『モアイの絆 −チリ・イースター島から南三陸町への贈り物』  「モアイプロジェクト実行委員会」編 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『モアイの絆 −チリ・イースター島から南三陸町への贈り物』  「モアイプロジェクト実行委員会」編


1960年5月22日にチリ中部バルディビア近海を震源にチリ観測史上最大の地震が発生、まる1日経って日本の三陸沿岸にも最大波高6.1mの津波が押し寄せ142人の犠牲者を出した。それから30年後の1990年にこの津波の記憶と、遠く離れたチリとの絆を確かなものにするため、志津川町の働きかけでアンデスコンドル像の30周年記念碑とチリを象徴するモアイ像が、両国関係者の尽力で松原公園に建設され、これをきっかけに同町(合併により南三陸町に)はモアイを町興しの象徴とし、駐日チリ大使館との友好関係が続けられてきた。

そして2011年3月11日の東日本大震災時に三陸海岸を襲った大津波によって、町は壊滅的被害を受け800人以上の死者・行方不明者を出した。モアイ像は頭部がもげて台座から50mも離れた瓦礫の中に転がっていて、公園がその後瓦礫置き場になったことから埋もれつつあったが、日智経済委員会委員長をも務める三菱商事佐々木相談役が現地でボランティア活動に励む同社社員激励のため現地を訪れた際にこれを見て、費用を同社が負担してともかく志津川高校の校庭に移された。その後のチリ側要人の被災地訪問に続いて12年3月にはピニェラ大統領が来日の際に同町を訪問、イースター島の石でモアイ像を製作し、南三陸町に贈ることを約した。

これには20年前の1993年に、部族間戦争と地震で倒されたモアイ像の立て直しと修復プロジェクトに日本のクレーンメーカーであるタダノがトラッククレーンで支援、2006年にも再度60t吊りを寄贈した実績があったこともあり、島の石材の持ち出しと彫刻について住民の了解が取り付けられた。モアイ像を載せたチリからの貨物船は12年12月に東京港着、東京と大阪での一般展示の後、13年5月に南三陸町への贈呈式が現地で行われた。

本書は、津波をめぐって日本・チリの民間企業人、経済界、町民、地元学校の生徒達、チリ大使館や関係各界をはじめとする多くの人々の尽力によって実現された両国の絆を深めるプロジェクトの進行に、遠く日露戦争前に「和泉」等巡洋艦のチリからの購入経緯や巨大なチリ国旗の交換といった戦前の関係、両国間貿易の拡大、鉄鉱石のペレット化事業や神戸製鋼所のチリ製鉄復旧支援、銅開発への資本参加、鮭養殖への協力、日本の輸入先で3位にまで浮上したチリワインの増大など、両国の緊密な関係の背景にも言及しており、日本・チリ間の友好の絆を読み易く解説している。

(言視舎2013年7月219頁1700円+税)