシコ・米国それぞれの事情や問題点にも言及しつつ、「哀れなるかなメキシコ、天国から斯くも遠く、米国に斯くも近し」両国関係を解説している。
(松籟社 2010年11月 217頁 1600円+税)
『ラテンアメリカ時報』2011年春号(No.1394)より