【季刊誌サンプル】日本ブラジル外交関係128年の歩みと展望 ―人的絆で結ばれたグローバルな協力関係の促進 林 禎二(在ブラジル大使) - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

【季刊誌サンプル】日本ブラジル外交関係128年の歩みと展望 ―人的絆で結ばれたグローバルな協力関係の促進 林 禎二(在ブラジル大使)


【季刊誌サンプル】日本ブラジル外交関係128年の歩みと展望 ―人的絆で結ばれたグローバルな協力関係の促進

林 禎二(在ブラジル大使)

本記事は、『ラテンアメリカ時報』2023年夏号(No.1443)に掲載されている、特集記事のサンプルとなります。全容は当協会の会員となって頂くか、ご興味のある季刊誌を別途ご購入(1,250円+送料)頂くことで、ご高覧頂けます。

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日本ブラジル外交関係128年の歩みと展望 ―人的絆で結ばれたグローバルな協力関係の促進 林 禎二(在ブラジル大使)

はじめに
19世紀末の外交関係樹立以来、第二次世界大戦時の数年間を除き、120年以上の期間にわたり日本とブラジルは友好的な関係を築いてきた。20世紀初頭になると、日本からブラジルへの国家移民事業に始まり、20世紀後半には農業、製造業、インフラ整備など、ブラジルを舞台に息の長い国家協力プロジェクトを成功させ、近年では国際場裏において、安保理改革等で協力関係を推進している。

現在、ブラジルは、200万人以上という世界最大の日系社会を擁し、非常に親日的な国である。そして、2023年1月にはルーラ氏が大統領に返り咲き、ブラジルは外交の舞台での活動にも再び熱意を表している。地理的には地球の裏側に位置する両国の間には、その懸隔にも関わらず長い友好の歴史があり、お互いを「戦略的グローバルパートナー」として位置づけている。ラテンアメリカ外交150周年に際し、両国の外交史を振り返った後、新興国として高い潜在力を持つ、南米の大国、ブラジルと日本のこれからの展望を考察する。

日ブラジル外交の始まり
1895年11月5日、「日伯修好通商航海条約」調印により、日本とブラジルは外交関係を樹立した。日本にとっては、ラテンアメリカではペルー、メキシコについで、3番目の外交関係の樹立であった。当時、欧米にならい奴隷解放宣言(1888年)を公布したブラジルは深刻な労働力不足に陥り、国内では農園主の不満が渦巻いていた。それに端を発した革命により、1889年、帝政から共和制に移行したブラジルは労働力としての移民を積極的に受け入れ始める。一方、日本は、1877年の西南戦争以後の混乱により地方農村が荒廃すると、余剰労働力の解決策として移民政策が盛んになった。その大半は北米への移民であったが、北米で東洋人に対する移民反対論が噴出したところに、ちょうど労働力不足に悩んでいたのがブラジルであった。そのような背景から移民政策として両国は外交関係を樹立し、ブラジルは移民を受け入れた。コーヒーの価格暴落などにより移民実施まで期間を要したものの、1908年4月28日に781名の移民を乗せた「笠戸丸」は神戸を出港し、同年6月18日にサントスに到着した。最初の年は、不作や到着の遅れ、作業に不慣れであったこと等が重なり、収入は少なく、期待に胸を膨らませていた移民たちの不満は大きかったものの、3~4年もすると生活は安定し、日本に仕送りができるほどとなった。1908年から1941年までの間に、18万8000人がブラジルへと移住している。

1910年代後半から生じた一連の経済危機(米騒動、