執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
私は目下、3巻からなるリーン・スミスの『住民と制度』(農林水産性向上会議)を読み返している。周知のようにブラジルの社会や文化は、ポルトガル人、先住民インディオ、アフリカ出自の黒人という3つの基底要素から形成されている。中でもポルトガル人は、その社会、文化面においてとりわけ、中核的存在であった。従って、上記のリーン・スミスの文献で論じられる社会制度等の多くは、ポルトガルから採り入れられたものである。
社会史家のジルベルト・フレイレに言わせれば、熱帯世界に適応性を示したポルトガル人によって創られたのがブラジルである。サラマゴがノーベル文学賞をポルトガルで初めて受賞することとなるが、それまでこの国において一頭地を抜く( salienta- se entre todos os escritores)作家は、医者でもあったフェルナンド・ナモーラ( Fernando Namora)であったが、ノーベル賞最有力候補としてノミネートとされていながら、癌で他界した。彼が存命中、ポルトガル言語文化院〔現在はカモンエス院に改称〕に3ヶ月間招かれ、貴重な研究生活をリスボン大学を中心に送ることができた。
むろん、『ある医者の生活の断片』(Retalho de Vida de um Médico)を翻訳出版していることもあって、当時、院長をされていた作家本人にも会って、親しく交流もした。そのことが、今となってはすこぶる懐かしい。リスボン逗留中、古本屋も含めて本屋さんには足繁く通ったものだ。その甲斐あって、Venceslau de Moraes の稀覯本である『茶の湯』( Cerimônia de Chá)等入手した。その購入した書籍のなかで、一番感動したのはJacinto do Prado Coelho著『ポルトガル文学の独自性』(Originalidade da Literatura Portuguesa )〔Instituto de Cultura e Língua Portuguesa〕かもしれない。
その頃私は、ブラジル文学の独自性について考察していて、その意味でも、旧宗主国の文学のそれを知ることは重要であった。Camões の国の文学を読み進めていく過程で、予測されたことではあるが、ブラジルの文学や音楽に垣間見られる独自性が、ポルトガルのそれと共通していることに驚きを禁じ得なかった。
海( わだつみ)に関する主題、サウダージ( saudade)などはその典型であろう。次回からは、ブラジルの文学や音楽にも投影されているそうした事例を、ポルトガルの独自性について論述したプラード・コエーリョの言説から見てみたい。
前回言及した、ポルトガル言語文化院の招聘でリスボン滞在の間、リスボン大学を拠点にして、主としてこの国の地理学関係の文献の渉猟に努めた。そして、数多くの文献に出遭い、ポルトガルの自然地理学についての理解も深めることができた。ことに、Amorim Girãoの手になるGeografia física de Portugal(『ポルトガルの自然地理学』)、およびOrlando RibeiroのPortugal, o Mediterrâneo e o Atlântico(『ポルトガル、地中海と大西洋』)の著書、わけても後者からは、ポルトガルおよびその民への海の介在の深さを知ったのである。
これらの入手した文献を通じて得た知見から私は、野外研究所〔当時は京都大学教養部に設置されていた〕発行の研究誌FHG〔Field study for Historical Geography〕にポルトガルの自然地理学に関する論稿を2本寄せている。今はそうしたポルトガルの地理文献は、阿蘇のブラジル民族文化研究センターの、地理、人類学、民俗学のコーナーに配架している。
ところで、Jacinto do Prado Coelho の先述の中で、ブラジルに文化、社会形成に大きな影響を与えたポルトガル人の、国民心理(psiquismo coletivo)とも言うべきサウダージや海への強い関心なり憧憬が、Teófilo Bragaの言説を援用しながら、ケルト民族〔Celta e Ligúrio marítima〕の影響であるとみなしている。こうした説にかつて触れたことのなかった私には、目からウロコの感がしている。海に対するポルトガル民族の素質や憧れ、sui generisなサウダージの心情など、てっきりこの民族特有の国民感情と思っていただけに、これまでの考えを改めねばならない。
そこで次回からは、ケルト・リグーリオに淵源を持つ海への夢、憧れ、冒険心、サウダージの心情などを、Teófilo Bragaの説を紹介しつつ、ポルトガルおよびブラジルの文学、音楽等への投影の事例を見てみたい。ケルト・リグーリオがポルトガル民族に影響を及ぼし、海を主題とするポルトガル文学が醸成されたことを中心の言及になるかと思う。
未完
19世紀以降の他の外国からの移民の影響も否めないが、ポルトガルはブラジルの国家形成に向けて、ブロトタイプ的な役割を果たした。社会制度や文化のみならず、ブラジル人の思考•行動様式、国民性に至るまで、旧宗主国の及ぼした影響は小さくない。
Manuel Bandeira は人種的な側面に着目して、祖国ポルトガルとブラジルの、民族的な繋がりを、詩を介して表現している。「人間は自然のなかで最も弱い葦に、過ぎない。しかし、それは考える葦である」という名言を残したパスカルだが、他方において「ピレネー山脈を越えると、そこはアフリカだ」という、アフリカとイベリア半島の近似性を指摘した言葉もある。
ことほど左様に、風土の類似性ばかりか、アフリカ黒人との接触による人種混合の歴史もあって、一部のポルトガル人の血脈には黒人の血が流れているのも事実である。その意味でポルトガルはアフリカを彷彿させるものがある。Bandeira はそうした事実を踏まえて、ポルトガルがブラジルの父祖的な存在であり、双方の国民的、民族的な繋がりや絆を、詩を介して表現していると解される。つまりこのAvôzinhoは、ポルトガルとブラジルとの、深い海底で結ばれた世界、切っても切れない関係性を吐露したものに他ならない。
Avizinha I.
Como foi que temperaste,
Portugal, meu avôzinho,
Esse gosto misturado
De saudade e de carinho?
僕のおじいさんのポルトガル
サウダージと情愛の
ない交ぜになったその風味を
汝はどんな風に味付けしたのかい?
II.
Esse gosto misturado
De pela branca e trigueiro,
Gosto de África e de Europa,
Que é o da gente brasileira.
ブラジル人のそうである
アフリカとヨーロッパの風味
白と小麦色の
そのない交ぜになった風味
III.
Gosto de samba de Fado
Portugal, meu avôzinho.
Aí Potugal, que ensinaste
Ao Brasil o teu carinho!
サンバとフアドの風味
僕のおじいさんのポルトガル
ブラジルに汝の情愛を教えし
ああ、ポルトガルよ!
IV.
Tu de um lado, e de outro lado
Nós…No meio o mar profundo,
Mas, por mais fundo que seja,
Somos os dois um só mundo.
深き海の中の
一方の汝と、他方の
われら…
けれど、海が深ければ深いほどに
われらの二つの国は一つだけの世界なり。
※訳してみましたが、意外と難しく手こずった。誤訳の可能性が高いと思われる。あえて翻訳を掲載するのを踏み切ったのも、せめて原詩だけでも見て頂きたかったからである。
サウダーデという言葉が日本語に訳しにくい、多義的な言葉であることは以前に述べた。広辞苑の如き存在の、日頃活用している最良のAntônio Hauaissの辞典と、まだ前者が刊行されていなかった時分に愛用していたAurélio辞典で、saudadeの定義を見てみたい。オーアイスは次のように記している。
saudade=sentimento mais ou menos
melancólico de incompletude, ligado
pela memória a situações de
privação de presença de alguém ou
de algo de afastamento de um lugar
ou de uma coisa, ou à ausência de
certas experiências e de terminados
prazeres já vividos e considerados
pela pessoa em causa como um
desejável.
かなり長文の氏の解釈であるが、かいつまんで言えば、サウダーデとは、ある場所から遠ざかった人もしくは物事の不在や満たされない想いなど、ありし日の経験、想い出などに結びついたメランコリックな感情、となろう。一方のアウレーリオの語の解釈はよりシンプルである。彼はこのように定義付けている。
saudade=Lembrança nostálgica e, ao
mesmo tempo, suave, de pessoas
ou coisas distantes ou extintas,
acompanhada do desejo de tornar
a vê- las ou possuí- las: nostalgia
遠ざかった(別離)もしくは消え失せた人あるいは物を再び見、所有したいという希望を伴う、甘美な[悲しみを帯びた]ノスタルジックな想い出。ノスタルジー。ずいぶん昔、手元にないので明記できないが、ファドの女王アマリア・ロドリゲスが唄う「暗いはしけ」を「ポルトガル通信」[淡交社]で紹介、歌詞を翻訳したことがある。これなどはまさしく、サウダーデの感情を吐露した典型的な曲かもしれない。
文字通り怒涛の荒れ狂う海に出漁した夫の不在を嘆き、安否を気にしながら夫の帰りを、今か今かと待ちわびる妻の心境。ここにはサウダーデの感情が遺憾なく表れ出ている。ついでながら、上記の文脈で使われるsaudadeに関する表現も、辞書を見れば分かることであるが、記しておこう。
Estar com saudade de〜がいなくて寂しい
Matar as saudades dos amigos旧交を温める
Matar saudade 郷愁を癒やす、懐かしさを解消する寂しさを紛らわす
Morrer de saudade 死ぬほど懐かしい、懐かしさで死にそうである
Morrer de saudade por〜に会いたくてたまらない
Sentir saudade de〜が懐かしい、〜を懐かしく思う
Ter saudades de〜を切望する、人のいないのを寂しく思う
Que saudade !
Psique do povo português que mora
na terra que acaba e começa o mar:
Saudade
陸終わり海始まるところに住むポルトガル人の心理: サウダーデ( saudade)
ブラジル音楽が一面において、ポルトガル人、先住民および奴隷として強制離散の憂き目に遭い熱帯ブラジルに搬送された黒人のそれぞれが、宿命的に背負った不運や悲しみが同国の音楽に反映されていることを前回記した。中でも、ポルトガル民族の国民心理とも言うべきサウダーデの心情が、ブラジルの音楽に与えた影響は黙過し得ないように私は思う。今ではブラジル人の専売特許のように思われがちであるが、歴としたポルトガルの民族、文化風土に由来する。
私は過去に、文芸風土学的視座から、ブラジルおよびポルトガルの地域性を研究したことがある。その過程で、ポルトガル人の国民性を知る目的で、ずいぶんとヨーロッパの最西端の国の地理的位置と民族性について考察を加え、その重要性を理解したつもりである。因みに、その研究の一端は、FHG(野外歴史地理学)〔その主体である研究所は当時、京大教養部に付設されていた〕会誌に公表している。
ともあれ、サウダーデの心情がポルトガル人に生み出された背景に、民族性とこの国の置かれた地理的位置が大きな意味を持つようである。
Teófilo Bragaの言説はポルトガルのみならず、ポルトガル人、ひいてはポルトガル人の心理や心情を理解するのに大いに役立つ。彼はポルトガル文学史を編むために、ポルトガル人の性格を定義し、合わせて説明しょうと試みた。
テオーフィロの説に基づけば、ポルトガルがヨーロッパの最西端の大西洋に位置していることと、スペインのセム系の民族と違ってケルトおよびリグーリオ( ligúrio)[海辺のケルト]系の民族に特徴づけられること。この2つの基本的な要因がポルトガル人の、多情な気質、探検、冒険趣味などに反映されている、と言う。
してみるとおそらく、郷愁、懐古の情、懐かしさ、メランコリー、孤愁など多義的に日本語に訳されるサウダーデなる心情表現も、多情な愛の表出に長けたポルトガル人ならではのものであろう。サウダーデを吐露したブラジル音楽は、枚挙の遑がない。次回は、その最たる郷愁的な抒情主義への言及を試みよう。
●新田次郎、藤原正彦による親子共作の『孤愁』も、ウェンセスラウ・デ・モラエスの、
母国ポルトガルや徳島でオヨネやコハルと送った生活へのサウダーデの情であろう。
翻って、Guerra Junqueiroは、その海への思いを極めて甘美に歌いあげる。
「歌えかし 夕べの海のごとく やさしく
いともやさしく 悲しく いとも悲しく」
João de Deusは海を愛する女人になぞらえ、逆らう波濤とたたかう者たちを見て歌う。外界の客観性と人間の行動により結びつく現実主義は、海洋を軽視せず、従属的な要素として活用する。
Raul Brando は「漁夫たち」の中で、大きな画布に文学的印象主義を描く。
Teixeira Gomesは「蒼き八月」の中で、その美的感動を異教的な官能的いんらんさに合致させる。
象徴派詩人たちに海洋はリリシズムに満ちたものに見えた。Eugênio de Castroは歌う
「はるかなる波は 声高く叫んで
あわれみを乞うて止まぬ」
Antônio Nóbreは海洋の詩的信仰を創る。
「波の修道院、みどりなす修道院よ、
その老いたる女修道院長は月」
象徴派詩人たちについで、民族主義ー懐古主義的な流れがあらわれる。Teixeira de Pascoaisが慕情と固く結びついた哲学的な海のメシア的幻想をもってあらわれる。
しかし、Afonso Lopes Vieiraの作品の中で、海洋についての感情は、稀れに、きわめて寂しい。
「海の底にうず高い
我らが大いなる慕情
いくたの嵐が
その胸に葬しもの」
が、殊にすでにブログで代表作を紹介したFernando Pessoaと彼の時代にあっては、その海の神秘はさらに深刻な表現に達している。
「あぁ、塩辛い海よ その塩こそ
ポルトガルの涙! 」
ケルト民族の天性とも言える性向で、ポルトガル人の国民心理や感情が如実に描写されている海。この種の伝統的な心情は、ブラジル人の心の中にも宿っている。それは、前回述べたブラジル文学のみならず、音楽に海を主題にした楽曲にも多く見られる。Drival Caymmiの作品などは、その典型だろう。バイーアの海と戯れ、そこから想を得るこのアーチストには惹かれるものがある。
ところで、ブラジルへポルトガル人が持ち込んだ海への想いは概して違いはない。愛と孤独と死は通底するものだろう。が、厳密に言えば、ポルトガル人にとっての海は、Fernando Pessoaに代弁されるような、《塩辛い》海であるように思える。
それに対してブラジル人には海は、Drival Caymmiの「海」(O Mar)や「そして、海でみまかるのは心地よい」(E Doce Morrer no Mar)の曲に引例されるように、幾分変容された趣きが感じられる。そしてそこに、甘美な世界、豊穣な産物としての海の幸などが点綴されている。
ところで、世の東西を問わず、海は生命の根源のように捉える向きがある。フランス語ではmerは海であるし、人の母胎となるものは言うまでもなくmere、すなわち母である。
O mar quando quebra na praia
É bonito, é bonito
海が浜辺で砕ける時
美しい、美しい
〔O Mar〕
É doce morrer no mar
Nas ondas verdes do mar
わだつみでみまかるのは心地よい
海の緑なす波の中で
〔E Doce Morrer no Mar〕
三好達治の詩『郷愁』にある。
ー海よ、僕の使う文字では、おまえの中に母がいる
Ó Mar! A mãe está dentro do teu,na nossa língua.
母→海〔海の漢字は母の漢字で構成されている〕
今日は母の命日〔data de falecimento de minha mãe que morreu aos 83 anos〕である。昨日のうちに仏花を供え、今日はお祈りするのみだ。小春日和のようなポカポカした陽気なので、母がいるという海辺にでも行ってみたい気がしている。
ブラジルは広大な大西洋岸をもちながら、ポルトガルのような海洋生活の強い伝統をもっていない。とは言え、バロック派の作家たちの初期の作品以来、海洋は文学にしばしば姿を見せるのである。
ロマン主義と共に、Gonçalves Diasに、形而上的な不安が生まれる。海洋の巨大さと神秘に向かう驚嘆の態度で、「怖るべき大洋、巨大なる海…」の一節をもって「聖歌」を開幕する。
小説の創始者であるJosé de Alencarは、その生まれ故郷の「海荒き緑なす海」をうたい上げる『イラセマ』( Iracema)〔拙訳、彩流社〕の冒頭で、すぐ海について述べる。
Castro Alvesは「漂う泡沫」(Espumas Flutuantes)で、懐郷的なヴィジョンを海から呼び起こし、「黒人奴隷船」(Navio Negreiro)で海の男たちの闘争を描くのに比喩を用いる。しかも、その社会的刻印の詩に、海のイメージと象徴を拡大する。
「民衆の大洋にうまれるのは漂泊の男…」
あるいは
「人々には、荒々しい海ー武器の代わりに思考、灯台の代わりに真実がある。」
Psique do povo português que mora
na terra que acaba e começa o mar:
Saudade
フェィスブックでいつも登場願う私の大の親友Manuel Martinsさんの生まれは、ポルトガル北部を流れるDouro川沿いの上質の葡萄で造られるポートワインの地である。ブラジルのリオとサンパウロに居を構えておられるが、彼の祖国愛には並々ならぬものがある。今やヨーロッパの小国に成り下がってはいるものの、周知のごとく、この国は西洋の文明や文化をはじめて日本にもたらした点で特筆されよう。
ましてや、ブラジルの国の成り立ちに触れるとなれば、ポルトガルは社会制度のみならず、広く文化全般、生活・思考様式、国民性等の基底となっており、ブラジルを真に理解しょうとなれば、アフリカ同様にこの国への認識は欠かせない。そんな自分なりの信念もあって、ポルトガルにもこれまで7回出向いている。内1回はマデイラ島( Ilha de Madeira)を含めた3ヶ月に亘る長期の研修であった。これらの研修を通じて、このヨーロッパの最西端の国土認識が断片的でありながらも出来たのは大きな収穫であったように思う。
結果としてそれは、「ポルトガル文学の流れ」(「南欧文化」、文流)や『郷愁ポルトガル 地果て海始まるところ』(泰流社)などの本となって結実している。ポルトガル文学についても、文学史を執筆はしているものの、詳細に論じる程に知悉しているわけではない。が、ポルトガル文学、とくに詩のジャンルにおいて世界文学の高峰に位置している、Luís de CamõesとFernando Pessoaの作品はよく読んだものだ。中でも前者の『ルシターノの人々』(Os Lusíadas)は、難解ながら原文で講読しつつ、作品に言及される英雄たちのポルトガル人魂を感じ取った記憶がある。
カモンイスと並びポルトガルの代表的な詩人のフェルナンド・ペッソーアには、以下の珠玉の作品がある。祖国愛に燃える Manuel Martinsさんに親愛の情と敬意を込めて、その作品である「ポルトガルの海」を拙訳で送りたい。
Mar Portuguez
Ó mar salgado, quanto do teu sal
São lágrimas de Portugal!
Por te curzarmos, quantas mães choraram,
Quantos filhos em vão restaram!
Quantas noivas ficaram por casar
Para que fosses nosso, ó mar!
Valeu a pena? Tudo vale a pena
Se a alma não é pequena.
Quem quere passar além do Bojador
Tem que passar além da dor.
ポルトガルの海
おお、塩辛い海よ、おまえの塩というものは
ポルトガルの涙なのだろう!
おお、海よ、おまえがポルトガルであるために
おまえが海を渡るのに、母親母親どれだけの
涙を流し
どれだけの子供たちが無意味に祈りを捧げた
ことか!
意味があることだろうか? 全て意味あることだ
心が小さいものでなければ
ボジャドール岬の彼方へ超えたい者は
心の痛苦を耐え忍ばねば。
Gostou a minha tradução de Mar Salgado escrito pela poeta mais representantes da Lusitânia? Adoro as obras pessoanas. Faça o favor de matar saudade de sua pátria, lendo está obra excelente traduzida de Fernando Pessoa.
●旧い綴りもある。Ex. português →portuguez