連載エッセイ329:広瀬明久「ミル・マスカラスとの思い出」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ329:広瀬明久「ミル・マスカラスとの思い出」


連載エッセイ329

ミル・マスカラスとの思い出

執筆者:広瀬明久(Sociedad Intercultural S.C.創立者、社長)

今回はいつものスペイン語や異文化理解のテーマとは離れて、番外編としてミル・マスカラスとの思い出についてお話しします。

私たちの世代(昭和生まれ)にとって一番有名なメキシコ人と言えば、何と言ってもミル・マスカラスではないでしょうか。「千の顔を持つ男」、「仮面貴族」という異名で、プロレスファンのみならず、日本中にその名を轟かせたヒーローです。「スカイハイ」というバックミュージックに乗って颯爽とリングに上がる姿には心踊らされました。とにかくかっこいい。リングに上がるとマスクの上につけたもう一枚のマスクを自ら剥ぎ取り観客に投げ捨てプレゼント。あのマスクが欲しくてたまらなかったものです。「スカイハイ」のレコードは小遣いでなんとか買うことができましたが、マスクは結局手に入れることができずじまいでした。

私がメキシコに渡り、5年くらい経った頃か、なんとあの少年時代のヒーローに身近に接する機会に恵まれました。

以前住んでしたマンションの前にミル・マスカラス(以下マスカラス)が住んでいたという噂は耳にしていましたが、そこにはもう住んでいないようでした。いつか会いたいとおぼろげに思っていたところ、運命のいたずらか、近所に住んでいた同じ職場の駐在員の家に間違って配達された手紙がきっかけで、マスカラスに合う機会が訪れました。

その駐在の員の奥さんがその手紙を受取人のところまで届けに行くと、対応に出られたのが日本人女性、何とその方がマスカラス夫人。その駐在員の奥さんは私がプロレス好きなことを知っていたので、マスカラス夫人を紹介していただき、私が是非マスカラスに会いたいというと、夫人が昼食をセッティングしてくれたのです。

マスカラスに会える日を指折り数え、とうとうその日がきました。夢ではないかとワクワクしながら約束の場所、メキシコシティーのナポレス地区にある日本食レストラン「奈が岡」に。夫人よるとマスカラスは日本食が好きで、「奈が岡」にはよく来ていたといいいます。

私が到着すると、マスカラス夫妻とそのお子さん(赤ちゃん)はすでに席に着いており、温かく迎えてくれました。マスクをしてくるのでは?という期待もありましたが、マスクはしていませんでした。しかし、とにもかくにもこの目の前にいる人物こそが、少年の頃憧れ、手に汗握りその試合を観戦していたあのマスカラス。マスクをしていなかったので、全く同じ印象ではなかったのですが、テレビで見ていた通りのボディビルダーばりの筋骨隆々の体。腕は私の足より太いくらい。一目で普通の人とは違うとわかる体格。

どのような性格の方なのだろうか。イメージと一致するだろうか。そんなことを考えているうちに、挨拶もそこそこに、いきなり質問が。

「君は日本を牛耳っているのは誰かしっているか?」えー?誰だろう?すぐに思い付かずに「政治家ですかねー」とあたりさわりのない答えをしたところ

「いや、違う、日本を牛耳っているのはヤ○ザだ。オレはジャイアント馬場と日本をくまなく巡業したので、日本のことは君よりも知っている。日本の牛耳っているのは間違いなくヤ○ザだ」

ここまで自信を持って言われると反論のしようがありません。相手は日本を一世風靡した大スターなのだから。

「へえー、そうなんですかー」「正義のヒーロー」のイメージとはちょっと違いなと思いつつ、日本ヤ○ザ支配論を聞き続けました。舞い上がっていたせいか、また30年近く前のことなので他の話についてはよく覚えていません。

隣で赤ちゃんをあやしていた夫人に二人の出会いについて聞きました。すると、ご本人はもともとはマスカラスの熱烈なファンで日本でいわゆる「追っかけ」をされていたとのこと。その情熱が高じて結婚に至るとは、やはりその道を極めたのだろうなあ、と感心しました。

マスカラスの印象は個性が強く、信じた道を突き進むというタイプのようでした。あれだけのスターだからそうあって然るべきだろうと思いつつ、一介のファンとも時間をとって家族ぐるみでつきあってくれるとう、庶民的というか、気さくな面も持ち合わせた方でした。

食事が終わると、マスカラスは親切にも自分の車で私を自宅まで送ると申し出てくれ、折角なのでありがたく受け入れました。帰途、「近くにマンションの一室を所有しているので寄ってみないか」と誘われ、思っても見ない機会に断る理由は全くなく、お邪魔させていただきました。部屋に入ると、そこにはかつて自らが映画に出演された時の写真や衣装、小道具がセンスよく置かれており、マスカラスの世界にご本人とどっぷり浸かるというなんとも贅沢なひとときを過ごすことができました。

私が写真や衣装に目を奪われていると、おもむろに「実はこのマンションを日本人に貸したいと思っている。誰か紹介してくれないか」と声をかけられ、その言葉にそれまでの大スターと一ファンの間にあった距離が少し縮まったような気がしました。やはり現実を生きる一人の人間なのだ。。。

少年時代のヒーロー、ミル・マスカラスに会ったのはその時一回だけ。一期一会でした。その後マスカラスの名を耳にすることは少なくなりましたが、時を経て、日本とメキシコのスポーツ交流に寄与した功績が認められ、天皇陛下より旭日双光章を授与されたと聞きました。2022年のことです。その勲章は、メキシコプロレス(ルチャ・リブレ)の聖地、アレナ・メヒコで授与されたそうです。

ミル・マスカラスとの出会いはまぎれもない事実ですが、今となっては幻のような思い出です。