【季刊誌サンプル】日本の対ラテンアメリカ外交150年の変遷と展開-戦後から現在まで 山田 彰(ラテンアメリカ協会常務理事、外務省参与) - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

【季刊誌サンプル】日本の対ラテンアメリカ外交150年の変遷と展開-戦後から現在まで 山田 彰(ラテンアメリカ協会常務理事、外務省参与)


【季刊誌サンプル】日本の対ラテンアメリカ外交150年の変遷と展開-戦後から現在まで

山田 彰(ラテンアメリカ協会常務理事、外務省参与)

本記事は、『ラテンアメリカ時報』2023年夏号(No.1443)に掲載されている、特集記事のサンプルとなります。全容は当協会の会員となって頂くか、ご興味のある季刊誌を別途ご購入(1,250円+送料)頂くことで、ご高覧頂けます。

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日本の対ラテンアメリカ外交150年の変遷と展開 -戦後から現在 山田 彰((ラテンアメリカ協会)常務理事、外務省参与)

戦後日本の国際社会復帰と中南米

第二次世界大戦中、中南米の多くの国は日本と国交を断絶し、日本の「敵国」となった。現地の日本人移住者は、種々の苦難の目にあったが、同諸国は日本と直接戦火を交えることはなく、戦後の対日感情は、アジア、欧州諸国と比して悪いものではなかった。

戦後日本の最大の外交目標は、外交権回復と国際社会への復帰であったが、中南米諸国は、日本の国際社会復帰に最も好意的なグループであった。1951年のサンフランシスコ講和会議には49か国が参加、対日講和条約に調印したが、中南米諸国は20か国全てが条約に調印した。各国代表はいずれも対日復交を歓迎し、日本の国際社会復帰を祝福する演説を行った。1956年日本の国連加盟に際しても、加盟のための共同決議案に各国が積極的に参加し、加盟を後押しした。

戦後、日本政府は狭い国土に過大な人口を抱えていると考え、海外移住をいわば国策として推進し、中南米諸国は主要な移住先となった。年間移住者数は再開後4年目の1955年には1万人を超え、その後も増加した。日本政府は、移住を「余剰労働力の送り出し」としてだけではなく、「経済協力」の一環として位置づけようとしたことが各国との移住協定からうかがえる。

1959年岸信介首相は欧州・中南米を歴訪する。日本の首相の中南米訪問は史上初めてで、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルー、メキシコを訪問した。訪問の狙いは、日本の対外経済関係をアジア中心のそれから中南米にも拡大していくこと、日本人移住者の受け入れを継続、拡大することにあった。

経済関係の拡大との官民の経済協力

1960~70年代、日本の高度経済成長期に、日本企業の中南米進出(投資)が活発化する。例えば、トヨタ自動車は世界最初の海外生産拠点をブラジルに、日産自動車はメキシコに設立した。

また、この時期、日本は、政府・政府関係機関及び民間企業が協力して支援する、様々な大型の「ナショナル・プロジェクト」をブラジルにおいて実施し、経済発展に大きく貢献した。特に、セラード開発事業では20年以上にわたり、日本が技術、資金、人材面で協力し、不毛の大地と言われた「セラード」を世界有数の農業生産地域に変え、ブラジルを世界の農業大国に押し上げた。

民間企業の活発な活動を背景に、当時の日本の対中南米外交の主要なアジェンダは、経済関係を中心にした友好協力関係の維持促進だったと言えよう。

一方、日本の高度成長下で過剰労働力問題が解消して、60年代から移住者数は漸減傾向をたどる。これに伴い、移民送り出しから、現地移住者・日系人の定着支援へと移住政策の重点が移っていった。

失われた10年と日本

1980年代は中南米にとって「失われた10年」と呼ばれる危機の時代であった。メキシコの対外債務危機は域内各国に波及し、多くの国々はマイナス成長、ハイパーインフレなど困難な経済状態に陥った。1982年にはマルビーナス/フォークランド戦争が起こる。日本の銀行や企業は中南米で多くの損失を出し、新規投資は減少し、日本の経済界は中南米に対する関心を失っていった。この時期の体験は、日本企業に中南米ビジネスへのネガティブな印象を植え付けることになり、その後遺症は長らく続いた。

一方で、80年代を通じて、中南米の多くの国で軍事政権からの民政移管が実現し、また中米地域では長年の紛争が終わりつつあった。

この時期、対中南米外交の主要課題は、累積債務問題への対応であった。日本は、米国に協調する形で債務削減や新規融資など中南米諸国への支援を行った。日本の資金供給は「黒字減らし」を目的とした資金還流措置として実施され、中南米に着目した取り組みというより、危機対応の政策だった。

世界構造の変化と外交への影響

1980年代末から90年代初頭にかけて、東西冷戦の終了とソ連の崩壊、湾岸戦争が戦後世界構造に大きな