執筆者:広瀬明久(Sociedad Intercultural S.C.創立者、社長)
メキシコで活躍されている皆様、ご機嫌いかがでしょうか。異国の地でのビジネスは、新しい発見と驚きに満ちています。ある程度スペイン語に慣れたとしても、「ええっ、なぜ?」と首をかしげたくなる瞬間も少なくないことでしょう。まるで別の惑星からきた宇宙人とコミュニケーションをとっているような、そんな感覚に陥ることもあるかもしれません。
言葉の壁を超えてもまだ理解しきれないことがあるのは、文化的な差異だけでなく、教育の違いが影響しているからかもしれません。今日は、そのような疑問を解き明かす手がかりとして、メキシコの教育に焦点を当ててみましょう。
1)メキシコの教育制度
まず、メキシコの教育制度について概観します。
現在のメキシコの教育制度は、基本的に日本と同様(3)・6・3・3・4制を採用しています。基礎教育は中学までとされ、高校は後期中等教育に位置付けられます。ただし、高等教育(大学以上)においては分野により期間は異なります。
義務教育については実態はともあれ、公式には幼稚園から高校までと定められており、日本より長いのです。就学率も意外に高く、公共教育省作成のデータ(Principales Cifras del Sistema Educativo Nacional 2022-2023)によると小学校就学率が約95.8%、中学校就学率が約82.9%、高校就学率が62.5%です。ただしこれら数値には中途脱落者などは含まれておらず、実際にはもっと低いものと思われます。
2)相互理解を阻むもの
制度や数値だけ見れば日本とそれほど変わりなないのですが、問題は質にあります。教育の質と言いますと少しデリケートな問題になりますが、この教育の質こそが、相互理解を阻む原因の一つとなっていると考えられます。
その質に影響を与えている原因には、以下が挙げられます。
・教員の質
・教育が政治的な影響を受けやすい。
・政府の行政課題における教育のプライオリティーの低さ
一つずつ解説していきます。
教員の質
まず、教員の質について。
過去、識字率の低い時代に多くの教員が採用された経緯があり、その当時は質より量を優先した面がありました。これが後に教育の質の問題として顕在化しています。一部の教師は中等教育を完了していない場合や、基本的な算数ができないケースもあったとされています。近年は改善傾向にありますが、教師の質の向上は依然として重要な課題です。
その程度を理解していただくために、生の教育現場で起こっていることを紹介します。(メキシコの教育を批判することが目的ではありませんが、現実を理解することが第一歩です。)
もちろん、以上が全ての教員に当てはまるわけではなく、高い教育理念を持つ教師も多数います。しかし、教員が置かれている経済的、社会的状況が、その理想を実現することを妨げていることも事実です。
教員の社会的地位が低いことは問題です。「職に溢れたら教師か警官にされ」と囁かれていた時期もありました。メキシコでは教師とは必ずしも敬意を払われる職ではないのです。
教育が政治的な影響を受けやすい
次に、教育が政治的な影響を受けやすいということについて。
時の政権は、教育の質の向上を目指して、教育改革をおこなってきました。最近の例で言えば、前ペニャ・ニエト政権(2012-2018)では教師の能力評価を義務化し、労働組合が握っていた教員の採用権限を政府へ移管し、慣習となっていた教師の世襲、汚職を排除す流ことを目指し、改革を進めました。紆余曲折はあったものの、まずまず実行されました。
ところが、現ロペス・オブラドール政権(2018-2024)になると、全てひっくり返されてしまいました。政治的に近い教員組合は再び力を得て、また教科書の内容は同大統領のイデオロギーの強いものとなり、裁判所でその教科書の発行が審議されるに至りました。
教育政策に一貫性がないことは、現場を混乱させ、継続的な教育の質の向上を阻む要因となっています。
政府の行政課題におけるプライオリティーの低さ
そして、政府の行政課題におけるプライオリティーの低さも教育に質の改善を阻んでいる要因といえます。メキシコでは教育よりも緊急性が高いとみなされる他の問題(治安、経済、公衆衛生)が多く、教育が後回しされる傾向があります。
そして、嘆かわしいことには、往々にして教師のストライキ権が、生徒の教育を受ける権利よりも優先され、生徒の学習機会の大きな損失を引き起こしているということです。
3)日本の教育との比較
初等、中等教育においては、日本との比較で言えば、メキシコの教育は道徳や躾の部分が弱いように思えます。
一応メキシコにもCivismoという科目があり、市民としての倫理や行動規範を学びますが、学校教育においては道徳面の教育はあまり徹底されていないようです。
道徳教育を担っているのは、学校ではなく、教会と言えるかもしれませんが、カトリックの教えが実生活にどれほど反映されているかについては、実践される度合いに大きな差があるように見受けられます。
また、メキシコでは個人の自由が尊ばれるためか、規律にはあまり厳格ではないと言えます。人間関係を重視するメキシコ社会にも上下関係などの一定の規律はあります。しかし、規則やルールを遵守し、社会の調和と秩序を維持しようとする日本人の目には、メキシコにおける規律は、一般的にとても緩いものと映ります。
日本で職場で普及している整理、整頓、清掃、清潔、躾という「5S」の取り組みは、基本的な規律と躾の概念が進化した形と言えるでしょう。この5Sがメキシコでも一時期は広がり、現在でも主に製造現場などで採用されています。
過去にメキシコ人コンサルタントが開催した5Sセミナーに出席した際、整理、整頓や先入れ先出し、ミスを防ぐためのポカよけなどについての解説がなされていました。関心をひかれたのは、日本では小学校で学ぶような基本的な躾を、高度な経営戦略のように扱い、大人になってから高いコンサルタント料を払って学んでいるとう状況でした。(ああ、日本人に生まれてよかった…)
また、5Sで清掃は重視される部分ですが、メキシコの中流階級以上では、掃除は使用人が行うものという認識があり、自分から進んで清掃する文化は根づいていません。日本人とメキシコ人が通う日系の某有名校で、清掃を生徒に行わせようとした際のメキシコ人保護者からの強い反対は、この文化的な差異を色濃く示しています。「我が子に使用人の仕事をさせ、学校は経費を節約しようとしているのではないか」という声が上がりました。
このような背景から、メキシコでは日本的な規律や躾を徹底しようとすると、大きな抵抗が生まれるケースもあります。筆者は5Sの専門家でないので深入りは避けますが、その適用には、メキシコ人をよく理解した上、少し工夫が必要と言えそうです。
4)自国の教育に対する自信
さて、メキシコ人は自国の教育についてどのように考えているのでしょうか。外国人から見ると、自国の教育に自信を持てていないように見受けられることが多々あります。
私立の中学、高校には外国語の名前が使用されることがよくあります。国際的な教育を行っているというイメージを高めるためのマーケティング的な戦略の意味もあると思われますが、一方、自国の教育に対する自信のなさとも見られます。
実際のところトップ校は外国系で、アメリカ系のアメリカン・スクール、イギリス系のグリーンゲーツ、ドイツ系のコレヒオ・アレマン、フランス系のリセオ・フランコ・メヒカーノなどは有名です。これら学校は地元の学校より格が上に見られています。日系の日本メキシコ学院も名高く、たびたび上記校を抑えメキシコシティ高校ランキングNo.1の座を得ています。かつては大統領や文部大臣のご子息も通われていました。
メキシコの教育省は、教育の現状についていろいろな弁明をしていますが、そのレベルについては、OECDが15歳児の生徒を対象に3年毎に行なっている国際学習到達度調査PISAの結果を見れば一目瞭然です。
直近では2022年に実施され、その結果が2023年12月に発表されました。メキシコは読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの分野において)OECD加盟国中、それぞれ下から3番目、下から3番目、最下位でした。2000年に始まったこの調査でメキシコは毎回最低クラスに甘んじています。
5)まとめ
メキシコの教育は、メキシコ人を理解する上で、考慮すべき要素の一つです。メキシコで活躍される皆様におかれましては、スペイン語学習や異文化理解だけでなく、これらの教育上の課題を理解することは、メキシコ人の同僚やビジネスパートナーとのより効果的なコミュニケーションを促進するために有効です。
本稿が、メキシコの教育事情の理解を深め、皆様のメキシコ生活の一助となれば幸いです。