執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
度重なる北東部への旅を通じて私は、コルデル文学、歌い手による即興詩などの存在で、この地域がきわめて豊かな民衆文化に溢れている感を強くする。
北東部の民衆詩を考察した劇作家にして文芸評論家のAriano Suassunaは、そのルーツが古くイベリア半島の中世に遡ることを明らかにしている。
しかしながら、他方においてSuassunaは、そのヨーロッパ的な伝統が北東部で変容し、再創作されたともみている。そして彼は言う。
”われわれの詩集(romanceiro)は疑いもなくイベリア起源であるけれども、今日それそのものが有する特徴は実に豊かで、形式や用いられる詩節(estrofe)も多様なものになっている。その詩節でもっとも使われるのは6行の詩節(sextilha =7音節6行詩で第2,4,6が韻を踏んでいる)である。 ”
ともあれ、Suassunaの言によれば、民衆詩は一種の地中海の伝統とブラジル国民を結ぶものになっているらしい。しかも、多くのブラジルの作家に影響を及ぼしているとのこと。
しかし、北東部の民衆文化のエスプリ、色彩、エネルギーなどが全面的に打ち出されているのはやはり、音楽と舞踊かもしれない。形式やテーマの多様性は、ヨーロッパのキリスト教の伝統のみならず、インディオ、アフリカのそれとも分かちがたく結びついている。
その一方で、各民族独自のものを刻印し、芸術表現に差違と広がりを与えている。
もっとも伝統的な音楽のジヤンルと言えば、ペルナンブーコのフレーヴオ(frevo)、セアラー州、アラゴーアス州、パライーバ州、ペルナンブーコ州のフアイフ(pífanos=横笛楽団)、露天市場、わけてもCaruaru で見ることのできるエンボラーダ(embolada=詩で競い合う、すなわち歌競べ)だろう。
ダンスでは、牧人たちの劇ともいえるbumba-meu-boi、アフリカに淵源をもち、北東部名物のciranda にdança do coco[いずれも既に紹介•説明済み]。これらの舞踊はそれぞれの歴史があり、同時に三つの大陸の影響もみられる。
これまでにもかなりの紙面を割いて取り上げたが、Luiz Gonzaga はサンフオーナ(アコーディオン)、打楽器、トライアングルを使った作曲家で歌い手であり、彼の奏でる独特のリズムには魅了されるのは、私ばかりではない。
北東部の歌詞のなかでもっとも有名なのは疑いもなくAsa Branca だろう。それはある意味で、苛酷な環境に対する闘いのドラマを詩的に表白したものに他ならない。
のみならず、そのロマンチックな歌は、他の地域のブラジル人に対して、北東部の自然界や文化的な世界に触れる扉を開放しているようにもみえる。
Gilberto Gil , Caetano Veloso, Alceu Valença, Novos Baianosといった現代の歌手や音楽集団は、この国の民衆音楽[Música Popular Brasileira =MPB]を豊かにする意味で多大の貢献をしている。
彼らは電子音楽とのコンビネーションで、北東部の音楽に新たなリズムを加えた。この北東部なものと電子音楽との融合は、現代ブラジル文化の重要な審美的運動の一つであるトロピカーリア(Tropicália)であった。
Gal Costaと共に、バイーア生まれのCaetano Veloso とGilberto Gil は、リオやサンパウロの楽団、編曲者、作詞家を巻き込みながら、Tropicáliaを形成した。
その一方で、Tropicália はいわばMPBの伝統と世界の民衆音楽の橋渡し役を演じたようにも思われる。
北東部を題材とした映画は決定的と言えるほどに、ブラジルを印象づけるもののように私には思われる。
事実、北東部の自然景観とそこに生きる人々(nordestinos)を映像化したもののいくつかは歴史を刻み、もう一つのブラジル、すなわち北東部の主題となっている。
例えば、国の最初の映画産業であるVera Cruzは、カンガツソ[cangaço=北東部に跳梁跋扈する義賊的な盗賊]を扱っている。
ブラジルを代表するNelson Pereira dos Santosは、Graciliano Ramos の、農園主から搾取され奥地の旱魃から逃れる農民一家の困窮ぶりを扱った『干からびた生活』(Vidas Secas)がある。
のみならず、Jorge Amado の、バイーア地方が持つ価値を確たるものにした人物ペドロ•アルシヤンジヨの物語『奇跡の幕営』(Tenda dos Milagres)をベースにした映画もある。
国際的にも注目されているWalter Salles Jr.のCentral do Brasil のシナリオは、国内移住の方向が逆の、リオから北東部奥地(sertão)への道をたどったかたちで創作されている。
※19世紀から1930年代まで、貧しい北東部は無法者の世界であった。為政者や裕福な農村貴族階級 に激しく抵抗したり略奪したりして、悪事を働くcabgaçoもいたが、貧窮する民衆に憐憫の情を感じて彼らを襲うこともなかった者もいた。
北東部は依然として国内の幾人かの主たる映画監督にとつて、揺り篭のごときものであったし、またあり続けている。
1960年代のブラジルの映画の言語と中味を刷新した、Cinema Novo運動。バイーア出身のGlauber Rochaは、その代表的な人物である。
Nordeste を主題にしたものは、「太陽の大地の神と悪魔」(Deus e o Diabo na Terra do Sol )の作品によって決定的なものとなる。刷新された高度に洗練された言語芸術には、瞠目すべきものがある。
奥地セルトンの台地の光というかイルミネーションは、Glauber Rocha監督の技法上の一つであり、そこに奥地の人々(sertanejos)の苛酷な生活を対置させながら表現しようと努める、監督の姿勢と信念が強く感じられる。
映画だけではない。ブラジルでは概してあまり開拓されていない造形芸術の分野においても、北東部のそれは独創的なものがあり、評価が高い。
というのも、音楽、祭祀、民衆詩のジャンルにおける根強い伝統は、視覚芸術のかたちにも表現されているからである。