執筆者:設楽知靖(元千代田化工建設、元ユニコインターナショナル)
今回のパリ・オリンピックは206の国と地域が参加して、前回のコロナ禍の東京オリンピックの無観客開催と違って、本来のオリンピックの祭典を取り戻した感が強く、またセーヌ川での船による選手団の行進は一隻の船に複数の国の選手が乗って各国の国旗を振る光景は、まさに平和の祭典、そして、この世界の紛争の続く混乱の中で『民族の共生』の証明でもあった。
そのようなオリンピックの中で新しい競技種目も加わり若い選手の躍動も目立った。
このオリンピックの中で中南米の国、地域の選手はどのような活躍をしたか、考察してみたい。そして、その裏での問題も。
連日新聞紙上には各国の金・銀。洞の獲得数の動向が記載されている。これを米州として『中南米』を検証してみると『中南米・カリブ海』ではグアテマラ、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ共和国、ドミニカ、セントルシアが、『南米』ではブラジル、アルゼンチン、チリー、エクアドルがメダルを獲得しているが意外と少ない。しかしながら、テレビで時々見たがカリブ海の小国から参加してメダルには届かなかったが水泳、陸上の頑張りを見た。
今回のパリ・オリンピックの中南米のメダル(金・銀・銅)獲得数の合計は68個。このメダル数を中南米域内、国・地域別に検証してみると:
1)メキシコ・中米地域:
メキシコのメダル数は5個、その協議の内容はアーチェリー団体、ボクシング71キロ級、水泳男子板飛び込み2件、柔道63キロ級であった。中米諸国は3個でグアテマラの射撃クレートラップとエアーピストル、そしてパナマのボクシング75キロ級である。
2)カリブ海地域:
注目は普段あまり注目されていない小国を含む5か国の選手の頑張りではないか。9個のメダルを獲得した。セントルシアの女子陸上100メートルと200メートルが一番注目されるが、キューバの9個、ボクシング63キロ級、80キロ級、カヌー、レスリング67キロと97キロ、女子の50キロ、75キロ、130キロがある。ジャマイカが6個、陸上男子100メートルと110メートル障害、棒高跳び、三段跳び、ドミニカ共和国が3個、女子400メートル、ボクシング51キロ級と80キロ級、ドミニカ1個、陸上三段跳び、グレナダ2個、陸上やり投げ、プエルトリコ2個、陸上100メートル障害とレスリング男子65キロ級であった。
3)南米:
南のABC三か国で25個、ブラジル一か国で20個は大国で選手層も厚く、幅広い競技への参加が目立つ、陸上400メートル障害、1600メートルリレー、サッカー、体操女子団体、個人総合、ボクシング63キロ級、柔道52,66,73キロ級、団体、男女サーフィン、スケートボードのバークと女子ストリート、バレーボール、ビーチバレー、20キロ競歩。そしてアルゼンチンは3個、自転車BMXフリースタイル、女子ホッケー、カーリング混合470級、そして小国エクアドル5個、陸上20キロ競歩、団体競歩レスリング53キロ、女子重量挙げ81,71キロ、コロンビアが4個、体操鉄棒,重量挙げ男子89キロ、女子71キロ、チリー2個、レスリング、エアーピストル。ペルー1個、セーリング。最後にカーボベルデを追加すると1個、ボクシング男子51キロであった。
この小国はカリブ海の東のどこにあるのか。島国で北にフランス領マルティニク、東にセントビンセント・グレナディーン、南東にバルバドス、首都はカストリーズで英連邦の一国である。その歴史に触れてみると『アラワク』と言われる先住民が三世紀ごろ南米のギアナ地方から海を渡って定住したが、その後『カリブ}と言われる別の先住民が進出してきたといわれている。ヨーロッパ人による島の発見は1500年ころのスペイン人によるといわれているが、最初はフランス人が定住して100年ほど治めて、その後はイギリスとフランスの領土争いが17~19世紀まで続き最終的に1814年パリ条約によってイギリスの領有が確定、1958年から『西インド連邦』に加盟し、連邦解体後の1979年2月22日に独立した。
面積616平方キロメートル、日本の淡路島より一回り大きな国土に18万人が居住している。公用語は英語であるがクレオール語も話されている。人々の90パーセントはアフリカ系か混血の人々で占められている。」このカリブ海の小国、セントルシアの23歳の女子スプリイターが金メダルをもたらした。この初出場のジュリアン・アルフレッドは貧しい環境で毎日はだしで走り回って14歳で憧れの世界短距離記録保持者のウサイン・ボルドのジャマイカへ移住して努力を重ねたといわれ、その努力が実り、この小国セントルシアの人々に『夢への躍動』を与えたのであった。
今回のオリンピックで新たに『ブレイキン』、『スケートボード』、『スポーツクライミング』が新しい競技種目として加わり、若者の飛躍が目立ったことも挙げられる。これらの中で、ヒップホップ、ブレイキンなどの言葉並ぶが、その歴史的背景を検証して今日に至ったことを理解することも必要ではないか。
私は、前の投稿エッセイ(連載エッセイ365、“大西洋からカリブ海、さまざまな出会いに係る空間を考察”)で『ブラック・アトランティック』という書物を中心にカリブ海の歴史、アフリカ系移民の歴史などから『ハーレム・ルネッサンス』、{ジャマイカのレゲー}などに触れたが、今回も新競技『ブレイキン』の歴史とその生い立ちの中で共通する『社会に存在する不平等や格差への葛藤』を解決するにあたって『暴力}に向けるのではなく『物事を平和的に解決し、それをダンスや音楽で自己表現しようという方向を原則としてスローガンを発展させてきた』ことが今回の競技を通して伝えられたのではないか。
ブレイキン(ブレイクダンス)は1970年代、米国ニューヨーク貧民地区の路上で生まれたとされている。縄張り争いをするギャングたちが『暴力ではなく音楽と踊りで勝負した』ことが起源とされている。フランスでは1980年代に大都市の郊外に住む移民系の若者を中心に広まった.このパニョレ地区は治安が悪いというイメージが強いが、今回のオリンピックでは『地域のすばらしさを認めてもらう』機会として、移民のルーツを持つ選手やフランス領海外県で生まれ育った選手が選ばれている。この競技が明るいイメージをもって社会に理解されてゆくことを期待し、次回米国ロスアンジェルスのオリンピックへつながることにも期待したい。
パリ・オリンピックの祭典の中で、この中南米地域はまだまだベネズエラ、ハイチの混乱と移民の不法入国など、今後の米国新政権や10月就任のメキシコのシェインバウム新政権などの移民政策などを注視しながら、現状を分析してみたい。
『共生と平和}は来るのか、麻薬組織が絡む治安の悪化と強権政治による経済の不安により北の米国へ逃避する人々の流れは、今までの中米中心から南米へ拡大している。もともと道路のないコロンビアからパナマへのダリエン・ジャングル地峡を抜ける『死の行軍』が起こっている。これらは母国ベネズエラ、エクアドル、ハイチなどの政治不安が最も大きいと報じられている。パナマのダリエン地峡を通過できたとしても米国・メキシコ国境までは中米諸国を通らなければならず、その手段はバス、貨物列車、徒歩しかなく、その間に犯罪に巻き込まれるケースが多く、米国との国境での拘束者は最近四か月で48万人と言われている。
メキシコ政府の移民政策もロスアンジェルス協定もあり、不法移民は基本的にはメキシコ南部への移送や母国への送還を原則として実行している。米国のバイデン政権は6月4日の不法移民対策の大統領令では『入国者が一定数を越えれば入国を一時停止する』ことを打ち出している。
『共生と平和』を模索する中で、米国とメキシコの間で今後どのように展開されるのか、メキシコで10月に誕生するシェインバウム政権は基本的には『環境重視政策』を重視するのではないか、したがって移民政策ではそれほど大きな変化は見られないのではと予測され、一方米国の11月の大統領選挙で『もしトラ』政権が誕生すれば『エネルギー開発重視』の政策がとられる予想で、メキシコの政策と大きな相違が生じることが予測されて世界の混乱の中で、『共生と平和}はますます遠のくのではないか。(以上)
(資料):
1.ラテンアメリカ協会:連載エッセイ 365
2.朝日新聞:2024年7月~8月11日、パリ・オリンピック、まとめ資料。
3.ウイキぺディア