連載エッセイ331:後藤猛「ブラジルのワイン街道と蒸留酒「カシャッサ」の旅」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ331:後藤猛「ブラジルのワイン街道と蒸留酒「カシャッサ」の旅」


連載エッセイ331

ブラジルのワイン街道と蒸留酒「カシャッサ」の旅 

執筆者:後藤猛(元在ポルトアレグレ領事事務所長)

      
1874年に388人のイタリア人男女が「ラ・ソフィア号」でブラジルのエスピリット州のビトリア港に降り立ってから本年で丁度イタリア人のブラジル移住150周年の年を迎えました。 

また、現在、ブラジル国内には、約3千万人のイタリア系の子孫が在住しているようですが、チリ、ウルグアイに国境を接するリオ・グランデ・ド・スール州でのワインの製造は、イタリアのべネト州出身のワイン作りの熟練したイタリア人移住者により高度に完成されていきました。 

同州では、イタリア人より先に移住していたドイツ人移住者によりブドウ栽培が始められ、イタリア人移住が始まるまで続き、当時ブドウ栽培及びワインは、まだ現地での消費が主であったようですが、リオ・グランデ・ド・スール州産のワインは、イタリア人により新たな段階を迎えることになります。 

1910年には、カシーアス・ド・スールとモンテ・ネグロとの間に鉄道が開通し、運送手段が飛躍的に発展することになりますが、当時のイタリア人によるワインの生産の往時を偲ぶことが出来る「煙のマリア」の愛称で親しまれている蒸気機関車「マリア・フマッサ号」による観光が出来ます。 

薪を燃料にしているマリア・フマッサ号は、ベント・ゴンサウべス駅からカルロス・バルボーザ駅までの約23キロを1時間半余りかけて走ります。マリア・フマッサ号が汽笛を鳴らし、どっしりとした車体がゆっくりとベント・ゴンサウべス駅を軽快なリズムと共に出発します。因みに、この路線は、1919年に完成し、1970年頃まで一般の乗客を乗せ、そして1990年頃まで荷物を運び、地元の人々の移動やワインの輸送等に重要な役割を果たしていました。


マリア・フマッサ号の写真Foto:Municipio de Carlos Barbosa

ベント・ゴンサウべス駅を後にした列車は、家々を背景に小高い丘陵の間を縫って進みます。車内には、プラスチックで出来たグラスが各車両の座席の窓際に引っかけて有り、ガリバルジ駅に到着した際にホームで各自がこのグラスでワインやブドウジュース等を味わうことが出来ます。

ベントゴンサルべス駅を出発したマリア・フマッサ号の車内では、ガウーショ(牧童)の衣装で歌手が現れ、アコーデオンの軽やかなリズムと共に歌声が車内に響きます。そして、イタリア人の移住当時の衣装を身に着けたグループによる寸劇やイタリア民謡や踊りも加わり、車内は、乗客と役者との歌声が一体となり大いに盛り上がります。そうこうしているうちにアジサイの咲く季節には、色とりどりの大きなアジサイが咲き乱れるガリバルジの駅に到着します。

このガリバルジの町は、ポルトアレグレから約110キロ、標高640メートルに有り、スパークリングワインの町としても知られており、「フェナシャンピ」と呼ばれるスパークリングワインのお祭りが毎年開催されています。

マリア・フマッサ号は、ガリバルジ駅で約15分停車し、その間、乗客は、列車内に用意されていたグラスを各自が持って駅のホームに降り立ちます。駅ホームではバンドによる演奏が流れてる中、参加者の中には、軽やかなリズムに乗って踊る人も有り、各自が思い思いに地元のスパークリングワインやブドウジュース等を十分楽しんだ後、列車は、終点のカルロス・バルボーザ駅に向け出発します。

ガリバルジ、ベント・ゴンサウべス等の地域には、ワインを楽しめるワイナリーが多くあり、ワイン街道と呼ばれる所もあります。このワイン街道沿いには、大小様々なワイナリーが点在しており、そこで見学や試飲も出来ます。このあたりの山間部では、冬には雪が降ったり霜が降りることも有り、小川が流れる山間部を散策すると、まるで日本のどこかの里山の風景を思わせるような感覚を覚えました。また、ベント・ゴンサルべスでは、毎年ワイン祭りが開かれており、広大な敷地の会場では、その年に収穫されたブドウの試食や地元のワインや特産品を楽しむことが出来る他、農産物や農作機械の展示の他数々のショーも行われます。ブドウ祭りは、本年で第34回(2月15日~3月3日)を迎え、主催者によると今年の来場者数は、40万人に上ったとしています。

話は、ワインの話からガラッと変わり、リオ・グランデ・ド・スール州でサトウキビから作られブラジルの国民酒とも言われているカシャッサ(蒸留酒で度数約40度)について少しお話したいと思います。

サトウキビを原料にして作られる蒸留酒のカシャッサは、灼熱の太陽が燦燦と照りつけ、広大なサトウキビ畑が広がるブラジル北東地方のみならず、現在では、ミナス・ジェライス州やサンパウロ州等他のブラジルの地域でも製造されています。そして、ブラジルの最も南で霜や雪も降ることもあるリオ・グランデ・ド・スール州のポルトアレグレ近郊のイボチ市で良質のカシャッサが生産されていることに驚きました。

このカシャッサを製造している醸造所は、ポルトアレグレ市近郊の人口約2万4千人のイボチ市に有り、同市では、花を栽培している農家も多く、花の咲く時期にはとても美しい町です。町の人口の約90%がドイツ系移住者で約10%が日系移住者と言われており、同市には、ドイツ人移住資料館が有る他日本人移住資料館が2010年に開館しています。

イボチ市内から車で緑に囲まれ、木漏れ日が漏れる静かな林の中を抜けるとサトウキビ畑が現れ、そのサトウキビの茂った小道をさらにかき分けるように進むとその奥には、きれいに整備された醸造所「WEBER HAUS」が忽然と現れます。 


イボチ市の人口の90%がドイツ系であり、この 「WEBER HAUS」は、その名で想像出来る通り、ドイツ人移住者が1848年に他の農作物と共に家庭で飲むためのカシャッサを作ったのが始まりのようです。1948年には蒸留窯を導入し、その後サトウキビの種類の選定、耕作地の改良等が重ねられ今日に至り、現在ではヨーロッパはじめ、日本にも輸出されています。

カシャッサは、そのまま味わうか又はカシャッサとフルーツとのカクテル「カイピリーニャ」にして飲むのが一般的ですが、ポルトアレグレに在住していた頃に一度、日本の酒造メーカーが主催するカシャッサと酒とのカクテル「酒ピリーニャ」の試飲会に出席したことがあります。様々なトロピカルフルーツと日本酒とカシャッサとのカクテルを口にしましたが、どのカクテルも格別なものでした。

また、以前、カシーアス・ド・スールにある小さなワイナリーを訪ねた際、日本酒の研究もしていましたので、いつの日か、カシーアス・ド・スール産の日本酒で「酒ピリーニャ」を味わうことが来る日が来るかもしれません。

以上、私がポルトアレグレに在勤していた頃の体験をもとに書いてみました。