大阪商船勤務を経て1960年にアルゼンチンに移住し、その後パラグアイに移ってトヨタ自動車をはじめ自動車やブリジストン、ソニーの販売などを手がけ、後にトヨトシ・グループに拡大して、商船三井、それとの合弁の河川運輸会社T.F.P.、牧場、車用革シート製造、携帯電話などの事業を経営している。それとともにパラグアイ日本商工会議所会頭、1986年のパラグアイ移住50周年記念式典の執行委員長、アスンシオン日本人会長、日本人連合会長などの在住日本人の連帯組織で活躍、特に日本パラグアイ人作りセンターや日本パラグアイ学院の創設に奔走した。2006年には在外日本人として旭日小授章を受け、2009年にはルゴ現大統領によって駐日大使に任命されて在勤している。
幼少時代から学生生活、就職、そして若き日のアルゼンチン勤務の日々、結婚、パラグアイへの転進、起業、トランス・チャコ・ラリー出場、カナダへの事業進出や人生の趣味だというゴルフなど、波乱に富んだ半生記。南米といえば新天地に夢を賭けて多くの日本青年が向かったが、その一人で、なお現役で活躍する筆者の姿が多くの記録写真とともに詳述されている。
(かまくら春秋社2011年10月 221頁 1500円+税)
『ラテンアメリカ時報』2012年春号(No.1398)より