執筆者:深沢正雪(ブラジル日報編集長)
この記事は9月26日付けのブラジル日報紙の記者コラムを同紙の許可を得て転載させていただいたものです。
ブラジルはロシア・中国との強い関係を維持するために、欧米諸国との間に強い軋轢が生じており、その板挟み状態が悪化していることが、8~9月に行われたBRICS、G20、G77+中国、国連、ゼレンスキーとの首脳会談などの一連の外交イベントによって浮き彫りになった。
23日付エスタード紙《ルーラはBRICS、G20、国連を通して国際イメージ回復を目指す》(1)によれば、ブラジルは南アフリカのBRICS首脳会議で《イランやサウジアラビアなどの独裁国家の参入により、新興諸国が持つ反西側的性格に対する警戒感を高める方向へのBRICS拡大を求める中国の圧力に屈した。
これに対し、外交官ルーベンス・バルボサ氏は「ブラジルはBRICS加盟国の数の増加に同意すべきではなかった。5カ国だけの閉鎖グループに留まる立場を維持すべきだった」と強調する。
エスタード紙がインタビューしたアナリストらは、超大国としての中国の台頭がBRIC内に生み出した力の不均衡のため、ブラジルが中国政府の意志を阻止するのは難しいと理解している》と報道された。
8月22~24日まで開催されていたBRICS首脳会議では、ロシアに対する目立った抗議声明はなく、中国が主張するようにアルゼンチン、サウジアラビア、エジプト、アラブ首長国連合、エチオピア、イランの6カ国を来年から加入させる声明を出した。
新加盟国の大半が親中ロ色が濃い国で、しかも専制的な政治体制を敷く。新加盟国は6カ国に過ぎないが、加盟を正式希望していたのは約20カ国もあり、今回の会議にはオブザーバー会議を含めれば60カ国前後が集まったという報道もあった。BRICSというブランド、枠組みがグローバル・サウスを中心とする新興国・途上国の間で人気が高まっていることを証明した。これは裏を返せば、それだけG7など西側先進諸国への不満が溜まっていることも示している。
「BRICSは欧米諸国への対抗馬ではない」と牽制するブラジルやインドの声は、その勢いをBRICSに集めようとする中国に押し切られた形になった。本紙8月25日付《BRICS首脳会議(下)=6カ国の新規加入を承認=中国主導、ロシアにも配慮》(https://www.brasilnippou.com/2023/230825-12brasil.html)に詳細。
新加盟した専制国はいずれも人権侵害などで非難される過去を持っており、仲間に入れるのはそれを不問に付すことだ。本来、ルーラ氏のPT(労働者党)は人権侵害などに厳しいはずだがそこはうやむやにすることを意味する。
イタマラチー(ブラジル外務省)には、欧米との協調に重点を置き、外国の紛争には首を突っ込まない外交姿勢が、長い伝統として受け継がれて来た。ルーラ氏やPT内強硬左派勢は、積極的に反米グローバル勢力の一角としての立場を強める外交政策を展開することに熱心で、イタマラチーとすれ違いを起こしている。
2003年9月にニューヨークで会談するアモリン外相、ルーラ大統領、プーチン大統領(Wikimedia Commons、Foto Ricardo Stuckert)
続く、インドで開催されたG20サミットでは、習近平中国主席が欠席し、プーチン・ロシア大統領が出席できない中、最大の会議争点だったウクライナ侵攻に関して「いかなる国も領土獲得を求めるための威嚇や武力行使を自制しなければならない」という共同宣言を出しただけで、インドの議長外交によりロシアを名指しする形の批判にはならなかった。この結果にウクライナ側は「成果がない」と憤ったが、ロシア側は「成功」と見なしていると報じられている。
そこで一番問題になったのは9月9日、ルーラ大統領が来年11月にリオで開催されるG20で「プーチン大統領の逮捕はない」と発言したことだった。本紙12日付《G20「プーチン逮捕されない」=会期中のルーラ発言が波紋》(https://www.brasilnippou.com/2023/230912-17brasil.html)に詳細。 国際刑事裁判所がプーチン大統領を戦争犯罪人であるとの判決を下し、国外に出た場合、滞在先のローマ憲章加盟国に逮捕を義務付けている。ルーラ氏は「米国やインドもローマ憲章に署名していない。ブラジルも脱退すれば問題ない」と自分の発言を正当化した。
だが、ルーラ氏のあまりにもロシア寄りの立場表明に対し、国内から「元々憲章に署名していないのと、このために脱退するのでは意味が全然違う。国内でしっかりと議論すべき」と大反発をうけ、すぐに11日には「プーチンが逮捕されるかどうかは司法が判断することだ」と反発を受け入れて、自らの強硬論をいったんは引き下げた。
反米専制向きに偏った拡大をしたBRICSや「プーチン逮捕はない」発言などによるマイナス評価を取り返すために、国連総会の演説でルーラ氏はイタマラチーの言い分を大きく取り入れてバランスを取ろうとして、良い評価を得た。それに対し、23日付エスタード紙でカロリーナ・メーレッケFGV教授は「この演説は確かに(ウクライナに対する立場を)再調整するための一歩だったし、西側諸国からも好評だったと思うが、それだけで十分かどうかは分からない。国際関係における行動にはもう少し信頼性、基準が必要だ」と外交方針のブレを問題視する。
6月末、ベネズエラのマドゥーロ大統領とルーラ大統領(Foto: Marcelo Camargo/Agência Brasil)
19日付本紙《ルーラ「違法な経済封鎖の被害者」=G77でキューバ徹底援護=国連演説前に米国を批判》(https://www.brasilnippou.com/2023/230919-11brasil.html)によれば、ルーラ大統領は9月16日にキューバ首都ハバナで行われた「G77(途上国連合)+中国」会議での演説で、米国によるキューバの経済制裁を「違法行為」と呼んで批判した。
その席でルーラ氏はキューバを「公正な政府」と呼び、「これまで長年にわたり米国による経済制裁の犠牲になってきた」と対キューバ禁輸を非難し、南南協力を称賛した。この経済制裁は冷戦時代の1962年2月7日から施行されており、これにより世界の大半の国はキューバとの商業的な関係を築くことが妨げられている上、現状では解除の兆しもない。
ルーラ氏は若い頃からキューバ革命を称賛しており、2016年に同国の独裁者フィデル・カストロが亡くなった際「ラ米人の中で最も偉大な人物」と追悼した。だがヒューマン・ライツ・ウォッチ南北アメリカ局からは「中南米諸国が独裁政権から脱してゆくなか、フィデル・カストロ議長のキューバだけが、事実上すべての市民的および政治的権利を抑圧し続けた」「議長は過酷な支配と反体制派に対する厳しい処罰を駆使して、何十年も抑圧的な体制を維持してきた」と批判されている(2)。
22年5月6日付本紙《ルーラ元大統領が米タイム誌で「ゼレンスキーにも責任」発言=「テレビに出るために周囲を戦争に巻き込まないで」とも》(https://www.brasilnippou.com/2022/220506-11brasil.html)にあるように、ルーラ氏は昨年5月4日付米『タイム』誌で「ゼレンスキー大統領にもプーチンと同等の責任がある」と発言した上、米国なども批判し、物議を醸した。これが基本的なルーラ氏の立場だから、ロシアだけを罰するやり方はオカシイし、第三国による仲裁グループを組織して現状の地理的な変更を認める形での和平を提案している。
この辺のルーラ氏の思想は6月29日付G1《ルーラはベネズエラ選挙について「民主主義の概念は相対的なもの」と答えた》(3)にも端的に表れている。ルーラ氏はラジオ・ガウーシャの取材に答えて「ベネズエラはブラジルよりも選挙が多い。民主主義の概念はあなたや私にとって相対的なものだ。私は民主主義が好きだ。私を3度目の共和国大統領にしてくれたのも民主主義だからだ」と語った。同氏はベネズエラのマドゥーロ大統領を擁護し、「ベネズエラが独裁国家であるという非難は〝作り事〟の一部だ」と述べた。
2020年12月8日付ニッケイ新聞《ベネズエラ議会選でマドゥーロ派圧勝=7割の国民棄権、国際社会も認めず》によれば、《6日にベネズエラで国民議会の投票が行われ、国民の7割近くが棄権するという異例の状況の中、ニコラス・マドゥーロ大統領の統一社会党(PSUV)が圧勝し、独裁制が強まることがほぼ決まった。7日付現地紙が報じている。
国民議会の選挙は5年ぶりだが、前回選挙では野党連合(MUD)が109議席、PSUVが55議席で与党が惨敗した。だが、その後、大統領派判事が多数派を占める最高裁が国民議会の決めた法案をことごとく却下した上で、大統領派が制憲議会を別に結成したことで、国民議会は骨抜きにされ無力化していた》という状態。反政府メディアも次々に閉鎖させているにも関らず、ルーラ氏は《これも民主主義だ。選挙をやっているのだから、ベネズエラが独裁国家だという非難は作り事だ》と反論している。
3月6日付CNNブラジル《ルーラ政権、オルテガに対する国連宣言に署名せず》(4)でもルーラ政権は3月、国連人権理事会の会合で、ニカラグアの人権状況とダニエル・オルテガ大統領の権威主義的で暴力的な行動を批判する55カ国の共同宣言に署名しなかった。国連の専門家グループは、ニカラグア政府は「人道に対する罪」に相当する組織的な人権侵害を行っていると告発する。2007年以来政権を握るオルテガ氏は選挙前に反対派7人の逮捕を命じ、勝利を脅かす可能性のある候補者を排除したとされる。国連代表らは、ニカラグアの政治危機中に野党政治家やビジネスリーダーを含む200人以上の政治犯が逮捕されたとする。ルーラ氏とオルテガ氏は長年の知り合いで、第1次政権の時からニカラグア大統領と数回会談している。
ニカラグアのオルテガ大統領再選を称賛するPT公式サイト(https://pt.org.br/pt-sauda-fsln-pela-reeleicao-de-daniel-ortega-na-nicaragua/)
エスタード紙は21日付社説《ブラジルが復活。ルーラも》(5)で、ルーラの国連演説の《世の中に完璧なものなどないように、古典主義的左派イデオロギーから抜け出せないルーラも戻って来た。PTの過激派を喜ばせるためなのか、それともいまだに労働組合の視点から世界を見ている人々の信念を反映させるためなのかは別として、とりあえず国連で存在感を示した》と伝統的な南米左派イデオロギー論者としてのルーラも戻ってきたことを嘆いた。
さらに同社説は、国連演説の中で《ロシアのウクライナ戦争については、「国連憲章の目的と原則を実施する集団的無能」の一例としてごく簡単に触れただけで、長い演説の中に埋もれてしまった感が強い(※註=ロシアを非難していない)。しかし、ルーラが常々擁護すると言っているのと同じ国際法を無視して、モスクワが行った殺戮行為に対して、ブラジルがもっと激しく非難していないことが際立っていた。ルーラが、第2次世界大戦以来のヨーロッパにおける最も深刻な危機を、より深刻でない紛争のリストと同等であるかのように薄めたことで、さらに悪化した》と批判する。
ルーラ大統領とキューバのディアス・カネル共産党第一書記(Ricardo Stuckert/Agencia Brasil)
つまり、ルーラは古典主義的左派イデオロギー論者であるから、結果的に反米・親ロ中であり、民主主義や自由な価値観の擁護を訴えている割に、「民主主義」はベネズエラも入るようなもので、しかも仲がいいのは中国、ロシア、キューバ、ベネズエラ、ニカラグアのような専制国家の代表者が多い。ロシアにしても形だけの選挙はあるが、反政府メディアは弾圧され、本当の野党は存在しないと言われる。
思えばブラジルの最高裁もすでに、ルーラ派判事が多数派を占め、今年に入ってから今までの判決が次々に覆るような事態が起きている。7月18日付本コラム《「ボルソナリズムを打破した」で波紋=「最高裁は公正」という幻想》(https://www.brasilnippou.com/2023/230718-column.html)にある通り、現在の最高裁判事11人中、過半数の7氏がPT指名だ。そして、これからどんどん増える。
「報道の自由は絶対に必要だ」と口では言っているルーラ氏だが、第1期政権の最初の頃に取り組んだのはメディア統制法だった。2004年8月25日付ニッケイ新聞《脅かされる報道の自由=連邦報道審議会は記者を束縛》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2004/040825-32brasil.html)。
ルーラ第1期政権の2005年に表面化した汚職事件メンサロンでは、ルーラ氏は「知らぬ存ぜぬ」を貫き通し、自らの側近に全ての罪を押し付けた。連邦議会の票を確保するために裏金を配る汚職事件で、セントロンが主導してきて最高裁が違憲判決を下した「秘密予算」に少し似ている。ラヴァ・ジャット裁判の有罪判決は、オセロのようにどんどんひっくり返されているが、メンサロンはそのままだ。
一見良いことを言っているように見えるルーラ氏だが、真意は別のところに隠れている可能性がある。ルーラ個人が専制国家に引きずられたとしても、ブラジル国自体がその〝お仲間〟にならないよう、きちんと注意する必要がある。(深)
(2)https://www.hrw.org/ja/news/2016/11/26/296937
(4)https://www.cnnbrasil.com.br/politica/governo-lula-nao-assina-declaracao-da-onu-contra-ortega/
(5)https://www.estadao.com.br/opiniao/o-brasil-voltou-lula-tambem/