1911年7月24日に、米国人冒険家でイェール大学の歴史学講師ハイラム・ビンガムが海抜2400mのアンデス山中でインカ時代の建造物群遺跡の一つマチュピチュを“発見”し、その後もイェール大学と米国の地理学、自然科学、歴史などの啓蒙を目的とした「ナショナル・ジェオグラフィック協会」の支援の下で調査が続けられ、1983年には世界遺産にも登録されてペルーで最も知られた遺跡となっている。しかし、ビンガムが“発見者”であるとすることを否定する、その40年前にマチュピチュに行ったという者が書いた地図が見つかったとか、ペルーの元大統領夫人がイェール大学で保管されている出土品は当時の関係者間の取り決めに反して違法に持ち出されたものゆえ、ペルーへの返還を求めるとの要求を出し訴訟問題になっていることや、クスコ在住の女性がマチュピチュの土地所有権を主張するとか、様々な話題から興味を持った米国のライターである著者は、ビンガムの歩んだ道を辿ることを始めた。
ビンガムの家族、生い立ちを丹念に調べ、ビンガムの歩いたインカ・トレイルを豪州人ガイドとともに実際に辿る旅に出る。この旅の描写に交叉して、厳しい自然条件の中、なぜ山頂にマチュピチュが建設されたか、インカとスペイン征服者との興亡の歴史、クスコ陥落後にインカ帝国が財宝を携え逃避して建てたという都市ビルカバンバ究明に対するビンガムの野心、ペルー政府や知識人の自国遺産発掘調査をめぐる意識の高揚と米国政府をも使っての発掘特権の獲得とその条件取り決め、ビンガムの発見を協会の出す『ナショナル・ジェオグラフィック』誌の拡大に活用した同協会の目論見、ビンガムはマチュピチュ発見者としての名声からやがて政治家へ転進したことを明らかにしている。
ここがインカ帝国最後の都市ビルカバンバだ、マチュピチュの建設者はインカ人の祖先、発掘した遺骨から最後の住民は女性ばかりなど、ビンガムのマチュピチュに関する解釈は、その後多くの調査、発掘、他の遺跡や歴史的研究の成果が明らかになるにつれて否定されているが、著者の綿密な資料や関係者との意見交換、案内人とインカ道を辿りビンガムの足跡とその心情を探求することによって、マチュピチュ発見とその背景を読者に生き生きと伝えてくれる。
(森 夏樹訳 青土社 2013年7月 456頁 2,800円+税)