2010年に遅ればせながらノーベル文学賞を受賞したペルーの文豪バルガス=リョサが2006年、70歳の時に出版した、それまでの作品にない、自伝的要素もある小説である。
リマの上流家庭の子弟仲間と遊びを謳歌していた“僕”は、1950年夏に現れたチリ娘リリーに一目惚れするが、友人のチリから来た叔母にチリ人というのは嘘と見破られ、遊び仲間から疎外され姿を消す。パリに留学した僕は、世話になったペルー人左翼活動家に報いるため、MRI(左翼革命運動)がパリ経由でキューバにゲリラ兵となる訓練に送り込む若者たちの世話をする中で、リリーと再会する。ペルーを出たいというだけで応募したリリーは、キューバ行きを逃れるがために僕にパリに残りたいと懇願するが、MRIが許さないと断る。その後僕はユネスコの臨時雇い通訳に就き、リリーがキューバ革命政権の閣僚の愛人となっているとの噂を聞くが、次に会ったのはパリでフランス外交官夫人になったリリー(僕は“ニーニャ・マーラ”と呼ぶことにし、彼女は僕をその後“ニーニョ・ブエノ”というようになった)だった。頻繁に逢い引きを重ねるが、ある日突然パリから姿を消し、出自を偽っての結婚で夫の全財産を持ち逃げしたことを聞かされる。
ユネスコの仕事で欧州各地に出張することになった僕は、ロンドンで親しくなったペルー出身の画家の部屋に飾られた写真でニーニャ・マーラを見つけ、アジア相手のビジネスで成功しているイギリスの上流社会に出入りする富豪の夫人に収まっていることを知る。関係を復活したが、間もなくフランス外交官との婚姻関係が継続したままで結婚したことが露見し、放り出されて姿を消す。次にあった消息は、通訳仲間が仕事で滞在する東京からだった。ヤクザの親分とも禁輸品の密売をしているともいわれる謎の日本人フクダの愛人として、アフリカ等に頻繁に出かけ、密輸を手伝っているニーニャ・マーラに会うため、無理して日本出張の用務を得て東京に行く。しかし、フクダの歓心を買うことを最優先する彼女に怒りを感じ、別れを告げパリに戻るが、その後再三の助けを求める電話の後、パリで再会した彼女は、身も心もボロボロになった姿だった。フクダに捨てられ、密貿易で訪れたナイジェリアで刑務所に入れられ酷い目に遭わされたという。そんな彼女を、借金をして費用が嵩む病院と精神クリニックにいれ治癒させ、重婚罪の負い目と正規の旅券を持っていない彼女のフランス滞在資格を取るため結婚し、はじめてこれまで愛し続けてきたニーニャ・マーラと平穏な家庭をもつが、まもなく平凡な生活は真意でないと彼女は出て行く。
治療費の借金返済のためパリの家を売却した僕はマドリッドに移り、20歳年下の舞台装置家と同棲するが、その若い恋人に譲って一人になった僕の前に最後に現れた時は、悪性腫瘍と乳癌に冒され余命幾ばくもない状況だった。最後の37日間を、嘘とごまかしに何度も翻弄されたにもかかわらず生涯愛し続けたニーニャ・マーラと過ごす。私たちの「恋物語をいつの日か小説にしなさい、あなたはずっと作家になりたかったのに、なかなか踏み出せなかったんでしょう」との会話を交わしつつ。
これまでのバルガス=リョサ作品の歴史や社会の鋭く分析したものとは異なる、生涯をかけた愛をテーマにしているが、自分に夢中になっているのをいいことに、いくども痛めつけ、利用だけして、絶望の淵にまで追い込むことも厭わないニーニャ・マーラ流の愛し方を、リマ、パリ、ロンドン、東京、マドリッドを舞台に、それぞれの時代背景の中で描いて、読者を惹き付ける筆力はさすがである。
蛇足だが、登場人物同士の会話から、ペルーの軍政終了後に登場した第二次ベラウンデ政権の無策への失望、その後の第一次アラン・ガルシアAPLA政権の重大な失政への怒り、そしてニーニャ・マーラの後半生を滅茶滅茶にした悪人が日本人フクダであることが、彼がペルー大統領選に出馬した時に当選を阻止したアルベルト・フジモリへの当てつけではと思われる設定(本人はインタービューで否定)などに、著者バルガス=リョサの母国ペルーについての政治観が覗いているとの読み方もあるかもしれない。
(八重樫克彦・八重樫由貴子訳作品社2012年1月426頁2800円+税)