【季刊誌サンプル】日本ペルー外交関係150年の歩みと展望 ―太平洋が繋ぐ戦略パートナーシップの強化 片山 和之(在ペルー大使) - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

【季刊誌サンプル】日本ペルー外交関係150年の歩みと展望 ―太平洋が繋ぐ戦略パートナーシップの強化 片山 和之(在ペルー大使)


【季刊誌サンプル】日本ペルー外交関係150年の歩みと展望 ―太平洋が繋ぐ戦略パートナーシップの強化

片山 和之(在ペルー大使)

  

本記事は、『ラテンアメリカ時報』2023年夏号(No.1443)に掲載されている、特集記事のサンプルとなります。全容は当協会の会員となって頂くか、ご興味のある季刊誌を別途ご購入(1,250円+送料)頂くことで、ご高覧頂けます。

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日本ペルー外交関係150年の歩みと展望 ―太平洋が繋ぐ戦略パートナーシップの強化 片山 和之(在ペルー大使)

ラテンアメリカ諸国最初の外交関係樹立
日本とペルーの外交関係樹立の契機は1872年に発生した「マリア・ルース号」事件である。マカオから中国人労働者(クーリー)約230名を乗せてペルーに向かっていたマリア・ルース号が悪天候のため横浜に寄港した。その際に、船内の劣悪な待遇に耐えかね救助を求めてきた者がいた。日本政府は調査の結果、彼等全員を清国に送還することを決定したが、ペルー政府はこの措置に反発した。

事件翌年の1873年、ペルーは謝罪と損害賠償を要求すべく、マヌエル・パルド大統領(当時)によりアウレリオ・ガルシア・イ・ガルシア海軍大佐(特命全権公使)が日本に派遣された。両国政府代表団による交渉の結果、同年8月21日に副島種臣外務卿とガルシア公使との間で友好通商航海条約が東京にて署名され、日・ペルー間に正式に外交関係が樹立されるに至ったのである。日本にとりラテンアメリカ(中南米)諸国で初、ペルーにとってもアジア諸国で初の外交関係樹立であった。本年(2023年)はそれからちょうど150周年に当たる。なお、マリア・ルース号事件の処理については、国際仲裁をロシア皇帝アレクサンドル2世に依頼することとなり、1875年、日本政府の措置は一般国際法に照らして妥当であったとの判決が出され、ペルーの要求は退けられた。

150周年記念行事
本年2月、周年記念ロゴマークの共同発表及び回顧展を伴う150周年開幕行事がペルー外務省の玄関ホールにて盛大に行われた。その際、副島及びガルシア両者によって署名された150年前の条約原本の展示も行われた。両国外交関係史小冊子作成、記念切手・硬貨発行、海軍・海自練習艦隊の相互訪問、大使館主催大型文化行事、日本庭園(100周年記念として市内博覧会公園内に設置されリマ市に寄贈されたもの)再生計画、各種叙勲・表彰式、国際交流基金リマ文化センター設立、日ペルー経済協議会(東京)の開催、姉妹都市交流、要人往来等々官民による様々な文化・学術・経済・政治・人物交流行事が年間を通じて実施乃至予定されている。要人往来では、5月初旬にボルアルテ政権(昨年12月発足)で初の外国要人(首脳乃至外相)となる林芳正外務大臣のペルー訪問が実現し、多くの具体的成果を上げ、150周年を飾るハイライトの一つとなった。近くヘルバシ外務大臣の訪日も計画中である。

なお、執筆者がガルシア全権代表の曾孫に当たるディエゴ・ガルシア元外相と会った際に、当時明治天皇から下賜されたという唐獅子像の蓋が付いた大きな花瓶が今も自宅に飾られているという話を伺い、両国関係の歴史とともにその友好交流が末代に引き継がれていることをとても嬉しく感じた。