執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
前回述べたように、アフリカの言葉はいわば国語化してその数は無数に及ぶ。従ってここでは、一例を挙げるに過ぎない。
[音楽•舞踊]
agogô 音程の異なる大小二つの鐘形の楽器。細い金属棒で叩いて音を出す。
banguelêプイータ(puíta)と呼ばれるうつろな丸太のドラム、手拍子、床を踏みつける[タップ]の音に合わせて踊る黒人ダンス。
batuque アンゴラやコンゴに居住していたバントウー系の民族の、男女が向かい合って並び前進後退しながら激しく身体を動かし踊る、官能的なフォークダンス。当初はテレ
イロ(terreiro),すなわち祈祷所で踊られていたようだ。踊りが卑猥なことから、教会 によって禁じられたこともあったという。
caxambuベンデンゲー(bendenguê)とも呼ばれる tamborの一種。注:jongoを参照のこと。
congadaコンゴ地方から伝えられた、北東部、南東部ならびに南部に定着したドラマチックなダンス。コンゴとも呼ばれる。筋書きというか内容は、コンゴ王の戴冠式など祖国をを追想したものが主流。
jongoアンゴラからの奴隷が南東部のリオ、サンパウロ、ミーナス州の農園地帯にもたらしたフオークダンス。同じ系列ではあるが、最南部のRio Grande do Sulでは、バンベロ、ジヨンゴ•デ•プライアという名称を持つ。南東部の内陸ではカシヤンブ(caxambu)ともタブ(tabu)とも呼ばれている。
lundu アフリカ起源の輪舞の一種。
maracatu 特にペルナンブーコ州のレシーフエのカーニバルにおいて、打楽器に合わせて
目抜通りで唄い踊る人たちの行列をいう。または、その音楽を指す。リオのサンバ車中(escola de samba)はマラカトウが発展したものと考えられている。
milongaギタu pーの音に合わせた音楽。
quibungoアフロ•ブラジル文化を代表するダンスの一つ。
samba黒人とその混血児が生んだ、二拍子形式の真のブラジル的な音楽。sembaという言葉から転じたとみなされている。
参考文献
Andrade, Mário. Dicionário Musical Brasileiro. RIO, Editora Itatiaia, 1999. 701p.
中原仁 著『ブラジリアン ミュージック』、音楽之友社、1995年。
いまのきくお 他著『ブラジル音楽のすべて』、中央アート出版、1979年。
[料理(法)]
黒人自身とともにブラジルにもたらされた食文化なり料理法は瞬く間に、国民の間に浸透した。何故なら、黒人は調理場を支配し、自分たちの食習慣をそのまま保持したからである。かくして、食文化のアフリカ化(Africanização)は想像以上に進み、多くの飲酒文化も含めた食文化関連の言葉が国語化した。バイーアでなくとも、ブラジルを旅した時はいつも、アフリカの香りの漂う料理を口にしたものである。
abaráフエイジヨン豆をすりおろしてバナナの皮にくるんで焼いた菓子
acarajé フエイジヨン•フラジーニヨといわれる種類の 豆を茹で、つぶし練ってボール状に形作り、デンデーで揚げた料理。干し海老、唐辛子、玉ねぎで作ったソースと一緒に食べられる。
cachaça サトウキビから作った蒸留酒(ラム酒、糖酒)=aguardente de cana, pinga
canjica おろした未熟なトウモロコシ、砂糖、牛乳もしくはココナツミルク、肉桂で作ったクリーム状の食べ物
carurmmuアフリカ原産の刻んだオクラを中心に
香味野菜、生のハーブ類、唐辛子、バイーア風調味料を一緒に煮た料理。ヴアタパーと同様、アカラジエーと組み合わせ食べられる。
dendêデンデー椰子の実から搾り取られる油。とくにバイーア料理で使われるそれは、アフリカ食文化の象徴的な存在。
efó野菜、タロイモ、干し海老などに胡椒を加え、デンデーで調味した、バイーア料理
fubáトウモロコシの粉
maxixe 未熟な果実
mocotó食用の牛足
munguzá ココナツミルクや牛乳、シナモンなどを
混ぜたトウモロコシの粥
muxiba 脂身の少ない肉
quibebe カボチャもしくはバナナのペースト
quimdim真っ黄色のオレンジゼリーのように見えるキンジンは、卵の黄身にバター、砂糖、ココ•ハラード[椰子の実の果肉を削った粉]を加えて焼いたプリンのようなお菓子。
quitute 調理された美味な食べ物の総称
vatapá デンデー、カシューナッツ、玉ねぎ、生姜などを唐辛子を入れて炒めたあと、ココナッツミルクや干し海老を加え、とろとろになるまで煮込んだ料理。
※アフリカを含めたポルトガル言語圏の食文化を扱った文献は以下の通り。
Cristóvão, Fernando et ali. Dicionário Temático da Lusofonia. Lisboa, Texto Editores, 2005.
Lody, Raul. Brasil; Bom de Boca .São Paulo, SENAC, 2008.
Câmara, Luis da. História da Alimentação no Brasil. São Paulo, Itatiaia, 1983.
●大浦智子との共著のかたちで、末尾に掲載したアフリカの食文化にも論及した論考 「食彩の世界–ブラジルのローカルカラー豊かな郷土料理」In: Maré Nostrum(地中海文化研究会 100回開催記念特別号2004年]もある。
[宗教関係]
Abe candomblé canjerê Doçu Erê Exu Iansã
Iemanjá Inquice macumba Nanã Obalualê Ogum ou Ogumdelê Orixá Ossaim Oxalá Oxossi Oxum
Oxumarê Sobô Tobossi Vodum Vunje Xangô Zaze
[その他]
acará bangüê banzo cachimbo cafaca cafundó
calombo camundongo maassagana malungo malunga
mocambo marimba mucama senzala tanga
※上の単語はアフリカの言葉がポルトガル語に組み込まれた一例を提示したものに過ぎない。とくに料理、宗教、踊りを含めた音楽関連の言葉は多数ある。次回、それぞれの単語に訳を付す予定である。
①音韻論および音声面での影響(A influência sob o ponto de vista fonológico e fonético)
前回、国語化(ブラジルのポルトガル語)したアフリカ言語の語彙の一例を、宗教、料理、音楽を中心に取り上げた。
調べる過程で、なぜ宗教、料理、音楽のジャンルの言葉がこれほどまでにポルトガル語になり、国語を豊かなものにしたのだろう。
管見ながらそれは、アフリカから黒人がもたらした精神文化の中核をなす宗教や呪術の影響からと思われる。アフリカ起源のそれは、料理と音楽に分かちがたく結び付いている。信仰の場である祈祷所での儀礼は、神に奉納する料理や音楽は欠かせない。結果として、宗教用語を中心に無数のアフリカ言語がポルトガル語になった次第。
ともあれ、インディオの言葉、中でもトウピの語彙同様に、ポルトガル語になっている数の多さには、驚きを禁じ得ない。
さて、留学のために初めてブラジルの地を踏み、その時ネイティブの、例えば動詞の最後のrの音を発音しない、つまり消失させた会話を聞いて、不思議に思ったものである。
それがアフリカの黒人奴隷たちの音韻論の影響であることを知って、その影響の深さをまざまざと痛感させられた。
単にトウピ語のように語彙だけでなくアフリカ言語の場合は、統語論(文章構造)や音韻論の領域でも多大な影響を及ぼしているのである。
黒人奴隷がブラジルに与えた影響(A influência do escravo negro que exerceu sobre o Brasil)
ブラジル の食文化へのアフリカの貢献[A con- tribuição africana para a cultura alimentar do Bra- sil]
黒人奴隷がアフリカから到来すると、料理担当を担った家内女奴隷は調理場を支配し、自分たちの食材を持ち込んだのみならず、食習慣をほぼそのまま保持した。
ブラジル料理はその意味で、黒人のお蔭で実に豊かで多様となり、洗練されたものになった。「黒いローマ」のバイーアに出向かなくとも、ブラジルのどの地であっても、その事実を痛感させられる。先に見たように、料理(法)に関するアフリカ出自の語彙の多さからもそう言える。
あらゆるところでアフリカ料理については述べている。従って、ここではいちいちそうした料理を取り上げるのは割愛し、ポイントと思われることのみに言及する。
ブラジルのアフリカ料理において欠かせないのはやはり、デンデー椰子の油(dendê)とマラゲタ胡椒(pimenta-malagueta)だろう。黒人奴隷たちは、アフリカ起源であるそれらをオクラ(quiabo)と共に持ち込んだ。バイーアに加えて、アフロ•ブラジル料理の三大中心地といわれるMaranhão, Pernambucoを旅すれば、アフリカ起源の食材を使った料理に出会える。
Salvador の目抜き通りの角などでは、アフリカの民族衣裳をまとったdoceiraと称される料理販売人が、caruru, vatapá, arroz de coco, pamonha, angu, abará, acaçá, motocicleta, canjicaなどを売っている光景を目にする。
訳は分からないが、買うと、ハートや魚、鳥などに形どったお菓子などを、青もしくは赤い包装紙に包んでくれる。
ついでながら、デンデー油を使った料理は、注意を要する。ひまし油のようで、下痢する人もいるからである。三つの大学合同の学生さんを引率してバイーアを観光時、そのデンデー油を加味した料理を食べて、10人以上が腹痛の症状を訴え、近くのbarのトイレを使わせて頂いたことがある。
ブラジル、特に黒人奴隷が多く搬入された北東部のバイーアや南東部のリオを訪ねれば、アフリカおよび黒人の特徴や痕跡をとどめたものやその影響を、直接、間接的に知見できる。
それはここで論じる宗教以外に、ブラジル人の日常生活で垣間見る楽器を含めた音楽であつたり、料理、心性などのあらゆる場面で、観察される。
ことほど左様に、ブラジル人はアフリカ黒人の影響を受け継いでいる。宗教は特にそうかもしれない。
先述のように、Congo, Angola , Moçambique 出自のバントウー系と、Nigéria, Beninからのスーダン系(ioruba, nagô , jeje)の、二つの主要な民族集団が奴隷として導入された。隷属の身でありながらも彼らは、祖先から代々受け継いだ自分たちの神々を信仰し宗教的なしきたりを保持しようとしたが、それもままならず、官権から禁じられ迫害の対象となつた。
何故なら、ブラジルの国教はカトリックであり、奴隷が信仰するものは邪悪な魔法とみなされたからである。
そこで、潜伏キリシタンよろしく表ではキリスト教の信者と見せかけながらも、内面では自分たちの
神々を信仰した。つまり、彼らの神Iansãに代わるカトリックの精霊Santa Bábaraを、Iemanjá に代わるNossa Senhora da Conceição を崇拝したのである。
こうした時には両立が不能とも思われる異なっ考えや教義、信条が混じり合うことを習合、混合主義(sincretismo =シンクレテイズモ)と言う。この言葉は、ギリシャ語のsygretikosに由来し、語源synkeramiは「混ぜる、融合する、凝集する」等を意味することのようだ。
特に宗教面で使われる用語である。ブラジルの場合、黒人、白人、インディオが信仰する宗教や呪術、フエテイシズムなどが混合して、Candomblé やumbanda のごとき宗教が生まれた。カンドンブレーはアフリカ民族の多くの儀礼をベースにしたものであり、対するウンバンダは、アフリカ宗教、カトリック教、心霊教(espiritismo)、インディオが崇拝するものが習合したもの。
アフリカの宗教が特にカトリック教と習合したものと言えども、黒人奴隷はあくまで自らの宗教を保持続けた。その点で、彼らが白人の宗教に転向•帰依したわけでもない。習合したものと捉えられているが、これとても黒人奴隷が生き延びるための手段であったと解するほうがよいかもしれない。
ブラジルへ与えた黒人文化の影響は多方面に及ぶが、中でもこれまでみてきた宗教、料理と並んで、その度合いの深いのは音楽であることは、言を待たない。これには、宗教に料理と音楽が分かち難く結びついていたこともあろう。
ところで、大量の黒人奴隷を受け入れた米国南部を中心にjazz, blues, rock, soul, などの音楽が発現したように、アフリカのリズムの強い影響を受けたpopular musicが生まれた。
sambaを筆頭に、maracatu, ijexá, coco jongo, carimbo, lambada, maxixe, maculelêなどは全てそうで、しかもそうした音楽には、アフリカ起源の楽器であるreco-reco, kalimba(=kisanguê), tambor , balafon, xequerê, caxixi, agogô, berimbauなどは欠かせないものになっている。
ブラジルで生まれたサンバの名称は、umbigada を意味するsemba に想を得たものといわれ、アフリカのリズムが豊かなPindorama の土壌で開花して結実した好例であろう。
choro, bossa-nova, maxixe もまた、lunduのごときアフリカ音楽をベースにしたリズムからなる。そのルンドウはAngola に生まれたリズムであり、rabeca, reco-reco, maraca, bandolim、はてはcavaquinhoさえ使われる。
周知のように、そうした楽器は、Noel Rosa, Chiquinha, Gonzagaといった音感家は愛用し、sambaやpagodeでもお馴染みである。舞踊と格闘技をミックスしたcapoeiraではberimbau が用いられるが、これとてもブラジル音楽に影響を与えた。
このようにアフリカ起源の楽器が、バイーアのMercado ModeloやPelourinho に行けば、店頭に目にすることができるが、例えばヨルバ起源のagogô, は、Vinícius de Moraisの音楽でも重要な機能を果たしている。
※楽器およびおのおのの音楽のジャンルについては、これまでに説明しているので、割愛した。
引用写真:楽器のいろいろ→いまのきくお、高場将美共著『ブラジル音楽のすべて』、中央アート出版、昭和54年から。
黒人が集住したBahia, Rio, Recife, Minasでは、イスラム教の影響を受けたアフリカ風の服を着る習慣が長い間続いた。
今日でもなお、バイーアの街のあちこちで、威風堂々として貴族のようにも思われる、いわゆるバイアーナを見かけることができる。その多くはacarajé やaluá[発酵させて作った清涼飲料]の売り子であったり、ホテルの従業員であったりする。
彼女らは概して、頭にターバンのような布を巻き、pano da costaと呼ばれる長いショール、白い亜麻のスカート、それも十二単よろしく何枚も重ね着して、ダマスコ織りの素敵なスカートをはいての出立をしている。そして、荷物を頭にのせて運ぶ時の頭当てであるrodilhaを着けている時もある。
目を引くのは、装身具(tetéia)の数々である。特に、バイアーナが祭日に身につけるbalangandãと称される装身具かもしれない。法螺貝の首飾り(colares de búzio)、輪状のイヤリング、金の腕輪といった具合に、満身に装身具を飾っての格好である。
こうしたきらびやかなアフリカ流の衣裳なり服飾が、ブラジルの人々に影響を及ぼさないはずがない。
転じて、北東部を旅すると、赤い服を着用している人の多さに驚く。赤色をまとう起源は、先住民族インディオ、モーロ人、アフリカ人説がある。ウルクンで顔を赤く塗ったり髪を染める先住民の影響が濃厚であるものの、その一方で、xangô を信仰する男性は赤シャツ、女性のスカート、ショール、ターバンは赤が多い。
のみならず、マラカトウやレイザード[主御公現の祭り]では、王、王女は赤いマントで現れる。
ポルトガル人にとって赤は、愛や結婚を祈願する色のようであるが、インディオやアフリカ人にとっては邪悪な精霊から身を守る手段であったようだ。
動物の頭や職業の紋章を描いたり、カーニバルのクラブの旗を赤色して、ブラジル人がこの色を好むのは、アフリカの影響もあるのではないか。
黒人奴隷が与えた影響は、心性、国民性、宗教や言語、料理、音楽などの文化面に留まらなかった。彼らがブラジルの社会、農業経済に果たした影響、と言うよりも貢献は測りしれないものがある。
奴隷の身で、特に砂糖園、コーヒー園で働からせられたアフリカ出自の黒人たちは、遊牧民のインディオよりも大きな貢献ができた。
と言うのも、社会人類学者のジルベルト•フレイレが『大邸宅と奴隷小屋』のなかで指摘しているように、彼らはインディオに較べて社会的、技術的な能力が優れていたこと。加えて、ブラジルと同じ気候風土のサバンナや熱帯湿潤に適応力があったからに他ならない。
ことほど左様に黒人は、蒸散作用を起こす皮膚の表面積が最大であることから、熱帯の気候順化が容易であったようだ。ちなみに、白人はその表面積が最小とのこと。意外な気がするのは、暑い気候にはインディオは弱いらしい。
ともあれ、ポルトガル人の植民事業において、以上の観点から極めて重要な役割を果たし、と同時に、ブラジルのヨーロッパ化、言葉をいいかえれば、文明化という意味で、黒人が担った使命はもっと注目してもよい。
黒人奴隷の与えたブラジルへの影響(A influência dos escravos negros que exerceram sobre o Brasil) アフリカ黒人によるその他の影響 ②
(Outras influências pelos negros africanos)
黒人奴隷が単に家畜に代わる荷役用の役割を果たし、鍬をふるって農業の働き手となっただけでなく、持てる技術でこの国の文明化に向けて機能したことを前回述べた。
これまで見てきただけでもアフリカからの黒人奴隷は、ブラジルの社会、経済、文化に多大の影響を与え、と同時に、測りしれない貢献をしてきた。
にもかかわらず、肌が黒いことや、原始宗教、生活様式などの文化度が低いという間違った認識から、彼らは偏見•差別の対象となってきた。
ジルベルト•フレイレは、そうした誤った白人(ポルトガル人)の黒人に対する認識を列挙している。例えば、シラミ(piolho)や床シラミ(percevejo)は黒人がブラジルにもたらしたものとポルトガル人は見なしている。が、フレイレはその考えを否定する。アフリカのマホメット文化は、白人のそれより清潔観念があり、不潔であることに嫌悪感がある、と観ている。
ブラジルのイメージに関する拙論でも触れているが、この国は官能なイメージがつきまとう。私自身も少なからずブラジルに対してエロテイシズム、放じゆう、性的堕落のような印象を抱いたのは、まぎれもない事実である。
しかしながら、そうした事実は、奴隷制に貶められたからだそうだ。つまり、一方でモノカルチユアで馬車馬のように酷使され、他方において女奴隷の場合は園主の性の対象となり、まるで道具のような存在であったからである。
黒人のイメージは性的に傾きやすいと映つても、
奴隷に歪められて道徳的に堕落した黒人として、フレイレは捉えている。絶対権力を握る園主や奴隷主と、何一つ抗えない受け身の立場の奴隷に分断された社会において、後者の性的堕落というイメージは創り出されたと考えるべきだろう。フレイレはこのことをかなりの紙面を割いて強調している。
ブラジル先住民の土語(わけてもtupi語)がポルトガル語を豊かにしたように、アフリカ言語(quimbundo quicongo, umbundoなど)の語彙も多数取り入れられ国語化した。のみならず、その影響は音韻論、文章構造にまで及んだ。
しかしながら、彼らがブラジルに与えた影響の最たるものは、料理[法]、舞踊と楽器を含めた音楽とも分かち難く結びついた宗教であった。であるから、この方面のアフリカ出自の語彙も少なくない。
アフリカの黒人がブラジル社会の構成要員となり、アフロ•ブラジル人というよりはブラジル人になるにつれて、この国の形成に向けて果たした貢献と影響は火を見るより明らかである。
人種形成はむろん、宗教性と音楽におけるアフリカ的要素の強い介在と影響は、ブラジル人であれば誰しもが認めるところであろう。中でも宗教は要諦で、白人の信仰するカトリック教やインディオの崇めるアニミズムと融合したシンクレテイズムのかたちをとつたにもかかわらず、その多くの性格は保持された。正しくは、キリスト教に転向したかのように見せかけて、自分たちのアフリカのフエテイシズムや秘儀、原始宗教を密かに信仰したり守ったりしたといった方がよい。
宗教儀式においては従って、tamborのリズムに合わせての踊りや仕草などは今もなお健在で、アフリカの存在を彷彿とさせるものがある。
その一方で、黒人奴隷がブラジル人の心性や国民性に及ぼした影響も看過できない。ブラジル人は楽天的と言われる。が、真相は、本来そうではないらしい。インディオは内向的(intrometido)で悲痛な面を有している。また、植民開拓者のポルトガル人の場合は、祖国への思い(saudade) やメランコリーで懊悩する心情であったようだ。
これに対して黒人奴隷は、我を忘れて音楽に興じることができるように、明朗かつ外向的(extrovertido)で、ルース•ベネディクト流に言えば「アポロ的」な性格を持ち合わせている。
その意味において、今日のブラジル人の思考•行動様式を含めた国民性に観る楽天性は黒人奴隷のそれに依るところが大きいのである。