連載エッセイ279:小林明夫「本日、妻が日本人に成りました(帰化申請顛末記)」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ279:小林明夫「本日、妻が日本人に成りました(帰化申請顛末記)」


連載エッセイ 279

妻が日本人に成りました帰化申請顛末記)

執筆者:小林明夫(元東芝プラントシステム株式会社勤務)

「はじめに」

妻が日本国の国籍が欲しいと言い出し帰化申請をすることに成りました。妻はエクアドル国籍で私達夫婦は1971年に南米で結婚し、初来日時の査証は「近親者訪問査証」で、滞在許可期間は6カ月でした。その為に半年毎に入国管理事務所に出頭し滞在期間延長の手続きを行う必要が有りました。その後滞在許可期間は3年間へと延長され随分と楽に成りましたが、当時はその都度在職証明、給与証明等々の書類作成を要求されたり、私の駐在国への渡航や母国への帰国時等海外渡航の際には再入国許可申請等々の手続きが必要でそれなりに煩わし思いが有りました。

「永住査証から国籍取得へ」

恒例の査証の滞在期間延長手続きの為に入管へ行った所、職員の方から突然「そろそろ奥さんも永住査証の申請をされては如何ですか?」とのお話を頂き早速申請を行った所、思いがけず容易に永住査証を頂く事が出来ました。

永住査証受領後は外人登録証の常時携帯義務と日本国の選挙権が無いだけで今まで有った数年毎の手続きの煩わしさも無く成り大変助かっていました。ある日、やはり国際結婚をした友人夫婦と食事をした際に、外国籍の奥様が帰化申請をした所、以前よりも比較的容易に日本国籍が取得出来たので私達夫婦も一度トライして見たら如何ですかと勧められました。

それならば是非トライしてみようと二人ですっかりその気に成りなり、横浜の出入国管理事務所に連絡を入れると、横浜法務局国籍課に相談に行きなさいと指示されました。さっそく国籍課にアポイントを取り面談を受けると、帰化条件の審査が有り帰化申請の最低条件で有る下記項目を満たしていますかとの確認が有りました。

帰化申請の最低条件は?

  • 引き続き5年以上日本に住所を有している事。

(但しこの5年の条件は配偶者が日本国籍で且つ引き続き5年以上

日本に居住している場合は3年に緩和され、更に妻の様に長期滞在者

は、1年間継続して居住している場合は1年間に緩和される)

2)素行が善良で有る事。(その基準は軽微な交通違反でも問題になる)

3)自己または生計を一にする配偶者その他親族の資産又は技能によって

生計を営むことが出来る事。

4)国籍を有せず、又は日本の国籍の取得に寄ってその国籍を失うべき事。

(二重国籍の防止)        (*カッコ内は筆者の追記)

5)日本語の読み書き、会話の能力が有る事。

6)日本国憲法施行の以後に於いて、日本国憲法又はその下に成立した

政府を暴力で破壊する事を企て、もしくは主張し、又はこれを企て、

若しくは主張する政党その他の団体を結成し、もしくはこれに加入

した事が無い事。

当日は申請必要書類の大略説明を受け、現在の生活環境等々を聞かれました。

「エクアドルで取得する書類、日本で取得する書類は?」

2回目の面談では法務省発行の「帰化許可申請のてびき」と言う28頁の小冊子を頂きその内容の詳細説明を受けました。

エクアドル側で取得する書類は大項目で6項目、本人の出生証明から始まり国籍証明、卒業証明等々、又、家族全員の戸籍謄本、婚姻、死亡、結婚証明、血縁関係証明書等々多岐に渡る物でした。

日本側で取得する書類は大項目で7項目有り、生計に関する収入、納税関係、自宅不動産関連や勤務先の証明等々が主な物でした。又、申請から帰化完了まで問題が無ければ通常は約1年間必要との事でした。

ここで具体的に申請を始める決心をし、さてどうしようかと法務局に訪れている申請者を観察すると大多数の申請者の皆さんは申請代理業者に書類作成を依頼すると共に、申請時の面談等のノーハーや書類作成の指導して貰っている様子でした。しかし申請内容をよく吟味すると、エクアドルで取得する書類がその大半を占めていて、その取得は現地で私達自身で行わざるを得ない事が解ったので申請代理業者は使わずに全ての書類作成と申請を自分達で行う事に決めました。

只、帰化条件の1)に有る継続して1年間の日本滞在期間が必要との縛りについては現地で書類収集をする必要が有る為、1ケ月間だけエクアドルへの渡航を認めましょうと言う事に成りました。

さて書類集めや作成を始めると日本側の書類は手間さえかければそれなりに収集は容易だったのですが、やはり現地側の書類収集には手こずる事も多々有りました。二人で彼方此方の役所を走り回り何とか収集する事が出来ました。エクアドル国は戸籍等々の書類は登記した市役所で全て保管されていますが、そのコピーが首都キトーの登記所にも全て保管されている二重の体制でした。どちらか片方の書類が紛失、破損、汚染等されている場合は申請すれば取り寄せて貰えるシステムになって居り時間さえ掛ければ必ず取得できます。現在はコンピュータ化されていて問題は無いのですが、古い書類は全て手書きで倉庫に山積みにされていて時折、破損、欠落、染み等が垣間見られました。

「エクアドル側で収集する書類は」

まず親族の血縁関係表作りから始まり、父母姉弟全員の国籍、戸籍謄本、出生、婚姻、死亡等の各種証明や学業の卒業証明等の多岐に渡りました。只、前述の様な管理システムが有る為必要書類収集は全て可能なのですが粉失書類等は首都から郵送するのでどうしても時間が掛る事が有りました。問題はこれらの書類を法務省国籍課に提出する際、翻訳文を添付する必要が有りその翻訳文作りに随分悩まされました。

書類の大部分は手書きでインクが薄れていたり良く読め無かったり書類が染みや破損して居たりで難解な物が多く有りました。しかし予定通り約1カ月弱で収集を完了させる事が出来ました。実はこの収集作業にはエクアドルの身分証明書制度(Cedora)が大きく貢献しています。日本の個人番号カード制度と同様な制度で、エクアドルではこれ一枚に全ての登録関連書類が紐ずけられ短時間に確実に仕事が終われました。このCedoraが無ければきっと1ケ月間ではまず終わらなかったと思います。日本も一日も早くこの便利な制度を定着させるべきだと思って居ます。

又、これらの作業の中で最も大変だったのはエクアドル側の書類の翻訳業務でした。古い書類は前述の通り判読難解な物が多く、手書きの為、誤字脱字も多く文書を読むのに虫眼鏡迄動員し目を皿の様にして読むのですが、誤字、脱字も多くいい加減な記載も有り、困りましたが誤記載については訂正はせずそのまま翻訳し添付しました。

「日本側での収集等の作業は」

土地建物や資産状況から始まり確定申告、収入、納税証明関係、財産管理関係の提出要求が主な物でした。又、通帳や証券等の全てのコピーを要求されました。そして戸籍関係書類が最もうるさく徹底的に提出要求が有りました。しかし、種類も多く量的にも大変でしたが取得困難な物は有りませんでした。その他にも宣誓書、履歴書、生活費概要、居住歴、自宅・勤務先概要、運転記録、家族写真等々色々有りました。只、こつこつと作成すれば問題ありません。

その中で重要なのは「帰化の動機」を自筆の日本語で提出する必要が有ります。この書類は意外に重要なポイントです。内容も充分吟味されると言われていますし、法務省の重要な日本語の読み書き能力の判断材料に成っています。会話能力は数度の面談に寄って能力判断されますが、読み書きは本書に寄って行われるそうです。何らかの指摘を受ける多い書類の一つです。漢字、カタカナ等の使い方も審査され、他人に書いて貰った物を書き写したり

するとすぐに解り却下されるとの事でした。申請書と共に添付する書類には有効期限が有り、書類発行日から国外書類は6ケ月間、国内書類は3か月間が有効期間です。

申請書類が完成し申請を行うと申請人と配偶者との正式面接が行われます。申請本人の妻は約1時間、配偶者は約40分程度の面接が各々に行われました。内容は我々の生立ち、出会い、結婚までの状況から各々の家庭環境と現在の生活と将来の展望等について申請書の裏付けを確認する様な質疑内容でした。

その後、妻だけ2回程呼び出しが有り提出済み書類への質疑が有りました。そして私を含めて最終の呼び出しが有りもう一度翻訳文の確認等の書類確認と共に、将来の生活設計を聞かれました。これから3か月かけ審査を終了させた後、もう一度家内一人の最終面談が行われました。これで横浜国籍課の審査は終わり、法務省本局に当書類を送付し約5ケ月掛けて本局が再審査を行うとの事でした。これで私達の申請業務は全て完了し法務省からの帰化申請の可否を待つ事に成りました。ここに来るまで帰化申請を行ってから、当局との面談や打合わせは7回、当局の審査期間は約4カ月間掛かりました。

「ついに国籍取得」

最後の面談から5か月後に突然に横浜法務局国籍課から電話で「申請が許可されたので国籍課に出頭願います」との連絡が有り帰化承認を言い渡されました。そして当月の官報に記載され広告するとの話を頂きました平成28年3月に申請し、同年12月に許可される迄約10カ月掛かりましたがとても早いケースだそうです。同年で最高のXmas Presentでした。

しかし法務省との手続きは終わっても区役所関連の手続きはまだ有ります。区役所への「帰化届」の提出、「在留カード」の返却、住民登録等の整理です。最後に大きな問題が残りました。日本は二重国籍を認め無い為、日本国籍取得時に母国の国籍を離脱する必要が有ります。しかしエクアドル始め他の国々には国籍離脱を認めない国が有ります。法務省もそこは個人の問題では無く且つ内政干渉にも成ると理解していて黙認しているのが実情な様です。しかし帰化した日から2年以内に母国の国籍放棄をするか否かの「国籍選択届」を提出する事を義務が有ります。怠ると種々問題が発生する様で要注意です。

全ての手続きが終わり日本の旅券を申請し受領しに行った際、カウンターの脇で突然に日本国旅券を握りしめ妻が泣き出しました。何事かと尋ねてみると「今迄は帰化の実感が無かったが旅券を手にして初めて日本人に成った実感と母国エクアドルへの感情が微妙に交差して思わず涙がこみ上げて国籍と言う物を肌で実感した」涙だったとの事でした。

こうして新しい日本人が一人誕生しました。

日本の皆様宜しくお願い致します。