『マゼラン船団 世界一周500年目の真実 -大航海時代とアジア』 大野 拓司 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『マゼラン船団 世界一周500年目の真実 -大航海時代とアジア』  大野 拓司


2022年はマゼランの船団の世界一周500周年であった。ポルトガル人のマゼランがスペイン国王に西回りでアジアの香料諸島へのルート開拓を提案し、計5隻、総勢265人で1519年9月にセビリアを出航した。現在のリオデジャネイロ、ラプラタ河河口、南米最南端の地峡(現在初めての通過者の名を取ってマゼラン海峡と呼ばれる)を経て南太平洋に出て西に進み、フィリピンのセブ島に1521年4月に入港、交易と首長フマボンの夫人をはじめ原住民のカトリックへの改宗を行ったが、フマボンのライバルの目と鼻の先にあるマクタン島の首長ラプラプの征伐を頼まれ、マクタン島に赴いたが4月27日に48人の部下と上陸したところでラプラプの動員した3000人以上の攻撃を受けマゼランは戦闘中に殺害された(推定41歳)。残った船団員はエルカーノの指揮で香料諸島に立ち寄りスパイスを積み込み、アフリカ南端を回って1522年9月にセビリアに帰還した。航跡は8万㎞、生還者はわずか18人(その後判明した途中で船体補修などで残留したりポルトガル領カーボベルデで一時抑留され後に帰還した17人を加えて35人)、「世界周航を偉業を成就した船長」として歴史に名を刻んだのはエルカーノだった。

朝日新聞のマニラ等の支局長も務めた著者が邦字紙『日刊マニラ新聞』に寄稿した連載を大幅に書き加えたもので、マゼランの終焉の地であるフィリピンで起きた事からフィリピン史を含め多くの文献・電子資料を駆使した史料を基にマゼランの航跡を辿り、その前後のエピソードを交え、ガレオン船貿易と交易のグローバル化、マニラと中国人社会、日本とフィリピンの関係、「大航海時代」のマゼランとアジアのその後など広範にわたっており、裏面史としても興味深い。

〔桜井 敏浩〕

(作品社 2023年11月 265頁 2,700円+税 ISBN978-4-8612-977-2)