執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
1)数字を使ったポルトガル語の語彙もしくは表現
Os vocabulários ou as expressões da língua portuguesa, usando números.
ずいぶん昔、国語化したポルトガル語について調べたことがある。その中には、私たちが今も日常使っているものが少なくない。例えば、「うんともすんとも」、「おんぶする」、「ピンからキリまで」などがそれである。私の大好きな赤ワインをポルトガル語でvinho
tintoというが、ポルトガル人がもたらした当初は、「珍陀の酒(チンダの酒)と呼ばれていたが、<チント>と発音すべきところを<チンダ>と発音していたのである。ちなみに、「おんぶする」のおんぶはポルトガル語で肩(ombro)を意味する。
ところで、ポルトガル語にも数字を使った語彙やイディオム的な表現が多々あり、興味を引く。「うんともすんとも」はまさしく、数字を使った好例である。うん[um]は一であり、すん(sumo)[旧綴りはsummo]は頂点、極み、最高の価値や地位などを意味する。
以下、数字を使った表現なり語彙をアツランダムながら引例して、ポルトガル語の理解を深めることにしよう。
[一]
を意味する。
[二]
諺的な表現で、「二人は気が合うが、三人は仲間 われ(過度)になる。
[三]
しょっちゅう、絶えず
[四]
た、激しく恋した
Na churrascaria o amigo comeu por quatro.
焼き肉屋で友人はたらふく食べた。
A velha caiu de quatro. 老女は転んで四つん這いになった。
[七]
楽しむ、非凡なことをする、並外れたことをする、
いじめる、辛くあたる
[八]
るかそるか
*agosto=desgosto
8月はdesgosto [嫌悪、苦悩、不快]と似ている単語であることから凶月とみなされている。これを忌み嫌って誕生の月を別の月にしたり、結婚式を避けたりもするそうだ。
[九]
い、七面倒臭い
[十]
る。、まだ酔めがさめきっていない
[十二]
抱して頑張る
[二十四]
*ブラジルではポピュラーなjogo do bicho(動物くじ)
の24番目の動物は鹿である。これが転義して、オカマの意味になる。ホモを従ってveadoとも呼ぶ。
[五百]
その他の500なる表現で、「全く共通点がないも
の」、「全く異なるもの」を意味する。
2)呪文を唱えるポルトガル語
Preferir a forma encatória(palavras mágicas) na língua portuguesa
少年時代は、ペルシャやアラブのみならず、南アジアのインドなどの民話等を集めた『千一夜物語」(As Mil noites e uma Noite)に、また大学院時代は、その道の大家の講義での『十日物語』(Decameron)にいたく惹かれた記憶があります。
後者のGiovanni Boccacioの作品は、その後の自身の思考、生き方にも影を落としたほどです。ペストを避けてフローレンス近くの城に籠りながらの男女の物語は、それはそれは吹き出すほどの面白味がありました。かなり、官能的でエロチックな描写が多いですが、この種の作品を読ませれば、子供たちの文学への関心もいっそう高まるのでは、と確信しています。
ところで、前者の物語で、アリババと40人の盗賊が、「開けゴマ」[Sésamo, abre-te]と呪文を唱えて岩戸を開けるシーンは、奇想天外な印象を受けるとは言いながら、鮮明な記憶として今も脳裏に焼きついています。
ゴマは通常ポルトガル語ではgergelimと言います。
病気、災害など災厄を払う、魔術的なまじないの呪文にAbracadabraがあります。どうやら、病気などの治療の呪文で、密教にその淵源が発しているようです。
阿蘇にいた少年期に落雷を恐れて、「クワバラ、クワバラ」と唱えたことを覚えています。これも呪文の一つでしよう。
3)花になぞらえた恋愛方程式 ー愛の始まりから破滅までー
花が大好きな私は小学校時代、家で育てたバラやダリアなどを摘んではよく学校に持って行って、教室にある花瓶に飾ったものだ。ことほど左様に、花が好きだったので、母の影響もあってか生け花にことのほか興味を持ち続け、何と警視庁に勤務していた時ですら、「ヤナセ」英会話学校に通いながら未生流のフラワーアレンジメントにのめり込んだほどである。
ところで、NHKのラジオ深夜便が終る払暁、花言葉を含めた旬の花の解説がいつもあり、興味深く聴いている。花の特徴や由来などが分かり、すこぶる勉強になっている。
学生さんが語学への興味を持つように、大学の講義で私は時折、花にまつわる話をしたものだ。つまり、恋愛の始まりからその終焉までの段階もしくは過程を花にたとえながら、愛の進行の有り様を、半ば冗談、半ば真剣に講釈したものであった。その一端を皆様にもご披露しよう。
恋が芽生える以前の女性は概して、しつこくアプローチする男性に対して、「私に触れないでよ」(não-me-toques)[touch-me-not]と憮然たる面持ちでそう言う。そして愛が実ると、ともすれば今度は女性の方が積極的になり、「あなたのことで頭がいっぱい」[you occupy my thoughts]とか「私を思って」[think of me]とか「早くキスして」[kiss-me-quickly]とかしきりに相手におねだりしがち。この時こそが二人にとって絶頂の、いわば燎原の火のように燃え上がる「完全な愛」(amor perfeito)のフェーズとなる。
しかしながら多くの場合、愛は破綻する。彼氏から一方的に振られた女性はその時、「私のこと忘れないで」(não-me-esqeças)[forget-me-not]、と叶わぬ恋に終ったことを悟りながらも、諦めきれずにひたすら哀願する言辞を発する(男もそうであるが)。não-me-esqueçasとは文字通り、勿忘草のことである。むろん、forget-me-notもそう。ともあれ、花を介して恋の進行プロセスを表現できるなんて、面白くお思いになりませんか。
ポルトガル語でnão-me-toque[=balsamina, beijo-de-frade]は鳳仙花[別名、つめくれない、つまべに]のことである。amor-perfeitoはviola tricolor[サンシキスミレ]とも称されるパンジー(pansy)のことで、遊蝶花という美しい日本語の名称もある。
因みに、ヨーロッパでは、バレンタインデーの日に恋人にパンジーを贈る習慣があるそうである。
翻って、季節を限定せずに私が好きな花木を3つ挙げるとすれば、いずれもその清楚で気品ある香気を放つことから、沈丁花、クチナシ、金木犀になる。砂金さながらに枝枝にキラリとした小さな黄色い花をつけた金木犀。その芳香は最高の香水で、その気品のある匂いで胸が詰まりそうにもなる。そして、ヘボ詩人ながら、世にも美しい詩が創りたくなるのである。