『ほんとうにあったふしぎな話 2 ナスカの地上絵のなぞ』 桜井 信夫文・佐竹美保絵 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『ほんとうにあったふしぎな話 2 ナスカの地上絵のなぞ』 桜井 信夫文・佐竹美保絵


1 ミイラのなぞ、3ヒマラヤの雪男のなぞとともに世界子どもノンフィクション・シリーズの1冊。児童向けだが、ナスカの地上絵、イースター島のモアイ、マチュピチュ遺跡とインカ帝国の最後都ビルカバンバについて平易に解説している。

ペルーのナスカの砂漠に描かれた巨大な地上絵の1939年インカ時代の用水路を空から調査していた米国の農学者コソックによる発見、一生を地上絵の研究と保護に捧げ、古代人の天体図であると説いたドイツ人マリア・ライヘ、ナスカの地上絵等謎に満ちた古代遺跡は宇宙人が作ったという説を1969年に唱えたスイス人もいた。1975年には古代にも有った布で作った熱気球で地上からは全容が見えない地上絵を見ることが出来ることを実験で示したが、まだ謎が解けたとはいえず、その後地上絵の保護の規制が設けられたことを平易に説明している。

イースター島の巨人像モアイは、1722年に島に偶々到達したオランダの探検船が訪れ欧州人にも知られるようになり、1774年にジェームズ・クックが率いる英国の探検戦隊が立ち寄った。その後米国船やペルーの海賊等による奴隷狩りの対象になり、持ち込まれた天然痘でかつて4,000~20,000人いた島民は1877年にはわずか111人にまで減るという悲劇に見舞われた。1888年にはチリ領となり、島民も現在は4,000人にまで回復し、数々の調査団が送り込まれてモアイの研究も進み、製作された石切場やそこからの運搬方法などが明らかになってきたが、かくも多く、何の目的で作ったのか? 未だ解読されていない絵文字コハウ・ロンゴ・ロンゴなどの謎を秘めている。

米国の南米学者ハイラム・ビンガムによって1909年に村人から聞いて訪れた天空の遺跡マチュピチュは標高2500mの山上に神殿、用水路、日時計などを備え、インカ帝国の最後の都ではないかと思われる規模だったが、1964~65年に米国の写真家ジーン・サボイの探検隊はさらにビルカバンバ川の上流のエスピリトゥパンパを調査して樹海の中に大きな遺跡を発見、これが最後の都ビルカバンバだと結論づけたが、その後も別な谷に古代遺跡があると言われていて、決着したとはいえないでいる。

〔桜井 敏浩〕

(あすなろ書房 は、2022年11月 88頁 1,500円+税 ISBN978-4-7515-3152-5 )