『グアダラハラを征服した日本人—17世紀メキシコに生きたファン・デ・パエスの数奇なる生涯』 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『グアダラハラを征服した日本人—17世紀メキシコに生きたファン・デ・パエスの数奇なる生涯』


メルバ・ファルク・レジェス+エクトル・パラシオス服部綾乃・石川隆介訳

セビリアのインディアス総合古文書館の史料を調べたグアダラハラ出身の研究者が、1675年頃にグアダラハラの商人パエスの娘が修道女になる誓願を立てる際に、血の純潔性の問題からローマ教皇に特別許可を願い出たという記録を見つけ、それは彼女の父は日本出身であり、母も日本人と先住民の間に生まれたためであるとした。また、フランスの歴史学者も、グアダラハラの公正証書原本を調べていた際に、パエスの女婿エンシオが遺したアジアの文字によるサインを見つけ、当時二人の日本人商人がいたことを知り、その足跡を辿る論文を発表したが、それを読んだ林屋永吉駐スペイン大使が、エンシオは東北出身の侍である可能性が高いこと、後日仙台での調査で福地村出身者であり、17世紀初頭に2回にわたって日本からメキシコに送られた使節団(二度目は伊達藩が支倉六右衛門を長として欧州へ派遣)の関係者である可能性を指摘した。このグアダラハラでの林屋氏の講演を聞いて興味を持った同地の二人の著者が、二人の日本人の辿った運命、それぞれの家族について、当時の日本とメキシコとの関係やそれぞれの国内状況とともに考察を進めたのが本書である。

当時キリシタン弾圧で、多くの日本人信者がルソン島に逃れ、その一部はヌエバエスパーニャと呼ばれたメキシコに渡っているが、大阪生まれのパエスもその一人かもしれない。東北出身のエンシオとどうして知り合い縁戚となったかは定かでないが、二人とも異邦人という血筋であるにもかかわらず商人としてかなりの財を成すところまでいったことは、エンシオ夫妻が引き受けた少なからぬ数の代父母の記録や、パエスが多くの資産ある人達の遺言執行人を務めた際の公正証書などから明らかである。その時代の日本史、スペインとの交流史、メキシコの歴史文書を丹念に追った研究書であるが、推理小説の謎解きのように読める。

(現在企画室 2010年12月 191頁 2500円+税)

『ラテンアメリカ時報』2011年夏号(No.1395)より