執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
現在、ブラジルについて私見ながら駄文を認めている。これは、あくまで自分のこの国に関する認識をいっそう深めるためのものであり、有り合わせの文献を駆使して文章を綴っている具合だ。しかしながら、Facebookに投稿した私の記事を、お粗末とは言え、読んでくださっている方が少数であれいらっしゃるのは、すこぶる嬉しいし励みにもなっている。
今回は北東部への言及を一旦小休止、上述のタイトルで話題を提供したい。
ポルトガルの最大の詩人の一人であるFernando Pessoa は「わが祖国はポルトガル語」(Minha pátria é língua portuguesa)と、またブラジル高踏派の詩人Olavo Bilac が「ラチオの最後の花」(Última flor do Lácio)と捉えたポルトガル語は、けして大げさではなく私の学問研究にとっても下部構造をなしている。
前置きはこれぐらいにして、ポルトガル語に論を進めよう。周知のように、この言語はポルトガル、ブラジルのみならず、アフリカやアジアのいくつかの国の公用語になっている。そればかりか、インドや南米の特定の地域では語彙などに痕跡を留めている。その一方で、ポルトガル人、ブラジル人が多い移民先の、日本も含めてアメリカ、カナダ、オーストラリアといった彼らのコミュニティーでは、母国語がコミュニケーションの手段として話されているのである。
[ポルトガル言語圏] [人口]
ポルトガル[Portugal] 10 .320.000
ブラジル[Brasil] 207.700.000
アンゴラ[Angola] 28.830.000
カーボベルデ[Cabo Verde] 539.560
ギネ•ビサウ[Guiné-Bissau] 1.816.000
モザンビーク※[Moçambique] 28.830.000
サン•トメー•イ•プリーンシペ] 199.000
[São Tom e Príncipe]
たとえブラジルとポルトガルでは共通の言語であるにしても、両者の間には明らかな違いが存在するのも事実である。
ブラジルの言語は、古ポルトガル語(português arcaico)がベースになつている。しかも、José de Alencar のような、国民的テーマを題材にしてナショナル•アイデンティティーを希求する者にとっては、旧宗主国とは一種異なるブラジル語の創造は不可欠の命題であった。
この点、ブラジル小説の父とみなされる作家がインディオの言葉を多用したのもうなづける。
今日のブラジルのポルトガル語は、インディオのみならず、アフリカや移民送出国の言語の影響もあり、ポルトガルのそれとは幾分異なるものになっているのも事実である。
このことから、ポルトガル語ではなく、ブラジルのポルトガル語(português brasileiro)と命名している言語学者も少なからずいる。
概して、口を閉じて発音することに特徴のあるヨーロッパのポルトガル語に違和感を覚え、理解におよばない人すらいる。
学部、大学院を通して私は、ポルトガル政府派遣のJorge Dias教授の、あの典型的なポルトガル式発音の指導を受けたものの、自らの好尚からブラジル式の発音を貫いた。
ともすると、双方の発音をごっちゃ混ぜしている人もいるが、頂けない。
ともあれ、ブラジルとポルトガルの間にも、次回に具体例で示すように、想像した以上に違いがみられる。してみると、アフリカやアジアのポルトガル語も、ポルトガルないしはブラジルのそれと違いが相当程度存在するように推定される。
かつての教え子で、現在関西大学で人類学を教えている青木敬さんは、Cabo Verde 研究の第一人者である。Cabo Verdeのポルトガル語の、ポルトガルやブラジルの違いなど聞いてみたい気がする。
①語彙面の違い(diferenças lexicais)
語彙面での双方の違いに関して、ブラジルのそれは前回も触れたが、インディオやアフリカ出自の言葉が多く、当然のことながら、ブラジルでは当たり前のものがポルトガルでは使われないし、通用しない。
maloca, jerimum, acarajé, macumba, vatapáなど挙げたらきりがないが、それらがそうである。ところで、ブラジルのポルトガル語を使って用を足す時、時として相手の話者に通じない経験を私もしている。同じ意味ながら、単語は違うのが結構ある。その例を以下に示そう。
[単語] [ブラジル] [ポルトガル]
栓抜き abridor tira-cápsulas
肉屋 açouge talho
スチュワーデスaeromoça hospedeira de
(c.a) bordo
バス ônibus auto-carro
バスルーム、 banheiro casa de banho
トイレ
朝食 café da manhã pequeno almoço
パンティー calcinha cueca
癌 câncer cancro
献立表、 cardápio ementa
メニュー(menu)
スマホ celular telemóvel
交換、変換できるconversível descartável
子ども criança miúdo
歯医者 dentista estomatologista
エレベーター elevador ascensor
電車 trem comboio
※まだまだあるが、この辺でとどめたい。
–発音上の違い(Diferenças na pronúncia)–
econômico, fenômenoの単語のごときブラジルのポルトガル語は閉音符(acento circunflexo)で、閉じた発音になる。これに対してヨーロッパのそれは反対に開いた発音となり、鋭音符がつく。
olfatoとolfacto, onipresenteとomnipresenteの場合は、綴りだけでなく音韻論上も異なる。二つの例のいずれも後者のcとはmnは発音される。
beijoとfavorは、ポルトガルでもブラジルでも綴りは変わらないが、ポルトガルではbaijo, favoireといった具合に発音されるし、そのように聞こえる。要するに、発音がポルトガルでは変わるのである。
発音上の違い(Diferenças na pronúncia) :一例
ブラジル ポルトガル
fato facto
fenômeno fenómeno
onipotente omnipotente
bônus bónus
sêmen sémen
beijo (baijo)
例えば、ブラジルのポルトガル語の無強勢(átono)の代名詞の位置は、傾向として動詞の前に来る。以下のブラジルのポルトガル語のいずれの例文も、ポルトガルのポルトガル語規範文法(gramáticas normativas)とは異なるのである。
文章構造上の違い(Diferenças sintáticas)の一例
飛行機は離陸している。
[ブラジル]
O avião está decolando.
[ポルトガル]
O avião está a decolar.
私はボサノバ歌手に昨日会った。
[ブラジル]
Me encontrei com a cantora de bossa-nova ontem.
[ポルトガル]
Encontrei-me com a cantora de bossa-nova ontem.
私は阿蘇熊本空港に着いた。
[ブラジル]
Cheguei no Aeroporto de Aso -Kumamoto.
[ポルトガル]
Cheguei ao Aeroporto de Aso-Kumamoto.
僕は彼女に会った。
[ブラジル]
Encontrei ela.
[ポルトガル]
Encontrei-a.
私は君に興味がある。
[ブラジル]
Me interesso por você.
[ポルトガル]
Interesso-me por si.
[ブラジル] [ポルトガル]
adjetivo adjetivo
atual actual
batizar baptizar
coletivo coletivo
fator factor
elétrico elétrico
ótimo óptimo
projeto projecto
refletir reflectir
同じ綴りの単語でありながら、双方の国の間で異なる意味で使われるものがある。注意を要する。
単語 [ブラジル] [ポルトガル]
bicos※ アルバイト 春をひさぐこと
rapariga 娼婦 娘、若い女性
propina 賄賂 学費、授業料、入学金
※fazer bicos=アルバイトをする
fazer bico=口を尖らせる
以 上