連載エッセイ382:田所清克「ブラジルのお祭りーサン・ジョアン祭」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ382:田所清克「ブラジルのお祭りーサン・ジョアン祭」


連載エッセイ382

ブラジルのお祭りーサン・ジョアン祭

執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)

カーニバルが夏の風物詩であるとさるならば、冬の風物詩たも言うべきCampina Grande のSão João 祭
—土地の住民が “世界最大のサン•ジョアン”と呼ぶ6月祭—

Se o Carnaval é a poesia canta a natureza do verão, a festa de São João de Campina Grande é a poesia que canta a natureza do inverno
—Os habitantes da terra chamam o junho como ” o maior São João do mundo “—
 民衆の祭典は国を問わず、概して宗教や労働に結びついたものが少なくない。まししくこの六月、まる一ヶ月間あるいは七月の初めまでに亘って催される、三聖人を祝うフェスタ•ジユニーナ(Festa Junina)も然り。一連の祭が七月にまで及ぶことから、「フェスタ•ジユリーナ」( Festa Juliana)と呼ばれることすらある。
 その三聖人とは、São Antônio, São João, São Pedroのことである。各々の聖人の祝祭日は、例えばSão Antônio が6月13日、São João が6月24日、São Pedroが6月29日といった具合に異なるが、合わせて「六月祭」、つまりフェスタ•ジユニーナと称される。
 六月祭と呼ばれるのも、Junina という形容詞が示すように、文字通り六月に催されることによる。この六月祭の起源を辿ればそれは、古い時代のヨーロッパに求められる。
 ケルト族などの間では、夏至になると豊穣な大地と豊作を祈念し祝う祭があった。この祭は六月の名前の由来ともなるユーノー神が祀られたことで、「ジユノニアス祭」呼ばれていたようである。
 異教徒であったカトリック教を信仰するものもその風習に感化され、異なる宗教に根差したものものであったにもかかわらず、換骨奪胎しながらカトリック教の聖人の祭に仕立て上げたのである。
 かくして、その祭はポルトガル人開拓者や教理目的で渡来したイエズス会士たちの手でブラジルにもたらされた。しかし、そのヨーロッパ出自の、いわばプロトタイプ的な六月祭もブラジルでは、時の流れと共に他の民族文化とも習合し、合わせて地域性を帯ながら、この国独特の田舎風の様相を強めた祭典へと変容するに至る。六月祭が時に「田舎っぺの祭」、言われる所以である。
 祭が根づいたのは、他ならぬ歴史的にも古い北東部の地であった。わけてもパライーバ州のCampina Grande と共に、ペルナンブーコ州のCaruaru のフェスタ•ジユニーナは他のどこよりも知られており、民衆の生活の中に深く溶け込んでいる。
 留学時に私は、ニテロイ近郊のSão GonçaloでのFesta de São João を見物したことがある。異国趣味あふれる光景、中でもふわりふわりと夜空に舞い上がり浮遊している気球を眺めつつ、えも言えぬ幽玄の幻想の世界に浸った自分があったのを思い出している。
 次回は三聖人について触れます。

フェスタ•ジユニーナの三聖人
 Três Santos [São Antônio, São João, São
Pedro]na festa junina

 何といつても、カトリック教徒によって六月祭の対象となり祀られるのは、São Antônio, São João 、それにSão Pedroの三聖人である。
 ナゴー族の(rito nagô)宗教ではOgum、ジエジエ族(rito jeje)の宗教ではヴオドウン(Vodum)に当たるSão Antônio は、さしずめ出雲の神様的な存在で結婚を司る。と同時に、紛失物を見つけだすために願をかけるための守護神でもある。
 この月に結婚する女性が幸福になれるかは別として、日本でも守護神ユーノー(=ジュノー)を信じて六月に結婚する人は少なくない。
 六月祭のなかでも中心を成しもっとも重視されるSão João については後述する。
 São Pedroは天戸の鍵を握っているとされており、雨乞いの対象、つまり雨の聖人である。どういうわけか、夫を失くした妻や漁師にも崇められている。ナゴーのシヤンゴー(Xangô)、ジエジエのバデー•
ケヴイオーゾ(Badé-Quevioso)に相当する。
 ここで刮目すべきは、六月祭がインディオとの接触•交流を通じて、彼らの祭祀とも習合した点かもしれない。同じく、黒人奴隷が崇拝する密教の、火と結びつくシヤンゴー[主として北東部でみられるアフリカ伝来の呪術的な信仰神オリシヤー(orixá)の一つ]や、祈祷所(terreiro)に観るバイーアのカンドンブレー(candomblé=主としてバイーアで信仰されるバントウ系のアフロ•ブラジル宗教]とも習合していることは耳目を引く。が、習合ないしは影響の面から観るとそれは、インディオ要素やアフリカ要素に限ったことではない。

サン•ジョアン祭とその聖人
     Festa de São João e seu Santo

 北東部の大半の地域では今もなお、貧困や旱魃の問題は切実である。従って、住民にとっては特に、自らを慰め、喜びを見出だすのみならず、雨や火、結婚の守護神に感謝する意味で、Festa Junina の存在は大きい。
 言うまでもなく、その中心をなすのは6月24日に祝われるSão João、すなわち火の聖人São João Batista の祭である。この聖人はイエス•キリストに洗礼を施した、キリストの母である聖母マリアの従妹イザベルの息子としても知られている。
 ところで、キリスト教世界に広まったSão João 祭も、ブラジルでは何も北東部に限ったお祭りではない。地域によって多少の違いこそあれ、ブラジル全土において重要な宗教行事の一環として執り行われている点では変わりがない。
 例えば、北東部以外では「田舎祭り」(festas caipiras)の様相を呈するサンパウロ内陸部の、ケルメツセ[quermesse =フラマン語で「バザーを伴う慈善のフェスタ]の伝統を墨守したものや、クルルー[cururu=通常、男性のみによって踊られる、典型的な中西部の民俗舞踊]に特徴を持つパンタナルのもの然り。
 が、São João祭と言えばやはり、北東部パライーバ川のCampina Grande とペルナンブーコ州のCaruaru 、わけても前者となる。
 次回はそのCampina Grande の住民が「世界最大の祭典」と自負するFesta de São João について話を進めます。

サン•ジョアン祭 ①
Festa de São João Batista

      O Balão
       O balão vai subindo
       Vem caindo a garoa
       O céu é tão lindo
       A noite é tão boa
       São João
       São João
       Acende a fogueira
       No meu coração.
       Caí cai balão
       Caí cai balão
       Na minha mão
       Caí cai balão
       Ai! Dentro do meu São João.
     気球
     気球がどんどん上がってゆく
     霧雨が降って来ている
     こんなにもきれいな空
     こんなにも素敵な夜
     サン•ジョアンの祭り
     サン•ジョアンの祭り
     あたしの心の中にある
     焚き火に火をつけてくださいよ。
     落ちるよ 落ちる 気球が
     落ちるよ 落ちる 気球が
     落ちるよ 落ちる 気球が
     あたしの手の中に
     あっ!あたしのサン•ジョアン祭りの中に
 数日もすれば、São João 祭り[6月24日]。この祭りを取り上げるのは、まさしく時機を得ている[É a melhor altura para mencionar sobre a festa de São João]。
 上に紹介したのは、人口に膾炙している民謡である。私はNiterói 近郊で若い時に視た気球が忘れられない。その時の、赤々とした気球が天空に浮遊している残像が、今も鮮明に網膜に漂っている気がする。
※気球を飛ばすのは、火事が頻発するために禁じられてはいるものの、、、。

サン•ジョアン祭 ②
Festa de São João

 サン•ジョアン祭は、前回触れたように、地域によって多少のちがいはある。が、余興を含めて概して、次のような催しものもしくは行事からなっている。
   ①焚き火
   ②お祭り広場(アライアー)に張り巡らされた色とりどりの小旗や提灯
   ③花火や爆竹
   ④スクエダンスの一種であるクアドリーリヤ(quadrilha )
   ⑤田舎風の集団結婚式
   ⑥てっぺんに牛脂(pau de sebo)もしくはグリスを塗ったマスト登り
   ⑦喜劇化した演出の恋文郵便(correio elegante)
   ⑧儀式的な様相を呈する恋や死などの占い(simpatia)
   ⑨大小の気球を天空に放ち、飛ばすこと。
 なお祭りでは、ケンタン(quentão)と呼ばれる、カシヤサに砂糖を加え、生姜やシナモンで味付けして燗にしたもの、とうもを主体にした材料の盛り沢山の食べ物が供される。
 サン•ジョアン祭が田舎風の様相を帯びているところに特徴があるので、祭り自体もとことんそれに拘っている印象を否めない。
 Monteiro Lobato はブラジルの児童文学を代表する人物である。その彼の作品『ジエカ•タトゥー』(Jeca Tatu)と同名の主人公は、いわばカボクロの代名詞でもあり、貧困なる田舎者と無作法、不器量の象徴として、漫画や物語の題材ともなっている。
 祭りでは、その作品の主人公さながらに役者となる男女ともに田舎風の装いをする。格子縞のシャツに、つぎはぎだらけのズボンをはき、リボンで飾った麦わら帽子の出で立ちで、男は黒く塗って口髭に見立てる。そして、首には派手な色のスカーフを巻く。対する女性は、たっぷり襞をとった明るいプリント模様の木綿生地を着用。田舎娘(caipira)であるべく頬には赤く斑点をつけ、髪は三つ編みにする。
 これぞまさしく田吾作の装いであり格好である。その祭りで主役を果たすアコーディオンに導かれた、地元の代表的なフオホー(forró=テンポの速い音楽とダンス)が彩りを添える。
※pau de seboはポルトガル起源で、北東部では伝統的なものになっている。滑りやすいマストの頂まで 登り詰めた者は、そこに具えられている賞品を獲得できる。ちなみに、マストは三聖人に敬意を表して六月に歌とダンスのなかで立てられる。しかも、そのマストには花や果実が飾られもする。

サン•ジョアン祭 ③
      Festa de São João
    —祭りの要をなす焚き火–
   A fogueira que é o fulcro da festa

 余興を含めたサン•ジョアン祭にあって、その構成要素の代表例はfogueira であり、祭そのものを特色づける最たるものだ。それもそのはず、São João Batista が火の聖人であるからでもあろう。
 サンタ•イザベルが、山上で火を焚いて自分の子供であるSão João Batista の誕生を聖母マリアに告げた合図に、そもそも由来するといわれている。ところが、先述の通り、祭りと火を巡る起源は異教徒に求められる。
 ともあれ、23日の夜に焚き木に点火されると、祭り は最高潮に達する。が、その火蓋を切るのは、実質的な祭りの始まりを告げる気球である。通常、灯された5個から7個が天空に放たれ、その気球には願い事などを綴った短冊が結び付けられる。
焚き火を囲みながら、田舎料理をつまみにしてquentão に酔いしれつつ、quadrilha に踊り狂うことこそ、この「田舎っぺ祭り」の楽しさはあるようである。
※焚き火の後の灰は肥料となる。従って、北東部の農民は豊作を願って、翌年に植え付けるトウモロコ シの種を灰に混ぜて保存するらしい。

サン•ジョアン祭 ④
       —Festa de São João —
      シンパチーアスと田舎風の結婚
      Simpatias e casamento na roça

 迷信や占いに基づく、一種の祈願でもあるシンパチーアスのなかでは、結婚や恋占いに関するものが主流を占める。
 例えば、両手に新品のナイフを手にして焚き火の熾の上を素足で歩く。その後、そのナイフはバナナの木の茎に差し込まれる。翌日、抜き取ったナイフの茎に、浮かび出た染みのイニシャルが結婚相手となる、といった類いの占いなどは、人口に膾炙した典型的なものだろう。
 その一方で、新郎新婦と神父に仮装した、田舎風の結婚の儀式(casamento na roça)も祭りには欠かせないエレメントである。かつて内陸部の村落社会では、神父不在のために結婚の儀を執り行うのも一苦労だったようだ。そのために実際、神父抜きで住民が焚き火の周りに集って式を挙行することが稀ではなかったようだ。
 祭りでの田舎の結婚式は艶笑小噺的な寸劇を想わせるもののようだ。プロットはお決まりのパターンで、例えばこんな具合。
 男が娘を連れて駆け落ちし、激怒した娘の父親は警察を介して連れ戻す。がしかし、すでに身ごもっており、挙げ句は神父を呼んで式を挙げる、といった塩梅。

 豊穣を火(ほむら)に託し、縁(えにし)を結ぶサン•ジョアンの祭

サン•ジョアン祭 ⑤
       Festa de São
       —恋文(愛)郵便—
     correio do amor

 余命いくばくもない老生の身だから、恥じも外聞(reputação)もかなぐり捨てて、coming outすることにしよう。
 実は私は恋多き少年であったし、青年であったし、壮年であったし、初老であった。ことに少年時代は、恋愛叙情詩で描かれるような世界の、愛や苦悩を地をもつて心に刻んだような気がする。
 思いを寄せる人に対して、いったいどれだけのlove letter を書いたことか。文章を書くのはいまも少しも上達してはいないが、ちょっぴりおませなこともあって、川上宗薫、宇野鴻一郎といった作家の官能小説をむさぼり読んでいたこともあって、文章修業になったことは事実である。
 今の若者は恋文を書くのであろうか?それともe-mail で相手に愛を打ち明けるのだろうか?
 ともあれ、今日の現地ブラジルではSão João 祭りの真っ只中で、おそらくその一翼を担う、遊戯詩の一種である恋愛郵便(correio do amor =郵便配達人の役割の人を介して、恋心を抱く人に宛てた恋文)もなされていることだろう。
 最後に紹介する恋文の事例は、まるで少年時代の、ふられることを恐れ自信のない、しかし思い込みの強い自分のlove letter のようでもある。相手も自分のことを思っているに違いない、というまことに手前勝手な解釈の下に。
Se jogares fora esta carta, me amas
 もし君がこの手紙を捨てれば、君はおれを愛して
 いるっていうこと。
 Se rasgares, me adora
 もし君が手紙を破り捨てれば、おれが大好きって
 いうこと。
 Se guardares, por mim choras
 もし君が手紙を大事にしまってくれれば、おれの
 ために君が泣いてくれるっていうこと。
 Se queimares, queres casar comigo.
 もし君が手紙を燃やせば、おれと結婚したがって
 いるということ。

サン•ジョアン祭 ④
       —Festa de São João —
      シンパチーアスと田舎風の結婚
      Simpatias e casamento na roça

 迷信や占いに基づく、一種の祈願でもあるシンパチーアスのなかでは、結婚や恋占いに関するものが主流を占める。
 例えば、両手に新品のナイフを手にして焚き火の熾の上を素足で歩く。その後、そのナイフはバナナの木の茎に差し込まれる。翌日、抜き取ったナイフの茎に、浮かび出た染みのイニシャルが結婚相手となる、といった類いの占いなどは、人口に膾炙した典型的なものだろう。
 その一方で、新郎新婦と神父に仮装した、田舎風の結婚の儀式(casamento na roça)も祭りには欠かせないエレメントである。かつて内陸部の村落社会では、神父不在のために結婚の儀を執り行うのも一苦労だったようだ。そのために実際、神父抜きで住民が焚き火の周りに集って式を挙行することが稀ではなかったようだ。
 祭りでの田舎の結婚式は艶笑小噺的な寸劇を想わせるもののようだ。プロットはお決まりのパターンで、例えばこんな具合。
 男が娘を連れて駆け落ちし、激怒した娘の父親は警察を介して連れ戻す。がしかし、すでに身ごもっており、挙げ句は神父を呼んで式を挙げる、といった塩梅。

 豊穣を火(ほむら)に託し、縁(えにし)を結ぶサン•ジョアンの祭